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第二部 宰相閣下の謹慎事情
【ギーレン王宮Side】コニーの選択(前)
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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
「ふふ。宰相室でイチャイチャとキスまでしたのに、魔力も身分もないから結局はエドさんも他の子選んじゃうんだよねー?」
アンジェス国の〝扉の守護者〟である少女の発言は、色々な意味で後宮の茶会の空気を凍りつかせた。
宰相室などと、ラハデ公爵邸など足元にも及ばない公の場だ。
あの子はいったい、何をやっているの!
まるで、姉が捨てられる事が既定路線であり、なおかつそれを喜んですらいるような聖女の発言もどうかと思うけれど、その時はそれよりも、エドヴァルドがどれほどレイナ嬢に執着しているのかと、驚きと憤りの方が上回ってしまっていた。
「たった二人の姉妹なんだもの。アナタのギーレンでの幸せを祈ってるわ」
――たった二人の姉妹。
レイナ嬢の、何の情も感じられない、冷ややかな口調を耳にするまでは。
私が妹・ベアトリスを思うのとは、まるで違う感情がそこには渦巻いていた。
「私の故郷で獲れる、ちょっと珍しい紅茶の茶葉。今日の素敵な記念に、ぜひ皆で味わいませんこと?」
そして、弟君しかいらっしゃらない筈なのに、私よりも遥かに聡明なエヴェリーナ様は、レイナ嬢の複雑な心の内をおぼろげながらも察して、そこに訣別をさせようとしていらっしゃる様に感じられた。
「ふふ……コニー様の目にも、私はさぞや悪女に映りますかしら」
レイナ嬢が、聖女に遅効性の睡眠薬が混じるお茶を振る舞われるのを見届けて、夕食の席へと廊下を歩く私に、隣を歩くエヴェリーナ様がそのように話しかけてこられた。
「コニー様にしろ、レイナ嬢にしろ、実の家族に薬を盛れなどと言っているのですから、まあ無理もありませんけれど」
「い、いえ、私は……ただ、侍女や料理人の誰かが責任を取らされるのであれば、と……」
今となっては「聖女と王子の婚姻」と言う、おとぎ話の様な物語を完成させる事が、ギーレン王家にとっては最も被る痛手が小さいのだと、私でさえも理解が出来る。
その為には、エドベリを眠らせ、聖女を眠らせ、媚薬を使ってでも、他国の宰相を留め置こうとする陛下を出し抜く事は、必要な過程なのだと。
「私も、レイナ嬢がただのユングベリ商会の次期商会長であれば、ここまでの事は致しませんわ」
「……ええ」
そうだろう、とは思う。
「あの娘は、いずれ私と同じ立ち位置にさえ上がって来れる娘よ。今はまだ、アンジェス国の宰相閣下がとても手放しそうにないけれど、未来の事は分からないもの。いつ機会が来ても良いように、私の後継者としての種は撒いておきたいわ」
シャルリーヌの事も含めてね?と笑うエヴェリーナ様に、私は言葉を返せない。
エヴェリーナ様は、一見すると酷と思えるまでの判断をレイナ嬢に強いた様に見えるけれど、恐らくは、一国の宰相たるエドヴァルドの隣に立つのであれば、いつか通らなくてはならなかった道だ。
今後ギーレンに取り込めた場合の事も考えて、レイナ嬢を教導しつつ、そのままエドヴァルドの傍に居続けるのであれば、それはそれで先々手を取り合いやすい筈と考えておいでなのだろう。
「もし、彼がレイナ嬢を手放すような日がくれば、弟を離縁させて、ラハデ公爵家の正室として婚姻を結ばせても良いし、あの王立植物園の所長を、キスト辺境伯家から独立させて、ラハデ領のどこか空いた爵位を継がせて一緒にさせても良いわ。いくらでもやりようはあってよ」
今更パトリック元第一王子や、エドベリの伴侶とする事は難しくとも、ラハデ公爵家の影響力が及ぶところであれば、同じだけの成果は得られると思っておいでなのだろう。
エヴェリーナ様は、未来のギーレンの為に、レイナ嬢をとにかく「敵にしない」判断を下された。
私にはとっさに出来ない事だった。
何よりエヴェリーナ様の思惑に添うのであれば、エドヴァルドに、レイナ嬢をきちんと捕まえておく事を勧めるべきなのか、飽きておざなりになる事を願うべきなのか、判断に困るところだ。
「……私も、レイナ嬢が上手く立ち回ったものを、失敗する訳には参りませんね」
ただそれでも、レイナ嬢を認めないと言う方向に傾く事はない。
私はエヴェリーナ様のお考えを肯定します――その意味もこめて、そう返すと、エヴェリーナ様はただ優雅に微笑まれた。
そうして私も、夕食の席でエドベリの食事に、遅効性の睡眠薬を混ぜたのだった。
* * *
翌日。
エドヴァルドは前日のうちに、レイナ嬢と手に手を取って、ギーレンの王宮から「駆け落ち」して行った。
お昼頃には、エドベリと聖女マナ、それぞれの睡眠薬の効果が切れる筈で、バシュラールに滞在中の陛下らにしても、盛られた薬の効果が切れる頃だと思われた。
「――母上っ‼王妃様も、これはいったいどういう事です‼」
そうしてほぼ予想通りに、そう言って血相を変えたエドベリが、後宮のサロンでエヴェリーナ様と昼食後のお茶をしている時に、サロンの中へと駆け込んで来た。
「あら殿下、体調が優れないようで、お休みになられていると聞いておりましたが、もう宜しいんですの?」
そう言って紅茶を口にされるエヴェリーナ様の声からは、微塵の動揺も感じられない。
「ふざけないで頂きたいっ!何故私と聖女マナが同じ寝所で眠っていたのですか⁉それに、聞けばイデオン宰相がこの王宮から『駆け落ち』をしたと!まるで物語の一場面の様だったと、侍女や使用人、護衛騎士にいたるまでが語り合っているのはどう言う事です⁉」
「まあ、大変!殿下、アンジェス国の聖女様と一夜を過ごされたと仰いまして?それは、他国の宰相様が自国に帰られる事よりも一大事ではございませんの!部屋付の侍女たちに口止めらしい事もせず、こちらに駆け込んでいらしたのでしたら、色々と問題ではありませんこと?」
「――っ!」
エドベリの様子を見るに、昨日の時点で侍従に私とエヴェリーナ様の様子を見るように指示していたようだから、目を覚まして周囲の状況を理解した時点で、まずもって疑いの目がこちらに向いたのだろう。
ただ、それすらもエヴェリーナ様の手の内と言うべきで、肝心なのは、口止めや同じ寝台にいた事そのものをなかった事にする前に、エドベリがこの部屋に怒鳴り込んで来たと言う事だった。
人の口に戸は立てられない。
もう今から部屋に戻って、揉み消しを図ろうとしてもまず不可能だ。
そして、不可能にするよう、エヴェリーナ様は既に動いていらっしゃる。
「既成事実があろうとなかろうと、同じ部屋で一晩を過ごされたと言う事実だけは、もう取り消せませんわ。殿下が第一王位継承者となられた今、それを否定されるとなると、近未来の国王はそれほど不誠実なのかと、民に見放される事になりましてよ。私が言うのもなんですけれど、息子の前例がありますから、尚更ですわ」
エドベリは、言い返せない事に苛立ってか、掌が切れそうなほどに拳を握りしめている。
そんなエドベリに向かって「ああ、それと」と、エヴェリーナ様は一冊の書物を侍女から受け取られた。
「殿下は、この書物に見覚えがおありですかしら?」
直接手渡す事はせず、表紙の部分だけをエドベリに向かって掲げている。
一瞬、目を細めてそれを確認した後、エドベリは「それを何故…っ」呻きながら、大きく目を瞠っていた。
「私、何も市井の噂に感化されて、イデオン宰相様の『駆け落ち』に目を瞑った訳ではありませんのよ?この書物を見せられて『書物と引き換えにアンジェスに帰らせて貰う』と言われたものですから、やむなくお引き受けしましたの。それで私ばかりをお責めになるのは、筋違いではありませんこと?」
恐らくは無意識に、書物を取り返そうとしたのだろう。
エヴェリーナ様の方に手が伸びる直前「念の為、申し上げておきますけれど」と、遮られて、その手がピタリと急停止していた。
「私も、理不尽に責められたくはございませんから、この書物に関しては夜の間に写しを取らせて頂きましたわ。当然、そちらの在り処は今は伏せさせて頂きましてよ」
本当は、理不尽でも何でもない。
全てはレイナ嬢が蒔いた種を、エヴェリーナ様があちらこちらで成長させて、咲き誇らせた結果だ。
「――何もかもが思う通りになんていきませんのよ、殿下。そこに国の大きさは無関係。潔くアンジェス国の宰相様に返り討ちにあった事を、今回はお認めになるべきかと」
無言のエドベリの目が、エヴェリーナ様からこちらへと、いつの間にか向けられている。
…母親だからと言って、無条件に味方をすると思われるのは困るのだけれど。
さて、何と言って説明をすれば良いのかしら。
「ふふ。宰相室でイチャイチャとキスまでしたのに、魔力も身分もないから結局はエドさんも他の子選んじゃうんだよねー?」
アンジェス国の〝扉の守護者〟である少女の発言は、色々な意味で後宮の茶会の空気を凍りつかせた。
宰相室などと、ラハデ公爵邸など足元にも及ばない公の場だ。
あの子はいったい、何をやっているの!
まるで、姉が捨てられる事が既定路線であり、なおかつそれを喜んですらいるような聖女の発言もどうかと思うけれど、その時はそれよりも、エドヴァルドがどれほどレイナ嬢に執着しているのかと、驚きと憤りの方が上回ってしまっていた。
「たった二人の姉妹なんだもの。アナタのギーレンでの幸せを祈ってるわ」
――たった二人の姉妹。
レイナ嬢の、何の情も感じられない、冷ややかな口調を耳にするまでは。
私が妹・ベアトリスを思うのとは、まるで違う感情がそこには渦巻いていた。
「私の故郷で獲れる、ちょっと珍しい紅茶の茶葉。今日の素敵な記念に、ぜひ皆で味わいませんこと?」
そして、弟君しかいらっしゃらない筈なのに、私よりも遥かに聡明なエヴェリーナ様は、レイナ嬢の複雑な心の内をおぼろげながらも察して、そこに訣別をさせようとしていらっしゃる様に感じられた。
「ふふ……コニー様の目にも、私はさぞや悪女に映りますかしら」
レイナ嬢が、聖女に遅効性の睡眠薬が混じるお茶を振る舞われるのを見届けて、夕食の席へと廊下を歩く私に、隣を歩くエヴェリーナ様がそのように話しかけてこられた。
「コニー様にしろ、レイナ嬢にしろ、実の家族に薬を盛れなどと言っているのですから、まあ無理もありませんけれど」
「い、いえ、私は……ただ、侍女や料理人の誰かが責任を取らされるのであれば、と……」
今となっては「聖女と王子の婚姻」と言う、おとぎ話の様な物語を完成させる事が、ギーレン王家にとっては最も被る痛手が小さいのだと、私でさえも理解が出来る。
その為には、エドベリを眠らせ、聖女を眠らせ、媚薬を使ってでも、他国の宰相を留め置こうとする陛下を出し抜く事は、必要な過程なのだと。
「私も、レイナ嬢がただのユングベリ商会の次期商会長であれば、ここまでの事は致しませんわ」
「……ええ」
そうだろう、とは思う。
「あの娘は、いずれ私と同じ立ち位置にさえ上がって来れる娘よ。今はまだ、アンジェス国の宰相閣下がとても手放しそうにないけれど、未来の事は分からないもの。いつ機会が来ても良いように、私の後継者としての種は撒いておきたいわ」
シャルリーヌの事も含めてね?と笑うエヴェリーナ様に、私は言葉を返せない。
エヴェリーナ様は、一見すると酷と思えるまでの判断をレイナ嬢に強いた様に見えるけれど、恐らくは、一国の宰相たるエドヴァルドの隣に立つのであれば、いつか通らなくてはならなかった道だ。
今後ギーレンに取り込めた場合の事も考えて、レイナ嬢を教導しつつ、そのままエドヴァルドの傍に居続けるのであれば、それはそれで先々手を取り合いやすい筈と考えておいでなのだろう。
「もし、彼がレイナ嬢を手放すような日がくれば、弟を離縁させて、ラハデ公爵家の正室として婚姻を結ばせても良いし、あの王立植物園の所長を、キスト辺境伯家から独立させて、ラハデ領のどこか空いた爵位を継がせて一緒にさせても良いわ。いくらでもやりようはあってよ」
今更パトリック元第一王子や、エドベリの伴侶とする事は難しくとも、ラハデ公爵家の影響力が及ぶところであれば、同じだけの成果は得られると思っておいでなのだろう。
エヴェリーナ様は、未来のギーレンの為に、レイナ嬢をとにかく「敵にしない」判断を下された。
私にはとっさに出来ない事だった。
何よりエヴェリーナ様の思惑に添うのであれば、エドヴァルドに、レイナ嬢をきちんと捕まえておく事を勧めるべきなのか、飽きておざなりになる事を願うべきなのか、判断に困るところだ。
「……私も、レイナ嬢が上手く立ち回ったものを、失敗する訳には参りませんね」
ただそれでも、レイナ嬢を認めないと言う方向に傾く事はない。
私はエヴェリーナ様のお考えを肯定します――その意味もこめて、そう返すと、エヴェリーナ様はただ優雅に微笑まれた。
そうして私も、夕食の席でエドベリの食事に、遅効性の睡眠薬を混ぜたのだった。
* * *
翌日。
エドヴァルドは前日のうちに、レイナ嬢と手に手を取って、ギーレンの王宮から「駆け落ち」して行った。
お昼頃には、エドベリと聖女マナ、それぞれの睡眠薬の効果が切れる筈で、バシュラールに滞在中の陛下らにしても、盛られた薬の効果が切れる頃だと思われた。
「――母上っ‼王妃様も、これはいったいどういう事です‼」
そうしてほぼ予想通りに、そう言って血相を変えたエドベリが、後宮のサロンでエヴェリーナ様と昼食後のお茶をしている時に、サロンの中へと駆け込んで来た。
「あら殿下、体調が優れないようで、お休みになられていると聞いておりましたが、もう宜しいんですの?」
そう言って紅茶を口にされるエヴェリーナ様の声からは、微塵の動揺も感じられない。
「ふざけないで頂きたいっ!何故私と聖女マナが同じ寝所で眠っていたのですか⁉それに、聞けばイデオン宰相がこの王宮から『駆け落ち』をしたと!まるで物語の一場面の様だったと、侍女や使用人、護衛騎士にいたるまでが語り合っているのはどう言う事です⁉」
「まあ、大変!殿下、アンジェス国の聖女様と一夜を過ごされたと仰いまして?それは、他国の宰相様が自国に帰られる事よりも一大事ではございませんの!部屋付の侍女たちに口止めらしい事もせず、こちらに駆け込んでいらしたのでしたら、色々と問題ではありませんこと?」
「――っ!」
エドベリの様子を見るに、昨日の時点で侍従に私とエヴェリーナ様の様子を見るように指示していたようだから、目を覚まして周囲の状況を理解した時点で、まずもって疑いの目がこちらに向いたのだろう。
ただ、それすらもエヴェリーナ様の手の内と言うべきで、肝心なのは、口止めや同じ寝台にいた事そのものをなかった事にする前に、エドベリがこの部屋に怒鳴り込んで来たと言う事だった。
人の口に戸は立てられない。
もう今から部屋に戻って、揉み消しを図ろうとしてもまず不可能だ。
そして、不可能にするよう、エヴェリーナ様は既に動いていらっしゃる。
「既成事実があろうとなかろうと、同じ部屋で一晩を過ごされたと言う事実だけは、もう取り消せませんわ。殿下が第一王位継承者となられた今、それを否定されるとなると、近未来の国王はそれほど不誠実なのかと、民に見放される事になりましてよ。私が言うのもなんですけれど、息子の前例がありますから、尚更ですわ」
エドベリは、言い返せない事に苛立ってか、掌が切れそうなほどに拳を握りしめている。
そんなエドベリに向かって「ああ、それと」と、エヴェリーナ様は一冊の書物を侍女から受け取られた。
「殿下は、この書物に見覚えがおありですかしら?」
直接手渡す事はせず、表紙の部分だけをエドベリに向かって掲げている。
一瞬、目を細めてそれを確認した後、エドベリは「それを何故…っ」呻きながら、大きく目を瞠っていた。
「私、何も市井の噂に感化されて、イデオン宰相様の『駆け落ち』に目を瞑った訳ではありませんのよ?この書物を見せられて『書物と引き換えにアンジェスに帰らせて貰う』と言われたものですから、やむなくお引き受けしましたの。それで私ばかりをお責めになるのは、筋違いではありませんこと?」
恐らくは無意識に、書物を取り返そうとしたのだろう。
エヴェリーナ様の方に手が伸びる直前「念の為、申し上げておきますけれど」と、遮られて、その手がピタリと急停止していた。
「私も、理不尽に責められたくはございませんから、この書物に関しては夜の間に写しを取らせて頂きましたわ。当然、そちらの在り処は今は伏せさせて頂きましてよ」
本当は、理不尽でも何でもない。
全てはレイナ嬢が蒔いた種を、エヴェリーナ様があちらこちらで成長させて、咲き誇らせた結果だ。
「――何もかもが思う通りになんていきませんのよ、殿下。そこに国の大きさは無関係。潔くアンジェス国の宰相様に返り討ちにあった事を、今回はお認めになるべきかと」
無言のエドベリの目が、エヴェリーナ様からこちらへと、いつの間にか向けられている。
…母親だからと言って、無条件に味方をすると思われるのは困るのだけれど。
さて、何と言って説明をすれば良いのかしら。
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