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第十二章 命名

光芒(2)

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『……俺が戦地から帰って来て、その足で志緒を迎えに行ったことが悪いとでも言うんか』

 唇と拳、どちらも切れてしまいそうなほどに強く噛みしめ、握りしめられている。
 そんな祖父が八瀬青年にぶつける声も、震えていた。

『いえ、それは……』
『おまえの言い方やと、そうとしか聞こえんやないか!』
『おじいちゃん!』
『俺が……俺が、どんな思いで戦地から……っ』

 思わず祖父に触れようと菜穂子は近付いたものの、実際に手や服に触れることが出来ない。

 実際に血が流れるわけではないけれど、それでも思わず止めたくなるくらいには強い動作だ。

 あの世とこの世、その境を思わぬところで見せつけられたようで、菜穂子も伸ばそうとした手を途中で急停止させるしかなかった。

『すみません。そればかりは、僕には分からない。この場の誰にも「気持ちはよく分かる」なんて傲慢なことは言えない。戦地へ赴いた人の思いを忖度することは傲慢と冒涜だ。それは僕ですら理解が出来る。――ただ』

 ただ、の後あえて言葉を区切った八瀬青年に、祖父がその場でピクリと反応を見せた。

 その先、何を言わんとしているのかは菜穂子にも分かった。

 分かったからこそ、八瀬青年が言ってはいけない気がした。
 多分、反発しか生まないだろうから。

『おじいちゃん』

 だからその先は、菜穂子が引き受けることにした。

『――おばあちゃんの希望、優先してあげよ?』

『『菜穂子』』

 祖父母の声が、そこで重なる。

 夫婦仲の良さを揶揄うべきか、一瞬だけ迷いが生じたものの、菜穂子は頭を振ってその考えを自身の中から追い出した。

『さっきも言うたけど、多分このまま……極楽浄土でも天道でもええんやけど、そこへ行ってしまうのは、絶対おばあちゃん心残りになるよ』

『心残り……』

『おじいちゃんも、辰巳幸子さっちゃん見たよね? 絶対、気になってるよね? おばあちゃんなんて、元々教えてはったんやから、おじいちゃん以上に気になってて当たり前やと思わへん?』

『…………』

 言葉を失くして口を閉ざす祖父を横目に、菜穂子は今度は祖母の方へと向き直った。

『おばあちゃんも、ほら、今はもう女性が耐えて忍ぶ時代やないよ? おばあちゃんの希望を口にしたって、全然ええと思うよ?』

 耐えて忍ぶは淑女の鑑。
 そんな時代は、とうに過ぎたはずだ。


『おじいさ――いいえ、あなた』


 やがてそう言って祖母が顔を上げたのは、どのくらいたってからのことだっただろうか。
 もしかしたら、祖母から「おじいさん」以外の言葉で呼びかけられるのは久しぶりだったのかも知れない。

 祖父が驚いたように祖母を凝視していた。

 いや。
 もしかしたら、だからこそ、祖母の言いたいことが分かったのかも知れない。

 祖母を見つめるその表情は、絶望とも諦めとも取れる表情ソレだった。

『私に、ここで「先生」続けさせて貰えますか』
『志緒……』

『正直言うて、色んな王様に掛け合ってまで待っててくれて、嬉しかった。終戦後のあの日、夕陽差し込む小学校に迎えに来てくれたんと同じくらいに嬉しかった。もう充分「深町志緒」の人生は報われました』

『……報われた』

『はい。そやから最後のお願いです。どうか私に「高辻志緒」の人生も全うさせて下さい。迷って行き場を失ってる教え子と、他にも賽の河原でしんどい思いをしてる子らを世話させて下さい。あの子らを地蔵菩薩様の所へ送り出せたら、そしたら今度こそ、閻魔王様の審議に従って次の道に進もうと思てます。胸張って進めると思てます』

『俺は……もう用済みか?』

『そんなこと言うてません! 次の道がどこの道かは分かりませんけど、その更に先、生まれ変われるんやったら、またそこで会えたらええと思てます。また、あの小学校に来てくれたみたいに迎えに来てくれはったらええやないですか』

 そう言って笑った祖母に、祖父もくしゃりと顔を歪めた。

『それでまた……「どちらさんですやろ」言われんのか?』

『あれは……! いきなり名乗りもせんと「俺や」とか言わはるから! 今度会う時は、ちゃんと名乗って下さい!』

『そうか……そう言われると返す言葉もないな……』

 低い笑い声が少し震えていたのは、多分気のせいじゃないだろう。

 一度だけ俯いて――そうして祖父は、今度はしっかりと顔を上げた。
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