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第一部 宰相家の居候
173 倫理が行方不明
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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
そう言えば、大学の研究棟内部にも、こんな研究室はあったかも知れない。
世俗からはキレイさっぱり切り離された、研究馬鹿たちの集う世界――。
「ヴェンツェン!」
さして大きくはないのに、性格が滲み出ているのか、国王陛下の声は、奇妙な威圧感と共によく響く。
多分、部屋にいた全員の手が止まったと思う。
「これは陛下…仰って下されば伺いますものを……」
「呼んだところで来るのは何時間後だ。急ぎでなければそれも構わんが」
そう言えば、汚れが目立つのに何故白い服…と研究室の先輩に以前聞いたら、シミの色一つとっても研究途中の産物になるのだから、疎かには出来ないのだと言われた気がする。
そう言う発想は、異世界に行っても変わらないのだろうか。
そんな中、部屋の奥から壮年の男性が一人、立ち上がってこちらへと歩いて来た。
「ああ、研究の手を止めるつもりはない。とりあえず『簡易型転移装置』を一式出してくれ。他に用はない」
フィルバートが先に用件を告げた事で、立ち上がった男性以外、すぐに視線を手元に戻していた。
切り替えの早さに脱帽だ。
「簡易型転移装置…ですか」
ピクリと片眉が動いたところを見ると、正規の手続きを踏めとでも内心は思っているのかも知れない。
フィルバートは冷ややかに、その様子を一瞥した。
「ギーレン側の〝転移扉〟に不具合が生じたらしくてな。このままだと宰相の帰国がいつになるか分からん。早急に迎えをやるから、そのための『簡易型転移装置』だ。宰相を連れて帰って来る一往復が出来れば充分だろう」
「それは…確かに……」
「正規の手続きとやらを待っていては、その分だけ国政が滞る。言いたい事はあるか?」
「……いえ」
「それとそのまま、使い方を彼女に説明してやってくれ。私も知らない訳ではないが、齟齬があっても困るからな」
その途端、視線が再びこちらへと集中したような気がした。
…ああ、うん。皆さん今まで気が付いていなかった、と。
「何故…と伺っても?」
ヴェンツェン、とフィルバートに呼ばれた彼は、管理部の責任者なんだろうか。
答える声が、少し険しい。
「おかしな事を聞くな。使う人間に説明しろと言う事自体に、何か問題があるか?」
もっとも、国王陛下の方はまったく気圧される様子もない。
「そのように若い女性が、他国の、それも王宮に、宰相閣下を迎えに行くと仰られますか」
「くくっ…管理部の人間から、そのように常識的な発言を聞くとは思わなかったな」
「陛下……」
「ヴェンツェン」
更に何か言いかけたところが、フィルバートの方が、それ以上の議論は面倒とばかりに、片手を上げて話を遮った。
「彼女は〝聖女の姉〟だ。我々が、国と聖女の都合で召喚し、宰相をして彼女の保護者たらしめているのが現状だ。その宰相が戻らないとあれば、後ろ楯を失くした状態の彼女が王宮を頼るのも道理だろう」
「それは……」
「もっとも、聖女の様に王宮での贅沢三昧を自分にも!と言う訳ではなく、とっとと宰相を帰国させろと言うのがその要求なのだから、私としても断りようがない」
嘘です。帰国させるために、私を巻き込んだんです――と、まさか国王相手に言えない私は黙り込むしかない。
「さすがに私は立場上迎えに行けんのでな。だったら自分が行くと、そう言う訳だ」
そんな私の苦い表情を、フィルバートが面白そうに覗き込んできた。
「だがな、ヴェンツェン。それで異世界から自分を誘拐した罪には目を瞑ってくれるそうだ。実に有難い話だと思わないか」
「!」
誰も言葉は発しなかったけれど、明らかに無言のまま空気がざわついた。
「まあ、こちらからすれば国の一大事でも、異世界に住まう姉君には実に全く関係のない話だからな。聖女は恐らく、勝手に召喚された憤りは、王宮での贅沢三昧で昇華されたんだろうが、姉君にとっては、そうではなかったと言う事だ。どうやら我々の預かり知らぬところで、宰相が代わってその叱責を受けてくれていたようだしな」
「……っ」
ヴェンツェンと呼ばれた男性が、立ったまま唇を噛みしめて、拳を握りしめている。
私を召喚した際に、管理部だけで魔力が足りずに、エドヴァルドの手を借りた事は本人と副官から聞いている。
その事実だけでも不甲斐ないと思っていたところが、更に裏で黙って後始末を引き受けていた事実まで知らされては、恐らくは彼らの矜持は限界まで揺さぶられているに違いない。
「姉君にとっては、王宮でさえ信用の置ける場所ではないのだろうよ。そんな姉君が、王宮での保護ではなく宰相を望むなら、我々は応えてやるべきだろう?」
「⁉」
はい⁉…と、声を上げなかったのが奇跡だ。
とは言え、目を見開くところまでは止められない。
「もっとも先に姉君を望んだのは、宰相の方だ。そんな宰相が、帰国出来ない事にしびれを切らして、ギーレンで外交問題を引き起こすのは避けたい。と言うか、あの男が本気なら間違いなくしでかしてくれる。私としても、姉君がギーレンに行って、宰相を宥めて帰って来てくれるなら、これ以上の事はないし、むしろこちらからそうして欲しいと頭を下げたいくらいだ」
ペラペラと何を言っているんだと思ったけど、最後「むしろこちらから頭を下げたいくらいだ」と話を着地させてきた事に、私は苦情が言えなくなった。
管理部には、これは国王や〝聖女の姉〟の我儘ではなく「召喚の代償だ」と圧力をかけながら、同時に私のギーレン行きには国王の意思も含まれていると仄めかせたのだ。
フィルバートは、私は話さなくても良いと言っていたが、その通りに、私に「召喚」に対する憤りをぶつけさせる事なく、それがもたらした結果を、自分だけでなく彼らにも理解させたのだ。
「話が逸れたな、ヴェンツェン。そんな事もあって、敢えて正規の手続きを踏まずにここへ来た。理解が出来たら、改めて『簡易型転移装置』を一式、譲渡と言う形で保管庫から出せ」
「………承知致しました」
少しの間を置いて頭を下げた彼は、納得したのだろうか。
私からはその真意は窺えなかった。
「ああ、そうだ」
張り詰めた空気を解く意図があったのかどうか、さも何でもない事であるかのように、フィルバートが意味ありげに口元を歪めた。
「姉君も、何も手ぶらで言いに来た訳ではない。6人だったか7人だったか?手土産に牢の住人を増やしてくれたようだから、魔道具の実験をしたければ、自由にして構わん。手や足や首は、後で使うかも知れんから、下手に傷はつけないで貰いたいがな」
「⁉︎」
私は確かに見た。
国王陛下の、倫理に背く発言を気に留めないどころか、下手をすれば目が輝いている、管理部術者達の真の姿を。
陛下――真面目な話が色々台無しになりました。
ある意味、本領発揮されただけなのかも知れませんけど。
そう言えば、大学の研究棟内部にも、こんな研究室はあったかも知れない。
世俗からはキレイさっぱり切り離された、研究馬鹿たちの集う世界――。
「ヴェンツェン!」
さして大きくはないのに、性格が滲み出ているのか、国王陛下の声は、奇妙な威圧感と共によく響く。
多分、部屋にいた全員の手が止まったと思う。
「これは陛下…仰って下されば伺いますものを……」
「呼んだところで来るのは何時間後だ。急ぎでなければそれも構わんが」
そう言えば、汚れが目立つのに何故白い服…と研究室の先輩に以前聞いたら、シミの色一つとっても研究途中の産物になるのだから、疎かには出来ないのだと言われた気がする。
そう言う発想は、異世界に行っても変わらないのだろうか。
そんな中、部屋の奥から壮年の男性が一人、立ち上がってこちらへと歩いて来た。
「ああ、研究の手を止めるつもりはない。とりあえず『簡易型転移装置』を一式出してくれ。他に用はない」
フィルバートが先に用件を告げた事で、立ち上がった男性以外、すぐに視線を手元に戻していた。
切り替えの早さに脱帽だ。
「簡易型転移装置…ですか」
ピクリと片眉が動いたところを見ると、正規の手続きを踏めとでも内心は思っているのかも知れない。
フィルバートは冷ややかに、その様子を一瞥した。
「ギーレン側の〝転移扉〟に不具合が生じたらしくてな。このままだと宰相の帰国がいつになるか分からん。早急に迎えをやるから、そのための『簡易型転移装置』だ。宰相を連れて帰って来る一往復が出来れば充分だろう」
「それは…確かに……」
「正規の手続きとやらを待っていては、その分だけ国政が滞る。言いたい事はあるか?」
「……いえ」
「それとそのまま、使い方を彼女に説明してやってくれ。私も知らない訳ではないが、齟齬があっても困るからな」
その途端、視線が再びこちらへと集中したような気がした。
…ああ、うん。皆さん今まで気が付いていなかった、と。
「何故…と伺っても?」
ヴェンツェン、とフィルバートに呼ばれた彼は、管理部の責任者なんだろうか。
答える声が、少し険しい。
「おかしな事を聞くな。使う人間に説明しろと言う事自体に、何か問題があるか?」
もっとも、国王陛下の方はまったく気圧される様子もない。
「そのように若い女性が、他国の、それも王宮に、宰相閣下を迎えに行くと仰られますか」
「くくっ…管理部の人間から、そのように常識的な発言を聞くとは思わなかったな」
「陛下……」
「ヴェンツェン」
更に何か言いかけたところが、フィルバートの方が、それ以上の議論は面倒とばかりに、片手を上げて話を遮った。
「彼女は〝聖女の姉〟だ。我々が、国と聖女の都合で召喚し、宰相をして彼女の保護者たらしめているのが現状だ。その宰相が戻らないとあれば、後ろ楯を失くした状態の彼女が王宮を頼るのも道理だろう」
「それは……」
「もっとも、聖女の様に王宮での贅沢三昧を自分にも!と言う訳ではなく、とっとと宰相を帰国させろと言うのがその要求なのだから、私としても断りようがない」
嘘です。帰国させるために、私を巻き込んだんです――と、まさか国王相手に言えない私は黙り込むしかない。
「さすがに私は立場上迎えに行けんのでな。だったら自分が行くと、そう言う訳だ」
そんな私の苦い表情を、フィルバートが面白そうに覗き込んできた。
「だがな、ヴェンツェン。それで異世界から自分を誘拐した罪には目を瞑ってくれるそうだ。実に有難い話だと思わないか」
「!」
誰も言葉は発しなかったけれど、明らかに無言のまま空気がざわついた。
「まあ、こちらからすれば国の一大事でも、異世界に住まう姉君には実に全く関係のない話だからな。聖女は恐らく、勝手に召喚された憤りは、王宮での贅沢三昧で昇華されたんだろうが、姉君にとっては、そうではなかったと言う事だ。どうやら我々の預かり知らぬところで、宰相が代わってその叱責を受けてくれていたようだしな」
「……っ」
ヴェンツェンと呼ばれた男性が、立ったまま唇を噛みしめて、拳を握りしめている。
私を召喚した際に、管理部だけで魔力が足りずに、エドヴァルドの手を借りた事は本人と副官から聞いている。
その事実だけでも不甲斐ないと思っていたところが、更に裏で黙って後始末を引き受けていた事実まで知らされては、恐らくは彼らの矜持は限界まで揺さぶられているに違いない。
「姉君にとっては、王宮でさえ信用の置ける場所ではないのだろうよ。そんな姉君が、王宮での保護ではなく宰相を望むなら、我々は応えてやるべきだろう?」
「⁉」
はい⁉…と、声を上げなかったのが奇跡だ。
とは言え、目を見開くところまでは止められない。
「もっとも先に姉君を望んだのは、宰相の方だ。そんな宰相が、帰国出来ない事にしびれを切らして、ギーレンで外交問題を引き起こすのは避けたい。と言うか、あの男が本気なら間違いなくしでかしてくれる。私としても、姉君がギーレンに行って、宰相を宥めて帰って来てくれるなら、これ以上の事はないし、むしろこちらからそうして欲しいと頭を下げたいくらいだ」
ペラペラと何を言っているんだと思ったけど、最後「むしろこちらから頭を下げたいくらいだ」と話を着地させてきた事に、私は苦情が言えなくなった。
管理部には、これは国王や〝聖女の姉〟の我儘ではなく「召喚の代償だ」と圧力をかけながら、同時に私のギーレン行きには国王の意思も含まれていると仄めかせたのだ。
フィルバートは、私は話さなくても良いと言っていたが、その通りに、私に「召喚」に対する憤りをぶつけさせる事なく、それがもたらした結果を、自分だけでなく彼らにも理解させたのだ。
「話が逸れたな、ヴェンツェン。そんな事もあって、敢えて正規の手続きを踏まずにここへ来た。理解が出来たら、改めて『簡易型転移装置』を一式、譲渡と言う形で保管庫から出せ」
「………承知致しました」
少しの間を置いて頭を下げた彼は、納得したのだろうか。
私からはその真意は窺えなかった。
「ああ、そうだ」
張り詰めた空気を解く意図があったのかどうか、さも何でもない事であるかのように、フィルバートが意味ありげに口元を歪めた。
「姉君も、何も手ぶらで言いに来た訳ではない。6人だったか7人だったか?手土産に牢の住人を増やしてくれたようだから、魔道具の実験をしたければ、自由にして構わん。手や足や首は、後で使うかも知れんから、下手に傷はつけないで貰いたいがな」
「⁉︎」
私は確かに見た。
国王陛下の、倫理に背く発言を気に留めないどころか、下手をすれば目が輝いている、管理部術者達の真の姿を。
陛下――真面目な話が色々台無しになりました。
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