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ソラとウミの蒼い夜

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「こんなに誘っているのに私の事、無碍むげにして、ちっとも相手にしてくれない…。
さっき"愛してる"って言ってたくせに。」

下唇を噛んだソラはトボトボ窓際まで行き、カーテンを開けて例の壮大な景色を眺めている。

「はぁ。なんも思い出せねぇ。」

照明を消したウミは諦めてベッドにもぐり、やたら高い天井を見上げた。
脳内にあったはずの一部分の記憶が強制的に抜け落ちたような違和感が、ムズムズして気持ち悪い。

「ウミィ…。」

「あれ、おまえそんな所にいたのか?」

「そんなところって…アンタ、愛する妻が同じ空間にいるのに気づかないの?
人に期待を持たせておいて、手のひら返しをするわけ?
サイテー!もうウミなんか嫌い!」

握り拳を上下に振り下ろして怒りをあらわにする。

「ごめん!悪気はねぇんだよ。ずっと考え事をしてたから…。」

手を合わせてソラの隣まで行った。

「なぁ、許してくれよ。」

「…さっきまで倒れて寝込んでいたから特別に許してあげる。
今日だけよぉ。」

「ありがと…。」

許されてホッとしたせいか脱力した身体を窓にもたれた。

「ん、笑ってるのか?」

「ウミは私が家出してから、先に折れてお礼を言ったり謝るようになった気がする。」

クスッと笑うソラは両手で口元を隠した。

「そうか?輪っかの件は抵抗したぜ?」

「でも最後はトイレで私の言いなりになって謝っていたよぉ。
私がやり過ぎたのにね。」

「その話はもうやめてくれよ、ソラ。」

「ウミから手錠の話をしたんじゃない。」

「あぁ、そうだったな。ゴメン…。」

頭をガクンと下げて弱々しく言った。

「ほら、また謝ってる。」

「あ…。」

妻は無邪気に笑って夫の肩に顔をすり寄せた。

「ほんっとに可愛いわ。」

「そうかい?あはは…。」

ウミは人差し指で自分の耳たぶを引っ張っている。

「ねぇ…ウミィ。
見晴らしの良いここからなら、私達が学んだ学校や新婚生活を始めたアパートは見えるかな?」

皆が寝静まった蒼い夜、月の光に照らされたソラはロマンティックに語りかけた。

失った記憶を探るのを中断したウミは妻に向き合おうと意欲的に答えた。
夢の余韻がまだ残っていたのが大きい。

「ここからじゃあ、さすがに俺達が住んでいたネグラも学校も見えねぇよ。
でも、あの頃の事…決して忘れる事はない。
ギターをぶっ壊された悲しみとか、おまえん家でお世話になった日の事とか。
新横での一件とか…。
思い返してみれば、おまえが家出をするまで俺達、何があっても一緒で離れた事なんてなかったもんな。」

夜空へ呟くように答えたウミの瞳をソラは覗きこむ。
視線に気付いたウミは、もたれるようにやや斜め下から上目遣いで視線をおくるソラをゆっくり見つめた。

照れ臭くなり、ひとつ咳払いをしようかと迷ったが寸前でウミは思い止まった。
吸い込まれそうな瞳に今夜は逃げずに向き合っていたい。

「ウミィ…今はなにを考えているの?」

「これからの事。うん…そうだ、これからの事。
いや、過去を振り返りつつ、これからの事かな?
未来に向かって駆け抜けるには、止まる事なく刻まれていく今日が瞬間的に過去になる…。
だから、なんつーか…これは言葉の綾なんだ。ややこしくてごめん。」

甘えた表情のソラは不器用なウミの口から紡がれていく次の言葉を待ち遠しそうにしている。

「俺はおまえがいなくなって身に沁みたんだ。
おまえがいなきゃ、ロックもバンドもクソだ。
物事がこれっぽっちも上手くいかねぇし、つまない日々を狭いボロアパートで独り鬱々と過ごしていたよ。」

ぶっきらぼうであるが、素直でもあるウミ。
そんなウミの言葉は濁る事なき清流のようだとソラは思った。

ウミの借り物ではない言葉に、生きたまっすぐな気持ちに私も答えよう。
しかし自分の感情を言葉に乗せて伝えてしまえば、ウミはきっと私に合わせてしまう。
迷った末、ソラは黙る事を選んだ。

普段とはまったくもって異なる、上から垂れ下がってきたシャイで細い愛の糸を、手中に収めて放したくはなかったのだ。

時より微かに頷くだけのソラに若干不安になるものの、結婚後も変わらず奥手なウミは沈黙に耐えられず、続けて思いの丈を伝えた。

「ソラ?俺、夢の中で自分が死んじまったと思ったんだ。
あの世に逝けば、ガキの頃から崇拝すうはいしているロックスターに会える。それも悪くないかなって…。
そんな気持ちを抱いて自分を慰めている時、フッとおまえが現れたんだよ。
おまえを見ると…やっぱ俺、おまえを残して死にたくない。
まだおまえと一緒にいたい。
そんな気持ちが強くなってさ、。」

ソラは浴衣の帯を外して強引に肌を重ねる衝動を必死で鎮めた。
瞳、唇、指、腰の言いなりになんてなりたくない。
何物とも混じり合わない純度の高いウミの愛には夫婦でもプラトニックでいるべきだ。

ソラの気持ちが気になりはじめて、今度はウミが黙り込む。
怖さもあったが、返事を待っているのだ。

ソラはこれで終わらせたくなかった。

もう一度、あの言葉を言わせるまで。

寝言だったとは言い訳させない為に。

?」

愛するウミからの言葉を忘れているはずがない。
ここまで黙っていたソラはシラを切って、少し意地悪に振る舞った。

「わかるだろう?」

「わからないよぉ。」

ウミの喉仏が唾を飲み込んでいるのを見逃さなかった。

「今夜は私をこのまま放っておかないで…。」

震える胸の鼓動は嘘をつけない。
両肩を掴んだウミはソラを正面に向かせ、静かにゆっくりと伝えた。

「俺、ソラの事を愛している。
ずっとおまえを守っていきたい。その役目を俺にやらせてくれよ。」

「ウミィ…。」

涙声になったソラの声は、か細く、掠れている。

ソラはウミにキスをする。
濡れた唇をゆっくり離し見つめて言った。

「私は見られるのは嫌…。たとえ、それがお月様であろうがお星様でもね。」

厚手のカーテンを閉める。

再び心と身体を合わせて愛を語った。














































































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