65 / 67
第十二章 命名
光芒(5)
しおりを挟む
『ですが真面目な話、この件が無事に着地出来そうなのは、貴女が辰巳幸子――あの子との縁を思いがけず繋いできてくれたからやと思いますよ』
複雑な表情を浮かべていた菜穂子をよそに、八瀬青年はそう言って『感謝ですね』と、胸元に手を当てながら軽く頭を下げてきた。
幸子ちゃんとも、さっちゃんとも言わないあたり若干のわだかまりを感じるものの、もうそこは触れずにいようと内心で思う。
『やっぱり、お声がけしてよかった。これで無事にお盆の入りから五山の送り火まで、例年通りにいけそうですし』
『あ……え……』
それより急に頭を下げられたことの方に戸惑いがあった。
とは言え、言われてみればそれもそうかと菜穂子も腑に落ちるところはある。
確かにもうこれ以上、もめる要素はないのだ。
辰巳幸子の家族、船井老人の行く末など、気にならないと言えば嘘になるが、それはもう、この場の誰にもどうしようもないことなんだろう。
あのおじいさんが亡くなって、三途の川を渡ろうというところに来るまでは、少なくとも現状維持になるだろうから。
『八瀬さん、その……』
『なんでしょう』
『もしかして、おじいちゃんとおばあちゃんと話出来るのは、これが最後言うことになります……?』
――例年通り。
そもそも、あの世とこの世の境界に引っ張り込まれていること自体が荒唐無稽、夢の延長のようなものだ。
今まで通りのお盆行事がこの後は執り行われると言うのなら。
祖先の霊など、目に見えるはずもない。
恐る恐る尋ねた菜穂子に、八瀬青年は柔らかい笑みを残したまま『……そうなりますね』と、答えをくれた。
『勝手にお呼びしといて何ですけど、もともと死んでもいないし意識不明の重体でもない人間がここにいること自体が、篁様以来のイレギュラーでしたからね』
どうやら亡くなる寸前の人間が、フライングのように迷い込むことは稀にあるらしい。
それでも菜穂子のように、まだピンピンしている人間が足を踏み入れると言うのは、小野篁卿以来のことだったらしいのだ。
伝説上の人物と並列に語られたところで、菜穂子としても「はあ……」としか答えようがないのだが。
そんな、何とも言えない表情を見せる菜穂子を見て何を思ったのか、八瀬青年は「ただ」と、思いがけない話をその後に続けてきた。
『今回ご協力いただいた証は閻魔帳、もとい十王庁の記録にちゃんと残りますから、今後の人生の過ごされ方によっては、それこそ高辻先生のようにどこかしらにスカウトされる可能性も、無きにしも非ずですよ』
『『『え』』』
え、と声を発したのは菜穂子だけではない。
祖父と祖母も、驚いたように八瀬青年の顔を凝視した。
『どのくらいの寿命をお持ちかはここでは分かりませんけど、仮に八十年九十年あったとしても、そのくらいやったら確実に僕はまだ筆頭補佐官をやってるでしょうからね』
何せ前任者は千年以上でしたし。
そう言って笑う八瀬青年に、相槌を打っていいのかどうかも菜穂子には分からない。
『辰巳幸子次第かも分かりませんけど、ひょっとしたら高辻先生も、まだ賽の河原で先生をして下さってるかも知れません。その場合は、もれなく貴女のお祖父様も初江王様のところにいらっしゃるでしょうから、これっきり、言うのはさほど正確な表現やないように思いますね』
『……なるほど?』
辰巳幸子が納得して成仏していなければ、当然、祖母は賽の河原に「先生」として留まるだろう。
祖母が留まれば、祖父だって初江王の下から動くまい。
もしかしたら辰巳幸子が成仏していたとしても、残る別の子たちのために、そのまま残っているかも知れない。
『もし、その「賽の河原の学校」言うのが軌道に乗ってたら、追加で職員雇って貰う余地があるかも知れん言うことですか?』
八瀬青年の言葉を噛み砕きながら確認した菜穂子に、八瀬青年は「そう」とも「違う」とも言わなかった。
『確約出来ない話は、僕の立場では出来かねますが』
ただそれは、限りないイエスの返事じゃないかとも思えた。
『そっか……うん、分かった』
『菜穂子?』
ひと呼吸置いて、菜穂子は祖母の手を掴む――ことは出来ないので、ふわりと自分の手を祖母の手の近くに置いた。
『おばあちゃん、将来私が行くまでに、学校軌道に乗せといて』
『え?』
『おばあちゃんと交代でも、一緒に働くんでもいいよ。学校潰さんようにしといてくれたら、いずれまた会えるやろう?』
『それは……』
『そしたら、おじいちゃんも自動的に近くにいる言うことになるんやろうし、一石二鳥やん』
祖母が賽の河原で「先生」をしている限りは、祖父は確実に初江王の下で働き続けるだろう。
聞かずとも分かる。
『お父さんと、お母さんまでそこで働けるかは分からへんけど、最悪は私がどこかの王様の審議にかかる時に生前の証人で呼んでくれたりしたら、ちょっとだけでも皆で会えるわけやし。そやから、出来たら私が行くまでは、今のところで待っててくれたら嬉しいな』
『菜穂子……』
『あほか。そんなもん、ホイホイと約束出来るか。うっかりおまえが早よ早よこっち来たらどないするつもりや。あっちでなんぼでも長生きしとけ』
目を潤ませている祖母とは対照的に、やっぱり口の悪い祖父は、そんなことを言いながらそっぽを向いている。
『あはは……こればっかりは、どうにも分からへんやん。もちろん、気を付けるけどさぁ。まぁ、待てたら待っといてよ』
『……ふん』
『そやねぇ』
祖父も祖母も、それは「否」ではないだろうと、菜穂子には思えた。
そう、信じようと思う。
複雑な表情を浮かべていた菜穂子をよそに、八瀬青年はそう言って『感謝ですね』と、胸元に手を当てながら軽く頭を下げてきた。
幸子ちゃんとも、さっちゃんとも言わないあたり若干のわだかまりを感じるものの、もうそこは触れずにいようと内心で思う。
『やっぱり、お声がけしてよかった。これで無事にお盆の入りから五山の送り火まで、例年通りにいけそうですし』
『あ……え……』
それより急に頭を下げられたことの方に戸惑いがあった。
とは言え、言われてみればそれもそうかと菜穂子も腑に落ちるところはある。
確かにもうこれ以上、もめる要素はないのだ。
辰巳幸子の家族、船井老人の行く末など、気にならないと言えば嘘になるが、それはもう、この場の誰にもどうしようもないことなんだろう。
あのおじいさんが亡くなって、三途の川を渡ろうというところに来るまでは、少なくとも現状維持になるだろうから。
『八瀬さん、その……』
『なんでしょう』
『もしかして、おじいちゃんとおばあちゃんと話出来るのは、これが最後言うことになります……?』
――例年通り。
そもそも、あの世とこの世の境界に引っ張り込まれていること自体が荒唐無稽、夢の延長のようなものだ。
今まで通りのお盆行事がこの後は執り行われると言うのなら。
祖先の霊など、目に見えるはずもない。
恐る恐る尋ねた菜穂子に、八瀬青年は柔らかい笑みを残したまま『……そうなりますね』と、答えをくれた。
『勝手にお呼びしといて何ですけど、もともと死んでもいないし意識不明の重体でもない人間がここにいること自体が、篁様以来のイレギュラーでしたからね』
どうやら亡くなる寸前の人間が、フライングのように迷い込むことは稀にあるらしい。
それでも菜穂子のように、まだピンピンしている人間が足を踏み入れると言うのは、小野篁卿以来のことだったらしいのだ。
伝説上の人物と並列に語られたところで、菜穂子としても「はあ……」としか答えようがないのだが。
そんな、何とも言えない表情を見せる菜穂子を見て何を思ったのか、八瀬青年は「ただ」と、思いがけない話をその後に続けてきた。
『今回ご協力いただいた証は閻魔帳、もとい十王庁の記録にちゃんと残りますから、今後の人生の過ごされ方によっては、それこそ高辻先生のようにどこかしらにスカウトされる可能性も、無きにしも非ずですよ』
『『『え』』』
え、と声を発したのは菜穂子だけではない。
祖父と祖母も、驚いたように八瀬青年の顔を凝視した。
『どのくらいの寿命をお持ちかはここでは分かりませんけど、仮に八十年九十年あったとしても、そのくらいやったら確実に僕はまだ筆頭補佐官をやってるでしょうからね』
何せ前任者は千年以上でしたし。
そう言って笑う八瀬青年に、相槌を打っていいのかどうかも菜穂子には分からない。
『辰巳幸子次第かも分かりませんけど、ひょっとしたら高辻先生も、まだ賽の河原で先生をして下さってるかも知れません。その場合は、もれなく貴女のお祖父様も初江王様のところにいらっしゃるでしょうから、これっきり、言うのはさほど正確な表現やないように思いますね』
『……なるほど?』
辰巳幸子が納得して成仏していなければ、当然、祖母は賽の河原に「先生」として留まるだろう。
祖母が留まれば、祖父だって初江王の下から動くまい。
もしかしたら辰巳幸子が成仏していたとしても、残る別の子たちのために、そのまま残っているかも知れない。
『もし、その「賽の河原の学校」言うのが軌道に乗ってたら、追加で職員雇って貰う余地があるかも知れん言うことですか?』
八瀬青年の言葉を噛み砕きながら確認した菜穂子に、八瀬青年は「そう」とも「違う」とも言わなかった。
『確約出来ない話は、僕の立場では出来かねますが』
ただそれは、限りないイエスの返事じゃないかとも思えた。
『そっか……うん、分かった』
『菜穂子?』
ひと呼吸置いて、菜穂子は祖母の手を掴む――ことは出来ないので、ふわりと自分の手を祖母の手の近くに置いた。
『おばあちゃん、将来私が行くまでに、学校軌道に乗せといて』
『え?』
『おばあちゃんと交代でも、一緒に働くんでもいいよ。学校潰さんようにしといてくれたら、いずれまた会えるやろう?』
『それは……』
『そしたら、おじいちゃんも自動的に近くにいる言うことになるんやろうし、一石二鳥やん』
祖母が賽の河原で「先生」をしている限りは、祖父は確実に初江王の下で働き続けるだろう。
聞かずとも分かる。
『お父さんと、お母さんまでそこで働けるかは分からへんけど、最悪は私がどこかの王様の審議にかかる時に生前の証人で呼んでくれたりしたら、ちょっとだけでも皆で会えるわけやし。そやから、出来たら私が行くまでは、今のところで待っててくれたら嬉しいな』
『菜穂子……』
『あほか。そんなもん、ホイホイと約束出来るか。うっかりおまえが早よ早よこっち来たらどないするつもりや。あっちでなんぼでも長生きしとけ』
目を潤ませている祖母とは対照的に、やっぱり口の悪い祖父は、そんなことを言いながらそっぽを向いている。
『あはは……こればっかりは、どうにも分からへんやん。もちろん、気を付けるけどさぁ。まぁ、待てたら待っといてよ』
『……ふん』
『そやねぇ』
祖父も祖母も、それは「否」ではないだろうと、菜穂子には思えた。
そう、信じようと思う。
2
お気に入りに追加
140
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫
むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

私のお父様とパパ様
棗
ファンタジー
非常に過保護で愛情深い二人の父親から愛される娘メアリー。
婚約者の皇太子と毎月あるお茶会で顔を合わせるも、彼の隣には幼馴染の女性がいて。
大好きなお父様とパパ様がいれば、皇太子との婚約は白紙になっても何も問題はない。
※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
心の落とし物
緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも
・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ )
〈本作の楽しみ方〉
本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。
知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。
あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。
ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。
懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。
〈主人公と作中用語〉
・添野由良(そえのゆら)
洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。
・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉
人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。
・〈探し人(さがしびと)〉
〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。
・〈未練溜まり(みれんだまり)〉
忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。
・〈分け御霊(わけみたま)〉
生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる