上 下
97 / 819
第一部 宰相家の居候

173 倫理が行方不明

しおりを挟む
※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 そう言えば、大学の研究棟内部にも、こんな研究室はあったかも知れない。
 世俗からはキレイさっぱり切り離された、研究馬鹿たちの集う世界――。

「ヴェンツェン!」

 さして大きくはないのに、性格が滲み出ているのか、国王陛下フィルバートの声は、奇妙な威圧感と共によく響く。

 多分、部屋にいた全員の手が止まったと思う。

「これは陛下…仰って下されば伺いますものを……」
「呼んだところで来るのは何時間後だ。急ぎでなければそれも構わんが」

 そう言えば、汚れが目立つのに何故白い服…と研究室の先輩に以前聞いたら、シミの色一つとっても研究途中の産物になるのだから、疎かには出来ないのだと言われた気がする。

 そう言う発想は、異世界に行っても変わらないのだろうか。

 そんな中、部屋の奥から壮年の男性が一人、立ち上がってこちらへと歩いて来た。

「ああ、研究の手を止めるつもりはない。とりあえず『簡易型転移装置』を一式出してくれ。他に用はない」

 フィルバートが先に用件を告げた事で、立ち上がった男性以外、すぐに視線を手元に戻していた。
 切り替えの早さに脱帽だ。

「簡易型転移装置…ですか」

 ピクリと片眉が動いたところを見ると、正規の手続きを踏めとでも内心は思っているのかも知れない。

 フィルバートは冷ややかに、その様子を一瞥した。

「ギーレン側の〝転移扉〟に不具合が生じたらしくてな。このままだと宰相の帰国がいつになるか分からん。早急に迎えをやるから、そのための『簡易型転移装置』だ。宰相を連れて帰って来る一往復が出来れば充分だろう」

「それは…確かに……」

「正規の手続きとやらを待っていては、その分だけ国政が滞る。言いたい事はあるか?」

「……いえ」

「それとそのまま、使い方を彼女に説明してやってくれ。私も知らない訳ではないが、齟齬そごがあっても困るからな」

 その途端、視線が再びこちらへと集中したような気がした。
 …ああ、うん。皆さん今まで気が付いていなかった、と。

「何故…と伺っても?」

 ヴェンツェン、とフィルバートに呼ばれた彼は、管理部の責任者なんだろうか。
 答える声が、少し険しい。

「おかしな事を聞くな。使う人間に説明しろと言う事自体に、何か問題があるか?」

 もっとも、国王陛下の方はまったく気圧される様子もない。

「そのように若い女性が、他国の、それも王宮に、宰相閣下を迎えに行くと仰られますか」
「くくっ…管理部の人間から、そのように常識的な発言を聞くとは思わなかったな」
「陛下……」
「ヴェンツェン」

 更に何か言いかけたところが、フィルバートの方が、それ以上の議論は面倒とばかりに、片手を上げて話を遮った。

「彼女は〝聖女の姉〟だ。我々が、国と聖女の都合で召喚し、宰相をして彼女の保護者たらしめているのが現状だ。その宰相が戻らないとあれば、後ろ楯を失くした状態の彼女が王宮を頼るのも道理だろう」

「それは……」

「もっとも、聖女の様に王宮での贅沢三昧を自分にも!と言う訳ではなく、とっとと宰相を帰国させろと言うのがその要求なのだから、私としても断りようがない」

 嘘です。帰国させるために、私を巻き込んだんです――と、まさか国王相手に言えない私は黙り込むしかない。

「さすがに私は立場上迎えに行けんのでな。だったら自分が行くと、そう言う訳だ」

 そんな私の苦い表情を、フィルバートが面白そうに覗き込んできた。

「だがな、ヴェンツェン。それで異世界から自分をした罪には目をつむってくれるそうだ。実に有難い話だと思わないか」

「!」

 誰も言葉は発しなかったけれど、明らかに無言のまま空気がざわついた。

「まあ、こちらからすれば国の一大事でも、異世界に住まう姉君には実に全く関係のない話だからな。聖女は恐らく、勝手に召喚された憤りは、王宮での贅沢三昧で昇華されたんだろうが、姉君にとっては、そうではなかったと言う事だ。どうやら我々の預かり知らぬところで、宰相が代わってその叱責を受けてくれていたようだしな」

「……っ」

 ヴェンツェンと呼ばれた男性が、立ったまま唇を噛みしめて、拳を握りしめている。

 私を召喚した際に、管理部だけで魔力が足りずに、エドヴァルドの手を借りた事は本人と副官シモンから聞いている。

 その事実だけでも不甲斐ないと思っていたところが、更に裏で黙って後始末を引き受けていた事実まで知らされては、恐らくは彼らの矜持は限界まで揺さぶられているに違いない。

「姉君にとっては、王宮でさえ信用の置ける場所ではないのだろうよ。そんな姉君が、王宮での保護ではなく、我々は応えてやるべきだろう?」

「⁉」

 はい⁉…と、声を上げなかったのが奇跡だ。
 とは言え、目を見開くところまでは止められない。

「もっとも先に姉君を望んだのは、宰相の方だ。そんな宰相が、帰国出来ない事にしびれを切らして、ギーレンで外交問題を引き起こすのは避けたい。と言うか、あの男が本気なら間違いなくしでかしてくれる。私としても、姉君がギーレンに行って、宰相をなだめて帰って来てくれるなら、これ以上の事はないし、むしろこちらからそうして欲しいと頭を下げたいくらいだ」

 ペラペラと何を言っているんだと思ったけど、最後「むしろこちらから頭を下げたいくらいだ」と話を着地させてきた事に、私は苦情もんくが言えなくなった。

 管理部には、これは国王や〝聖女の姉〟の我儘ではなく「召喚の代償だ」と圧力をかけながら、同時に私のギーレン行きには国王の意思も含まれているとほのめかせたのだ。

 フィルバートは、私は話さなくても良いと言っていたが、その通りに、私に「召喚」に対する憤りをぶつけさせる事なく、それがもたらした結果を、自分だけでなく彼らにも理解させたのだ。

「話が逸れたな、ヴェンツェン。そんな事もあって、敢えて正規の手続きを踏まずにここへ来た。理解が出来たら、改めて『簡易型転移装置』を一式、譲渡と言う形で保管庫から出せ」

「………承知致しました」

 少しの間を置いて頭を下げた彼は、納得したのだろうか。
 私からはその真意は窺えなかった。

「ああ、そうだ」

 張り詰めた空気を解く意図があったのかどうか、さも何でもない事であるかのように、フィルバートが意味ありげに口元を歪めた。

「姉君も、何も手ぶらで言いに来た訳ではない。6人だったか7人だったか?に牢の住人を増やしてくれたようだから、魔道具の実験をしたければ、自由すきにして構わん。手や足や首は、使かも知れんから、下手に傷はつけないで貰いたいがな」

「⁉︎」

 私は確かに見た。

 国王陛下フィルバートの、倫理に背く発言を気に留めないどころか、下手をすれば目が輝いている、管理部術者達の真の姿を。

 陛下――真面目な話が色々台無しになりました。

 ある意味、本領発揮されただけなのかも知れませんけど。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

婚約破棄 ~家名を名乗らなかっただけ

青の雀
恋愛
シルヴィアは、隣国での留学を終え5年ぶりに生まれ故郷の祖国へ帰ってきた。 今夜、王宮で開かれる自身の婚約披露パーティに出席するためである。 婚約者とは、一度も会っていない親同士が決めた婚約である。 その婚約者と会うなり「家名を名乗らない平民女とは、婚約破棄だ。」と言い渡されてしまう。 実は、シルヴィアは王女殿下であったのだ。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。