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第二部 宰相閣下の謹慎事情
329 不文律が出来ました
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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
「……破片は飛ばなかったか、ボードリエ伯爵令嬢?」
呆れた様な国王陛下の声に、場の全員が我に返った。
フィルバートの左手は自分のマントを掴んでおり、それを肩の高さまで掲げていた。
実際に当たったか当たらなかったかはともかくとして、結果的には、シャルリーヌを飛び散った氷柱の欠片から庇った形となっていた。
「…あ…ありがとう…ございます……?」
呆然と呟くシャルリーヌに、フィルバートが口の端を面白そうに歪めていた。
「…疑問形なのか、そこ」
「いや…まさか陛下が、と。あ、いやそれよりも陛下こそ……っ」
「少しは取り繕え。まあ、貴女らしいとも言えるだろうがな。私なら、仮に飛んで来たところで所詮は氷柱の欠片、かすり傷で済むだろうし、何よりそれならそれで、宰相の謹慎を取り上げてやろうと思っていたから、渡りに船――いや、結果的にかすりもしなかったから、無駄にカッコだけつけたみたいになって、逆に不本意か?」
自分で言って首を傾げているあたり、フィルバート自身も、無意識の行動だったのかも知れない。
「まあ、新たな聖女に何事もなくて何よりだ。王都学園の理事長であるボードリエ伯爵を敵に回すと、この国の未来が傾きかねんからな。――そうだろう、宰相?」
フィルバートの鋭い視線と声を受けたエドヴァルドも、ようやくそこで我に返った様だった。
「……申し訳ありませんでした、陛下」
「まったくだ。ちょっと謹慎の間にでも、その魔力を制御する術だけでも身につけさせた方が良さそうだな。そろそろ『面白い』で放置しておける範疇を超えているな」
参加していた官僚たちの中には、知らなかったのか初めて見たのか「アレ、イデオン宰相の魔力暴走なのか…?」などと囁きあっている者もチラホラといた。
面白いで放置していたのか、陛下…なんて呟く声があるのは、一度や二度は冷気の放出程度体験していたのかも知れない。
いずれにせよ、この日以降「イデオン宰相を無意味に怒らせるな」「前聖女の姉には無闇に声をかけるな」と言う、スローガンの様な不文律が、王宮全体に広がった事を、私は随分と後になってから知る事になった。
さて、と腰に手を当てたフィルバートが、部屋の中をぐるりと一瞥した。
「第一王子も公爵も気絶した、か。特使連中も捕らえられるか気絶しているかの二択だし、どうするか。まあしかしこれで、サレステーデ側がアンジェスに不穏な意志を持って乗り込んで来たと言うのは証明されたな」
御意、とだけエドヴァルドもフィルバートに頭を下げた。
例え目的が、ドナート第二王子とドロテア第一王女の命だったにせよ、他国の王宮内で刺客を動かした事実は、既に動かし難い。
バリエンダールに使者を立てる大義名分は、十分に整ったと言うべきだった。
「五公爵家代表とレイフ叔父上、アンディション侯爵は申し訳ないが別室にて再度お集まり願おう。それとドナート王子と姉君、ボードリエ伯爵令嬢も聴取の都合上参加して貰おうか。他は一旦解散とする。食べそびれた分の食事代は、後日換算して給与に上乗せ支給させよう。時が来るまでは箝口令を敷かせて貰うが、皆、そのつもりで。情報解禁する際には個別に連絡を入れる」
国王陛下が、何だか「国王」らしい――などと真面目に感心しかけたところが、案の定と言うか、長続きしなかった。
「まあ、話したいなら話したいで、止めはしないが。余程、私の剣の錆になりたいのだなと認識するだけの事だ」
これを誰も冗談だと思わないところが、フィルバートへの信頼と実績の積み重ね?なのかも知れない。
「ああ、ただ、宰相はこの部屋の後始末の指揮を取って、ある程度の目処をつけてから来い。それまではこちらで、食事のやり直しでもして時間を潰しておく」
エドヴァルドの食事が後回しになるのは、やらかした事を思えば無理はないのかも知れない。
本人も思い至っているのかいないのか、黙礼を返しただけだった。
「レイナ?」
シャルリーヌが、一緒に行く事を促してくれていたけど、私は多分、それに付いて行かない方が良いと、エドヴァルドの引き止める様な視線から、判断を下した。
「……先に行って貰って良い?」
「……そっか。まあ、色々と答え合わせは必要よね」
「ありがと」
ううん、と首を横に振ったシャルリーヌは、多分日本語に切り替えたんだろう。扇を開いて私の耳元でそっと囁いた。
『思いがけず陛下の「隠れ静止画」か!って言う眼福なシーンにお目にかかれたもの。イケメンに庇われるとか、乙女ゲームの醍醐味よね。あれでもう、今日来た甲斐はあったと思っておくわ』
『シャーリー……』
あれでサイコパスでさえなければ――なんて軽口を叩きながら、シャルリーヌはアンディション侯爵のエスコートを再度受ける形で「月神の間」を後にしていった。
ここでフィルバートにさりげなくエスコートの隙を与えていないあたり、その後の影響を十二分に考えていると言うべきだろう。
何しろ、フィルバート・アンジェス国王陛下の隣の席は、空席のまま、自薦も他薦もいない状態だ。
ステイタスだけならアンジェスどころか周辺諸国を見渡してもトップオブトップの筈なのに、相手がいない。あのエヴェリーナ妃すら動こうともしていないのだ。
その異様さは充分に伝わろうと言うものだった。
(シャーリー……嫌がってはいない、のよね……?)
粘着質王子とサイコパス陛下とを並べてみれば、間違いなく粘着質王子の方を、それも何の躊躇もなく蹴り飛ばすだろう。
そもそも、相手はモブでも良いと本人は言うけれど、大国ギーレンで王妃教育を終わらせた程の令嬢をそんなところに嫁がせても、間違いなく宝の持ち腐れ、相手がシャルリーヌを持て余しかねない。
どこぞの元第一王子は、恐らくはそれでハニトラ男爵令嬢の方を向いてしまったのだから。
婚約破棄された御令嬢――などと囁かれる陰口にしても、あのフィルバート・アンジェスの妃と言われる様になれば、欠点にすらならない筈だ。
とは言え、ただ一人の親友を生贄にしたい訳じゃ、もちろんない。
あくまでこのままいけば、誰かが言い出す――そんな空気を周囲から感じただけだ。
「様子を見るしかない、か……」
シャルリーヌの去った方角を向いたまま、ふと呟けば、すぐ隣から「レイナ…」と、ため息混じりの声が鼓膜をくすぐった。
「……宰相閣下」
どうやら、私がシャルリーヌと少し立ち話をしている間に、ヘルマン長官やベルセリウス将軍達にある程度の指示を出したらしい。
私の正面まで移動をしてくると、両手をそっと持ち上げて「怪我は……?」と、手の甲に視線を落としながら聞いてきた。
「え…あ…大丈夫ですよ?少し先の足元に散らばった欠片はあったかも知れませんけど、細かい破片でしたし、もう溶けてるでしょうし」
「すまない。どのツラ下げて、何の寝言だと思ったら、内面を吹き荒れた嵐を自分でも抑えられなかった」
どうやら、サレステーデの例の男がこちらに飛びかかって来た時には、動揺したもののファルコの姿も見えていた為、天井を凍らせる程度で何とか止まっていたのが、キリアン王子の発言で、更に氷柱になって落下した、と言うのが一連の状況らしかった。
「ファルコが『キヴェカス山脈の奥地の氷窟に置き去りにされて吹き荒ぶ嵐』って前に言ってたのを、ちょっとだけ実感しました。でも今回は、私がちょろちょろと余計な動きをしていたのも関係してますよね?そう言う意味では、謝って貰わなくても大丈夫ですよ?むしろ私も『ごめんなさい』と言うか――」
「レイナ……いや、何も知らせずに解決してしまいたかったと言うのも、私の傲慢さではあったんだろう。貴女なら、気が付かない筈がなかったんだ」
エドヴァルドはそう言って何度か頭を振ると、左の手をスッと離して、部屋の中央の方へと向けた。
当然、私の視線もそれにつられて同じ方を向く。
「……あれ?」
そこには、アンジェスの官僚服を着たまま、ズレたカツラを自らの手で外している――ドナート王子とドロテア王女の姿があった。
「……破片は飛ばなかったか、ボードリエ伯爵令嬢?」
呆れた様な国王陛下の声に、場の全員が我に返った。
フィルバートの左手は自分のマントを掴んでおり、それを肩の高さまで掲げていた。
実際に当たったか当たらなかったかはともかくとして、結果的には、シャルリーヌを飛び散った氷柱の欠片から庇った形となっていた。
「…あ…ありがとう…ございます……?」
呆然と呟くシャルリーヌに、フィルバートが口の端を面白そうに歪めていた。
「…疑問形なのか、そこ」
「いや…まさか陛下が、と。あ、いやそれよりも陛下こそ……っ」
「少しは取り繕え。まあ、貴女らしいとも言えるだろうがな。私なら、仮に飛んで来たところで所詮は氷柱の欠片、かすり傷で済むだろうし、何よりそれならそれで、宰相の謹慎を取り上げてやろうと思っていたから、渡りに船――いや、結果的にかすりもしなかったから、無駄にカッコだけつけたみたいになって、逆に不本意か?」
自分で言って首を傾げているあたり、フィルバート自身も、無意識の行動だったのかも知れない。
「まあ、新たな聖女に何事もなくて何よりだ。王都学園の理事長であるボードリエ伯爵を敵に回すと、この国の未来が傾きかねんからな。――そうだろう、宰相?」
フィルバートの鋭い視線と声を受けたエドヴァルドも、ようやくそこで我に返った様だった。
「……申し訳ありませんでした、陛下」
「まったくだ。ちょっと謹慎の間にでも、その魔力を制御する術だけでも身につけさせた方が良さそうだな。そろそろ『面白い』で放置しておける範疇を超えているな」
参加していた官僚たちの中には、知らなかったのか初めて見たのか「アレ、イデオン宰相の魔力暴走なのか…?」などと囁きあっている者もチラホラといた。
面白いで放置していたのか、陛下…なんて呟く声があるのは、一度や二度は冷気の放出程度体験していたのかも知れない。
いずれにせよ、この日以降「イデオン宰相を無意味に怒らせるな」「前聖女の姉には無闇に声をかけるな」と言う、スローガンの様な不文律が、王宮全体に広がった事を、私は随分と後になってから知る事になった。
さて、と腰に手を当てたフィルバートが、部屋の中をぐるりと一瞥した。
「第一王子も公爵も気絶した、か。特使連中も捕らえられるか気絶しているかの二択だし、どうするか。まあしかしこれで、サレステーデ側がアンジェスに不穏な意志を持って乗り込んで来たと言うのは証明されたな」
御意、とだけエドヴァルドもフィルバートに頭を下げた。
例え目的が、ドナート第二王子とドロテア第一王女の命だったにせよ、他国の王宮内で刺客を動かした事実は、既に動かし難い。
バリエンダールに使者を立てる大義名分は、十分に整ったと言うべきだった。
「五公爵家代表とレイフ叔父上、アンディション侯爵は申し訳ないが別室にて再度お集まり願おう。それとドナート王子と姉君、ボードリエ伯爵令嬢も聴取の都合上参加して貰おうか。他は一旦解散とする。食べそびれた分の食事代は、後日換算して給与に上乗せ支給させよう。時が来るまでは箝口令を敷かせて貰うが、皆、そのつもりで。情報解禁する際には個別に連絡を入れる」
国王陛下が、何だか「国王」らしい――などと真面目に感心しかけたところが、案の定と言うか、長続きしなかった。
「まあ、話したいなら話したいで、止めはしないが。余程、私の剣の錆になりたいのだなと認識するだけの事だ」
これを誰も冗談だと思わないところが、フィルバートへの信頼と実績の積み重ね?なのかも知れない。
「ああ、ただ、宰相はこの部屋の後始末の指揮を取って、ある程度の目処をつけてから来い。それまではこちらで、食事のやり直しでもして時間を潰しておく」
エドヴァルドの食事が後回しになるのは、やらかした事を思えば無理はないのかも知れない。
本人も思い至っているのかいないのか、黙礼を返しただけだった。
「レイナ?」
シャルリーヌが、一緒に行く事を促してくれていたけど、私は多分、それに付いて行かない方が良いと、エドヴァルドの引き止める様な視線から、判断を下した。
「……先に行って貰って良い?」
「……そっか。まあ、色々と答え合わせは必要よね」
「ありがと」
ううん、と首を横に振ったシャルリーヌは、多分日本語に切り替えたんだろう。扇を開いて私の耳元でそっと囁いた。
『思いがけず陛下の「隠れ静止画」か!って言う眼福なシーンにお目にかかれたもの。イケメンに庇われるとか、乙女ゲームの醍醐味よね。あれでもう、今日来た甲斐はあったと思っておくわ』
『シャーリー……』
あれでサイコパスでさえなければ――なんて軽口を叩きながら、シャルリーヌはアンディション侯爵のエスコートを再度受ける形で「月神の間」を後にしていった。
ここでフィルバートにさりげなくエスコートの隙を与えていないあたり、その後の影響を十二分に考えていると言うべきだろう。
何しろ、フィルバート・アンジェス国王陛下の隣の席は、空席のまま、自薦も他薦もいない状態だ。
ステイタスだけならアンジェスどころか周辺諸国を見渡してもトップオブトップの筈なのに、相手がいない。あのエヴェリーナ妃すら動こうともしていないのだ。
その異様さは充分に伝わろうと言うものだった。
(シャーリー……嫌がってはいない、のよね……?)
粘着質王子とサイコパス陛下とを並べてみれば、間違いなく粘着質王子の方を、それも何の躊躇もなく蹴り飛ばすだろう。
そもそも、相手はモブでも良いと本人は言うけれど、大国ギーレンで王妃教育を終わらせた程の令嬢をそんなところに嫁がせても、間違いなく宝の持ち腐れ、相手がシャルリーヌを持て余しかねない。
どこぞの元第一王子は、恐らくはそれでハニトラ男爵令嬢の方を向いてしまったのだから。
婚約破棄された御令嬢――などと囁かれる陰口にしても、あのフィルバート・アンジェスの妃と言われる様になれば、欠点にすらならない筈だ。
とは言え、ただ一人の親友を生贄にしたい訳じゃ、もちろんない。
あくまでこのままいけば、誰かが言い出す――そんな空気を周囲から感じただけだ。
「様子を見るしかない、か……」
シャルリーヌの去った方角を向いたまま、ふと呟けば、すぐ隣から「レイナ…」と、ため息混じりの声が鼓膜をくすぐった。
「……宰相閣下」
どうやら、私がシャルリーヌと少し立ち話をしている間に、ヘルマン長官やベルセリウス将軍達にある程度の指示を出したらしい。
私の正面まで移動をしてくると、両手をそっと持ち上げて「怪我は……?」と、手の甲に視線を落としながら聞いてきた。
「え…あ…大丈夫ですよ?少し先の足元に散らばった欠片はあったかも知れませんけど、細かい破片でしたし、もう溶けてるでしょうし」
「すまない。どのツラ下げて、何の寝言だと思ったら、内面を吹き荒れた嵐を自分でも抑えられなかった」
どうやら、サレステーデの例の男がこちらに飛びかかって来た時には、動揺したもののファルコの姿も見えていた為、天井を凍らせる程度で何とか止まっていたのが、キリアン王子の発言で、更に氷柱になって落下した、と言うのが一連の状況らしかった。
「ファルコが『キヴェカス山脈の奥地の氷窟に置き去りにされて吹き荒ぶ嵐』って前に言ってたのを、ちょっとだけ実感しました。でも今回は、私がちょろちょろと余計な動きをしていたのも関係してますよね?そう言う意味では、謝って貰わなくても大丈夫ですよ?むしろ私も『ごめんなさい』と言うか――」
「レイナ……いや、何も知らせずに解決してしまいたかったと言うのも、私の傲慢さではあったんだろう。貴女なら、気が付かない筈がなかったんだ」
エドヴァルドはそう言って何度か頭を振ると、左の手をスッと離して、部屋の中央の方へと向けた。
当然、私の視線もそれにつられて同じ方を向く。
「……あれ?」
そこには、アンジェスの官僚服を着たまま、ズレたカツラを自らの手で外している――ドナート王子とドロテア王女の姿があった。
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