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第九章 八月の長い夜
糠に釘、豆腐にかすがい(3)
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『んー……昨日な、辰巳幸子ちゃんの妹さんのダンナさんと孫いう人に会うてん』
それしか言いようのなかった菜穂子に、案の定祖父が『あ?』と、眉を顰めている。
『ガキンチョの妹のダンナと孫? なんや、遠いんか近いんか、よう分からんな』
祖父はどうやっても「がきんちょ」呼びを変えるつもりはないらしい。
隣で祖母の小さなため息が聞こえる。
(まあ、おじいちゃんやもんなぁ……)
らしいと言うか今更と言うか。
ため息をこぼすしかない祖母の心境も、菜穂子は分かる気がした。
『同姓同名の可能性は?』
そして八瀬青年の疑問ももっともと言うべきで、菜穂子は『うーん……』と、会話を思い返すように天井を見上げた。
『昨日私、京都芸術センターいう所に行ったんですよ。そこ、単に統廃合されて名前変わっただけで、廃校前の名前は明倫小学校。おばあちゃんがいた頃は、下京三番組小学校……は、古すぎるんかな。明倫尋常小学校とか、戦時中は明倫国民学校とか、そんなん? とにかく、そこでその話聞いたんですよ。なので同姓同名の他人の可能性はちょっと――』
しまったな、と話をしながら菜穂子は思った。
まさかこんな流れになるとは思っていなかったから、あのおじいさんやお孫さんの名前までは聞かなかったのだ。
多分祖母の教え子じゃないかということで、何とか「辰巳幸子」の名前だけ聞くことが出来た。
個人情報保護がどうのと言うこの時代に、それ以上をツッコんで聞く理由がどこにも見当たらなかったからだ。
『ああ、個人情報保護法でしたっけ。ここ二十年くらいの間に出来た法律ですよね』
そう言った菜穂子に、残念そうな表情を見せつつも、納得はいったと八瀬青年は頷いた。
『最近十王庁で裁判を受ける死者の中にも、やたらとそれを振りかざそうとする輩がいるんですよ。閻魔帳の存在そのものにケチをつけて、ゴネて裁判をうやむやにしようとする。あれは生者の世界の法律でしょうに。本当、困ったもんです』
『ははは……』
どこにでも、下手に聞きかじった知識を中途半端にひけらかして、周りを困らせる人間と言うのは一定数存在する。
学校やバイト先にさえいたくらいだ。
特に所謂「裁判所勤め」と言っていい八瀬青年なんかは、あれこれと苦労をしているのかも知れない。
『まあでも、確かにそれ以上根掘り葉掘り聞いたらタダの不審者でしょうから、仕方ない思いますよ』
『そやけど、それやったらそのおじいさんの方は、さっちゃんの義理の弟さんとそのお孫さんいうことになるんやねぇ?』
話に信憑性があると納得したのか、祖母は目を丸くして菜穂子に問いかけてきた。
菜穂子は『多分?』と首を傾げることしか出来なかったのだが。
『あ! でも、あのおじいさんもあの小学校の卒業生やて言うてはった! 肝心の妹さん――おじいさんの奥さんの方は違う小学校やて言うてはったけど』
『あら』
『ただ、終戦後に入学した言うような話やったから、どっちにしても、おばあちゃんも八瀬さんも知らん気がする』
『そうなんやねぇ……』
一瞬期待をしたのかも知れない。
菜穂子の返事に、ちょっとだけ残念そうな表情が祖母からは垣間見えた。
『確かに終戦後の入学言われたら、僕も知らんでしょうね。そもそも僕は疎開前にもう卒業してますから』
『ああ、そう言えばそうやったねぇ。八瀬君はあの頃から賢い子やったさかいに、将来が楽しみやったわ』
当時を思い起こしたのか、祖母が微かに口元をほころばせた。
褒められて嬉しそうな八瀬青年とは対照的に、祖父の方は「口がへの字」と言う表現がこれ以上もないくらいに当てはまっていた。
『そんなんやったら、別に無理に志緒に相手ささんでもええやないか。あのガキンチョの妹いうのは、どないしとるんや。もう充分ええ年齢なんと違うんか。もし三途の川渡っとんのやったら、迎えに来させたらどうやねん』
「「「‼」」」
そんな中、祖父が思いもしなかった変化球を投げて寄越してきた。
もしかすると、何の気なしに口をついて出た言葉なのかも知れない。
けれどそれは、今まで誰の頭にもなかったんだろう。
子どもの裁判は、大人と違うと聞いたばかりだ。多分八瀬青年にしても、勝手が違ったんだろう。
意外な提案を聞いたとばかりに、目を見開いていた。
それしか言いようのなかった菜穂子に、案の定祖父が『あ?』と、眉を顰めている。
『ガキンチョの妹のダンナと孫? なんや、遠いんか近いんか、よう分からんな』
祖父はどうやっても「がきんちょ」呼びを変えるつもりはないらしい。
隣で祖母の小さなため息が聞こえる。
(まあ、おじいちゃんやもんなぁ……)
らしいと言うか今更と言うか。
ため息をこぼすしかない祖母の心境も、菜穂子は分かる気がした。
『同姓同名の可能性は?』
そして八瀬青年の疑問ももっともと言うべきで、菜穂子は『うーん……』と、会話を思い返すように天井を見上げた。
『昨日私、京都芸術センターいう所に行ったんですよ。そこ、単に統廃合されて名前変わっただけで、廃校前の名前は明倫小学校。おばあちゃんがいた頃は、下京三番組小学校……は、古すぎるんかな。明倫尋常小学校とか、戦時中は明倫国民学校とか、そんなん? とにかく、そこでその話聞いたんですよ。なので同姓同名の他人の可能性はちょっと――』
しまったな、と話をしながら菜穂子は思った。
まさかこんな流れになるとは思っていなかったから、あのおじいさんやお孫さんの名前までは聞かなかったのだ。
多分祖母の教え子じゃないかということで、何とか「辰巳幸子」の名前だけ聞くことが出来た。
個人情報保護がどうのと言うこの時代に、それ以上をツッコんで聞く理由がどこにも見当たらなかったからだ。
『ああ、個人情報保護法でしたっけ。ここ二十年くらいの間に出来た法律ですよね』
そう言った菜穂子に、残念そうな表情を見せつつも、納得はいったと八瀬青年は頷いた。
『最近十王庁で裁判を受ける死者の中にも、やたらとそれを振りかざそうとする輩がいるんですよ。閻魔帳の存在そのものにケチをつけて、ゴネて裁判をうやむやにしようとする。あれは生者の世界の法律でしょうに。本当、困ったもんです』
『ははは……』
どこにでも、下手に聞きかじった知識を中途半端にひけらかして、周りを困らせる人間と言うのは一定数存在する。
学校やバイト先にさえいたくらいだ。
特に所謂「裁判所勤め」と言っていい八瀬青年なんかは、あれこれと苦労をしているのかも知れない。
『まあでも、確かにそれ以上根掘り葉掘り聞いたらタダの不審者でしょうから、仕方ない思いますよ』
『そやけど、それやったらそのおじいさんの方は、さっちゃんの義理の弟さんとそのお孫さんいうことになるんやねぇ?』
話に信憑性があると納得したのか、祖母は目を丸くして菜穂子に問いかけてきた。
菜穂子は『多分?』と首を傾げることしか出来なかったのだが。
『あ! でも、あのおじいさんもあの小学校の卒業生やて言うてはった! 肝心の妹さん――おじいさんの奥さんの方は違う小学校やて言うてはったけど』
『あら』
『ただ、終戦後に入学した言うような話やったから、どっちにしても、おばあちゃんも八瀬さんも知らん気がする』
『そうなんやねぇ……』
一瞬期待をしたのかも知れない。
菜穂子の返事に、ちょっとだけ残念そうな表情が祖母からは垣間見えた。
『確かに終戦後の入学言われたら、僕も知らんでしょうね。そもそも僕は疎開前にもう卒業してますから』
『ああ、そう言えばそうやったねぇ。八瀬君はあの頃から賢い子やったさかいに、将来が楽しみやったわ』
当時を思い起こしたのか、祖母が微かに口元をほころばせた。
褒められて嬉しそうな八瀬青年とは対照的に、祖父の方は「口がへの字」と言う表現がこれ以上もないくらいに当てはまっていた。
『そんなんやったら、別に無理に志緒に相手ささんでもええやないか。あのガキンチョの妹いうのは、どないしとるんや。もう充分ええ年齢なんと違うんか。もし三途の川渡っとんのやったら、迎えに来させたらどうやねん』
「「「‼」」」
そんな中、祖父が思いもしなかった変化球を投げて寄越してきた。
もしかすると、何の気なしに口をついて出た言葉なのかも知れない。
けれどそれは、今まで誰の頭にもなかったんだろう。
子どもの裁判は、大人と違うと聞いたばかりだ。多分八瀬青年にしても、勝手が違ったんだろう。
意外な提案を聞いたとばかりに、目を見開いていた。
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