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第十章 MOON
死の報復(3)
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六道のなかでも苦しみの多いとされる地獄道、餓鬼道、畜生道をまとめて「三悪道」と言うらしいが、恐らくは誰にとっても想定外だったであろう「三悪道」の方に、辰巳幸子の妹さんはいたらしい。
『罪……』
あの喫茶店であった、おじいさんと孫の二人連れからは、亡くなった妻、あるいはおばあちゃんにそんな仄暗い過去があったような気配など、微塵も感じなかったのに。
呆然と立ち尽くす菜穂子をどう見たのか、八瀬青年は『正確には「餓鬼道」行きとなっていた』とも付け加えた。
『生前に強欲で物惜しみをした者や嫉妬から罪を犯した者なんかが主に送られるところではありますね。あと、賽の河原で地蔵菩薩様にすぐには救われなかった子どもが一時的に追いやられるところでもあったりします』
『……嫉妬』
もしかしたら、あのおじいさん絡みで何かあったんだろうか。
ついそう思ってしまったのが、もしかしたら表情に出たのかも知れない。
八瀬青年は、菜穂子のその思いを否定するかのように、緩々と首を横に振った。
『彼女の場合、成人となってから――船井洋子となってからの罪と言うのは、何ひとつないんですよ。むしろ、だからこそ、餓鬼道で留まったと言ってもいいくらいです。問題は結婚前、辰巳洋子としての時代にあった』
どうやら、聞きそびれたあのおじいさんとお孫さんの姓は「船井」さんらしい。
幼少の時点で命を落としている「さっちゃん」が「辰巳」幸子なんだから、その妹だと言う「洋子」さんは、結婚して船井姓に変わったということなんだろう。
『辰巳幸子の妹として生きていた頃と言うことですよね?』
『そうですね。これは、貴女にも遠いなりに辰巳幸子との縁が繋がったからこそ話すことではあるのですが』
菜穂子が、あのおじいさんと孫と出会ったからこその話。
あまりに真剣な八瀬青年の表情に、菜穂子の背も知らずピンと伸びていた。
『賽の河原に長く留まる子どもと言うのは、ほとんどが自分の意思とは関係なく命を落とした子ども、中でもとりわけ未練の多い子や親の未練に引きずられている子どもがほとんどです』
納得して死んだ子、あるいは既に前を向いて次の生を見ている子どもなどは、比較的早く地蔵菩薩によって救い上げられるらしい。
『辰巳幸子にしても、増水した川に転落しての溺死ということで、特に学校への未練が強く残って、今の状態になっていた』
あれだけ祖母にまとわりついて授業をせがんでいるくらいだ。さもありなんと、菜穂子も思わず頷く。
『ただ、何故「家」でも「家族」でもなく、学校だったのか。正直、受けたい授業――高辻先生をそれだけ慕っていたのだろう、くらいにしか僕は思っていなかった』
実際に教師としての祖母を誰よりも尊敬し、慕っていたのが八瀬青年なのだから、その解釈には疑問すら抱いていなかったのだろう。
ただ、今の八瀬青年の表情を見るに、どうやらそれだけではなかったらしいことが菜穂子にも察せられた。
『ああ、誤解しないで下さいね。高辻先生は素晴らしい先生でした。それは今でも断言出来ます。あの子の中にだって、先生の授業をもっと受けたかったと言う思いが、賽の河原に縛り付けられるほどに残っていた。それは間違いないんです。ただ……』
『ただ……?』
『理由が一つだけとは限らない。そのことに思い至れていなかった、僕が未熟だった』
苦い表情の八瀬青年を見ながら、ふと、菜穂子の脳裡に「別の理由」が浮かび上がった。
何故、と聞かれても困ってしまうのだが、本当に突拍子もなくその考えが口をついて出たのだ。
『さっちゃん……家にも家族にも執着していなかった……?』
家よりも学校が好きな子。
現代に至っても、そんな子は一定数存在している。
家に帰りたくないから出歩いていた。
家族と話をするよりも、学校で先生や友達と話したり遊んだりする方が楽しかった。
辰巳幸子自身は、果たして家族に可愛がられていたのか……?
考えてもいなかった。けれど充分にあり得る話。
思わず八瀬青年を凝視してしまったが、彼は菜穂子のそんな悲痛な思いを、笑って否定してくれたりはしなかった。
むしろ、肯定するかのように苦い笑みを浮かべたのだ。
『増水した川に転落したその時――あの子どもは、一人じゃなかった』
ドクン、と心臓が音を立てて跳ねあがった気がした。
『船井……いえ、辰巳洋子は、姉の幸子が川に転落したその時、近くにいたんですよ。近くにいた……にも関わらず、何もしなかった』
『……え?』
『何もしなかったんですよ。手を差し伸べることもなく、大人を呼びに行ったのも、流された姉の姿が見えなくなってからで――両親たちも、積極的にあの子を探そうとはしなかった』
思わず息を呑んだ菜穂子に、八瀬青年は更に残酷な真実を告げた。
『ええ。辰巳一家は長女である幸子を見殺しにしたんですよ。最も罪が重いのは、その場にいた洋子かも知れませんが、その状況に追い込んだ両親とて、罪の深さとしては大差はない』
『見殺し……』
『幸子以外の家族は、皆、餓鬼道です。洋子であろうと、その親であろうと、おいそれとは対面させられない境遇に置かれているんですよ』
辰巳幸子を賽の河原から引っ張りだして、次の段階に行かせると言うとっておきの案が――その瞬間、粉々になったような気がした。
『罪……』
あの喫茶店であった、おじいさんと孫の二人連れからは、亡くなった妻、あるいはおばあちゃんにそんな仄暗い過去があったような気配など、微塵も感じなかったのに。
呆然と立ち尽くす菜穂子をどう見たのか、八瀬青年は『正確には「餓鬼道」行きとなっていた』とも付け加えた。
『生前に強欲で物惜しみをした者や嫉妬から罪を犯した者なんかが主に送られるところではありますね。あと、賽の河原で地蔵菩薩様にすぐには救われなかった子どもが一時的に追いやられるところでもあったりします』
『……嫉妬』
もしかしたら、あのおじいさん絡みで何かあったんだろうか。
ついそう思ってしまったのが、もしかしたら表情に出たのかも知れない。
八瀬青年は、菜穂子のその思いを否定するかのように、緩々と首を横に振った。
『彼女の場合、成人となってから――船井洋子となってからの罪と言うのは、何ひとつないんですよ。むしろ、だからこそ、餓鬼道で留まったと言ってもいいくらいです。問題は結婚前、辰巳洋子としての時代にあった』
どうやら、聞きそびれたあのおじいさんとお孫さんの姓は「船井」さんらしい。
幼少の時点で命を落としている「さっちゃん」が「辰巳」幸子なんだから、その妹だと言う「洋子」さんは、結婚して船井姓に変わったということなんだろう。
『辰巳幸子の妹として生きていた頃と言うことですよね?』
『そうですね。これは、貴女にも遠いなりに辰巳幸子との縁が繋がったからこそ話すことではあるのですが』
菜穂子が、あのおじいさんと孫と出会ったからこその話。
あまりに真剣な八瀬青年の表情に、菜穂子の背も知らずピンと伸びていた。
『賽の河原に長く留まる子どもと言うのは、ほとんどが自分の意思とは関係なく命を落とした子ども、中でもとりわけ未練の多い子や親の未練に引きずられている子どもがほとんどです』
納得して死んだ子、あるいは既に前を向いて次の生を見ている子どもなどは、比較的早く地蔵菩薩によって救い上げられるらしい。
『辰巳幸子にしても、増水した川に転落しての溺死ということで、特に学校への未練が強く残って、今の状態になっていた』
あれだけ祖母にまとわりついて授業をせがんでいるくらいだ。さもありなんと、菜穂子も思わず頷く。
『ただ、何故「家」でも「家族」でもなく、学校だったのか。正直、受けたい授業――高辻先生をそれだけ慕っていたのだろう、くらいにしか僕は思っていなかった』
実際に教師としての祖母を誰よりも尊敬し、慕っていたのが八瀬青年なのだから、その解釈には疑問すら抱いていなかったのだろう。
ただ、今の八瀬青年の表情を見るに、どうやらそれだけではなかったらしいことが菜穂子にも察せられた。
『ああ、誤解しないで下さいね。高辻先生は素晴らしい先生でした。それは今でも断言出来ます。あの子の中にだって、先生の授業をもっと受けたかったと言う思いが、賽の河原に縛り付けられるほどに残っていた。それは間違いないんです。ただ……』
『ただ……?』
『理由が一つだけとは限らない。そのことに思い至れていなかった、僕が未熟だった』
苦い表情の八瀬青年を見ながら、ふと、菜穂子の脳裡に「別の理由」が浮かび上がった。
何故、と聞かれても困ってしまうのだが、本当に突拍子もなくその考えが口をついて出たのだ。
『さっちゃん……家にも家族にも執着していなかった……?』
家よりも学校が好きな子。
現代に至っても、そんな子は一定数存在している。
家に帰りたくないから出歩いていた。
家族と話をするよりも、学校で先生や友達と話したり遊んだりする方が楽しかった。
辰巳幸子自身は、果たして家族に可愛がられていたのか……?
考えてもいなかった。けれど充分にあり得る話。
思わず八瀬青年を凝視してしまったが、彼は菜穂子のそんな悲痛な思いを、笑って否定してくれたりはしなかった。
むしろ、肯定するかのように苦い笑みを浮かべたのだ。
『増水した川に転落したその時――あの子どもは、一人じゃなかった』
ドクン、と心臓が音を立てて跳ねあがった気がした。
『船井……いえ、辰巳洋子は、姉の幸子が川に転落したその時、近くにいたんですよ。近くにいた……にも関わらず、何もしなかった』
『……え?』
『何もしなかったんですよ。手を差し伸べることもなく、大人を呼びに行ったのも、流された姉の姿が見えなくなってからで――両親たちも、積極的にあの子を探そうとはしなかった』
思わず息を呑んだ菜穂子に、八瀬青年は更に残酷な真実を告げた。
『ええ。辰巳一家は長女である幸子を見殺しにしたんですよ。最も罪が重いのは、その場にいた洋子かも知れませんが、その状況に追い込んだ両親とて、罪の深さとしては大差はない』
『見殺し……』
『幸子以外の家族は、皆、餓鬼道です。洋子であろうと、その親であろうと、おいそれとは対面させられない境遇に置かれているんですよ』
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