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しおりを挟むカオルの話をきっかけに、思い出した事があった。
ーー高校生時代、唯一の嫌な思い出だ。
茶道部を退部し、暇になった放課後。
六十里は、文芸同好会が活動しているという図書室を訪れるのが日課になっていった。
部活を辞めた、とは言ったものの。
1年生は部活に強制参加が義務付けられており、行かない幽霊部員になっただけである。
2年になるまで所属している状態を解除出来ず、同好会と言えど掛け持ちは許されなかった。
正式な入会をしなくとも、活動への参加は大歓迎だと言う2人の言葉に甘え、仮会員として、図書室に通う日々を過ごしていた。
「六十里さんはさ。実際に文章に書き起こしたりとか、形になって無くても良いんだけどー……妄想ってした事、無い?」
そう六十里に尋ねたのは、香奈だった。
カオルは進路指導関連の作業でいない事も多く、2人で話すことが多かった。
同性同士、というのもあったが。
何より“趣味”の話が合い、打ち解けるのは早かった。
「そりゃー、オタクですし。ありますよ」
「夢小説、って聞いた事ある?」
「無いです。初めて聞きました」
「へー。女性オタクはみんな知ってるもんかと思ったけど。そんな事無いのね」
てっきり、『知ってる』と返ってくるとばかり思っていた香奈は、少し驚いた様子だった。
それどころか、『大好きだ!』と返ってくると思ったと付け加えると、頭の中で整理をしている様子だった。
ーー夢小説。初めて聞いた、未知の世界。
手軽で、ポピュラーで、定番。
それは小説に限られたものではなく、色々な作風がある。
ジャンル全体として”夢“と呼んだり、“夢作品”と言ったりもする。
好きな既存作品に、自分、もしくは読者全体を投影したキャラを主人公として登場させる事が多い。
多いだけであってそこに決まりはない。
とにかく、自分で作ったキャラクターを登場させる、二次創作である。
既存のキャラクター達と絡ませたオリジナルの話を考えて、小説にしたものが夢小説。
小説と言う形に意外にも、エッセイ風、詩、ポエム、イラスト、漫画……なんでも良い。
その作品を好む傾向にある女性を、夢女子と呼んだりもする。
「あ、それは、えーと。その……」
「名前は知らなくてもさ。経験は、あるんじゃない?」
「……おっしゃる通りです」
「恥ずかしがらなくて大丈夫よ? 創作系オタクは必ずと言って良いほど通る道だから!」
ーーこれに名前があったなんて。知らなかった。
1人の帰宅時間。風呂に浸かる間。ベッドに入り、眠りにつくまでの時間。
その時ハマっていた作品の中へ、ダイブした。
主人公やメインであるキャラクター達の中に、自分の分身となるオリジナルキャラクターを参加させ、時にはその物事の中心になったりした。
時には自分に出来る限り寄せたり、はたまた嘘と本当を混ぜ合わせたり。
理想を詰め込み過ぎた、魅力溢れるも現実離れした存在にしたり。
ーー誰かに話す予定があるわけでも無いのに、こだわった。
最初は、誰もが当てはまり共感出来るような、正当性のある世界を『無意識』に、『責任感』を持って考えていた。
でもその世界が広がる程に融通は効かなくなり、人に話すには恥ずかしい内容も増えていったが、楽しさが勝った。
気付けば、何でもありな世界を自由に作っていた。
「ビジュアルとか特になんですけど……現実の自分に寄せると不都合が生じちゃって。
いつの間にか別人に……誰よりも、完璧人間になってました」
「だいじょーぶだって。皆そんなもんよ?」
「でも、名前とかは自分を残したかったり、こだわっちゃって。……これって、ナルシストですよね、私」
「こだわりは大事よ? 自己愛は勿論、作品愛も。……そのキャラの名前、聞いても良い?」
「実際の私は、ハナビのビって、美術の美を書くんですけど……妄想の中では一般的な方の、花火って漢字を使ってます」
「良いんじゃ無い? そういうの、大事なのよ。ほら、ペンネームとかにも使えるし!」
「ペンネームなんて、作品も出来て無いのに……気が、早いですよ」
ーー親身になって話す香奈に申し訳なく思うのはもっと申し訳ない。
そう思える関係になっていた。
熱くなりすぎた、と香奈は笑い、その香奈に合わせて六十里も笑う。
「ねえ。名前にこだわった様に……その子の回りの世界って、妄想した事ない?」
「あります。好きな作品そっちのけで、そっちの妄想が捗っちゃって……」
「それ! それが、“小説のたまご”なのよ」
ーー小説のたまご……?
卵から始まり、親が温める。
親の前という小さな世界で過ごす雛の段階を得て、親元を離れて、他にも自分を見る存在いる広い世界に飛び立つ、成鳥となる。
“小説のたまご”は、妄想状態の事。
どんどん大きくなり形になって、アイデアになり、設定っという名の雛になる。
自分だけの世界から飛び出して、他の人に見られる形になった作品。それが成鳥。
「開いた本は、鳥の羽ばたく姿に似てるでしょ?」
「確かに!」
「だから、この例え話思いついた時、運命を感じたわ。だから大好きなの」
「香奈先輩が考えたんですか!?」
「うーーん……元々、見習い状態の事を、〇〇のたまごって言い方、するでしょ? 小説家のたまご、とかさ。
それが思い付いたきっかけだから、似たような事言ってる人がいると思うわ」
「じゃあ……パクリ、ではなくて、オマージュ? ……2次創作?」
「……はははっ。これ言い出したら、この世の作品って全部2次創作じゃん、って気がしてくるよね」
「ふふふ、確かに。なんか、難しいですね……」
「そんな事無いわよ! 貴方が考えた花火の世界も、仲間も。設定全部を貴方が考えて、物語を作ってみない!?」
「そ、そんなの……無理ですよ! やり方、わかんないですし」
「まだ卵なんだから、いきなり羽生やして空飛べなんて言わないわよ」
「やっては、みたいんです! でも、どうしたら……」
「とりあえず、妄想だって恥ずかしがらず外に出す! 考えついた妄想、何でも良いから形にするの。絵でも良いけど、無理なら箇条書きでも良いから書き出してみてよ」
「は、はい! やってみます!」
「その意気よ。卵から生まれてこれたら、見せて貰うからね? フフ、楽しみにしてる」
香奈に言われた『妄想を外に出す』作業。
アイディアの書き出しは、学校の授業にも使用していたルーズリーフを使うことにした。
ノートと違い、使い切る事なくひたすら追加が出来る利点があった。
今はとにかく、がむしゃらに書き出して行くだけだが、いつかは量が溜まり、整理が必要な時が来るだろうと予想は出来た。
仮に、没にしたくなる様な他人に見せられない内容の部分があったとして。
ノートだとその部分だけを破り捨てる必要がり、ノート自体が不恰好になる。
その点ルーズリーフならファイルから取り外せば簡単に順番を入れ替えられるし、要らないものは捨てられる。
そう思っていた。
専用のバインダーも用意し、張り切ってスタートした。
ーーその矢先だった。
「作業は順調?」
「あ、はい。何とか」
「言い忘れたんだけどー。どんなに恥ずかしい内容でも、今はつまんないと思っても、
書き出した以上は……ぜえーーーーったいに、捨てちゃダメよ!」
「なっ……何でですか?」
「スランプになった時みたいな、気分の落ち込んだ時。何も思いつかなくなった自分を助けてくれるのは、過去の没設定なんだから」
「本当ですか? こんな素人の……私の案でもですか?」
「このルールって、メンタル強化にも役立つの。
消せば良い、捨てれば良いって考えは作品作り以外で使え無い……人生上では使えない思考回路だから。ダメ人間を作り出すわ……と、経験者からアドバイスさせて貰うわ」
「な、なるほど……わ、わかりました。絶対守ります!」
「ハハハハッ! よろしい」
心を見透かされたかの様な追加アドバイスは、香奈が六十里に似ているから、だったのかもしれない。
ーーわたしも、香奈先輩みたいな女性になれるのかな?
そんな妄想に近い期待感が六十里を支え、些細な事も照れ臭い内容も全部、メモに残す事にした。
ーーふとした瞬間に、アイディアは訪れる。
ルーズリーフは常に必要な物として擬態し、授業中にも作業をする事が出来た。
小さく折って持ち歩いたり、隠れて書くことも可能にした。
特に隠している事でもなく、探られもしていないが。
バレない様に作業するスリルが、非日常で楽しかった。
******
ある程度のアイディアが溜まって来た。
初めて、整理しようと思える時がやってきたのだ。
香奈もその時を待ち侘びていたようで、自分のアイディアノート数冊と、上が閉められるタイプの封筒式クリアファイルを持参し、嬉しそうにしていた。
「ルーズリーフ、か。なるほどね。
私はノートをオススメするつもりだったんだけど……使い切った時の達成感と、作品の完成を疑似体験出来るから。継続する事へのポテンシャルに繋がるのよね。でも、ルーズリーフに統一すると、バラけなくて良いわね」
一枚一枚が歪み、挟まれた別のメモや付箋が飛び出し、膨らんだノート。
クリアファイルも同様で、挟まっている物が全て紙だとは思えないほど、パンパンに膨らんでいる。
「俺がいない間に、六十里さんも本格的に作り始めてるじゃん! 俺も混ぜてよ」
その日はカオルも同席していた。久々に3人が揃い、静かな図書室も賑わっていた。
香奈がいつにも増して嬉しそうで、六十里も釣られて嬉しくなる。
「活動疎かにしてる人は、ちょっと。ねー、ハナビちゃん?」
「そ、そんな! 私が、いつも……香奈、さんに、付き合ってもらってるんです」
「あれーー!? 名前で呼ぶほどの仲なの!? 俺を差し置いて、いつの間にそんな仲良くなったんだよー!」
「あ、先輩、その……い、今、初めて呼ばれました! 本当です!」
「何で言っちゃうのよ~! それとも、嫌だった?」
「い、嫌じゃ、無いです。……嬉しいです」
「な~んだ! よかった」
寄り添う香奈と、それに照れた様子の六十里の2人を見比べながら、カオルは少し不満げだった。
ーーそう、だよね。彼女と2人の時間を、ぶち壊してるわけだし……。
「芳先輩、ここ最近忙しそうですけど……香奈先輩は、良いんですか?」
「えー? 何が?」
「いや、その……進路指導とか、受験勉強とか」
「……え。それ来年からで良くない? ヤダヤダヤダ、やめてよそんな話~!」
「実際に苦しんでる兄の前で、よーーーくそんな事言えるなぁ!?」
「兄って……え、ええええー!? じゃあ、香奈先輩と、芳先輩って……」
「あれ、言って無かったっけ? どもー、木村家でーす!」
「双子、ですか?」
「げぇっ、まーーじ!? 私達そんな似てる???」
「……普通に。香奈は、一個下の妹なんですけど」
「き、気付きませんでした。仲が良いので、同級生の……その、こ、恋人同士かと」
「「だーーーれが好き好んでこんな奴と!!」」
カオルと香奈は、お互いを指で指し合う仕草と共に、ハモって見せた。その様子を見て、笑いを堪えるも……六十里の頬は、緩んでしまう。
しっかりしていた香奈が、1学年しか違わなかった驚きと、来年もまだ一緒にいられる喜びで、堪えられなかったそれは、大きな笑い声になってしまった。
でも、それも直ぐに治る。カオルとは残り僅かしか居られないのを明確に認識してしまい、改めて寂しく思えてしまったからだ。
「こんなちんちくりん……どーーーみても、高校3年生には見えないでしょ? 六十里さん、目、大丈夫?」
「あんたが頼りなさ過ぎるから、年下のアタシがしっかりしてる様に見えてるんでしょーーがっ!」
「え!? ……そうなの??」
「そう、かも、です」
「まーーーーじぃ!?」
喧嘩するほど仲が良い……といえど。
恋人扱いしたのは本気で怒られてしまった。素が垣間見えた2人の話し方は、そっくりだった。
そんなカオルが、六十里と香奈を見て不満げだったのは何故だったのか、疑問に思った。
彼女では無い、が。
大切な妹を取られて不機嫌な兄、と言った様子にも見え無かったからだ。
六十里にも歳の離れた兄がいるが、自分達のものとは違う距離感に感じた。
ーーうちも結構仲良い方だとお思ってたけど……歳の差の違い、かな?
六十里の中に、ひとつの可能が浮かぶ。
あまりにも都合が良さすぎる仮説が思い浮かんでしまい、雑念でしか無いそれを、自分の頬を叩いて首を振る。
物理的に振り払った……が、消えない。
ここ最近の行動のせいで、夢女子になってしまったのか? とも考えたが、そんなレベルの問題では無い。
ーーカオル先輩が……嫉妬? でも、どっちにって……あれぇ??
まるで少女漫画の様な思考回路。
もしこれがただのアイディアで、時間が経つと消えてしまう物なら、良かったのに。
ーー香奈先輩の言った通りだ。作品作り以外じゃ、消せないんだ。
これがただの妄想なら、ルーズリーフに書き出して、数分後には日常の出来事で上書きし、頭の中から消えてくれる。
今すぐにでも書き出して、バインダーに挟む事なくこっそり破り捨てるというのに。
ーー妄想じゃ無いなら、これは……何?
「まあ、こんな兄だけどさ、作品制作においては、私より頼りになると思うから」
「俺も見せて貰って、良い? 勿論、恥ずかしいなら無理にとは言わないけど」
「ここからどうしたら良いかわからなくて……助けて、欲しいんです」
「喜んで。全力を尽くすよ」
「だーいじょうぶ。そんなキツい事言う度胸なんて、コイツに無いから」
「なんだとー!? よーし。ここは先輩の意地、見せてやろうじゃ無いか」
「お、お手柔らかに、お願いします」
描いてみたい舞台や主人公が、六十里にはいっぱいあった。
自分の出来ない事を、その子にやって欲しかった。まるで自分のことの様に感じたかった。
将来出来る事、出来ない事。現実離れした、憧れた理想世界。
物語にすると言うゴールを忘れて、ひたすら夢を書き出した。
「……あ、この設定。面白いと思うんだけど」
「んーー?……時を止める能力、か。超能力モノ、良いね」
「いや、そんな立派な感じじゃ、無くって……」
「他のメモに比べて、かなり枚数分設定を広げてるよね。これを主軸に考えてみたら良いんじゃ無いかな」
「で、でも……本当に、凄く無いんです」
「これはまだ雛! 最初から凄かったら、一応先輩の私達が、逆に困るわよ」
「設定に自信が無いって意味じゃ、無いんです! 凄い話にするのが……怖いんです」
***
時を止めることが出来る少女。全てが止まった空間に行けるだけで、スーパーヒーローにはなれない。
ーー何も出来ない少女。
まわりの時間が止まっている間も、彼女の時間は流れ、寿命は減り続ける。
***
そんな設定だった。
「結局。自分に寄せ過ぎて、何も出来ない少女なんです。こんな子で、物語なんて作って良いんでしょうか?」
「だからこそ、良いと思うよ。もうある作品とか……面白いかどうかに、囚われなくて良いんだよ」
「でも、この設定……初心者にメリバは難しいんじゃーー」
「香奈。それは余分な事だから、それ以上言うな」
「ご、ごめん。でも……」
「と、とにかく! 六十里さんが書きたいものを、書いたら良いよ」
「………」
ーー気まずい空気が流れた。
香奈のアドバイスの“メリバ”が何の事かはわからなかったが、初心者の六十里への『難しい』の指摘は『余分な事』だと思えなかった。
『それ以上言うな』
その言葉は、今まで聞いたことのない、冷静さだった。
冷酷とさえ感じる、厳しい言い方。
肉親である香奈までもが怯んだ様子が、それを物語っていた。
ーー哀れみ? 拒絶? 軽蔑?
六十里が、自分に寄せ過ぎた結果。
こんな暗い世界を創造しようとしてる六十里という人間が、見離されたんだと思ってしまった。
あんなに楽しかった時間が、思い出せなくなる。
それ故に、壊れてしまうのが惜しいという当たり前の感情が、思い出せない。
ーー失敗は消せない、破れない、捨てられない?
ここまで感情が湧き上がったのは初めてだった。
逃げ出したい、と思うだけでは治らない気持ちは、手元にあったバインダーに目をつけた。
ーーそんな事、無い。出来る……今なら、間に合う。
先程まで見ていたページを勢い良く掴み、破る。
破るだけでは飽き足らず、バインダーごと掴み、2人の前から逃亡を図る。
図書室にあった、雑紙を捨てる大きなゴミ箱が視界に入り、ゴミ箱目掛けてバインダーを叩きつける。
ーー捨てた。今までの時間も一緒に、全部。
自分の荷物をかき集めて、逃げる様に部屋を飛び出した。
ーーほら、やっぱり。出来…………
「待って! 六十里!!」
「ハナビちゃんっ!!」
ーー……なかったじゃん。馬鹿。
それを最後に、六十里は図書室には近寄らなかった。
先輩2人に会わない様にと、香奈が卒業して居なくなるその日までの高校生活は、息を殺して過ごした。
同級生には多少不審がられはしたが、最後の3年生を迎える頃には傷も癒て、普通の生活を送れる様になっていた。
ーーオタク趣味は、卒業した。
そう、自然に“嘘”がつける様になってしまった。
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