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第一章 カミモホトケモ
安井の金比羅さん
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えらい素直やないの、などと言われたことには思わず反発をしてしまったが、菜穂子は結局8月に入ってすぐ、六道まいりの行事が始まる少し前に実家へと戻った。
一応、五山送り火が終わるまでは京都にいる予定で、バイトのシフトも調整をしてきた。
新幹線に乗っていると、祖母の最後に間に合わなかったトラウマが未だ胸を締め付ける。
だがこればかりは月日の経過を待つより仕方がないのかも知れない。日にち薬とは、よく言ったものだ。
月日の経過が薬の代わりになる。
そう言えば、発音以外に東京に行って通じなかった言い回しがいくつかあったのだが、この「日にち薬」も、そのひとつだった。
そのまま、薬を使わず時間が経つのに任せると言う意味ももちろんあるが、実際には、時間が心の傷を癒やしてくれる。そう言う精神的な意味合いでの使い方の方が日常的だった。
本当に、時間が心の傷を癒してくれるかどうかは分からない。
時間がたってゆっくりと想い出に変わっていくことを、そんな風に思っているのかも知れない。
何にせよ、分かっているのは今すぐにはこの、祖母のいない寂しさは心の中からは消えないと言うことだ。
「……うん。とりあえず、安井の金毘羅さんに行ってこよ」
もちろん、手伝えと言われたことは手伝うが、母がこぼす愚痴を聞くのにも限度がある。
菜緒子はかねてからの宣言通り「京の縁切り神社」へと出向くことにした。
正式には 安井金比羅宮。ただ、地元では「安井の金毘羅さん」の方が通りがいい。
ご祭神は崇徳天皇・源頼政公・大物主神。
歌人として名をはせたと言う源頼政公、道開きの神とされる大物主神もそこでは祀られているにも関わらず、偏に崇徳天皇の存在が、縁切り神社としての側面をクローズアップさせてしまっている気がする。
崇徳天皇、ならまだいいのかも知れない。
ただそれが崇徳「上皇」となると、一気に最強の怨霊と見做されて、漫画や小説の題材としての知名度を爆上げしてしまっている。
保元の乱に敗れ、隠岐配流となり、遂には怨霊となったと。
戦によって寵妃と別れざるを得なかった我が身を顧みて、 幸せな男女の縁を妨げる全ての悪縁を絶つ祈願所となった――本来はそんな謂れがあるにも関わらず「呪い」と「縁切り」の面だけが前面に出てしまっているのだ。
かく言う菜穂子も、後輩と二股をかけた挙句によくもフッてくれた元カレへの、恨み半分新たな縁結び半分で行こうとしているのだから、あまり世間のことを言えた義理ではない。
「あんた、本当に行くんかいな。喪中や、言うてんのに」
玄関で靴を履いていると、母から呆れたような声がかかった。
「お母さんかて、もう神社の鳥居くぐってるんやろ?」
そっけなく言い返すと、図星をさされた母は言葉に詰まっている。
お上人さんに慌てて電話で対応方を確認したと、自分で言っていたのだから、言い返せるわけがない。
菜穂子は、サッと靴をはいて立ち上がった。
「八百万の神様は寛大なんやろ? それに、鐘ついてお祖母ちゃんが帰って来はった時に『彼氏とキッパリ分かれて、安井の金毘羅さんで縁も切ってきたわ』って報告出来る方がいいと思うんやけど」
「屁理屈やろ、それ」
ほとんど反射的に母は言い返していたが、どうやらそれ以上は、何も出て来なかったようだ。
「……外は暑いさかいに、帽子か日傘か、ちゃんと持っていきよしや」
結局そう言って、ふいと背を向けただけで終わってしまった。
一応、五山送り火が終わるまでは京都にいる予定で、バイトのシフトも調整をしてきた。
新幹線に乗っていると、祖母の最後に間に合わなかったトラウマが未だ胸を締め付ける。
だがこればかりは月日の経過を待つより仕方がないのかも知れない。日にち薬とは、よく言ったものだ。
月日の経過が薬の代わりになる。
そう言えば、発音以外に東京に行って通じなかった言い回しがいくつかあったのだが、この「日にち薬」も、そのひとつだった。
そのまま、薬を使わず時間が経つのに任せると言う意味ももちろんあるが、実際には、時間が心の傷を癒やしてくれる。そう言う精神的な意味合いでの使い方の方が日常的だった。
本当に、時間が心の傷を癒してくれるかどうかは分からない。
時間がたってゆっくりと想い出に変わっていくことを、そんな風に思っているのかも知れない。
何にせよ、分かっているのは今すぐにはこの、祖母のいない寂しさは心の中からは消えないと言うことだ。
「……うん。とりあえず、安井の金毘羅さんに行ってこよ」
もちろん、手伝えと言われたことは手伝うが、母がこぼす愚痴を聞くのにも限度がある。
菜緒子はかねてからの宣言通り「京の縁切り神社」へと出向くことにした。
正式には 安井金比羅宮。ただ、地元では「安井の金毘羅さん」の方が通りがいい。
ご祭神は崇徳天皇・源頼政公・大物主神。
歌人として名をはせたと言う源頼政公、道開きの神とされる大物主神もそこでは祀られているにも関わらず、偏に崇徳天皇の存在が、縁切り神社としての側面をクローズアップさせてしまっている気がする。
崇徳天皇、ならまだいいのかも知れない。
ただそれが崇徳「上皇」となると、一気に最強の怨霊と見做されて、漫画や小説の題材としての知名度を爆上げしてしまっている。
保元の乱に敗れ、隠岐配流となり、遂には怨霊となったと。
戦によって寵妃と別れざるを得なかった我が身を顧みて、 幸せな男女の縁を妨げる全ての悪縁を絶つ祈願所となった――本来はそんな謂れがあるにも関わらず「呪い」と「縁切り」の面だけが前面に出てしまっているのだ。
かく言う菜穂子も、後輩と二股をかけた挙句によくもフッてくれた元カレへの、恨み半分新たな縁結び半分で行こうとしているのだから、あまり世間のことを言えた義理ではない。
「あんた、本当に行くんかいな。喪中や、言うてんのに」
玄関で靴を履いていると、母から呆れたような声がかかった。
「お母さんかて、もう神社の鳥居くぐってるんやろ?」
そっけなく言い返すと、図星をさされた母は言葉に詰まっている。
お上人さんに慌てて電話で対応方を確認したと、自分で言っていたのだから、言い返せるわけがない。
菜穂子は、サッと靴をはいて立ち上がった。
「八百万の神様は寛大なんやろ? それに、鐘ついてお祖母ちゃんが帰って来はった時に『彼氏とキッパリ分かれて、安井の金毘羅さんで縁も切ってきたわ』って報告出来る方がいいと思うんやけど」
「屁理屈やろ、それ」
ほとんど反射的に母は言い返していたが、どうやらそれ以上は、何も出て来なかったようだ。
「……外は暑いさかいに、帽子か日傘か、ちゃんと持っていきよしや」
結局そう言って、ふいと背を向けただけで終わってしまった。
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