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2週間の有給休暇か…。


手を繋ぐ若いカップルが、道の真ん中をノロノロ歩く俺を邪魔そうに追い越して行くのを見ながら思った。

本来であれば長い休暇を貰えたら、気分も晴れやかで足どりも軽くなるはずなのだが、重い足枷を足首に装着させられたかのような精神状態で喜べるはずがなかった。

別に休む事に罪悪感なんてありゃしない。
まして責任者の八木から、有給休暇を使うように直々に言われたわけなのだから。

俺の心配事はそれではなく有給明け後の高橋の去就だ。

八木は高橋の件は心配無用と言ってはいたが具体的に今後、高橋にどういった処分をくだすかキチンとした説明をしていない。

会社はスパッとヤツのクビを切るのか?

別の倉庫に飛ばすのか?

単なる配置転換で解決したとみなすのか?

いざ蓋を開けてみれば、責任逃れの無能な上司にありがちななどとしたり顔で言い、半ば強制的にその場で和解を命じられる可能性も決してなくはない。

そうなると、死神のような長い鎌を持った高橋に下から上まで舐め回すような目で睨まれながら、俺は顔面蒼白で握手を交わさなければいけなくなってしまう。

このような最悪なシナリオもないとは言いきれないはずだ。

俺は八木がそんな上司ではない事を祈る事しかできない。




薄暗い街並みを見渡すと前後左右、カップルだらけだった。

あれ?どうも雰囲気がおかしい、と思ったら俺はいつの間にやら帰り道ではなく華やかな通りを歩いていた。

考え事をしていると、たまにやらかしてしまう。

ここは殺風景で薄汚れた職場付近の景観とは違い、ディナーを楽しめる高級レストランもあれば、お洒落なBARもある。
なかでも、観光名所にもなっている港に面した公園は日中とは違いライトアップされておりカップルにとってはムード満点な為、最高のデートスポットだろう。


カップル達は流行のファッションでめかしこんで、静かな海を見ながら抱き合ったり見つめ合いながらおしゃべりをしている。

対して俺はどうだ?

大ピンチの連続で疲弊した心を夜風に晒して歩いている。
流行を追っかけている彼らとは違い、ヘルメットを被ったせいでペタンコの髪、ヨレヨレの服とファスナーがついた安物の作業用ズボンだ。

こんな場違いな身なりでは、明らかに周囲から浮いてしまう。
もし俺に彼女がいて、初デートにこんなダサイ身なりで現れたら、彼女はガッカリするはずだし恥をかかせてしまうだろう。

俯くとチャチなベルトが緩んで作業用ズボンがずり下がり腰パンのようになっていた。

そういえばアイツ(元カノ)、腰パン嫌いだったなあ…。

まだ社会人2年目の頃、新卒採用された会社で当時、付き合っていた元カノと初めての有給休暇をどう過ごすか相談していた。

結果、元カノと互いの誕生日を祝うという事で意見が一致した。

元カノはアバウトな俺とは違って抜かりなく入念にデートプランを考えてくれていたようだ。

俺の基本的な好みは把握していたが具体的にどこに行きたいか、どんな雰囲気が良いか、何を食べたいか、どうして欲しいかを誕生日が近づいてくるとこちらに知られないようにそれとなく尋ねてくる。

欲しい物は何かを遠回しに聞かれた時、「ありがとう。でも俺は申し訳ないから要らないよ。」と伝えたところ、一瞬、ニコッとした笑みが溢れたがサプライズがバレたらまずいと思ったようで、
元カノは「何を勘違いしてんの?あたしが買うわけないじゃん!」と俺の背中を笑いながら、バシバシひっぱたき2DKの狭いアパートを所狭しと小柄な身体で走り回っていた。


俺の為に元カノが練りに練って考えてくれた、2泊3日のデートは今までの人生の中で1番素晴らしい誕生日プレゼントになった。


まさに幸せの絶頂にいた。


あの頃は…。

そう、あの頃はね…。


俺は両手を作業用ズボンにつっこんで歩いていたが、みぞおちが痛みだしたのでポケットにつっこんでいた右手をみぞおちに添えた。


想い出というのは絆が深まって、かけがえのないものになればなるほど暖炉のように暖かく包み込んでもらえるものだが、別れてしまった今は冷んやりとした突き刺さるような痛みにも似た悲しみが後から込み上げてくる。

どうやら、みぞおち辺りがズキズキ痛むのは高橋だけのせいではないようだ。


こんな場所からさっさとして、いつもの見慣れた駅へ向かおう。
俺のように疲れ切ったヘロヘロのサラリーマンやブルーカラーの肉体労働者で今夜も溢れているはずだ。

今は過去を想起して苦しんでしまうこの場所から、"つまらない日常"に戻るべきだ。

この時間に駅に着けば、児童が使うような黄色の小さい傘をいつも持ち歩いているおっさんが、来たる"宇宙戦争"に備えろと警告している場面に遭遇できるはずだ。

今日に限っていえば、あのおっさんの話す"宇宙から銀河帝国人が侵略してきて地球人を奴隷にする話"に耳を傾けて聞いてもいい。


こっちの方が今の俺にお似合いだ。

もうあの日が戻ってくるわけでもない。

こんな場所にいるから"誕生日"を想い出してしまうんだ。

…誕生日?

みぞおちを押さえていた右手をポケットにつっこみ、スマホを取り出して日付を確認した。
可愛いハチワレが上目遣いで俺に甘えている写真の近くに、画面にデカデカと今日の日付が表示されている。


気づいた時、まるで他人事のような感覚だった。

そうか、今日は俺の誕生日だったのか。

元カノと別れてから誰にも祝って貰っていないし、メルマガなんて登録していないから送られてくるバースデーメールで気付く事もなかった。

自分が誕生日だと気づいた今、30歳になった事を思い知らされ恐怖すら感じる。

俺は思いえがいていた理想の30歳になれていない。

いや、それ以前に"一般的なオトナ"にさえなれていない事を悟ると、心の中では身体がみるみる膨れ上がり木っ端微塵に爆発していた。



世界中の誰もが知っている偉人のポジティヴな言葉も、大怪我を克服したアスリートの輝きも、戦争、紛争に巻き込まれた遠い国に住む子供達の希望も俺自身の心の中にある図書館の本棚には綺麗に並べられてあり自分が悩んだ時に、すぐ引っ張り出して彼らが経験して得た英知を自分なりに学び吸収するのだが悲惨な事に"心の図書館"は、どうやら血も涙もない独裁者が発射した核兵器によって全て根絶やしにされてしまったようだ。

何もない薄っぺらな30歳の男…。

俺を守る言葉が1つもない。

無駄に歳を重ね、深い傷口が剥き出しになってしまった。


さっきより痛みが増して、貫通してしまうくらいみぞおちが痛む。


俺に残ったのは痛みだけだった。














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