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第九章 八月の長い夜
糠に釘、豆腐にかすがい(1)
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お盆の精霊迎えの時期に入ると、十王庁の官吏の側からは口出しが出来なくなると聞いた気がしたが、今は未だ八瀬青年が普通に菜穂子と話をして、祖父母と再度会わせようとしている。
聞けばその「手出し口出しが出来なくなる」期間と言うのは、魂が冥界を抜けて現世に渡ってから以降になるというのが正確なところのようで、今はまだ昨日と同様に、菜穂子の目の前に祖父母が呼ばれていた。
『おまえ……また来とんのか』
『本当に身体に影響ないんか? 帰れへんとか言わんといてや?』
部屋に入って来た祖父と祖母が、菜穂子を見て口々にそんなことを言う。
『うん、今のところは大丈夫――かな? 八瀬さんが責任もって何とかしてくれはると思うよ』
その言葉に、祖母は安心したように頷いているのに、祖父は目つきを鋭くして八瀬青年を睨んでいる。
どっちも「らしいな」と思って、思わず菜穂子は苦笑してしまった。
『そら、おじいちゃんとおばあちゃんがもめてるのを何とかしてくれんことには、私かて行ったり来たりになるよ』
『別にもめとらん。とっとと次の王に逢うて、裁判に並んだらいいだけのことやさかいにな』
『そやけどなぁ……』
きっぱりと言い切った祖父とは対照的に、祖母は困った表情を浮かべている。
(うん。それ「もめてる」言うと思うよ、おじいちゃん)
最初から場を拗らせるのは本意じゃないので、菜穂子もそこはグッと言葉を呑み込んでいたのだが。
『……せんせぇ! せんせぇ、どこぉ?』
「「「「!?」」」」
その時、部屋の中で言葉が途切れた瞬間を狙っていたかのように、扉の向こうから子どもの声が響いてきた。
『こら! そっちはダメだ!』
誰が言っているのかは分からないが、そんな声も洩れ聞こえてくる。
『……ちょっと扉が開いてましたか』
扉を見やった八瀬青年の表情は、ちょっと苦々しげだ。
多分、すぐに誰かに捕まったのかも知れない。
子どもがイヤイヤと首を振る姿が想像できるくらいに「いやー! せんせぇー!」と叫んでいる声も聞こえてくる。
『すみません、高辻先生。さすがにお孫さんと血縁関係のない子をこの場には呼べませんので、勘弁して貰えますか』
高辻先生、のところで祖父のこめかみがピクリと痙攣っていたけれど、ここは余計なツッコミを入れるところじゃないと思ったのかも知れない。
明らかに半目にはなっているものの、発言権は祖母に譲っているようだった。
『……ああ、そう言われればそうやねぇ』
祖母は多分「この部屋に入れてやってくれ」と言おうとしたのかも知れない。
表情がそんな風に見えるのだけれど、八瀬青年にそう言われてしまえば、反論のしようがなかったのかも知れない。
私を見ながら、それもそうかと自分に言い聞かせているようだった。
『……なんや、聞きしに勝る執着っぷりですね。なんなら、おじいちゃん以上かも知れへん』
私はと言えば、必死になって祖母を探しているっぽい子どもの声を聞いて、いっそ感心してしまった。
祖父が「おい」――などと、私にツッコミを入れているのは、あえて無視だ。
『あほ言うな、俺をあんな子供と一緒にすんな』
この場合の「アホ」は、決して菜穂子を叱っているわけでもなければ、馬鹿にしているわけでもない。
関西特有のノリ、会話の一部、口癖に近い形で会話のスパイス的に差し入れられると言った方がいいくらいだ。
菜穂子が生まれる前のTV番組で「アホ」と「バカ」が全国でどのように使われているのかを調べた企画があったとも聞く。
東京に行った直後くらいには「アホ」と同じ感覚で「バカ」を使うと痛い目にあうと、大学の先輩がこっそりと教えてくれた。
この場合は、ここにいるのは全員京都出身。
つまりは関西圏で「あほ」にさほど他人を馬鹿にする意図が含まれてはいないことを知っている文化圏の者たちばかりだ。
むしろ「ガキンチョ」の方に祖母が反応して「なんですの」と祖父を窘めているくらいだった。
『あんな小さい子どもつかまえて『ガキンチョ』って』
『いや、今そんな話はしとらんぞ』
『それも大事な話です。ガラの悪い。菜穂子にも悪影響やないですか』
『……っ』
さすがは元小学校教師。
完全に祖父が押し負けている空気を感じる。
とは言え、それ以上折れているようにも見えない。
なかなかに前途多難だ、と菜穂子はため息をつきたくなった。
聞けばその「手出し口出しが出来なくなる」期間と言うのは、魂が冥界を抜けて現世に渡ってから以降になるというのが正確なところのようで、今はまだ昨日と同様に、菜穂子の目の前に祖父母が呼ばれていた。
『おまえ……また来とんのか』
『本当に身体に影響ないんか? 帰れへんとか言わんといてや?』
部屋に入って来た祖父と祖母が、菜穂子を見て口々にそんなことを言う。
『うん、今のところは大丈夫――かな? 八瀬さんが責任もって何とかしてくれはると思うよ』
その言葉に、祖母は安心したように頷いているのに、祖父は目つきを鋭くして八瀬青年を睨んでいる。
どっちも「らしいな」と思って、思わず菜穂子は苦笑してしまった。
『そら、おじいちゃんとおばあちゃんがもめてるのを何とかしてくれんことには、私かて行ったり来たりになるよ』
『別にもめとらん。とっとと次の王に逢うて、裁判に並んだらいいだけのことやさかいにな』
『そやけどなぁ……』
きっぱりと言い切った祖父とは対照的に、祖母は困った表情を浮かべている。
(うん。それ「もめてる」言うと思うよ、おじいちゃん)
最初から場を拗らせるのは本意じゃないので、菜穂子もそこはグッと言葉を呑み込んでいたのだが。
『……せんせぇ! せんせぇ、どこぉ?』
「「「「!?」」」」
その時、部屋の中で言葉が途切れた瞬間を狙っていたかのように、扉の向こうから子どもの声が響いてきた。
『こら! そっちはダメだ!』
誰が言っているのかは分からないが、そんな声も洩れ聞こえてくる。
『……ちょっと扉が開いてましたか』
扉を見やった八瀬青年の表情は、ちょっと苦々しげだ。
多分、すぐに誰かに捕まったのかも知れない。
子どもがイヤイヤと首を振る姿が想像できるくらいに「いやー! せんせぇー!」と叫んでいる声も聞こえてくる。
『すみません、高辻先生。さすがにお孫さんと血縁関係のない子をこの場には呼べませんので、勘弁して貰えますか』
高辻先生、のところで祖父のこめかみがピクリと痙攣っていたけれど、ここは余計なツッコミを入れるところじゃないと思ったのかも知れない。
明らかに半目にはなっているものの、発言権は祖母に譲っているようだった。
『……ああ、そう言われればそうやねぇ』
祖母は多分「この部屋に入れてやってくれ」と言おうとしたのかも知れない。
表情がそんな風に見えるのだけれど、八瀬青年にそう言われてしまえば、反論のしようがなかったのかも知れない。
私を見ながら、それもそうかと自分に言い聞かせているようだった。
『……なんや、聞きしに勝る執着っぷりですね。なんなら、おじいちゃん以上かも知れへん』
私はと言えば、必死になって祖母を探しているっぽい子どもの声を聞いて、いっそ感心してしまった。
祖父が「おい」――などと、私にツッコミを入れているのは、あえて無視だ。
『あほ言うな、俺をあんな子供と一緒にすんな』
この場合の「アホ」は、決して菜穂子を叱っているわけでもなければ、馬鹿にしているわけでもない。
関西特有のノリ、会話の一部、口癖に近い形で会話のスパイス的に差し入れられると言った方がいいくらいだ。
菜穂子が生まれる前のTV番組で「アホ」と「バカ」が全国でどのように使われているのかを調べた企画があったとも聞く。
東京に行った直後くらいには「アホ」と同じ感覚で「バカ」を使うと痛い目にあうと、大学の先輩がこっそりと教えてくれた。
この場合は、ここにいるのは全員京都出身。
つまりは関西圏で「あほ」にさほど他人を馬鹿にする意図が含まれてはいないことを知っている文化圏の者たちばかりだ。
むしろ「ガキンチョ」の方に祖母が反応して「なんですの」と祖父を窘めているくらいだった。
『あんな小さい子どもつかまえて『ガキンチョ』って』
『いや、今そんな話はしとらんぞ』
『それも大事な話です。ガラの悪い。菜穂子にも悪影響やないですか』
『……っ』
さすがは元小学校教師。
完全に祖父が押し負けている空気を感じる。
とは言え、それ以上折れているようにも見えない。
なかなかに前途多難だ、と菜穂子はため息をつきたくなった。
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