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第一部 宰相家の居候

202 シーカサーリの長い夜(前)

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 今日も残りたいとやんわり主張するリュライネンを、キスト室長とサンダールとが、無理矢理引きずるような形で帰宅させて、私はキスト室長から、食堂の鍵をひとつ預かった。

「彼らを運ぶのには馬車1台では足りないだろう?街中の馬車組合はギルドと同じで1日中開いているから、帰りに寄って、1台ここに回させる。それまで少し待てるか?」

 食堂の鍵自体は、帰る時に正門の警備に返せば良いと言う事らしい。

「下手に研究室を開けると、イザクが残りかねないだろうから、とりあえず食堂で」
「…室長もイザクの事よく見てますね」
「何、研究にのめり込んでいる人間の心理は私にもよく分かるからな」

 自分が残ると言わないところも、また、ユングベリ商会の者だけで残って話をしたいのだと、しっかり悟られているようだった。

「さて」

 ――室長たちが帰って行ったところで、私は早速口を開いた。

「三人組じゃないほうは、本物の王宮調合室の薬師だったの?」

 今はどちらも、食堂の片隅でのびている。

 チラと視線を投げれば、ああ…とハジェスが口を開いた。

「何しに来たって言う話だと、予想通りイザクが作った試作品の情報が欲しかったらしい。いや、少し違うか。この植物園の首席研究員の研究成果だな。同じものをイザクが研究していて、最近手を組んだと言う事は、ソイツは知らなかった」

「まぁ…それはホントに決まったばかりだったしね…。それで、誰が何をしたかったのかとかは、聞かされてるっぽかった?」

「調合室でも真似が出来る様になったら、エドベリ殿下とやらに渡す話になっているらしい。それと並行して、薬をも作れって言われてるみたいだな。何に使われるかまでは聞かされてないみたいだが」

「んんん?」

 霊薬エリクサーもどきを更に打ち消したら、もはやそれはタダの水じゃないかと私の眉間に皺が寄ったけど、イザクにはすぐにその意味が理解出来たようだった。

「例えば、媚薬が入ったスープに俺の薬を入れて、更に俺の薬を打ち消す薬を混ぜたらどうなるか――って話だ」

「え」

 ――理論上は、媚薬だけが残る。

「……それあり得るの?」

「それを実験したいんじゃないのか」

「うーん……私は、イザクの薬が入った時点で、媚薬の効果なんて既に吹っ飛んでいるだろうから、残るのって、タダのスープだと思うんだけどなぁ…?」

「どっちも今の時点では断言出来ないな。そもそも俺の薬だって、まだ不完全だ。…それで、どうする?三人組はともかく、そっちの薬師は、戻らなければ王宮で騒ぎになるんじゃないか?」

「そうだね……。ねえ、例えばだけど、暗示みたいなのってかけられる?」

「暗示?」

「三人組じゃなく、ユングベリ商会こっちの子飼い的に、以後は定期的に情報を流して貰う感じ?あとこちらからは、知られても良い情報だけを渡して、程度に王宮側の研究を邪魔ミスリードする…みたいな」

 声をかけたイザクの視線が、今度はルヴェックの方へと向いた。

 あれ、ルヴェック君は、のコ?

「あまり細かい設定をすると、かかっても解けやすくなっちゃいますけど、可能か不可能かと言われれば、可能かと」

 さすが〝鷹の眼〟期待の若手(?)、頼もしい発言です。

「そっか。じゃあ、個人研究用の薬草を融通していて、ユングベリ商会の間者ですよ…的な設定に、とりあえずして貰おうかな?今日は三人組が捕まるのを目の当たりにして、薬草はそのまま持って王宮に戻って貰うてい――は、最初の間者設定が上手くかかれば、起きてる時に普通に話せるのか」

「間者設定程度なら、お安い御用ですよ」

「そう?じゃあ、それでお願い」

「承知しました」

「ファルコ、三人組の方は、ラハデ公爵邸での茶会まで、どこかに閉じ込めておく事は出来る?いきなりベクレル伯爵邸連れて行ったら、ご夫婦に卒倒されそうだわ」

「1日2日なら、とりあえず睡眠薬追加して、宿屋のベッドの下にでも転がしておくけどな」

「……まあ、それしかないか」

「あ」

 その時不意に、ゲルトナーが背筋をピンと伸ばして、声をあげた。

「ファルコ、ナシオがお館様からお嬢さん宛の伝言を飛ばしてきてる。どうする。ここで話すか?」

 ……ねえ、今、何が起きたか聞いても良い?どうにも霊媒師に「何か」が降りてきたみたいで、物凄く不気味なんですけど。

「ここの方がかえって良いだろう。今なら王宮側の鬱陶しい間者の心配もしなくて良いんだからな。サタノフとシーグだけ牽制しておけば済む話だ」

「酷いですね…少なくとも私は、そろそろ信用してくれても良いでしょうに」
「わっ、私も、今はまだ――」

 今は、まだ。
 ある意味、かえって信用が置けると言えなくもない。

 トーカレヴァは……うん、リファちゃんの飼い主でいるうちは多分?大丈夫。

 私のそんな視線に気付いたのか、もともとわざとだったか、ファルコは軽く舌打ちした。

「しょうがない、続けろ」

「―――」

 ファルコの許可が下りて、ゲルトナーの口から語られた「エドヴァルドからの伝言」は、この日一番と言って良い驚きを私にもたらした。

「ギーレン国内の〝転移扉〟の情報が記載された書物⁉」

 私の隣でシーグも、目を真ん丸に見開いている。

「明らかに罠の匂いがすると言う事と、お嬢さんがアンジェスでお館様にしていた〝話〟に似ているとは思わないか、と――」

(え、まさかのシナリオ補正⁉いやいや待って、でもギーレンから追放されるなら、むしろ願ったり叶ったりじゃ……)

 そう考えかけて、私は慌てて首を横に振る。

 落ち着け。そもそも前提がおかしい事に気付け。

「罠の匂いがするって言う、エドヴァルド様の疑念は間違いなくその通りだと思う。例えそれが、前のナリスヴァーラ城の持ち主が記した本物の書物でも、何十年もそこにある事自体がおかしすぎるもの」

 なるほど…と、その場にいる全員の顔に、納得した表情が浮かんでいる。

「それを見つけさせて、エドヴァルド様を機密情報を盗んだ容疑で拘束しつつ、縁談を受ければ無罪にしてやると迫るつもりだった――これも、正しいとは思う。まさかエドヴァルド様が、仮にも王なり王子なりが遣わした子爵令嬢を、招き入れもせずに追い返すとか、予想だにしなかったんだと思う」

 普通なら、王や王子の顔に泥を塗った!と叱責されてもおかしくない話だ。

 …と、シーグも思ったんだろう。
 何故?と、その顔には書かれていた。

「あー…シーグにはちょっと分からないかも知れないけど、もともとエドヴァルド様は、アンジェスの国王陛下に『聖女の付き添いをしろ』って言われて、渋々ギーレンに来ているのよ。だからそれ以外の事で何かを妥協するつもりが全くない。子爵令嬢に最低限の応対すらしないのは、ある意味アンジェスではそれがエドヴァルド様の標準仕様だから。仮にギーレン国王の名でアンジェスに苦情を入れたとしても、陛下が責任持って何とかすれば良いとしか思っていないのよ。まあ、ぶっちゃければ意趣返ししていると言うか」

「え……」

「アナタにこんな事を言うのも申し訳ないんだけど、エドベリ殿下は、アンジェスのフィルバート陛下とエドヴァルド様との距離感を掴み損ねたと言うべきなのかな」

 サイコパス陛下と冷徹鉄壁宰相との距離感を測れと言う事自体がそもそも無理難題だけれど、それは黙っておく。

「普通はね、外交中だとか国の体面だとか、貴族としての常識マナーだとか考えれば、中にすら招き入れないエドヴァルド様の対応って、あり得ないとは思うんだけどね?彼は陛下からそれが許されてる。エドベリ殿下は、それが想像出来ていなかった」

「……っ」

 ああっ、唇を噛みしめて俯かないで!本当はフィルバートとエドヴァルドがやってる事の方が全然常識的じゃないから!

 ホントに、よくあれで国が回せていると思うくらいだ。
 どれだけ書類仕事をカバーすれば、そうなるのか。

「ま、まあ、なぜくだんの子爵令嬢のやら既成事実狙いやらがことごとく挫折しているかと言えば、要はそう言う事なのね。多分ダメ元で、子爵令嬢への無礼を挙げて『帰国しろ』と言われないか、コンマ以下の確率で考えてはいるのかも知れないけど」

 まだ完全に納得した風ではないのだけれど、こればかりはもうどうしようもない。

 私としてもそれ以上の説明が出来ない。
 
「問題は、その、十数年ぶりにいきなり降って湧いた箱と文書の話よ……」

 私の溜息に、眉をひそめたのはファルコだった。

「心当たりあるのか?」

「うーん…まあ、予想よ?予想だけ伝えるから、ゲルトナー経由でナシオに伝えて、確認して貰って良い?」

「え⁉あ、ああ、もちろん!」

 急に話を振られたゲルトナーが、弾かれたようにこちらに向き直る。

「今、ナリスヴァーラ城内は、旧オーグレーン城時代に勤めていたって言う老年の使用人が大半なんでしょう?だったら間違いなくその中に、箱と文書を持ち主から預けられて、今までずっと手元に置いていたって言う、側仕えの男性なり女性なりがいる筈よ。その人が、今回のエドヴァルド様の訪問と滞在中のお世話を申し付けられた時に、もしかしたら初めて箱と文書の存在を王家に明かしたのかも知れない。もしかしたら、その人の思惑と王家の思惑と、乖離している可能性だってある。だからまずは『悪意と自覚のない内通者』がいると、そう伝えてくれる?」

 ――食堂の中が、一瞬にして静まり返った。
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