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第十二章 命名
光芒(5)
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『ですが真面目な話、この件が無事に着地出来そうなのは、貴女が辰巳幸子――あの子との縁を思いがけず繋いできてくれたからやと思いますよ』
複雑な表情を浮かべていた菜穂子をよそに、八瀬青年はそう言って『感謝ですね』と、胸元に手を当てながら軽く頭を下げてきた。
幸子ちゃんとも、さっちゃんとも言わないあたり若干のわだかまりを感じるものの、もうそこは触れずにいようと内心で思う。
『やっぱり、お声がけしてよかった。これで無事にお盆の入りから五山の送り火まで、例年通りにいけそうですし』
『あ……え……』
それより急に頭を下げられたことの方に戸惑いがあった。
とは言え、言われてみればそれもそうかと菜穂子も腑に落ちるところはある。
確かにもうこれ以上、もめる要素はないのだ。
辰巳幸子の家族、船井老人の行く末など、気にならないと言えば嘘になるが、それはもう、この場の誰にもどうしようもないことなんだろう。
あのおじいさんが亡くなって、三途の川を渡ろうというところに来るまでは、少なくとも現状維持になるだろうから。
『八瀬さん、その……』
『なんでしょう』
『もしかして、おじいちゃんとおばあちゃんと話出来るのは、これが最後言うことになります……?』
――例年通り。
そもそも、あの世とこの世の境界に引っ張り込まれていること自体が荒唐無稽、夢の延長のようなものだ。
今まで通りのお盆行事がこの後は執り行われると言うのなら。
祖先の霊など、目に見えるはずもない。
恐る恐る尋ねた菜穂子に、八瀬青年は柔らかい笑みを残したまま『……そうなりますね』と、答えをくれた。
『勝手にお呼びしといて何ですけど、もともと死んでもいないし意識不明の重体でもない人間がここにいること自体が、篁様以来のイレギュラーでしたからね』
どうやら亡くなる寸前の人間が、フライングのように迷い込むことは稀にあるらしい。
それでも菜穂子のように、まだピンピンしている人間が足を踏み入れると言うのは、小野篁卿以来のことだったらしいのだ。
伝説上の人物と並列に語られたところで、菜穂子としても「はあ……」としか答えようがないのだが。
そんな、何とも言えない表情を見せる菜穂子を見て何を思ったのか、八瀬青年は「ただ」と、思いがけない話をその後に続けてきた。
『今回ご協力いただいた証は閻魔帳、もとい十王庁の記録にちゃんと残りますから、今後の人生の過ごされ方によっては、それこそ高辻先生のようにどこかしらにスカウトされる可能性も、無きにしも非ずですよ』
『『『え』』』
え、と声を発したのは菜穂子だけではない。
祖父と祖母も、驚いたように八瀬青年の顔を凝視した。
『どのくらいの寿命をお持ちかはここでは分かりませんけど、仮に八十年九十年あったとしても、そのくらいやったら確実に僕はまだ筆頭補佐官をやってるでしょうからね』
何せ前任者は千年以上でしたし。
そう言って笑う八瀬青年に、相槌を打っていいのかどうかも菜穂子には分からない。
『辰巳幸子次第かも分かりませんけど、ひょっとしたら高辻先生も、まだ賽の河原で先生をして下さってるかも知れません。その場合は、もれなく貴女のお祖父様も初江王様のところにいらっしゃるでしょうから、これっきり、言うのはさほど正確な表現やないように思いますね』
『……なるほど?』
辰巳幸子が納得して成仏していなければ、当然、祖母は賽の河原に「先生」として留まるだろう。
祖母が留まれば、祖父だって初江王の下から動くまい。
もしかしたら辰巳幸子が成仏していたとしても、残る別の子たちのために、そのまま残っているかも知れない。
『もし、その「賽の河原の学校」言うのが軌道に乗ってたら、追加で職員雇って貰う余地があるかも知れん言うことですか?』
八瀬青年の言葉を噛み砕きながら確認した菜穂子に、八瀬青年は「そう」とも「違う」とも言わなかった。
『確約出来ない話は、僕の立場では出来かねますが』
ただそれは、限りないイエスの返事じゃないかとも思えた。
『そっか……うん、分かった』
『菜穂子?』
ひと呼吸置いて、菜穂子は祖母の手を掴む――ことは出来ないので、ふわりと自分の手を祖母の手の近くに置いた。
『おばあちゃん、将来私が行くまでに、学校軌道に乗せといて』
『え?』
『おばあちゃんと交代でも、一緒に働くんでもいいよ。学校潰さんようにしといてくれたら、いずれまた会えるやろう?』
『それは……』
『そしたら、おじいちゃんも自動的に近くにいる言うことになるんやろうし、一石二鳥やん』
祖母が賽の河原で「先生」をしている限りは、祖父は確実に初江王の下で働き続けるだろう。
聞かずとも分かる。
『お父さんと、お母さんまでそこで働けるかは分からへんけど、最悪は私がどこかの王様の審議にかかる時に生前の証人で呼んでくれたりしたら、ちょっとだけでも皆で会えるわけやし。そやから、出来たら私が行くまでは、今のところで待っててくれたら嬉しいな』
『菜穂子……』
『あほか。そんなもん、ホイホイと約束出来るか。うっかりおまえが早よ早よこっち来たらどないするつもりや。あっちでなんぼでも長生きしとけ』
目を潤ませている祖母とは対照的に、やっぱり口の悪い祖父は、そんなことを言いながらそっぽを向いている。
『あはは……こればっかりは、どうにも分からへんやん。もちろん、気を付けるけどさぁ。まぁ、待てたら待っといてよ』
『……ふん』
『そやねぇ』
祖父も祖母も、それは「否」ではないだろうと、菜穂子には思えた。
そう、信じようと思う。
複雑な表情を浮かべていた菜穂子をよそに、八瀬青年はそう言って『感謝ですね』と、胸元に手を当てながら軽く頭を下げてきた。
幸子ちゃんとも、さっちゃんとも言わないあたり若干のわだかまりを感じるものの、もうそこは触れずにいようと内心で思う。
『やっぱり、お声がけしてよかった。これで無事にお盆の入りから五山の送り火まで、例年通りにいけそうですし』
『あ……え……』
それより急に頭を下げられたことの方に戸惑いがあった。
とは言え、言われてみればそれもそうかと菜穂子も腑に落ちるところはある。
確かにもうこれ以上、もめる要素はないのだ。
辰巳幸子の家族、船井老人の行く末など、気にならないと言えば嘘になるが、それはもう、この場の誰にもどうしようもないことなんだろう。
あのおじいさんが亡くなって、三途の川を渡ろうというところに来るまでは、少なくとも現状維持になるだろうから。
『八瀬さん、その……』
『なんでしょう』
『もしかして、おじいちゃんとおばあちゃんと話出来るのは、これが最後言うことになります……?』
――例年通り。
そもそも、あの世とこの世の境界に引っ張り込まれていること自体が荒唐無稽、夢の延長のようなものだ。
今まで通りのお盆行事がこの後は執り行われると言うのなら。
祖先の霊など、目に見えるはずもない。
恐る恐る尋ねた菜穂子に、八瀬青年は柔らかい笑みを残したまま『……そうなりますね』と、答えをくれた。
『勝手にお呼びしといて何ですけど、もともと死んでもいないし意識不明の重体でもない人間がここにいること自体が、篁様以来のイレギュラーでしたからね』
どうやら亡くなる寸前の人間が、フライングのように迷い込むことは稀にあるらしい。
それでも菜穂子のように、まだピンピンしている人間が足を踏み入れると言うのは、小野篁卿以来のことだったらしいのだ。
伝説上の人物と並列に語られたところで、菜穂子としても「はあ……」としか答えようがないのだが。
そんな、何とも言えない表情を見せる菜穂子を見て何を思ったのか、八瀬青年は「ただ」と、思いがけない話をその後に続けてきた。
『今回ご協力いただいた証は閻魔帳、もとい十王庁の記録にちゃんと残りますから、今後の人生の過ごされ方によっては、それこそ高辻先生のようにどこかしらにスカウトされる可能性も、無きにしも非ずですよ』
『『『え』』』
え、と声を発したのは菜穂子だけではない。
祖父と祖母も、驚いたように八瀬青年の顔を凝視した。
『どのくらいの寿命をお持ちかはここでは分かりませんけど、仮に八十年九十年あったとしても、そのくらいやったら確実に僕はまだ筆頭補佐官をやってるでしょうからね』
何せ前任者は千年以上でしたし。
そう言って笑う八瀬青年に、相槌を打っていいのかどうかも菜穂子には分からない。
『辰巳幸子次第かも分かりませんけど、ひょっとしたら高辻先生も、まだ賽の河原で先生をして下さってるかも知れません。その場合は、もれなく貴女のお祖父様も初江王様のところにいらっしゃるでしょうから、これっきり、言うのはさほど正確な表現やないように思いますね』
『……なるほど?』
辰巳幸子が納得して成仏していなければ、当然、祖母は賽の河原に「先生」として留まるだろう。
祖母が留まれば、祖父だって初江王の下から動くまい。
もしかしたら辰巳幸子が成仏していたとしても、残る別の子たちのために、そのまま残っているかも知れない。
『もし、その「賽の河原の学校」言うのが軌道に乗ってたら、追加で職員雇って貰う余地があるかも知れん言うことですか?』
八瀬青年の言葉を噛み砕きながら確認した菜穂子に、八瀬青年は「そう」とも「違う」とも言わなかった。
『確約出来ない話は、僕の立場では出来かねますが』
ただそれは、限りないイエスの返事じゃないかとも思えた。
『そっか……うん、分かった』
『菜穂子?』
ひと呼吸置いて、菜穂子は祖母の手を掴む――ことは出来ないので、ふわりと自分の手を祖母の手の近くに置いた。
『おばあちゃん、将来私が行くまでに、学校軌道に乗せといて』
『え?』
『おばあちゃんと交代でも、一緒に働くんでもいいよ。学校潰さんようにしといてくれたら、いずれまた会えるやろう?』
『それは……』
『そしたら、おじいちゃんも自動的に近くにいる言うことになるんやろうし、一石二鳥やん』
祖母が賽の河原で「先生」をしている限りは、祖父は確実に初江王の下で働き続けるだろう。
聞かずとも分かる。
『お父さんと、お母さんまでそこで働けるかは分からへんけど、最悪は私がどこかの王様の審議にかかる時に生前の証人で呼んでくれたりしたら、ちょっとだけでも皆で会えるわけやし。そやから、出来たら私が行くまでは、今のところで待っててくれたら嬉しいな』
『菜穂子……』
『あほか。そんなもん、ホイホイと約束出来るか。うっかりおまえが早よ早よこっち来たらどないするつもりや。あっちでなんぼでも長生きしとけ』
目を潤ませている祖母とは対照的に、やっぱり口の悪い祖父は、そんなことを言いながらそっぽを向いている。
『あはは……こればっかりは、どうにも分からへんやん。もちろん、気を付けるけどさぁ。まぁ、待てたら待っといてよ』
『……ふん』
『そやねぇ』
祖父も祖母も、それは「否」ではないだろうと、菜穂子には思えた。
そう、信じようと思う。
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