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山猫、デレる
第322話:クロのご飯と写真
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目が覚めたら、何だか見慣れない布団の上。
・・・あれ、何だっけ。なんか、ものすごくいい夢を見ていたような・・・。
目だけを動かして、部屋の様子を見る。・・・床から距離がある。布団じゃない。・・・ベッドだ。
・・・クロの、家にいる。
キッチンで音がした。
体を起こして、ああ、スーツのまま寝ちゃったんだなと思い・・・。
・・・昨夜のことを思い出した。
・・・。
・・・ディズニーに行って僕はクロに好きだと告げて、・・・ずっと、何度もたくさんキスをして、それで。
キャンプで<アトミク>をやろうと言われたんだ。
夜のことはそれしか覚えていないけど、ズボンはちゃんと履いているみたいだし、そのまま寝ちゃった、んだろう・・・。
カチャと、部屋のドアが開いた。
「・・・やまねこ」
そこにはクロがいた。スーツのまま、何だかすらっとしてかっこいい。
表情は、驚いたような、はにかむような。
「・・・クロ」
僕も相手の名前をつぶやいて、ただ見つめた。えっと、何だっけ、何だっけ・・・。
クロがこっちに歩いてきて、ベッドに片膝をついて、軋む音とともに「ねこ、おはよう」と上から僕の肩と背に手を回す。そして、僕はあり得ないせりふを聞く。「・・・俺、ご飯作った」。
「・・・へ?」
単語の組み合わせが理解できないまま、黒井は離れていって、キッチンへ歩く。その背中を見て、僕は急に毛布を引き剥がされるような心細さを感じ、思わず「クロ、待って!」と叫びそうになった。
しかしすぐにクロは、茶碗を二つ持って戻ってきて、テーブルにそれを並べ、カーテンを開けた。
・・・白いご飯から、湯気が立っている。
い、いや、そりゃここにだって炊飯器くらいあるし、米は炊いてるはずだ。
そしてそれから、何となく見覚えのある瓶とふりかけの四角い個包装、お椀に入った茶色っぽい液体が二つ。ああ、瓶はこないだうちのそばのスーパーで買ったなめ茸で、ふりかけも確かその時買っていたやつだ。黒井は最後に箸を持ってきて、つまり「作った」というのは、米を炊いたという意味か。・・・あ、いや、この茶色い液体があったか。
「クロ、これは、えっと・・・?」
「うん。俺ね、たまごごはんが好き」
「・・・たまごごはん。・・・卵かけご飯ってこと?」
「ちょっと醤油入れすぎたかも」
「・・・ああ、うん」
僕はベッドからずり落ちるようにラグに着地し、目の前のテーブルを眺めた。質素な朝ごはんとしては何てことないけど、・・・クロが、僕に、朝ご飯を・・・。
「・・・な、何だよ。足んない?ご飯ならまだあるよ」
「・・・」
「別に、今はちょっと、冷蔵庫に・・・」
「・・・いや」
「え?」
「・・・う、ううっ」
・・・だめだった。込み上げてきた涙は止められず、でもせっかくクロが作ってくれたご飯が冷めるから、僕は泣きながらふりかけをかけた。
「もう、なんだよねこ・・・」
おかしな苦笑いで僕を見ながら、きゅっとひねってなめ茸の瓶を開ける。袖をまくっているからその腕が見えて、僕はその素肌をじっとりと見つめて、すぐに逸らしたけど、・・・え、もしかして、もう逸らさなくていいってこと?
「は、早く食ってよ」
「わ、分かった。いただきます」
「・・・はは」
ほとんど醤油かなあという卵かけご飯はからくて、僕はご飯を二回お替わりして、二回ともクロがよそってきてくれた。「泣くか笑うかどっちかにしろ」と言われながら、それでも美味しく食べた。
・・・・・・・・・・・・・・
食器をシンクに運び、トイレを済ませて、洗い物をしようかと思ったけど、なんとなく手が伸びなかった。どうしてだろうと思い、じっとキッチンで立っていたら「今日はそんなのいいから」と言われ、部屋に連れて行かれる。ああ、ちょっとつかまれた腕が気持ちいい。お前のその体温の中に埋もれていきたい。・・・ううん、この頭のあれ具合は通常運転か?
・・・また、ベッドに、並んで座って。
これから何十時間だって<いいこと>をしたいけど・・・。
どうにも居たたまれなくなり、「あ、あの、・・・時計、見てみていい?」と切り出した。
「あ、うん。・・・つけてみよっか」
「うん・・・」
そして、二人でそれぞれ自分の箱を取り出す。鞄に手を伸ばして、ベッドに座り直す時、ちゃっかり寄って、太ももが触れて温かい。どうしたんだろう、窓からの陽射しは暖かく、部屋が寒いわけでもないのに、そのぬくもりがやけに恋しかった。
あらためて、明るい中でその箱を開けて、黒い腕時計を見る。
文字盤のガラスが少し盛り上がっていて、立体感がある造りだ。
時間は1、2、3じゃなく05、10、15という刻みで、日付を示す窓と三角のブランドマークだけがあり、シンプル。文字盤自体も小さめで、あの西沢の時計みたいな腕からはみ出すほどのゴテゴテ感は皆無だ。ブランド名は「JUNKERS」とあった。ジュンク・・・いやジャンカーズ?
「・・・ど、どう?気に入った?」
「あ、うん。とってもシンプルで、いいと思う。前の、より・・・すごく、好きだ」
「・・・よ、良かった。ねえ、俺のも見る?」
黒井の方は、オフホワイトの文字盤に焦げ茶のベルトで、あとは全く同じデザイン。確かに迷ったと言っただけあり、どちらもいいと思った。ただ、もし自分が選ぶなら、きりっとした黒より、やや目立たなそうなこっちの白を選んだかもしれない。どちらかといえばクロはやはり黒の方が似合いそうで、反対がよかったのかもしれないが・・・山猫色と黒犬色を互いに身に着けるんだから、これでいいんだ。・・・まったく、やっぱり恥ずかしい。
「・・・どしたの」
「あ、いや・・・こ、これ、何かのブランド?」
「あ、これね、ユンカース」
「・・・ゆ?」
「ドイツの時計。叔父さんからちらっと聞いたことあって、何かね、飛行機のエンジンとか、部品とか作ってる会社で、だからそのマークも、なんかプロペラがモチーフなんだって」
「・・・へえ、そうなんだ」
お互いの時計を見せ合って、身体を寄せて、腕までぴったりくっついて。
・・・はは、まさか僕がドイツ製品を身に着けるとはね。ドイツに行かなくたって、こうして日常の中にそれを融け込ませて、楽しむことも出来るんだ。
「ほんとは潜水艦がいいけどさ。俺、飛行機にはそんなに興味ないし。でも、それも、別にいいんだ」
「・・・ふうん?」
「うん。・・・別に、オメガを買えるまで待つ必要もなくて、今あるものでいいし、・・・あってもなくても、失敗してもいい。・・・何か、あの完璧な感じの俺じゃなくて、別に大したことない俺でもかっこいいって、・・・はは、何か、そんなんでさ」
「結局かっこいいのかよ」
「かっこ悪くても、でもそれでもよくて、んで、いいってことはかっこいいんだから、やっぱりかっこよかったんだよ俺」
あっそう、とつぶやいて、僕はなぜか、くっついている腕を離してクロの背中をさすった。言葉として言ってるのは「俺はかっこいい」という謎の宣言だけど、たぶん言いたいのは、ようやく自分で素の自分を認めることができた、というようなことだろう。
そうしたらクロは頭を低くして犬のようにすり寄ってきて、僕はその頭や肩も撫でた。感極まって「お前はずっとかっこよくてずっと好きだよ」と言ってしまうのをぎりぎりこらえ、「時計ありがとう」とあらためて礼を言った。
・・・・・・・・・・・・・
ねえ、またキスする?・・・と、誘われたけど。
嬉しすぎて、お断りした。
そんなことをしたら明日会社に行けなくなるし、一生ここから出られなくなる。
それに、今断っても、もうこれっきり、最後のチャンス・・・ってことも、ないはずだということを信じるためにも、そうした。僕だって、現実の生活の中に、MADE IN GERMANYだけじゃなく、クロというこ・・・恋人を、なじませていかないと。
腕時計をつけてしまったから、という言い訳で洗い物もせず、昼下がり、外に出た。
暗くなってしまったら、やっぱり帰れなくなりそうで。
「ねこ・・・また、明日ね」
「うん。時計、つけていくよ」
「ん、俺も」
駅で、お互い腕時計をつけた左手で握手をした。「変な感じだ」と笑って、その笑顔をずっと見ていたいけど、何とかこらえて改札を通った。我慢できず一度振り返ったら白いYシャツが手を振っていて、また涙が出そうになってホームへ急いだ。
・・・・・・・・・・・・・・
各駅に揺られて、膝の上の鞄を開け、中の艶やかな黒い箱と時計とを眺めていたら、携帯が鳴った。
メールが来ていて、黒井からだが、本文はない。
間違えて何かの拍子に送ってしまったのかと思ったが、そうじゃなく、画像が添付されていた。
ボタンを押すと、しばらくして、それが読み込まれる。
現れたのは、・・・黒井の、写真だった。
「・・・っ、なんだよ、これ」
思わず口の中でつぶやいた。
・・・。
な、何なんだ、このカッコつけた自撮りは。
腕時計の手を顔の横に持ってきて、ちょっと細めた目はカメラ目線で、アンニュイな表情はまるで広告のモデルだ。
・・・写真は嫌いなんじゃなかったのかよ。昔のかっこついてる自分なんか見たくないんだって、・・・ふうん、それを気にしないお前はこんなことをしちゃうわけ?まったく恥という概念はないのか。こんなものを送られて、何をどうしろっていうんだ。ま、まったく・・・。
二度見、三度見して、少しだけ開かれた唇に唾を飲んで・・・携帯をパタンと閉じた。
・・・待ち受けなんかに、しないからな!
・・・・・・・・・・・・・・
<ねえどうだった?かっこよく撮れてなかった?>と催促メールが来るので、最寄駅からの道すがら<かっこよかったです>と返信。もうこういうのやめてくれないかな、頭の中に「俺のかっこいい彼氏」とかいう単語が浮かんで、馬鹿度合いが急上昇してしまう。
帰宅して、寝間着に着替えて腕時計をいったん外し、箱にしまった。
脱力して布団に倒れこむ。・・・はは、告白しちゃった。両想いに、なっちゃった・・・。
・・・。
「くふっ、へへ、・・・うっ、ぐっ」
・・・やっぱり、泣いた。
本当は、まだまだ、まだまだ、まだまだ好きだと言い足りない。
いや、もう気は済んでるんだけども、これまでの好きの総量を考えたら、あと数日は言い続けないと、伝わらないと思う。
でも、まあいいか。
ティッシュで涙を拭いて、鼻をかみ、また濡れる目を押さえる。
たぶん、自分でも、いったい何をしてしまったのか、きっとまだ分かっていない。どんなパンドラの箱を開けてしまったんだろう。僕はいったい、どうなっちゃうんだろう・・・。
・・・あれ、何だっけ。なんか、ものすごくいい夢を見ていたような・・・。
目だけを動かして、部屋の様子を見る。・・・床から距離がある。布団じゃない。・・・ベッドだ。
・・・クロの、家にいる。
キッチンで音がした。
体を起こして、ああ、スーツのまま寝ちゃったんだなと思い・・・。
・・・昨夜のことを思い出した。
・・・。
・・・ディズニーに行って僕はクロに好きだと告げて、・・・ずっと、何度もたくさんキスをして、それで。
キャンプで<アトミク>をやろうと言われたんだ。
夜のことはそれしか覚えていないけど、ズボンはちゃんと履いているみたいだし、そのまま寝ちゃった、んだろう・・・。
カチャと、部屋のドアが開いた。
「・・・やまねこ」
そこにはクロがいた。スーツのまま、何だかすらっとしてかっこいい。
表情は、驚いたような、はにかむような。
「・・・クロ」
僕も相手の名前をつぶやいて、ただ見つめた。えっと、何だっけ、何だっけ・・・。
クロがこっちに歩いてきて、ベッドに片膝をついて、軋む音とともに「ねこ、おはよう」と上から僕の肩と背に手を回す。そして、僕はあり得ないせりふを聞く。「・・・俺、ご飯作った」。
「・・・へ?」
単語の組み合わせが理解できないまま、黒井は離れていって、キッチンへ歩く。その背中を見て、僕は急に毛布を引き剥がされるような心細さを感じ、思わず「クロ、待って!」と叫びそうになった。
しかしすぐにクロは、茶碗を二つ持って戻ってきて、テーブルにそれを並べ、カーテンを開けた。
・・・白いご飯から、湯気が立っている。
い、いや、そりゃここにだって炊飯器くらいあるし、米は炊いてるはずだ。
そしてそれから、何となく見覚えのある瓶とふりかけの四角い個包装、お椀に入った茶色っぽい液体が二つ。ああ、瓶はこないだうちのそばのスーパーで買ったなめ茸で、ふりかけも確かその時買っていたやつだ。黒井は最後に箸を持ってきて、つまり「作った」というのは、米を炊いたという意味か。・・・あ、いや、この茶色い液体があったか。
「クロ、これは、えっと・・・?」
「うん。俺ね、たまごごはんが好き」
「・・・たまごごはん。・・・卵かけご飯ってこと?」
「ちょっと醤油入れすぎたかも」
「・・・ああ、うん」
僕はベッドからずり落ちるようにラグに着地し、目の前のテーブルを眺めた。質素な朝ごはんとしては何てことないけど、・・・クロが、僕に、朝ご飯を・・・。
「・・・な、何だよ。足んない?ご飯ならまだあるよ」
「・・・」
「別に、今はちょっと、冷蔵庫に・・・」
「・・・いや」
「え?」
「・・・う、ううっ」
・・・だめだった。込み上げてきた涙は止められず、でもせっかくクロが作ってくれたご飯が冷めるから、僕は泣きながらふりかけをかけた。
「もう、なんだよねこ・・・」
おかしな苦笑いで僕を見ながら、きゅっとひねってなめ茸の瓶を開ける。袖をまくっているからその腕が見えて、僕はその素肌をじっとりと見つめて、すぐに逸らしたけど、・・・え、もしかして、もう逸らさなくていいってこと?
「は、早く食ってよ」
「わ、分かった。いただきます」
「・・・はは」
ほとんど醤油かなあという卵かけご飯はからくて、僕はご飯を二回お替わりして、二回ともクロがよそってきてくれた。「泣くか笑うかどっちかにしろ」と言われながら、それでも美味しく食べた。
・・・・・・・・・・・・・・
食器をシンクに運び、トイレを済ませて、洗い物をしようかと思ったけど、なんとなく手が伸びなかった。どうしてだろうと思い、じっとキッチンで立っていたら「今日はそんなのいいから」と言われ、部屋に連れて行かれる。ああ、ちょっとつかまれた腕が気持ちいい。お前のその体温の中に埋もれていきたい。・・・ううん、この頭のあれ具合は通常運転か?
・・・また、ベッドに、並んで座って。
これから何十時間だって<いいこと>をしたいけど・・・。
どうにも居たたまれなくなり、「あ、あの、・・・時計、見てみていい?」と切り出した。
「あ、うん。・・・つけてみよっか」
「うん・・・」
そして、二人でそれぞれ自分の箱を取り出す。鞄に手を伸ばして、ベッドに座り直す時、ちゃっかり寄って、太ももが触れて温かい。どうしたんだろう、窓からの陽射しは暖かく、部屋が寒いわけでもないのに、そのぬくもりがやけに恋しかった。
あらためて、明るい中でその箱を開けて、黒い腕時計を見る。
文字盤のガラスが少し盛り上がっていて、立体感がある造りだ。
時間は1、2、3じゃなく05、10、15という刻みで、日付を示す窓と三角のブランドマークだけがあり、シンプル。文字盤自体も小さめで、あの西沢の時計みたいな腕からはみ出すほどのゴテゴテ感は皆無だ。ブランド名は「JUNKERS」とあった。ジュンク・・・いやジャンカーズ?
「・・・ど、どう?気に入った?」
「あ、うん。とってもシンプルで、いいと思う。前の、より・・・すごく、好きだ」
「・・・よ、良かった。ねえ、俺のも見る?」
黒井の方は、オフホワイトの文字盤に焦げ茶のベルトで、あとは全く同じデザイン。確かに迷ったと言っただけあり、どちらもいいと思った。ただ、もし自分が選ぶなら、きりっとした黒より、やや目立たなそうなこっちの白を選んだかもしれない。どちらかといえばクロはやはり黒の方が似合いそうで、反対がよかったのかもしれないが・・・山猫色と黒犬色を互いに身に着けるんだから、これでいいんだ。・・・まったく、やっぱり恥ずかしい。
「・・・どしたの」
「あ、いや・・・こ、これ、何かのブランド?」
「あ、これね、ユンカース」
「・・・ゆ?」
「ドイツの時計。叔父さんからちらっと聞いたことあって、何かね、飛行機のエンジンとか、部品とか作ってる会社で、だからそのマークも、なんかプロペラがモチーフなんだって」
「・・・へえ、そうなんだ」
お互いの時計を見せ合って、身体を寄せて、腕までぴったりくっついて。
・・・はは、まさか僕がドイツ製品を身に着けるとはね。ドイツに行かなくたって、こうして日常の中にそれを融け込ませて、楽しむことも出来るんだ。
「ほんとは潜水艦がいいけどさ。俺、飛行機にはそんなに興味ないし。でも、それも、別にいいんだ」
「・・・ふうん?」
「うん。・・・別に、オメガを買えるまで待つ必要もなくて、今あるものでいいし、・・・あってもなくても、失敗してもいい。・・・何か、あの完璧な感じの俺じゃなくて、別に大したことない俺でもかっこいいって、・・・はは、何か、そんなんでさ」
「結局かっこいいのかよ」
「かっこ悪くても、でもそれでもよくて、んで、いいってことはかっこいいんだから、やっぱりかっこよかったんだよ俺」
あっそう、とつぶやいて、僕はなぜか、くっついている腕を離してクロの背中をさすった。言葉として言ってるのは「俺はかっこいい」という謎の宣言だけど、たぶん言いたいのは、ようやく自分で素の自分を認めることができた、というようなことだろう。
そうしたらクロは頭を低くして犬のようにすり寄ってきて、僕はその頭や肩も撫でた。感極まって「お前はずっとかっこよくてずっと好きだよ」と言ってしまうのをぎりぎりこらえ、「時計ありがとう」とあらためて礼を言った。
・・・・・・・・・・・・・
ねえ、またキスする?・・・と、誘われたけど。
嬉しすぎて、お断りした。
そんなことをしたら明日会社に行けなくなるし、一生ここから出られなくなる。
それに、今断っても、もうこれっきり、最後のチャンス・・・ってことも、ないはずだということを信じるためにも、そうした。僕だって、現実の生活の中に、MADE IN GERMANYだけじゃなく、クロというこ・・・恋人を、なじませていかないと。
腕時計をつけてしまったから、という言い訳で洗い物もせず、昼下がり、外に出た。
暗くなってしまったら、やっぱり帰れなくなりそうで。
「ねこ・・・また、明日ね」
「うん。時計、つけていくよ」
「ん、俺も」
駅で、お互い腕時計をつけた左手で握手をした。「変な感じだ」と笑って、その笑顔をずっと見ていたいけど、何とかこらえて改札を通った。我慢できず一度振り返ったら白いYシャツが手を振っていて、また涙が出そうになってホームへ急いだ。
・・・・・・・・・・・・・・
各駅に揺られて、膝の上の鞄を開け、中の艶やかな黒い箱と時計とを眺めていたら、携帯が鳴った。
メールが来ていて、黒井からだが、本文はない。
間違えて何かの拍子に送ってしまったのかと思ったが、そうじゃなく、画像が添付されていた。
ボタンを押すと、しばらくして、それが読み込まれる。
現れたのは、・・・黒井の、写真だった。
「・・・っ、なんだよ、これ」
思わず口の中でつぶやいた。
・・・。
な、何なんだ、このカッコつけた自撮りは。
腕時計の手を顔の横に持ってきて、ちょっと細めた目はカメラ目線で、アンニュイな表情はまるで広告のモデルだ。
・・・写真は嫌いなんじゃなかったのかよ。昔のかっこついてる自分なんか見たくないんだって、・・・ふうん、それを気にしないお前はこんなことをしちゃうわけ?まったく恥という概念はないのか。こんなものを送られて、何をどうしろっていうんだ。ま、まったく・・・。
二度見、三度見して、少しだけ開かれた唇に唾を飲んで・・・携帯をパタンと閉じた。
・・・待ち受けなんかに、しないからな!
・・・・・・・・・・・・・・
<ねえどうだった?かっこよく撮れてなかった?>と催促メールが来るので、最寄駅からの道すがら<かっこよかったです>と返信。もうこういうのやめてくれないかな、頭の中に「俺のかっこいい彼氏」とかいう単語が浮かんで、馬鹿度合いが急上昇してしまう。
帰宅して、寝間着に着替えて腕時計をいったん外し、箱にしまった。
脱力して布団に倒れこむ。・・・はは、告白しちゃった。両想いに、なっちゃった・・・。
・・・。
「くふっ、へへ、・・・うっ、ぐっ」
・・・やっぱり、泣いた。
本当は、まだまだ、まだまだ、まだまだ好きだと言い足りない。
いや、もう気は済んでるんだけども、これまでの好きの総量を考えたら、あと数日は言い続けないと、伝わらないと思う。
でも、まあいいか。
ティッシュで涙を拭いて、鼻をかみ、また濡れる目を押さえる。
たぶん、自分でも、いったい何をしてしまったのか、きっとまだ分かっていない。どんなパンドラの箱を開けてしまったんだろう。僕はいったい、どうなっちゃうんだろう・・・。
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