【完結】前略、閻魔さま~六道さんで逢いましょう~

渡邊 香梨

文字の大きさ
上 下
2 / 67
序章 さいた さいた

夏の思ひ出

しおりを挟む
 少し前から、祖母は入院していた。

 お見舞いに帰った方がいいかと京都の母に尋ねたら、今はまだ帰らなくていいと言われた。

『八十歳過ぎてるんやさかい、そらどこなと弱ってくるわ。ちょっとしんどならはる都度たびに帰ってたら、あんたも色々もたへんやろ』

 大学進学の時にちょっと揉めたとは言え、母は母だ。

 娘の懐事情はよく分かっているとばかりにそう言って、病院に携帯電話を持っていっては、面会室で携帯越しに一言二言、祖母と話をさせてくれる――と言ったことを何度もしてくれた。

 だからなんとなく、京都に帰っているような気になっていた。

『もしもし、菜穂子か。あんた、機嫌ようしてるんか』

 元気か。
 そう言う意味をこめての、祖母の第一声はいつもそれだった。

 先生の授業は面白い。
 大学で彼氏が出来た。

 そんなことを、聞かれるたびに答えていた。

『そうか、そうか。機嫌ようしてるんやったら、そんでええ』

 そしていつも、最後はそう言って会話を終えていた。

 ただ、いつからか、そんな電話の後に母も決まって同じことを言うようになった。

『明日になったら、もう忘れてはるかも知れんわ。今度話す時にまたおんなじことを聞いたり言わはったりしても、言い返したらあかんえ?』

 優しく相槌を打て、と。

 聞けば小学校で先生をしていた頃の話、結婚前後の話なんかを、何度も何度も母にするようになったらしい。

『あぁ……結婚云々の話は、小さいころに聞いたことあるかも』

『おばあちゃん、子守りや言うて夏の縁側で喋りすぎて、あんたが脱水症状になってるの気が付いて無かったからな。そういう意味では、あんたも話の全部は覚えてないやろ』

 多分、幼心に「へえ!」とか「それで、それで?」とか喰い気味に聞いていたのがいけなかったのかも知れない。

 その時点で既に聞き飽きていたであろう父や母が塩対応だったのも想像に難くなく、結果として祖母は嬉々として話し続けて――孫は熱中症になっていたのだ。

『戦争でレイテ島から復員したおじいちゃんが、着の身着のまま、婚約してたおばあちゃんが働いてた小学校に迎えに行ったって言う話は覚えてるわ』



 ちょうど授業は終わっていて、小学生の子供たちはもうみんな下校していた時間だったらしい。
 祖父は校長先生に頼み込んで中に入れて貰い、教室から職員室に戻ろうとしていた祖母と廊下で出くわしたんだそうだ。

 今ならそもそも門の中にさえ入れないだろう。
 それに、入れたからと言って祖母のいる教室を教えたと言うのも、このご時世ではあり得ない。

 恐らく祖父の格好を見た当時の校長が「お国のため」戦ってきたであろう祖父に敬意を払って、そうしてくれたのだろうと今なら想像出来る。

『――どちらさんですやろ?』

 そして夕陽の影で姿が見えず、目を細めてそう誰何すいかした祖母に、祖父は答えたらしい。

『――俺や』

 と。
 まあ、今なら多くの女子が眉を顰めそうな態度と口調だが、終戦直後の時代には、それも許されたんだろう。

『俺や、言われましても……ああ、保護者の方ですか? 生徒さんは今日はもうみんな帰ら――』

『……っ! そやから! 俺や、言うてるやろ!』



 そんなやりとりが、当時あったらしい。それは、菜穂子の記憶にもある祖母の話だ。

 (いや、おじいちゃんツンデレか!) 

 と、成長してその話を思い出した時には、心の中で思わず叫んだくらいだ。

 菜緒子の記憶にある祖父は、あまり口数の多い方ではなかったからだ。
 定年まで区役所勤務、定年後も区役所の嘱託で宿直をしていたくらいに、生真面目を絵に描いたような人だった。

 祖母の話に脚色があるのかないのかは不明だ。
 母曰く、生前の祖父はその話が出始めたら、そっぽを向いてテレビのボリュームを上げて話をぶっちぎっていたらしいからだ。

本当ほんまのこと言うたら、もうちょっと先生してたかったんやけどなぁ』

 そんな祖母の苦笑いも、多分テレビの音で聞いていなかっただろう、と。

 まあだけど、復員してそのまま祖母に会いに行って、あっという間に結婚したと言うのだから、重めの愛があったことは間違いない。

『なんやかんや言うて、おばあちゃんも嬉しかったんやろうと思うわ。病院に行く都度たびに何回もその話をするんやさかい』

 赤紙招集されて、日本ではない遥か海の向こうに行かされて、帰ってこない可能性もあった婚約者。

 たくさんの記憶がこぼれ落ちて行っても、陽の沈む放課後、自分のところに戻って来てくれた祖父の姿は、いまだに祖母の脳裏に焼き付いているのだ。

『まだ、あんたやお母さんのことを覚えてはるだけでも有難いと思っておかなあかんのやろうな』

 電話の向こうの母に、返す言葉を菜穂子は持たなかった。

 そしてその日が、祖母の「機嫌ようしてるんやったら、そんでええ」と言う言葉を聞いた、最後の日になったのだ。



 その数日後には「おばあちゃん、もうあかんかも知れん」と言う母からの電話に、早朝叩き起こされることになったのだから。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

心の落とし物

緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも ・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ ) 〈本作の楽しみ方〉  本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。  知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。 〈あらすじ〉  〈心の落とし物〉はありませんか?  どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。  あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。  喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。  ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。  懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。 〈主人公と作中用語〉 ・添野由良(そえのゆら)  洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。 ・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉  人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。 ・〈探し人(さがしびと)〉  〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。 ・〈未練溜まり(みれんだまり)〉  忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。 ・〈分け御霊(わけみたま)〉  生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します

怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。 本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。 彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。 世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。 喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

私と継母の極めて平凡な日常

当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。 残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。 「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」 そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。 そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

処理中です...