ザ・グレート・プリン

スーパー・ストロング・マカロン

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俺は職場に辿り着いた。
出入り口の自動ドアのセンサーは感度が悪いようでドアが開くまで少し待たなければならない。
今朝、悪臭を放つおばさんが乗った満員電車や例のクズ2人組よりもっと不愉快にさせられる場所に自ら足を踏み入れてしまった。
このまま自動ドアが開かなくてもいいのにとさえ思った。

俺は清掃が行きとどいていない細い廊下を歩き、会議室兼ロッカールームのドアを開けると同時に挨拶をした。
「おはようございます。」
普段より遅く出勤したので他のスタッフと遭遇しなかった。この時間は煙草を吸いに喫煙所にいるはずだ。

部屋のど真ん中に設置された75型のテレビが韓国ドラマを放送している。韓流の時代劇のようだ。
この光景もルーティンになっていた。
青いポロシャツを着た小太りで60歳過ぎの清掃員のおばさんが、こちらをチラッと見ただけで挨拶もろくにせずテレビ画面に目線を戻した。

ドラマに夢中のようで正面にあるテレビ画面の方向に、やや前傾姿勢で座っている。
だらしなく着こなしたポロシャツが捲れ寸胴の腰回りからベージュの下着が少し見えていた。

おばさんは韓国ドラマがCMに切り替わった時、仕方ないといった感じでリモコンを使い情報番組にチャンネルを合わせた。

俺は自分のロッカーを開けて上着だけを脱ぎ作業服に着替える。
ズボンは事前に自宅で履いてきており、この職場の会議室兼ロッカールームでズボンを履き替えることはない。
以前はズボンもここで履き替えていたがいつからか、この清掃のおばさんがテレビを観に現れるようになった為、俺はこちらでは上着だけしか着替えないようになった。

胸を強調したグラビア出身のタレントが司会者に名指しされ、不祥事を犯した若手俳優についてコメントを求められていた。

おばさんは「コイツかぁ~。お前なんかに何が分かるの~。」と言いながら右手で頭を掻きながら独り事を並べたて始めた。
「お前はバカなんだから、ものを言う資格なし!なんで局はこんなもんを使うの!?」とおばさんはだんだん強い口調になっていった。
グラビア出身のタレントは「未成年者にお酒を飲ませたあげく、酔って女性に暴行した行為は女性として許せません。ただ彼とはデビュー当時、ドラマで共演した事があるのですが、とってもフレンドリーで他の出演者やスタッフにも丁寧に接していたのを覚えています。
場の雰囲気を和ませる事が出来るし優しいお兄さん的な人だっただけに今回の事件を知って、すごく悲しかったしショックでした。」
おばさんは「お前も裏で何をしているか分かったもんじゃないよ。そんなだらしない服着て…。でかい胸揺らして男を誘ってるんじゃないのかい!?本当にだらしない女だ!」

グラビア出身のタレントは白いノースリーブを着てグラビア出身らしさが前面に出ており、まさに肉感的なボディだ。
以前は水着やランジェリー姿だけでなくボンテージや全裸に近い過激な写真集を発売していた。
このルックスとファッションでは主婦層のウケは良くないかもしれない。
しかしドラム缶のような体型をしたおばさんは仕事をサボりテレビに夢中になって、ベージュの下着をはみ出している。
そんな醜態を晒しているお前が他人にだらしないなんて言えないだろと俺は思った。

おばさんが一番風呂に入ったら浴槽からお湯が大量に溢れ出してしまうだろう。
次に入浴する家族には、どれくらいのお湯が残るのだろうか?

彼女のコメントのあと、司会者はこれ見よがしに眉間に皺を寄せて「はい…えー、あっ、たった今入ってきた情報によりますとこれから会見が行われる模様です。」と伝えた瞬間、おばさんはチャンネルを情報番組から韓流ドラマを放送している局に戻そうとした。
白い長テーブルに置いてあったガラケーをリモコンと勘違いして手に取っていた。

おばさんは恥ずかしそうに「ヤダ~これ、携帯じゃない。ヤダ~もう歳ね~。」
さっきとは違い少し甘ったれた声だった。
俺はとっくに着替えを済ませタイムカードを打刻してスタッフ専用の棚に入れていた。
ホワイトボードを見ると高橋の名前が付いたマグネットの横に"早番"と赤いマジックで殴り書きされていた。
高橋を意識しないように努めていたが、実際は奴をどうしても意識してしまう。

高橋はもう現場に出て働いているようだ。
俺は自分が出勤したことを証明する為、自分の名前の付いたプラスチック製の札をひっくり返した。

尿意を感じたので部屋を出てトイレに向かう。
スライド式のドアを開けると小さくて丸っこい人物とぶつかりそうになった。
小室だった。
小室はまるで静電気で指を感電したかのように伸ばしていた腕を瞬時に引っ込めた。

「お、おはようございます。きょ、今日はいつもより遅いですね。ね、寝坊ですか?」
「おはようございます。そうですね、寝坊です。」
俺は小室の質問に適当に答えた。

俺は小便器を使うつもりだったが、個室を選んだ。幸い誰も個室を使用していなかった。
小室は俺の後をついてきて、やたらと残業をするように勧めてくると思ったからだ。

案の定、小室は俺の後をついてきて残業について語ろうとしたが、すばやく個室に駆け込みドアを閉めた。

「さ、佐山さん、今日は忙しいですよ!い、いっぱい働いて稼ぎましょう。ざ、ざ、ざ残業出来て嬉しいですね!あひゃひゃ。」
俺はトイレの個室に入っているのにも関わらず、小室は残業について話しかけてきた。
ヤツは俺の上司でもないのに残業を強制してくる。
さほど忙しくなく定時で終われる日でもヤツは、わざと仕事を終わらせようとせずダラダラ仕事をしていた。
少しでも残業をして手当が欲しいのだろう。
入社した初日の昼休みに小室が俺に話しかけてきて一緒に社員食堂で食事をしないかと誘われた事があった。
小室は俺より2年早くこの職場で働いていた。
その時、ヤツは仕事上の話をしなければならないから連絡先を教えてほしいと言ってきた。
俺の向かいで座った小室は口の周りをカレーでベタベタに汚しながら俺の無料通話アプリの番号を聞いてきた。
俺は仕事上、必要なら仕方ないなと思い小室に自分の番号を教えてしまった。

これが大失敗だった。

休日だろうと深夜、早朝だろうとおかまいなしに残業をするようにと連絡が入る。
残業の話だけでなくヤツがファミレスで食事した写真や、そのファミレスで食事した代金が記載されたレシートの写真も添付して俺のスマホへ頻繁に送ってきた。
ファミレスのレシートを俺に見せて、いったい何の意味があるのだろうか?
小室は何かが大きくズレている事を一緒に働くようになってすぐに気づいた。

小室の問いかけに返事をせず、無言で便座に座った。
小室は「さ、佐山さん。日付けが変わるまで残業して、か、稼ぎましょう!」
ヤツの顔を見なくてもニヤニヤしながら話しているのが手にとるように分かる。

俺は残業をするのが決して嫌なのではなく小室の言いなりになるのが心底嫌だった。
小室としては1人で残業をすると体力的にしんどい。
しかし残業手当てが、どうしても欲しい。なぜならパチンコや風俗で使い込んだ借金があるからだ。
そこで俺を残業に巻き込もうとした。

こんなヤツに利用されたくないし、ずっと一緒にいるのは精神衛生上、大ダメージを被ってしまう。



何が日付けが変わるまで残業だ!クソ野郎め!


小室がスライド式のドアを閉める音がした。ようやくトイレから出て行ったようだ。

ベルトを緩めズボンとパンツをおろして便座に座った。
このままの人生でいいのだろうか?
「良いわけないよね…。」
消え入りそうな声で独り言を呟いた。

凍てついた職場の人間関係に比べて暖房機能のある温かい便座に座り自分の置かれた環境について考えていた。
通勤途中で出合った、時間に囚われずカフェに愛犬を連れコーヒーを楽しみながら春を満喫する人もいれば、生活する事さえ困難な毎日を送るホームレスもいる。
俺のように嫌なヤツから逃げて個室トイレに引き篭もる男もいる。
哲学者のように生きる意味を考えたりはしないが、こんな生活から抜け出すために今、自分が出来ることは何かと自問自答していた。
ポケットからスマホを取り出して時間を確認した。
トイレにいる時間だけで最良の答えなんか生まれるはずもなく俺は立ち上がりズボンを履いた。
そろそろ、現場に行かなくちゃ。

今日も一日が始まった。
























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