上 下
142 / 817
第一部 宰相家の居候

【宰相Side】エドヴァルドの渇望(前)

しおりを挟む
※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 今、城内にいる旧オーグレーン城時代に勤めていた使用人の中に、箱と文書を持ち主アロルドから預けられて、今までずっと手元に置いていた側仕えの男性なり女性なりがいる筈――。

 ゲルトナーからナシオに伝えられたレイナの伝言は、確かに私の意表を突いた。

 その「誰か」が、今回の私の訪問と滞在中の世話を申し付けられた時に、初めて箱と文書の存在を王家に明かしたのかも知れない。その「誰か」の思惑と、王家の思惑とがそもそも乖離している可能性すらあるから、まずは『悪意と自覚のない内通者』を探した方が良い――と、更に彼女は言付けてきた。

 冷静になって考えれば、その通りだとは思う。
 だが書物を一読して怒りに震えていた私には、咄嗟に浮かんで来なかった可能性だった。

「聞いたな、フィト?とりあえず空箱だけ元に戻せ。あとは交代で、その箱の様子を見に来る者を見張っておくしかないだろうが、頼めるか」

「もちろんです。確かに承りました、お館様」

 部屋の片隅で打ち合わせを始めた、ナシオ以外の護衛たちを横目に、私は知らず己の拳を握りしめていた。

 まるで私の怒りを宥めようとするかのように、新たな可能性を彼女レイナは差し出してきた。

 彼女は決して、意味のない追従をしない。
 聞けば必ず自分の中で一度考えた言葉を返してくる。

 恐らく今回は、彼女の言った言葉が正しい。
 そう遠くない内に「内通者」は見つかるだろう。

 ――この書物の処分は、レイナに委ねよう。

 自分が今、オーグレーン家の問題、過去からの感情に振り回されているからこそ、私自身はこの書物を手放すべきだと、この時決めた。

 燃やそうが、王家との交渉に使おうが、彼女ならきっと使いどころを間違えない。

 ただ…この最後の、下衆としか言いようがない1ページを読んだ時に、彼女はこの男の血が私の中にも流れている事に、嫌悪感を抱いたりはしないだろうか。

 彼女はそんな女性ではない筈だと、これまでの言動から思いはすれど、拭いきれない不安もある。

 冷徹、鉄壁などと言われた男が、いい笑いものだ。

「……え、明日?」

 その時、恐らくはゲルトナーから伝えられた言葉にナシオ自身が驚いたようで、私の意識も必然的にそちらへと引き戻された。

「お館様。お嬢さんも明日、午後らしいんですが、王妃殿下エヴェリーナ妃からラハデ公爵邸に招かれていると……」

「何?」

 私が招かれた時点で、レイナがエヴェリーナ妃あるいはラハデ公爵と繋ぎをとったのだろうとは分かっていたが、まさか同日の内に招待を受けているとは思わなかった。

 しかも時間をずらしているところに、招待者側の良からぬ思惑が感じ取れる。

「と言ってもこちらは招待された側、時間を同じくして貰えないかと言える立場にはない。無駄に時間稼ぎをして午後まで居座ると言うのも論外だしな。書物の受け渡しが容易になったと思うより他なさそうだな」

「……分かりました。では書物の受け渡しに関してのみ、ゲルトナーと打ち合わせをします」

「ああ、そうしてくれ」 

 いっそ、ラハデ公爵邸からの帰りに誘拐された事にでもして、二人で姿を消してやりたいくらいだが、今のままでは聖女マナのも、私のオーグレーン家の相続権放棄も、何もかもが中途半端で、王宮側が〝転移扉〟を自主的に稼働させない限りは、アンジェスに戻りようがない。

 明日、エヴェリーナ妃の出方次第で、少しでも光明が見えると良いのだが。

*        *         *

「ようこそ、イデオン宰相様。先日はゆっくりとお話しさせて頂く時間もありませんでしたし、この日を楽しみにしておりましたわ」

 さすが大国ギーレンで正妃を輩出する公爵家。
 イデオン公爵家の敷地よりも一回り広く、大きく、案内されたガゼボ自体も、4人で円卓を囲んでも尚、余裕があるように感じられた。

「本日のお招き感謝する、エヴェリーナ妃。使用人の教育も行き届いているし、この庭も良く手入れされている。とても居心地の良い空間だ。我が邸宅やしきでも取り入れさせたいと思う箇所がそこかしこだ」
 
 正確には、主催はエヴェリーナ妃だが、邸宅やしきあるじは、現在はラハデ公爵だ。
 だがここは彼女の実家には違いないので、私は当たり障りなく、邸宅やしきそのものを誉めそやしておいた。

「そう仰って頂けると、ここで働く者たちも一層のやりがいを感じるのではないかしら」

 ほほ…と軽く微笑わらうエヴェリーナ妃の会話も、完全に社交慣れした者のそれだ。

 どうぞおかけになって?と言われた私も、遠慮なく彼女の向かいに腰を下ろした。

「そうそう。後でちゃんと、コニー様とお二人での時間はお取りしますから、先にわたくしからの話をさせて頂いてもよろしくて?」

「!それ…は……」

「あら。お二人とも、今更血の繋がりを否定される事もなさいませんでしょう?さすがに王宮では出来ない話だと思って、今日はコニー様もお呼びしましたのよ?泣いて互いの無事を確かめ合われるも良し、互いに罵り合われるも良しですわ。わたくしにはわたくしの用があってお招きしておりますから、その辺りはあまりお気になさらないで」

 私とコニー第二夫人の髪と瞳を見比べながら、嫣然うっそり微笑わらうエヴェリーナ妃の方が、役者は上だ。

 動揺して声を震わせているコニー第二夫人をチラと見やりつつ、私は溜息を吐き出した。

 最期、心を壊していたと言う実母ベアトリスの事を思えば、この女性ももしかすると、心身ともにあまり強くはないのかも知れない。

 いずれにせよ、エヴェリーナ妃との話を済ませてしまわない事には、何も始まらない。

「お気遣い有難く承ります、エヴェリーナ妃。それで、ご用とは――」

 視線をコニー第二夫人から戻した私を横目に、エヴェリーナ妃は隣に座る実弟・ラハデ公爵に視線を投げた。

 単純な茶会であれば、男性が混ざる事はほぼないと言って良いのだから、むしろこれは親しい者の集まり――サロン形式と言った方が正しい気はするが、普段そんな集まりの主催も参加もしない私が、どうこう言えた義理でもないので、とりあえず黙って成り行きを窺う。

 エヴェリーナ妃の視線を受けたラハデ公爵が片手を上げると、ガゼボからやや離れて控えていた執事らしき男性が、恭しく何かを彼に差し出していた。

 受け取った彼は、そのままそれをテーブルの上に置くと、私の方へと押しやってきた。

「イデオン宰相様は、をご存知かしら?…ああ、どうぞお手に取ってご覧になって?」

 意味ありげに微笑むエヴェリーナ妃の姿に、嫌な予感を覚える。

 ――紙面。

 「噂」を広める。

 つい最近、そんな報告を聞かされた気がするのだが。

「……っ」

 私は恐る恐る紙面を手に取り、8頁の中にまとめられた内容をざっと斜め読みしたところで――思わずテーブルに突っ伏してしまいそうになった。

「レイナ……っ」

 この時点まで、私は「噂」の詳細を知らなかったのだ。

 いや、確かに以前チラリと「王命で意に沿わない婚約を強要されたオーグレーン家の継承者は、元いたアンジェス国で保護していた少女と、手に手をとって駆け落ちした――なんて醜聞を、ギーレン国内にわざと流して帰ろう」的な事は言っていた。

 言っていたがしかし、誰がこんな、劇場の演目さながらに脚色された物語になると思うんだ!

「それを持って来たのは、現在ベクレル伯爵家に滞在していると言う、ユングベリ商会とやらの次期会長だったんだが」

 私の呟きを耳にしたラハデ公爵の目が、半目になっている。

「……どうやら貴方ともがあるようだ」

「否定は無意味と言うのは理解しているが、おおやけに認めるつもりはない。一文字違えば、それはもう別物だ。オーグレーン家の血筋は絶えた――この公的見解は、今更覆らないし、覆すつもりもない。だ。そうは思わないか、ラハデ公爵?」

「いや、しかし――」

「公爵」

 苦い表情のラハデ公爵に、私はせいぜい意味ありげに微笑わらっておいた。

「この場合『駆け落ちの予定はあるのか?』と聞いて貰わない事には、私としては答えようがない。この紙面はあくまで小説の新刊の宣伝――娯楽だ。娯楽の延長でなら、お答えを差し上げる事は出来る」

「あら、じゃあちなみに、お答えを聞かせて貰う事は出来るのかしら?」

 答えに窮したラハデ公爵の代わりに、いかにも興味深いと言った表情のエヴェリーナ妃が、会話に加わる。

「――お察し願いたい」

 敢えてどうとでも取れる言い方で、私は微笑わらっておいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

乙女ゲームは終了しました

悠十
恋愛
「お前との婚約を破棄する!」  ウィンウッド王国の学園でのパーティーで、王太子が突然公爵令嬢と婚約破棄すると言い出した。  王太子は令嬢の悪事を次々と上げるが、令嬢は華麗にそれが冤罪である証拠を上げていく。  アレッタの目の前では、そんな前世で読んだことがあるような『悪役令嬢によるザマァ物語』が繰り広げられていた。  そして、ついに逆上した王太子が国外追放を令嬢に言い渡したとき、令嬢に駆け寄り寄り添う男が現れた。  え、あれ? その人、私の婚約者なんですけど……。  これは、そんな『悪役令嬢によるザマァ物語』でとんだ被害を受けた令嬢の、その後の騒動の物語である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◎お知らせ 2022/11/22 『乙女ゲームは終了しました』がコミカライズ化しました! 下記のサイトでご覧いただけます。 素敵に書いていただきましたので、ご覧いただけましたら嬉しいです。 よろしくお願いいたします。 レジーナブックス https://www.regina-books.com/manga アルファポリス https://www.alphapolis.co.jp/manga/official/458000489 2023/05/12 『乙女ゲームは終了しました』第三巻の書籍化が決定しました! 『アレッタの冬休み編』、『マデリーンのリベンジデート編』、そして書下ろし短編『北からの客人編』の短編集となります。 また、書籍化により、該当部分を6月1日ごろに引き下げ予定です。 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。 2023/06/20 『乙女ゲームは終了しました』の第一巻が文庫になりました。 文庫限定の書下ろし番外編も収録しています。 お手に取ってご覧いただけましたら幸いです。 2023/11/28 『乙女ゲームは終了しました』のコミック第二巻が、11月末日に発売予定です。 お父様が目立つ表紙が目印です(笑) 2024/10/04 『乙女ゲームは終了しました』のコミック第三巻が発売されました! 筋肉成分が多いこのお話。果たして、少女漫画成分が上回ることはあるのか!?(笑) マデリーン編も始まり、乞うご期待です!

未亡人となった側妃は、故郷に戻ることにした

星ふくろう
恋愛
 カトリーナは帝国と王国の同盟により、先代国王の側室として王国にやって来た。  帝国皇女は正式な結婚式を挙げる前に夫を失ってしまう。  その後、義理の息子になる第二王子の正妃として命じられたが、王子は彼女を嫌い浮気相手を溺愛する。  数度の恥知らずな婚約破棄を言い渡された時、カトリーナは帝国に戻ろうと決めたのだった。    他の投稿サイトでも掲載しています。

死んだ王妃は二度目の人生を楽しみます お飾りの王妃は必要ないのでしょう?

なか
恋愛
「お飾りの王妃らしく、邪魔にならぬようにしておけ」  かつて、愛を誓い合ったこの国の王。アドルフ・グラナートから言われた言葉。   『お飾りの王妃』    彼に振り向いてもらうため、  政務の全てうけおっていた私––カーティアに付けられた烙印だ。  アドルフは側妃を寵愛しており、最早見向きもされなくなった私は使用人達にさえ冷遇された扱いを受けた。  そして二十五の歳。  病気を患ったが、医者にも診てもらえず看病もない。  苦しむ死の間際、私の死をアドルフが望んでいる事を知り、人生に絶望して孤独な死を迎えた。  しかし、私は二十二の歳に記憶を保ったまま戻った。  何故か手に入れた二度目の人生、もはやアドルフに尽くすつもりなどあるはずもない。  だから私は、後悔ない程に自由に生きていく。  もう二度と、誰かのために捧げる人生も……利用される人生もごめんだ。  自由に、好き勝手に……私は生きていきます。  戻ってこいと何度も言ってきますけど、戻る気はありませんから。

(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。 「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」 私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。

異世界転生令嬢、出奔する

猫野美羽
ファンタジー
※書籍化しました(2巻発売中です) アリア・エランダル辺境伯令嬢(十才)は家族に疎まれ、使用人以下の暮らしに追いやられていた。 高熱を出して粗末な部屋で寝込んでいた時、唐突に思い出す。 自分が異世界に転生した、元日本人OLであったことを。 魂の管理人から授かったスキルを使い、思い入れも全くない、むしろ憎しみしか覚えない実家を出奔することを固く心に誓った。 この最強の『無限収納EX』スキルを使って、元々は私のものだった財産を根こそぎ奪ってやる! 外見だけは可憐な少女は逞しく異世界をサバイバルする。

もふもふ大好き家族が聖女召喚に巻き込まれる~時空神様からの気まぐれギフト・スキル『ルーム』で家族と愛犬守ります~

鐘ケ江 しのぶ
ファンタジー
 第15回ファンタジー大賞、奨励賞頂きました。  投票していただいた皆さん、ありがとうございます。  励みになりましたので、感想欄は受け付けのままにします。基本的には返信しませんので、ご了承ください。 「あんたいいかげんにせんねっ」  異世界にある大国ディレナスの王子が聖女召喚を行った。呼ばれたのは聖女の称号をもつ華憐と、派手な母親と、華憐の弟と妹。テンプレートのように巻き込まれたのは、聖女華憐に散々迷惑をかけられてきた、水澤一家。  ディレナスの大臣の1人が申し訳ないからと、世話をしてくれるが、絶対にあの華憐が何かやらかすに決まっている。一番の被害者である水澤家長女優衣には、新種のスキルが異世界転移特典のようにあった。『ルーム』だ。  一緒に巻き込まれた両親と弟にもそれぞれスキルがあるが、優衣のスキルだけ異質に思えた。だが、当人はこれでどうにかして、家族と溺愛している愛犬花を守れないかと思う。  まずは、聖女となった華憐から逃げることだ。  聖女召喚に巻き込まれた4人家族+愛犬の、のんびりで、もふもふな生活のつもりが……………    ゆるっと設定、方言がちらほら出ますので、読みにくい解釈しにくい箇所があるかと思いますが、ご了承頂けたら幸いです。

旦那様、愛人を作ってもいいですか?

ひろか
恋愛
私には前世の記憶があります。ニホンでの四六年という。 「君の役目は魔力を多く持つ子供を産むこと。その後で君も自由にすればいい」 これ、旦那様から、初夜での言葉です。 んん?美筋肉イケオジな愛人を持っても良いと? ’18/10/21…おまけ小話追加

趣味を極めて自由に生きろ! ただし、神々は愛し子に異世界改革をお望みです

紫南
ファンタジー
魔法が衰退し、魔導具の補助なしに扱うことが出来なくなった世界。 公爵家の第二子として生まれたフィルズは、幼い頃から断片的に前世の記憶を夢で見ていた。 そのため、精神的にも早熟で、正妻とフィルズの母である第二夫人との折り合いの悪さに辟易する毎日。 ストレス解消のため、趣味だったパズル、プラモなどなど、細かい工作がしたいと、密かな不満が募っていく。 そこで、変身セットで身分を隠して活動開始。 自立心が高く、早々に冒険者の身分を手に入れ、コソコソと独自の魔導具を開発して、日々の暮らしに便利さを追加していく。 そんな中、この世界の神々から使命を与えられてーーー? 口は悪いが、見た目は母親似の美少女!? ハイスペックな少年が世界を変えていく! 異世界改革ファンタジー! 息抜きに始めた作品です。 みなさんも息抜きにどうぞ◎ 肩肘張らずに気楽に楽しんでほしい作品です!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。