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旦那様、帰宅はお早めに。

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「やっべぇ…もうこんな時間になっちまった。
連絡すんのすっかり忘れていたよ。
また、ソラのカンチョーを喰らうのかな…。」

軽トラックを駐車場に停めて重い足取りで砂利道を歩く。
とっぷりと日が暮れて、普段であれば就寝の時間であった。

ウミはアパートの玄関前に辿り着いたがドアを開けられずにいる。
どうしたものかと思案したが、このピンチを切り抜けるアイデアは何一つ生まれてこなかった。

「言い訳してもしゃーねぇもんな。
男らしく素直に謝ろう。」

ウミはステージに上がる時のように気合いを入れた。

ガチャ…
キィィ…

いつもより静かに玄関ドアを開ける。
まるで自分が頭に手拭いを巻いたステレオタイプの泥棒になった気分だった。

部屋のなかは真っ暗で外より暗く感じる。

「おかしいな…。
人がいる気配がまるでない。」

ウミはソラがどこにいるか不安になってきた。

キッチンから6畳の部屋に行き部屋の電気をつける。
布団が敷いてあるだけで、ソラの姿はなかった。

「ソラ…。おいソラ!」

不安になったウミはたまらず名前を呼んだ。

ガタン!

「あの時とおなじだ。また音がしやがる!」

ウミは音のする脱衣所へ向かっていく。

ギシ…ギシ…

脱衣所に向かうまでの間、騒がしい日中なら床の軋む音なんて気にもならないが、静寂に包まれた真夜中ではクリアに聞こえてきて不気味さをいっそう際立たせている。


浴室は明かりもなく暗い。
曇りガラスの引戸の向こうは見えず、
恐怖心を掻き立てる。
浴室の前で黙っているのが怖くなり再度ソラの名前を呼んだ。

「ソラ、ソラなんだろ?」

しかし返事はない。

「マジかよ。風呂場にいるのはソラじゃないのか?
黙っていないで返事くらいしろよ。」


またしても返事はなかった。

恐怖はあるが、いてもたってもいられなくなったウミは意を決して風呂場の電気をつけてから引戸を開けた。

誰もいない。

小窓の鍵はしっかり施錠されているし、シャンプーやボディーソープも整頓されている。
普段から部屋を綺麗にしている貴重面なソラのおかげだ。

残るはここしかない。

ウミは蓋がされている浴槽をジッと見つめる。

起きてほしくない最悪な予感が頭を過ぎる。
まさか、ここでイカれた奴に殺されてしまったわけではないよな。
それとも、俺の帰宅が遅いから精神的にオカシクなって自ら命を絶ったとか…。
いやいや、そんな事はまずあり得ない。

超が付くほどネガティブな考えを張り巡らせてしまったが、すぐ脳内からかき消した。

平静さを取り戻したウミは、心の中で"せーの"と言って風呂の蓋を浴槽から外した。


!?

なんと浴槽の中でソラはシュノーケルを着けて潜っていた。

ウミはソラを心配した自分を恥じた。

「おまえ…そこで何をしている…?」

「スーハ、スーハ。んふぁ?ねふれぇにゃくてもぶってらの。(眠れなくて潜ってたの。)」

「…それ外して風呂から出ろよ。」

「おふぉってにゅ?(怒ってる?)」

「早く出ろって言ってんだよ!このヤロー!」
堪忍袋の緒が切れてウミは怒鳴り出した。

ザバァッ!

ソラは浴槽から立ち上がると水族館のイルカやシャチが魅せるパフォーマンスのように水飛沫を飛ばした。

「冷めてぇぇぇ!おまえ、水風呂にはいってたんか!
どおりで湯気がないわけだ!
このバカタレ!!」


ソラはシュノーケルを外してタイルに叩きつけるとウミを睨んだ。

胸まである濡れた黒髪をかき上げて、額を出した。
肩にかかる髪も気になるようで、両手を使い背中側に流した。

「近所迷惑!
大きな声を出さないでよ!
今、何時だと思ってるのぉ?
第一、帰宅が遅い日は連絡するように言ったよね?
こんな時間まで奥さんを独りぼっちにして良いと思ってるわけ?
もちろん仕事もバンド活動も応援してるわよ。
帰りが遅くなってしまう時だってあるのは私も理解してる。
でも連絡するくらい簡単でしょ?
いっておくけどね、忘れたなんて最低だよ。
だって私の事を忘れていたのと同じなんだからね!
大切なライブの日をウミは忘れる?
エレキギターを忘れてステージに立つ?
忘れないよね~。絶対に忘れないよね~。
ねぇ、そうでしょウミくん?」

ソラは溜まっていたフラストレーションをウミにぶつけた。

ソラのたたみかけるような言葉のマシンガンによりウミは蜂の巣にされグロッキー状態になった。

「でもさ、なにもこんな時間にシュノーケルを着けて水風呂に入らなくてもいいんじゃないか…?」

弱々しく話すウミに対してソラは手加減なしに、また言い返す。

「ウミ!それはね、ウチにはエアコンがないからなの!
その程度さえ察する事ができない人が女心なんて永遠にわからないわ!
そもそも、真夏に窓さえ開けられないのよ。
ウミは車内や職場では空調がしっかり効いた場所でいるでしょ?
私はこの狭い空間で灼熱地獄なんだよ!
夜も暑くて眠れやしないんだから!」

ウミは手数の多い言葉のパンチを喰らいついにノックアウト。

「はぁ…はぁ…はぁ…。」

ソラも言葉のパンチの連打で攻め疲れを起こし肩で息をしている。

「ごめんよ。俺が悪かった…。」

「…反省した?」

「あぁ。」

「うわぁぁぁぁぁぁん、ごめんね。私も言い過ぎた。」

あれほど怒りをぶつけたソラが突然、泣きながらウミに抱きついた。

びしょ濡れのソラに抱きつかれて、ウミも濡れしまったが何も言わなかった。

「ふぅぅぅ。強く抱きしめてよ…。」

その言葉にウミはキュッとくびれた腰に手を回した。
抱き合いながらソラがウミの肩に顎をのせて耳元で小さく呟く。

「私の事、心配した?」

「うん。そりゃな。
こんな事、初めてだったしさ。
おまえに何かあったらどうしようかと思ったよ。
でも、冷静になろうと頭を切り替えたね。
これからもおまえを守らなきゃならないのに、動揺ばかりしてられないからな。」

ウミは帰宅したばかりの時の心境を包み隠さず素直に話した。

ソラはよほど嬉しかったようで、頬や唇に何度も熱いキスをした。
同時にソラはウミの尻を平手で叩いたり少し強く握ったりもした。

シャワーのヘッドから僅かに水滴が落ちて水が溜まった洗面器に一定の間隔でポチャリと落ちる。
先ほどとは同じ場所とは思えないほどの静けさだ。
この新婚夫婦にとって今日まで一緒に暮らせど、時間によるすれ違いもあったのだ。

今こうして、穏やかに抱き合う時間を互いに共有している。




ソラの身体が冷えきっているのを察してウミは温かいシャワーをかけてあげている。

「女心を察する事ができないって言ってごめんね…ウミ。」

「気にしないでくれ。
おまえの言うとおりだよ。
それは大丈夫なんだけどさ、ひとつ質問をしていいか?」

肩や胸、背中にお湯をかけてあげながら疑問を投げかけた。

「なぁに?」

「あぁ、なぜに風呂場で水着を着てるんだろうと思って。」

胸から太もも、太ももから胸と視線を上下に動かした。

「あっ!これね!
もし今後、ウミとプールに行く事があれば着ていく水着はどれがいいか、実際に肌に合わせてみたの。
実家から持ってきていたのを思い出したのよね。
今着ているのは黒のビキニ!どう?大人っぽくない?
体型も去年から変わってないわ。」

ソラは中腰になってポーズを決めた。

黒いトップスに収まったマシュマロのような乳房は水滴がついてセクシーさが際立っている。

「後はフリルが付いた白のビキニとピンクの紐のやつ。
スク水も入れたら、30着!
今から全部着てウミにどれが似合うか聞きたかったのぉ。」

「あの~ソラ?
申し訳ないのだが疲れてしまったよ。そろそろ寝かせてくれないか…。」

消耗しているウミは死んだような青白い顔で呟いた。

「はぁ?疲れた?
そんな失礼な事、普通は口が裂けても言えないはずよ。
またカンチョーされたいのかしら?」


空が白み始める頃まで、水着選びは続いた。

























































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