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しおりを挟む香奈とカオルが、高校生の少女と大学生の青年だった時。
作画と原案を分けて作業する2人は、1人の編集長を前に、緊張している様子だった。
とある出版社の新人漫画家の持ち込みを対応するオフィスだった。
2人の来訪は初めてでは無い。
何回経験してもこの時間に慣れる事はないのだろうと息を呑んだ2人に対し、場馴れした編集はお決まりの自己紹介で『伊東』と名乗り、ため息をこぼした。
「やっぱり……駄目、ですかね?」
「僕の考えた話がですか!? 彼女の……香奈の作画が問題なら、僕が急かしたのが原因なんです!」
「いや、大丈夫。言われた事しっかりやって来てるし、駄目じゃ無いよ。2人の描きたいって情熱は伝わってくる。技術も申し分ない」
「じゃあ、これを審査に回して貰えますか!?」
「君達がどうしたいかだねぇ」
「お願いします! 本にするのが目標なんです!」
「目標、ねえ……何度も言ってるけどさあ。世の中にこの作品を出したとして、君達はこの作品を知って欲しいのか、君達の存在を知って欲しいのか。
……それがわからないと、話が進められないんだよ」
聞き覚えのある内容を、言い回しを変えて何度も言われて来た。
ーーそんな事、どうでも良い。とにかく本にしたかった。
『随分尖った漫画、書いて来たね』
初めての持ち込みで、編集ははっきりそう言った。
当時から彼らの目標は本の発行だった。
若い二人を見て最初に言ったのは、今のネットの普及に関してだった。
自分の意思で自由に投稿、公開出来る環境が存在している現代に。
何故“出版社”まで来たのか。
ーー何故、わざわざ。
遊び盛りの子供の2人が、この業界に首を突っ込んだのか?
ネット上である程度の人気と結果が確保出来た2人の作品は、広告収入から稼ぎが発生していた。
そこに目をつけたここの出版社で、雑誌での連載を持ちかけるも、連載となると別の作品の用意を依頼。
それを断ったのがこの2人だった。
ネットで支持を受けたそれは、テーマのディープさを売りに一部の読者の間で注目を浴びた物だった。
商業誌に載せる以上、売れなければ困る。
人気のある漫画雑誌は読者が多い分、作品人気はベテラン作家による1作品が飛び抜けていてば御の字。
全てが最高に面白い必要はない。他は程よく読める作品であれば十分だ。
程よい個性をプラスした『万人受け』を求められる。
無名の新人に尖った作品を描かせられる程の余裕がある出版社は、この世に存在しないと言っても過言では無い。
実力とやる気は認めた。
自分の描きたい物が描けなくなる可能性を、伊東は2人に何度と言い聞かせて来た。
「審査に回すとなった時、私は君達に売れる作品にする為のアドバイスする必要がある。設定やストーリーの変更の依頼だ。
私の仕事は漫画の描き方を教える事じゃ無い。売れる漫画へ編集する事だ。わかるね?」
「本に出来るなら、それでも構いません!」
ーーまた、兄貴だけが返事。いつもこうだ。
「ストーリーを考えたのが……お兄さんの芳君だったよね? 君が良いと言ってもねぇ。
私には、作画担当の香奈さんが、そう思っている様には見えないけど?」
「そ、それは!!」
「作品を作成するのに集中させてくれるのが、仕事にするメリットだ。時間、お金、環境はそれに集中出来る。
その代わり。自由が無くなり制限が発生するのが、仕事なんだ」
「……私も、大丈夫です!」
ーー珍しい。作画のKOUNA先生……妹さんが喋った。本気、か?
「何が、大丈夫なんですか?」
「伊東さんは、私達の描きたい物を細かく確認しながら、ここまで描かせてくれました! 設定変更も、今後話し合って行けば……」
ーーああ。なるほど。
「画力、ストーリー展開は確実に良くなったからね。高確率で審査は通るよ」
「「よろしくお願いします!!」」
「……仮に、審査が通ったとして。今のこの原稿には、確実に決まっている変更点がある」
「どこですか!? 変更した原稿の方が良いなら、変更した物を後日持ってーー」
ーーここまで、か。
伊東は何かを悟ったのか、カオルの発言を最後まで聞く事は無かった。
今まで聞き手に徹して、発言は最後まで待ってくれた大人が不機嫌さを露にして、遮る様に口にした。
「主人公が死ぬエンディングは、通らない。変更だ」
「え? そ、それが、この作品のテーマなんですよ!?」
「君達が考えたこれは、正義から悪に染まってしまったキャラクターとはわけが違う。
爽快感皆無、メリットの無いメインキャラの死。
ましてや主人公の死は、商業において新人の手の出して良いリスクじゃ無い!」
「そんな……じゃあ、何でアドバイスしたんですか?」
「……読者としての、私情があった。読みたいと思ってしまった事は認め、謝罪したいと思う。すまなかった。実力がある君達に、諦めろと言いたく無かった」
「でも、どうしたら……」
「だから君達が選ぶんだ。2択、用意して来た」
▼このまま本発行の目標実現を優先し、出版社を間に入れて作品を書き上げるか。
▼自費出版。ここを忘れて、費用を自分で負担し、本を出す。
「自費出版、ですか。そんな事出来たんですね……知らなかった」
「本にする事でその目標が達成するなら、自費出版も悪く無い。でも、君達が本の発行にこだわる真の理由が何か、もう一度考えて直して欲しい」
「真の……理由」
「何度か聞いて来たつもりだけど……君達、言わないから。香奈さんは特にね。
私は君達がどちらを選んだとしても応援する。約束するよ」
握手を交わし、互いに頭を下げて、その場を後にした。
「この後どうする?」とカオルの問いかけも虚しく、香奈はうなづきはするも返答は無かった。
打ち合わせ中に一度、香奈が自分の意思を発言した以降は口を開こうとさえしなかったが、建物が見えなくなると口を開いた。
その声は震え、涙もこぼした。
「カオルは……どうしたい?」
「伊東さんと、作った方が良いと思う」
「それは本当に木村芳の意思なの? 村木薫としての、プライドじゃ無いの!?」
「ネットでバズらせてもこれが限界だったんだぞ!? このままじゃ、六十里には絶対届かない!」
ーー村木薫。
漫画が完成し、ネットでの公開を決めた時。投稿者の名前として記載する際、薫の変換が最初に来た事をきっかけに、使い始めた名前だった。
香奈から言われた、「芳の漢字は読み難い」と言う指摘も後押しし、作家名としても使う様になった。
香奈は趣味の活動で昔から使い馴染んでいた『KOUNA』を名乗る。
他との差別化を図り、本名をもじった『村木薫』が完成形となった。
2人にとって、本発行を目標にしている真の理由。
ーー六十里花美に気付いて貰い、連絡を取って、謝罪をしたかった。
******
六十里が飛び出したあの時。2人は違う目的を持って、同じ行動にでた。
ーー罪悪感と彼女のプライバシーの死守をしようとバインダーを回収に向かった香奈。ー
ーーそれに対しカオルは、湧き上がる興味を抑え切れずにバインダーを回収に向かう。
ほぼ同時にゴミ箱に手を伸ばすも、一歩早かったのは香奈だった。
しかし、バインダーを目前に、香奈は停止した。
それに構わずカオルは手を伸ばし、バインダーに手をかけようとするも、壁の様な存在に激突し、突き指の痛みに襲われる。
あまりの痛みに勢いよく腕を引き戻すが、その手は香奈の顔をはたいてしまうも、感触には違和感があった。
「痛っ……ごめっ……ん? おい、香奈?」
先程触れたのは、紛れもない香奈の頬だった……はず。
再度触れるも、まるで石像の様に硬い頬だった。
停止するにはキツそうな体制で、動かない。
香奈だけじゃ無い。壁かと思ったそれは、ゴミ箱に設置されたビニール袋だった。その中に佇むバインダーは、底に張り付いたかの様に動かなかった。
カオル達の居た図書室で動いていた物と言えば、自分達以外には時計位しか無かったが、その秒針が止まっていた。
この時計が元々動いていたのかの記憶は曖昧で、部屋を出て確認しようにも足が床に張り付いたかの様に、動かない。
「香奈! 聞こえてるんなら返事しろ、おい!」
香奈の肩を掴むが、制服の布の感触はなかった。
冷たくもなく、暖かくも無い。
力を込め揺さぶろうとするも、びくともしなかった。
ゴミ箱に手を伸ばし、少し前屈みになる香奈の顔を覗き込もうとするも、カオルも足が床から動かない為、バランスが取り辛い。
顔と顔が触れてしまいそうなほどの距離から見た香奈の顔。その瞳から一筋の涙が溢れ、顔を伝っていた事に気付いた。その延長線上には、透明で不恰好な粒が宙に浮いていた。
「嘘……だろ? 香奈、良い加減にしろって、おい!」
顔をこれだけ近付けても、声を上げても反応すら無く、停止したままの香奈。
カオルの全体重を受けているゴミ箱は、本来こんな頑丈さは存在しないのにも関わらず、軋む様子すらない。
体を支えていた手首は疲れ、限界感じ始めていた。
カオルは、自らの意思でバランスを崩す事を決める。
苦悩を浮かべた香奈の唇は、強く閉ざされていた。
その唇に自分の唇を重ねる。
らしく無い硬い感触に、熱の籠った自分のそれが重なる。
ーー凍った様に動かない相手を、溶かせるのでは無いか?
……まるで、お伽話の呪いの様なこの状況から、脱出出来るのでは無いだろうか。
願いも虚しく、香奈の唇はカオルの唇が離れるその時も、異様な状態から変化は無かった。
ーーお願いだ。元に戻ってくれ……!
ガ、ガガガッ、カッターーンッ!……。
2人の勢いと体重に耐えきれなかったゴミ箱が、軽い音を立てて倒れた。
疲労感の残るカオルは起き上がれなかったが、香奈は素早く起き上がると、ゴミ箱から溢れ出たゴミと、そうで無い物と区別しながらかき集める。
手伝おうとしたカオルを遮り、香奈はカオルを睨み付けながらバインダーを抱えた。
「ご、ごめん……」
「わからないからってさ!? ……助けてくれって言って来た子に、好きに書けって。馬鹿じゃ無いの!? 信じられない!」
「ええ……?! あ、ああ……ごめん」
「何そのパッとしない返事! 何もわかって無い癖に……謝んなよ、馬鹿」
ーーばれて無い、のか? それとも、夢?
敗れたメモ、バラついたルーズリーフ。
手際良く纏めたそれらを全て抱え、香奈は六十里を追って図書室出口に向かう。
「待てって!」
「着いて来ないで!!」
【ーーーーーーーー】
「…………って。あ、あれ!?」
怒鳴り付けたかと思えば、香奈は間抜けな声を漏らした。抱えていたバインダーを落とし、再び床にばら撒いていた。
「何やってんだよ……ったく」
「今、時間が。止まったの」
「え? 止まった、って」
「本当なの! 動こうとしても、動けなくて。バインダーから手離したら、宙に浮いたまま動かせなくなったの!!」
再びそれらをかき集め、見覚えのあった一枚の紙に目が止まる。
そこに書かれた文字を見て、思わず手も止まる。
『時を止める事ができる少女。ーー寿命は減り続ける』
「カオル、これ……」
ーー今の現象の正体は、“これ”なのか!?
「使い方なんてわからないが……とにかく、『止めよう』と願うな!」
「で、でも。今、私使っちゃって……」
「多分、お前が使った直前に……俺も、使ってると思う」
「な、何で言ってくれなかったの!?」
「こんなの咄嗟に信じられるかよ!? 取り敢えずこれ、全部読むぞ。話はそれからだ」
時を止めることが出来る少女。全てが止まった空間に行けるだけで、スーパーヒーローにはなれない。
ーー何も出来ない少女。
まわりの時間が止まっている間も、彼女の時間は流れる。
ーー寿命は減り続ける。
・神様みたいな存在から、お告げがある。
・その場から動けない。自分以外に干渉出来ない。
・着ている服は動かせるが、時を戻すとボロボロになってしまう。
・能力を使った時間分が、運命の人と出会ってから先の寿命になる。
・空間に長時間いる事は困難で、怖くてあまり使えない。
・使った時間は手首の時計の刺青を触るとわかる。
・花火が使った能力は、1日分以下にしかならなかった。
・出会ってすぐ、死んでしまう。
ーー彼方此方に散らばった、関係ありそうな設定を出来る限り拾い集めた。
「なんだよこの設定! 説明不足で、あやふやにも程があるだろ!?」
「当たり前でしょ!! 正真正銘のど素人なのよ?……初めて、手探りで、頑張ってたんじゃない」
「クソッ!!!」
ーー『出会ってすぐ死んでしまう』……って、誰がだよっ!
1番重要な情報さえ書き逃す。その取るに足らなさに腹が立った。仕方ないと思いつつも、『すぐ死んでしまう』という誰かが確定していない以上、死ぬのは自分では無い僅かな可能性が生まれた事に、安堵もしていた。
「神様みたい、とか。運命の人、とか。手首の刺青……ここら辺の設定について、なんも無いからわからないな」
なんとなしに自分の手首を見ると、カオルの手首には時計の絵の刺青が、くっきり浮かび上がっていた。
「う、うわあああっ!! う、嘘だろ!?」
「ど、どうしたのよ??」
「これ、見てくれ!!」
「……な、何? 不健康そうな白い腕見せつけられても、困るんだけど」
「お前、これ……刺青、見えないのか?! お前の手首見せろ!」
「ええ、良いけど……う、うわあっ! な、何よこれ」
「俺には、香奈の手首はなんの変哲もない手首にしか見えてない。自分の分しか、見えないんだ」
擦っても消える気配は無く、刺青ごとつねってみるが、皮膚と一緒に絵柄は歪み、痛みがある。
ーークソッ。幻覚でも、夢でもない。
カオルは制服の袖口を少し力を入れて引っ張ってみると、ビリッと音を立てて千切れた。香奈の制服も同様に引っ張ってみるが、破れはしないものの、糸がほつれる。
ーー衣服の急速な劣化も、設定通りか。
「刺青の時計の針、なぞってみせてくれるか?」
「う、うん」
見えない時計の針をなぞる。一回。針が一本しかないのは二人共同様だった。ほとんど頂点を指した状態の香奈の針に対し、カオルの時計の針は、ほんのわずかではあるが、角度がついていた。
「お前、時間止めたのって一瞬か? その間、何かしなかったのか?」
「何かって。ほとんど何も出来ないし、怖かったから、すぐ戻れって願ってた!
一瞬って程でも無いのかも……でも、1分も経ってないと思う」
「そう…か。」
香奈は、能力自体に恐怖を感じていた。カオルは、戻らない現状に気付いてやっと、恐怖を感じた。
同じ能力かもわからない現状で、既にここまで違いが出てしまっている。
ーー厄介だな。確定事項が、少なすぎる。
「神様が……罰を与えたのよ。ハナビちゃんを傷付けた、罰よ」
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「私は……もう、使わない。運命の人がカオルで、単純な時間換算なら、もうとっくに私は死んでる。これ以上、使ったら駄目なんだよ」
「設定の曖昧な部分が、今の現状を作ってくれているのかも知れない。俺達で、完成させよう!」
「……はぁ!? 何言ってんの!!」
「六十里が気付いて無いのか、隠してるのか。確かめ用がないけど。六十里も、この能力を持っている可能性が高い! 俺達が責任を持って、助けるべきだ!」
「責任って。助けるって……」
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ーー香奈の大好きな自己犠牲。六十里とそっくりだ。だから、惹かれあったのか?
面倒臭いのに。それでもなお、愛おしく感じてしまうこの感情。突き離せないどころか、引き寄せられるこの魅力の正体は、なんなのだろうか。
その後、条件や法則を見つける為に、カオルは能力を多様し、香奈は能力を極力使わないようにした。
『運命の人に出会う』と言う条件は、『見つる・出会う』と2段階があると仮説を置き、能力の発動時に2人は勿論、それ以外の人間が接触出来ない空間での使用を徹底した。
能力効果による結末に、抗いたかった。六十里の考えた設定と矛盾が生じない事を最優先しながら完成させた。
それを作品にしたのが【 花火、消えるその日まで。】だ。
ネットで公開後、無名の小説家志望の作品は伸びが悪く、それに漫画家志望の香奈が絵を付けた。
扉絵一枚で反応が変わった。更に挿絵をつけ、『バズり』の気配を感じ、さらに漫画にした時、倍以上の人間の目に触れ、その中には出版社もあった。
***
ーーそれが、伊東との出会い。
編集として接し続けてくれたが、そこには隠しきれない一読者としての情熱があった。
それに薄々気付いていた2人は、忘れかけていた創作者としての情熱を刺激された。
しかし。現実を突きつけられると同時に、目的を思い出したのだ。
ーーこのまま本発行の目標実現を優先し、出版社を間に入れて作品を書き上げるか。
ーー自費出版。ここを忘れて、費用を自分で負担し、本を出す。
この2つの選択を迫られるも、2人は何方も選ばなかった。
どちらを選んだ所で、ネットでの公開と何ら変わらない。
六十里まで届く未来が、想像出来なかったからだ。
香奈は、頑なにエンディング変更は受け入れなかった。
カオルは、自費出版をするにしても、今では無い。そう確信を持った。
カオルは、説得力の強化と、小説を書く上で必要な技術習得の為に。あらゆる本を読んだ。
ページをめくっては時間を止め、読み終わったら解除。
またページをめくったら時間を止める。それをひたすら繰り返した。
その際、能力中空間で眠る事は出来ない事がわかった。
現実の時間を過ごすのは、資料集めと執筆、食事と……ほとんどは睡眠に費やし、能力を酷使した。
その成果として、カオルは21歳と言う若さで小説家と名乗れる立場までのし上がり、業界で名前は知れ渡り、巨額の収入を得る様になった。
書いた作品全て、思入れなんか無かった。
ただ売れる『万人受け』を描き続け、小説以外にも手を出し、より広くの業界まで足を伸ばし、ただひたすら土台を作る事に専念した。
六十里に気付かせる為に描いた作品を、確実に本人の元まで届けられる程の知名度を手に入れ、それに相応しい舞台を用意する事に、成功した。
***
カオルが1人で有名になって行く最中、香奈は恋人と同棲を始め、カオルとは少し離れた街で暮らしていた。
漫画家目指すのは諦め、在宅でフリーランスのイラストレーターとして仕事を続けていた。
同棲はしているものの、生活費は折半。1人で食べて行けるほどの収入が得られる実力は身につけていた。
KOUNAの名前をネットで検索すれば、代表作がトップにヒットするくらいだ。
出張でしばらく家を空けるから、と香奈の恋人直々に連絡があり、呼びつけられたカオルだったが、訳があった。
ーー香奈の恋人は、香奈にとって主治医でもあったからだ。
香奈の体を心配した彼は、家族の中でも1番信頼出来ると香奈が言い切った言った兄、芳に一時的な同居を依頼した。
カオルの目的は、それだけでは無い。アニメ化が決定している前提の作品の原案、脚本の仕事にこぎつけた。カオルは、同時進行企画の漫画化の作画を、KOUNAに依頼したのだ。
ーーその内容は、香奈とは何度も交渉欠落して来た、主人公が死なない万人受けの物語だった。
「……設定をいじったエンディングで。描いても良いよ」
「ほ、本当か!?」
「その代わり、私はもう、諦める。もう2度と協力しない」
「あ、諦めるって……俺たちが補った設定が反映されてる可能性が、出て来たじゃないか!」
「ただ、死んでないってだけじゃない!! カオルは能力設定の粗を見つけて悪用してるだけ!!」
「悪用じゃ無い! 助けるためだ!」
「……死に時よ。私達」
「香奈、やめろよ」
「もう、能力でいつ死んだっていい……何も出来ないんじゃ無いわ。私達は元々、死ぬ事しか出来なかったのよ」
「やめろって言ってんだろ!! ……簡単にそんな事、言うな」
「ハハハ。お得意のメンヘラが出た、とでも思ってる? 本心よ。ずっと、そう思ってたわ」
「わかった、だから落ち着け。……後は俺1人でやる。でも、名前だけ貸してくれ。頼む」
「そうね。作画の名前まで村木薫にしたら、描けもしない絵の仕事依頼来て、面倒だものね」
「だからさ。……お前は結婚でもして、幸せになれよ」
「………!!」
「彼氏、さ。病院の先生、良い奴じゃん。きっと幸せにしてくれるよ」
「本気で、そう思ってるの? ……カオルは本当に、何も分かってないよ!!」
香奈が通う病院で出会った先生。
今は主治医であり恋人の彼は、香奈の病気にも理解があった。糖尿も、精神面でも。
言葉の通り良い奴で、金もあって、幸せにしてくれる人間だと思っていた。
香奈は首を振り、耐える事なく涙をこぼした。言葉にならない声を漏らし、その場に崩れ落ちた。
「これ以上……せ、先生に。私みたいな負担、背負わせたく無いのよぉ……っ!」
しゃくりあげながら出た香奈の言葉に対し、カオルの中では、複雑な感情が湧き上がる。
疑問では無い。明確な怒りだ。すぐにわかった。
『何もわかって無い』と言われた事に、反論してしまいたかった。その言葉は必死の思いで飲み込んだはずなのに、消えずにこだまする。
へたりこむ香奈を抱き寄せ、胸に押しつけた。
このままでは、言葉が出てきてしまいそうだった。
歯を食いしばり、息までを止めて、感情も抑え込んだ。
それでも、泣き崩れる彼女を慰める言葉が我慢出来ず、息と感情が全て漏れ出す。
「大丈夫だって。そんな事、言うなよ」
「私、カオルが好き。でも、駄目なんでしょ?」
「わかったから……言うな。それ以上、言うな」
「また、それ言った。傷付くんだよ、言うなって言われるの」
「ごめん……でも、俺、我慢出来なくなる」
ーー我慢。何を、考えた?
密接に触れ合う2人の体は、熱くなるのを感じ取った。
それを気不味く黙ったのはカオルだけ。香奈は笑い、話を続けた。
「ハハハ。先生ね……私とする時、絶対避妊するの」
「……え? あ、当たり前だろ、男は! しかも、医者だし」
説得力の無い下半身。
避妊具など無いこの状況。全てが上手く行かず、安っぽい言葉に染め上げていく。
「アハハハハハッ! 糖尿も精神病も、遺伝する……って論文。書いてる先生が、だよ?」
「それは、仕事だろ!? お前を大事にしてて、病気とは関係無い!!」
香奈は壊れた様に笑い声を上げ続け、更にこの空気を、追い込んでいく。
「赤ちゃん欲しいって言うとね、目を……そらすんだよ?」
それでも止まらない香奈の自虐。
ーー否、これは……真実を告げる時の顔だ。
溢れ続ける現実臭さに、カオルは無理矢理封をした。
口全てを覆い被す様に。まだ抵抗を見せた香奈は言葉を吐こうと試みるが、それも逃さぬ様、カオルは中まで侵入させた。鼻からの空気だけでは足りなくなるほどに激しく、塞ぎ、その苦しささえ快感にし、攻め続ける。
抵抗の意識を消失した香奈は、ゆっくりと瞬きをする。視線が合った時、互いが離れる。
「……もう、わかったから。言わなくて、良いから」
「私、もうこの世に、カオル以外に……居ないの。だから」
「わかった。わかったから」
「どうせ死ぬなら、人間の本能、果たすだけ果たしてから、死にたい」
「そうしたら……自殺は、絶対しないんだな?」
「うん。約束してあげる。漫画も、描いてあげる」
「わかった。絶対だぞ」
「……交渉、成立だね」
何日か続いた、2人だけで過ごす夜が終わる。
出張から帰った恋人から、「助かりました」と笑顔で感謝を述べられた。
お礼の食事に誘われるも、カオルは存在しない急ぎの用事を理由に、足早に香奈の元を去った。
その晩、香奈から連絡が届く。
恋人から結婚を申し込まれ、それを受けたという。
更にその晩は体を求められ、避妊は無かったと言う。
香奈の協力の元作成した論文が認められたそうだ。
「それを武器にしなければ告白出来ない弱気な自分を許して欲しい」
そう、謝罪されたそうだ。
主治医である彼と香奈は結婚後、妊娠が発覚した。夫も産休を取るほどの、万全な状態で挑み、子供の出産を無事終えた。
***
『生まれたの、女の子なんですけどー。香奈にそっくりで。少し、お兄さんにも似てるんですよ。さすが、兄妹ですよね』
義弟からの電話越しの出産報告に、カオルは声だけ笑って返事をした。
顔が見えない事が、功を奏した。
『可愛い赤ちゃんだよ。そっくりで。新しい家族にさ、お兄ちゃんも……会いに来てよね?』
何となしに言ったであろう言葉が、気になった。
ーー香奈は。誰にそっくりだって、言いたいんだ?
「わかった。姪に会える日、楽しみにしてるよ」
そう言って電話を切ったカオルは、死ぬまで、一度も会いに行かなかった事になる。
ーー誰への言葉なのか。はっきり言わない所。本当に六十里にそっくりだ。
自己犠牲。
そう見せかけて、それはただの自己防衛。自己破壊と自己保持。
タナトスとエロス。
そう呼び、互いに深く繋がっているのだと何処かで読んだのを思い出していた。
いつまでも顔を見せないカオルに、香奈はそれを責める素振りは見せず、幸せそうな3ショットの写真を送りつけ続けた。
義弟の子とは思えないほど。香奈にしか似ていない、可愛い姪がそこに居た。
***
KOUNAに書描かせる為のシナリオは、能力を駆使して書き上げた。
気が狂いそうな時間は一生分に感じたが、結局集まったのは、合計4年分。
本来22歳であろうカオルは、4年分老けた顔をしていた。
ーー否。26歳には見えない。それ以上に老け込んでいた。
【 花火、消えるその日まで。 】は、生まれ変わった。
【 花火、止まる時まで。 】となったこれは、物語の結末を迎えても、主人公は、死なない。
タイトルは、主人公の止める能力の意味と、1番の山場である花火が打ち上がった時に時間を止めてキスをするシーンとのダブルネーム。
見事な程にありきたりな、万人受け作品として完成した。
主人公では無く、恋人が死ぬ結末は、比較的批判は少なく、すんなり受け入れられた。世間からは『泣ける感動作』と呼ばれ、ヒットした。
漫画、アニメ共々。ネット時代のファンどころか、メリバ好きには響かないどころか、見向きもされない作品になった。
それでもこの作品に触れた人間の数は、ネット公開時代をはるかに上回っていた。
ーーそれでも。六十里からの反応は、0だった。
そこに来た一通のメールは、高校時代の元担任からのメール。
『覚えているか?随分有名になったな。』と世間話。そして、飲みの誘いだった。
読み飛ばし、ゴミ箱へ移そうとするが、もう手の打ちようが無かった彼は、『高校時代』という共通点に、全てをかけた。
そして。あの奇跡に近い、7月7日の出会いに繋がる事になる。
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