上 下
54 / 67
第十章 MOON

死の報復(4)

しおりを挟む
 実の妹と両親に見殺しにされた――。

 あまりと言えばあまりの境遇に、菜穂子は咄嗟に続ける言葉を失ってしまった。

『気のせいとか、何かの間違いとか、そう言う可能性は……』

 さすがにそう聞きたくもなってしまう。
 けれど、その僅かな望みをも砕くかの如く、八瀬青年は首を横に振った。

『生者の世界であればともかく、十王庁でそれは通用しません。秦広王筆頭補佐官から奪衣婆だつえばないし懸衣翁けんえおうを通して確認された、それが真実なんです』

『で、でもあのおじいさん――船井さんは、さっちゃんは戦後の食糧不足があって、食べられる雑草を探しに行ったところで、運悪く足を滑らせて増水していた川に落ちたらしいって……』

『ああ……あの子が死んだ経緯は聞いていたんですね。なら話が早い。ええ、それは間違ってはいません。だからこそ、姉が流された時に妹の頭の中に悪魔が囁いたんでしょう。このまま姉がいなくなれば、自分が口に出来る食事の量が増える――と』

『……っ⁉』

『そして多分、姉の方を積極的に探さなかった両親にも、同じ思いが頭の中をよぎったんでしょう。明日のかてもギリギリな中、これで一人分助かる、と』

『そんな……っ』

『正直、貴女が思うよりも終戦後の世の中に絶望している人間は多かった。玉音放送からポツダム宣言受諾を聴いて自決した大人がいたことも真実です。言いたくはありませんが、命の重みは今よりも遥かに軽かった。何なら僕も、病床に伏したからと言って手術はおろか、まともな薬すら手に出来なかった。僕は……いや、あの時代を経験した者は皆、おいそれと辰巳一家を責めることは出来ないんですよ』

 けれど、戦争を理由に全てが許されるかと言えば、それも話が違う。

 だからこその餓鬼道。
 奪った命への償いを――と。

『本人の資質、とがでの明らかな戦犯以外、戦争関係者を審議することは十王庁でも非常に気を遣います。より念入りな調査が行われますし、閻魔王様よりも後ろの王に審議がもつれこむこともままあります』

 祖父の審議も、そこに当てはまったと八瀬青年は教えてくれた。

『下級兵は命じられれば突撃するしかない。平時の法律では殺人は罪。それは遥か昔から変わらない。けれど自らの欲に溺れてその罪を犯す者と、そうせざるを得なかった者とが同じ扱いでいいのか。ある意味「お祖母様を待ちたい」と言う貴方のお祖父様の要望がここまで通ってきたのも、戦争関係者への恩赦の意味もあったのかも知れない』

 十人の王それぞれの真意など推し量ることは出来ないが、と八瀬青年はほろ苦く微笑わらった。

『そして辰巳一家も、三途の川を渡ってきた全員が、幸子を見殺しにしたことを認めた。そして生きていた間から、後悔を抱えて贖罪のための供養も参拝も欠かしてはいなかった』

『あ……だから亡くなった奥さんが鴨川の川べりで「さっちゃん」の唱歌を口ずさんでいたのを見たことがあるって、船井さんが……』

 幸子さっちゃんの妹である洋子が、いつ頃の話であるのかはともかくとしても、幻の四番を替え歌にしてまで歌っていたとするなら。

(歌を聞いて、あの世からお姉さんが自分を引きずり込みに来るのであれば、それでもいいと思っていた……?)

 荒唐無稽と、笑われても仕方がないのかも知れない。
 けれど辰巳一家が幸子さっちゃんにした仕打ちこそが真実とするならば。

 あながちそれは、間違ってはいない推測な気もした。

『なるほど……思ったよりもつっこんだ話をしていたんですね』

 菜穂子の表情を見た八瀬青年は、やや意外そうだった。

『えっと、おじいさん……じゃなくて、船井さんの方から、大体のところは』

 そう言って更に「さっちゃん」の四番以降の歌の話もしてみたところ、八瀬青年は、そちらは初耳だと言わんばかりの表情を垣間見せた。

『僕は聞いたことがない……でも、船井老人がそれを歌うようこを目撃してるんなら、かなり昔からその歌はあった……? いや、高辻先生がそんなおかしな歌を知ってて教えるはずもない……』

 八瀬青年の祖母への傾倒っぷりはなかなかのものだと思うけれど、普通に考えて小学校の教諭などと言う公職に就いていた者が、そんな出自不明の歌詞を子どもたちに披露すること自体がありえない。

 大体、あの手の替え歌はいつの間にか子供のあいだでのみ勝手に広まったりするものだ。

『替え歌なんて、子どもの遊びの延長で勝手に作られて、勝手に広まっていくもんやないです?』

『た、確かに……すみません、歌詞があまりに衝撃的過ぎて動揺しました。ですが貴女のその「幻の四番」にまつわる噂を信じて川べりで歌っていたという説は、僕でも納得がいきますね。ちょっとその……高辻先生への説明には困ってしまいますけど』

『え、でもその、さっちゃん以外の家族ののことは、もうおじいちゃんにもおばあちゃんにも伝えはったんですよね?』

『ええ、まあ……少なくとも貴女のお祖父様には「ようこを呼んでさちこを連れ出して貰う」案をいったん諦めて貰わないとならなくなりましたし』

 ただ、今は祖母はおろか祖父までもが、辰巳幸子さっちゃんが家族に見殺しにされたと言う事実に驚愕し、戸惑い、どうしていいか分からずにいるのだと言う。

『とは言え時間が無限にあるわけではないので、お二人をまた呼んできますね』

 そう言って、八瀬青年が扉の向こうに姿を隠す。

『…………弱ったな』

 どうしていいのか困り果てているのは、菜穂子とて同様だった。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~

喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。 庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。 そして18年。 おっさんの実力が白日の下に。 FランクダンジョンはSSSランクだった。 最初のザコ敵はアイアンスライム。 特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。 追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。 そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。 世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...