【完結】前略、閻魔さま~六道さんで逢いましょう~

渡邊 香梨

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序章 さいた さいた

夏の思ひ出

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 少し前から、祖母は入院していた。

 お見舞いに帰った方がいいかと京都の母に尋ねたら、今はまだ帰らなくていいと言われた。

『八十歳過ぎてるんやさかい、そらどこなと弱ってくるわ。ちょっとしんどならはる都度たびに帰ってたら、あんたも色々もたへんやろ』

 大学進学の時にちょっと揉めたとは言え、母は母だ。

 娘の懐事情はよく分かっているとばかりにそう言って、病院に携帯電話を持っていっては、面会室で携帯越しに一言二言、祖母と話をさせてくれる――と言ったことを何度もしてくれた。

 だからなんとなく、京都に帰っているような気になっていた。

『もしもし、菜穂子か。あんた、機嫌ようしてるんか』

 元気か。
 そう言う意味をこめての、祖母の第一声はいつもそれだった。

 先生の授業は面白い。
 大学で彼氏が出来た。

 そんなことを、聞かれるたびに答えていた。

『そうか、そうか。機嫌ようしてるんやったら、そんでええ』

 そしていつも、最後はそう言って会話を終えていた。

 ただ、いつからか、そんな電話の後に母も決まって同じことを言うようになった。

『明日になったら、もう忘れてはるかも知れんわ。今度話す時にまたおんなじことを聞いたり言わはったりしても、言い返したらあかんえ?』

 優しく相槌を打て、と。

 聞けば小学校で先生をしていた頃の話、結婚前後の話なんかを、何度も何度も母にするようになったらしい。

『あぁ……結婚云々の話は、小さいころに聞いたことあるかも』

『おばあちゃん、子守りや言うて夏の縁側で喋りすぎて、あんたが脱水症状になってるの気が付いて無かったからな。そういう意味では、あんたも話の全部は覚えてないやろ』

 多分、幼心に「へえ!」とか「それで、それで?」とか喰い気味に聞いていたのがいけなかったのかも知れない。

 その時点で既に聞き飽きていたであろう父や母が塩対応だったのも想像に難くなく、結果として祖母は嬉々として話し続けて――孫は熱中症になっていたのだ。

『戦争でレイテ島から復員したおじいちゃんが、着の身着のまま、婚約してたおばあちゃんが働いてた小学校に迎えに行ったって言う話は覚えてるわ』



 ちょうど授業は終わっていて、小学生の子供たちはもうみんな下校していた時間だったらしい。
 祖父は校長先生に頼み込んで中に入れて貰い、教室から職員室に戻ろうとしていた祖母と廊下で出くわしたんだそうだ。

 今ならそもそも門の中にさえ入れないだろう。
 それに、入れたからと言って祖母のいる教室を教えたと言うのも、このご時世ではあり得ない。

 恐らく祖父の格好を見た当時の校長が「お国のため」戦ってきたであろう祖父に敬意を払って、そうしてくれたのだろうと今なら想像出来る。

『――どちらさんですやろ?』

 そして夕陽の影で姿が見えず、目を細めてそう誰何すいかした祖母に、祖父は答えたらしい。

『――俺や』

 と。
 まあ、今なら多くの女子が眉を顰めそうな態度と口調だが、終戦直後の時代には、それも許されたんだろう。

『俺や、言われましても……ああ、保護者の方ですか? 生徒さんは今日はもうみんな帰ら――』

『……っ! そやから! 俺や、言うてるやろ!』



 そんなやりとりが、当時あったらしい。それは、菜穂子の記憶にもある祖母の話だ。

 (いや、おじいちゃんツンデレか!) 

 と、成長してその話を思い出した時には、心の中で思わず叫んだくらいだ。

 菜緒子の記憶にある祖父は、あまり口数の多い方ではなかったからだ。
 定年まで区役所勤務、定年後も区役所の嘱託で宿直をしていたくらいに、生真面目を絵に描いたような人だった。

 祖母の話に脚色があるのかないのかは不明だ。
 母曰く、生前の祖父はその話が出始めたら、そっぽを向いてテレビのボリュームを上げて話をぶっちぎっていたらしいからだ。

本当ほんまのこと言うたら、もうちょっと先生してたかったんやけどなぁ』

 そんな祖母の苦笑いも、多分テレビの音で聞いていなかっただろう、と。

 まあだけど、復員してそのまま祖母に会いに行って、あっという間に結婚したと言うのだから、重めの愛があったことは間違いない。

『なんやかんや言うて、おばあちゃんも嬉しかったんやろうと思うわ。病院に行く都度たびに何回もその話をするんやさかい』

 赤紙招集されて、日本ではない遥か海の向こうに行かされて、帰ってこない可能性もあった婚約者。

 たくさんの記憶がこぼれ落ちて行っても、陽の沈む放課後、自分のところに戻って来てくれた祖父の姿は、いまだに祖母の脳裏に焼き付いているのだ。

『まだ、あんたやお母さんのことを覚えてはるだけでも有難いと思っておかなあかんのやろうな』

 電話の向こうの母に、返す言葉を菜穂子は持たなかった。

 そしてその日が、祖母の「機嫌ようしてるんやったら、そんでええ」と言う言葉を聞いた、最後の日になったのだ。



 その数日後には「おばあちゃん、もうあかんかも知れん」と言う母からの電話に、早朝叩き起こされることになったのだから。
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