聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第二部 宰相閣下の謹慎事情

278 だから王子は〝聖女〟を求めた

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 一瞬だけとは言え、立ったまま意識を飛ばすと言う、稀に見る経験をしてしまった。

 私室で着替えて来る、なんてヒラヒラと振られた国王陛下フィルバートの右手は、血にまみれている。

 いつぞや馬車ごと襲われた時も、血塗れのイザクを見たりはしていたけど、何と言うか、ちょっと飲み物を溢しました的な笑顔で手を振る国王陛下とは、インパクトが違い過ぎた。

 ごめんなさい、サイコパスの怖さを芯から理解していなかったかも知れません。

「――ナ、レイナ!」

 気が付けば、エドヴァルドのウェストコートが視界を覆い尽くしていて、背中と頭の後ろには、エドヴァルドの手が回されていた。

「すまない。貴女にあの状況を見せまいと、外に残って貰ったんだが……あれでは意味がなかった。フィルバートは、ああは言っていたが、先に公爵邸に戻るか?第二王子がこちら側にいるなら、貴女が戻っても大丈夫な筈だ」

 ああ…うん。前回私が倒れちゃったのを気にしてくれてるよね。

「ええっと……王子は……」
「あんな男の事を貴女が気にかける必要はない」

 私は、仮にも一国の王子を、部屋に放置で大丈夫なのかと、エドヴァルドを気にしたつもりだったのに、何故かピシャリと会話を遮られてしまった。

「王子なら、今、サタノフが拘束している。王女と違って、まだ、フィルバートの機嫌を損ねたらしいだけの状態だからな。手首だけ縛って座らせておくのがせいぜいだ」

「陛下の機嫌……」

 と言っても、フィルバート・アンジェスと言う人は、別に「暴君」と言う訳ではない。 
 王としての政務をこなす分には決して無能ではなく、基本的に、フィルバートが手にかけたと思われる人々に関しては、そうされても抗弁が出来ない、訳ありの人々ばかりだったからだ。

 やれ食事が気に入らないとか、そう言った意味不明な事で使用人に手を上げると言った事は決してしないからこそ、遠巻きながらに「王」として皆が仕えているのが今の現状だ。

 ただただ倫理に欠ける、民主主義の法治国家にだけは、いてはいけない存在なだけだ。
 大鎌背負って、冥界からでもにこやかに現れる方が、より似合う。

 君主制であり、フィルバートの本質を知るエドヴァルドが補佐として存在するからこそ、今のアンジェス国は、国家として成り立っているのだろうと思う。

 だからこそ、フィルバートの機嫌などと言うものは、ある意味この国で一番損ねちゃいけないモノな気もした。

 恐らくさっきの去り際のフィルバートの言葉は『貴女も宰相と一緒に話を聞くか?』ではなく『話を聞け』の同義語だ。
 私は背中にだらだらと汗が流れていくのを止められなかった。

「あの……陛下の様子からするに……私も、いなきゃいけない気がします……」

「レイナ……」

 多分、エドヴァルドもそれは分かっているんだと思う。
 それでも、私の為に気を遣ってくれているのが、全身から伝わってきた。

「……今夜も、貴女の部屋に行くが構わないな?それが条件だ」
「……っ」

 エドヴァルドの囁きを問答無用で拒絶するには、ベランダで泣いたり、意識不明になったりと、諸々前科がありすぎた。

「そ…添い寝で、ぜひ……」
「―――」

 ――エドヴァルドが折れるまで、だいぶ時間がかかっていたような気がした。

*        *         *

 執務室近くの空き部屋で、上座のデスクには国王陛下フィルバートが、応接用のソファには私とエドヴァルドが隣同士、テーブルを挟んだ向かい側には、まだ名乗り合ってはいないものの、状況から言って、ドナート・サレステーデ王子と思しき青年が、それぞれ腰を下ろしていた。

 エドヴァルドの左手が、私の右手をしっかりと握りしめているのを見た王子が、深々とため息を吐き出して、自らの縛られた手首を軽く掲げて見せた。

「そんなに威嚇しなくても、もう、僕はこの状態だよ?その様子だと、妹も上手くいかなかったみたいだし……ベイエルス公爵家やクヴィスト公爵の言っていた事と、話が違いすぎてビックリだよ。いかにサレステーデが情報弱者だったかを思い知らされた」

「そもそも先触れもなく、何をしにこの国へ?今更『結婚』などと言う世迷言が通じるとは思わないで貰いたい」

「ああ、それね……」

 言いながら、王子の視線がチラっと私の方に向いた気がしたけれど、エドヴァルドの冷気にあてられたのか、すぐさま視線は元に戻されていた。

「サレステーデでは、僕と妹はなんだよね、実は」

「「………は?」」

 何故かエドヴァルドだけでなく、先に話をしていた筈のフィルバートまで、声をあげていた。

「いや、確かにクヴィスト公爵からしたら、キリアン兄上――ウチの第一王子が王位を継げば、娘の婚家であるベイエルス公爵家は日陰に追いやられる事になるし、僕が生き残れば、逆にサレステーデに顔の利く存在として、アンジェスでの立ち位置も変わるだろうから、躍起になってそちらの国王陛下を説得しようとした事は分かるんだよ。分かるんだけどね?どう考えても、話の持っていき方を間違ったよね」

 どうやらサイコパスな陛下サマは、クヴィスト公爵が何だかんだと理由を付けながら、第二王子を前面に立てて王位継承の後押しをすれば、アンジェス国にとっても色々と有利だろう…と講釈を垂れていたところに「よく喋る口だな。そんな妄言しか吐けない口なら閉じてしまえ」と、頸動脈めがけて短剣を無表情に振り抜いたらしい。

 王子様曰く「話が違う」とは、フィルバートのサイコパスっぷりが、正しく伝わっていなかったと言う事なんだろう。

「陛下……」

 呆れた視線を向けるエドヴァルドに、当のフィルバートはまるでこたえた風もなく、肩を竦めていた。

「妄言だろう。他国で第一王子と第二王子が争ったところで、こちらの知った事か?下手に肩入れしてみろ。ギーレンやバリエンダールだって黙っちゃいまいよ。私を説得したいのなら、その両国をどう抑えるつもりなのかまで道筋を立ててからにすべきだったな。国を滅ぼしたいとしか思えん」

「せめて私のいる時にそう言う事は――」

「長年クヴィスト家と交流断絶状態の癖に何を言ってる。いたらいたで、クヴィスト公が意地になって話など聞くまいよ。妥協点すら見い出せた気がしないな」

「―――」

 なんだろう。ほぼ問答無用で「国賊」扱いで処刑したと言って良い状況なのに、陛下フィルバートの方が正しく見えてしまう摩訶不思議。

 エドヴァルドも、それと察したのか、聞こえよがしなため息を吐き出して、フィルバートを諫めるのはいったん諦めたのか、王子の方に会話を戻した。

「そもそも何故、第一王子が第二王子や王女に賞金をかけてまで命を狙う?確たる理由や証拠はあったのか?」

「まあ実際、僕も妹も馬車や寝込みを何度も襲われているからね。二人揃えば『気のせい』だなんてちょっと言い切れないだろう?それより何より一番の問題は、父である国王陛下が、キリアン兄上じゃなく僕を次期国王にしようと動いていた事だとは思うけどね」

 この第二王子曰く、第一王子はお世辞にも優秀だとは言えないらしい。
 ベイエルス公爵家と対立するバルキン公爵家の当主の傀儡と言っても良い状態らしく、既に国王も見放した状態にあったと言う事らしい。

「父が僕を次期にと仄めかしはじめた直後に、原因不明の病で倒れるし、僕も妹も正体不明のやからに狙われ始めた。妹は妹で、性格はちょっとアレだけど、キリアン兄上以上に優秀な王配をあてがえば、僕に万一の事があっても何とかなると、父は思ってたみたいだからね」

 つまりは、国王にそこまで思わせる程、今の第一王子には問題があると言う事なんだろう。

「僕や妹の周辺が物騒になってきたあたりで、ベイエルス公爵家の方でも、自分達までが沈まないために、あれこれと考え出したんだよ。そこで第二夫人からの話が、唯一の光明だとばかりに浮上したわけ」

 ――第一王子よりも王位に相応しいと示せる婚姻を。

 サレステーデにも〝扉の守護者ゲートキーパー〟は当然いて、当代は男性だが、その立場にはそれなりの敬意が払われているらしい。

「もちろん最初はその話を聞いて、ベイエルス公爵家からクヴィスト公爵家を経由して、正式な縁組の申し入れを〝聖女〟宛にする筈だったさ。だけど父の容態は悪化するし、僕や妹に差し向けられる刺客は増えるしで、もう崖っぷち。とりあえず、婚姻の言質だけでもとってしまえば、キリアン兄上も一度は退くだろうし、僕らの寿命も延びるだろうと、ウチの〝扉の守護者ゲートキーパー〟に『今回限り』と目こぼしして貰ったんだよ」

 フォルシアン家自体も、イデオン家の様な、遠いなりのアンジェス国の王位継承権がある。
 サレステーデでは「フォルシアン公爵家令息」ではなく「王位継承権を持つ王族」と、話をすり替えて主張するつもりでいたとの事だった。

 クヴィスト元公爵令嬢、現ベイエルス公爵第二夫人が嫌がらせで薦めたかどうかなどは、本当に些末事だったらしい。

「まあでも、来たら来たでフォルシアン公爵令息は不在だと言われるし、僕にとっては肝心の〝聖女〟はギーレンに行ったと言われるしで、色々と計画の修正を余儀なくされてさ。ならせめて〝聖女の姉〟がいれば、ギーレンに行った聖女の存在と合わせて、キリアン兄上に『アンジェスとギーレンも敵に回しますか?』って牽制出来ると思ったんだよ」

 色々と勝手な話だな、と吐き捨てたエドヴァルドに、ドナート王子は全く悪びれてはいないみたいだった。

「クヴィスト公爵は私欲だったかも知れないけど、僕と妹は本当に命がかかっているからね。それはなりふり構ってなんていられないよ。ねえ、レイナ嬢…だっけ?キリアン兄上が矛を収めてくれるまででも良いよ。僕の婚約者になってくれないかな?終わったら破棄でもなんでもしてくれて良いからさ」

「――はいっ⁉」

 いきなり何⁉と、私は王族相手とは思えない声をあげて――それと同時に、部屋のカーテンだけが、ピンポイントで一気に凍り付いた。
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