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まだ、恋人ではない僕たち
第308話:腕相撲とスーパー
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土曜日。
やっぱり今週はちょっと人あたりしたようで、しばらく寝ていた。
会社に行っていればそれはそれで仕事をこなすけど、週末、しかも連休となると、何だかぽーんと投げ出されたような気持ち。
去年までは、会社の僕とプライベートの僕がいて、休みの日はドラマや読書や、好きなように好きなことをしていた。誰かと会うこともほぼ皆無だったし、趣味のDVDを大人買いしたり、本屋をはしごしたりして土日が過ぎた。
でも今は、何をしたらいいのかよく分からない。
今更、この連休でプライベートなドラマ鑑賞にふけろうとも思わなかった。
だからって、また何か計画してデ・・・デートに誘うかと言われれば、やっぱりハードルが高すぎる。仕事帰りの銭湯と夕飯くらいが望ましいのに、それもままならないけど。
・・・服、か。
トイレットペーパーのグレードアップ作戦なら受けて立つが、外出着のグレードアップはやはり荷が重すぎる。「今の僕では、このくらいで仕方がないか」というところにさえ、着地できる気がしない。取っ掛かりがなくて、アレンジどころか基礎が皆無だから「上着とズボン」としか思えないし、しかも試着などしなくちゃならないと思うともう無理だ。
・・・仕事のためのスーツ、なら買えるけど。
お前とデートに行くための服、だなんて、もはや衣料品の範疇を超えて、ラブレターを書くかのような気恥ずかしさだ。いや、これならラブレターの方が自信があるかもしれない。
仮に、もし書くなら何て書くのかなんてぼんやり考えつつ、渡しに行く服がないから全裸で渡すところを夢想して、半分寝ながら、先週はここにクロがいたんだと思い出した。
昼下がり、おもむろにカーテンを閉め切ると、今の僕にも出来るプライベートな行為をさせていただいた。その最中の頭で考えたところによると、先週あいつがティッシュに出して捨てていったものは本当は僕へのプレゼントで、「これでお前もよくなって」という、プラトニックな交際の中での華やかな置き土産だったのかもしれない。それをさっさと見もせず捨ててしまったなんて僕は薄情者だ。ごめん、クロ。それは、今、欲しいよ・・・ごめ、ん・・・っ。
・・・・・・・・・・・・・
日曜日は朝から洗濯。暑いほどの日差しで、布団を干したら汗が出た。
夕飯の後、アイロンがけをしていたら電話が鳴って、クロだった。
うわ、ちょっと待ってもういろいろ、ごめんなのか嬉しいなのかよく分からない。
「・・・あ、もしもし」
「もしもし、ねこ?」
「う、うん」
「あの、えっと・・・ど、どうしてた?」
「・・・どうしてたって、別に、どうってことはないけど」
「風呂でも洗ってた?」
「・・・あ、アイロンかけてた」
「あっそ。・・・そっか」
「な、何だよ」
「んー、実は・・・」
黒井は言いにくそうにしばらく黙り、ようやく「ごめん」と謝り、そしてふいに「俺、飲み会に行った」と言った。
・・・は?
・・・飲み会?
「その、金曜の夜さ、あいつら・・・新人たちが飲みやるって、黒井さんも顔出してくれとか言われて・・・、ちょ、ちょっとのつもりだったんだけど」
「・・・ふ、ふうん」
な、何だろう、突然我が家に爆弾が降ってきた。金曜日?僕はどうやって帰ったんだっけ、三課を振り向いて、こいつはいたんだっけ・・・?
・・・いなかった、のか。席を外してるのか先に帰ったのか、とにかく僕はふつうに帰ったんだ。
・・・の。
・・・飲み会に。
・・・行ってた。
「そ、それで?それがどうかしたの?」
我ながらすごい棒読み。僕が棒読みになるのは、照れている時だけじゃないみたいだ。
「ど、どうかしたってわけじゃないけど・・・、うん、まあ、どうしたってわけじゃない、けど」
「・・・けど?」
「いや、だってお前、誘ったって絶対来ないだろうし、・・・き、来た?」
「えっ、こ、こないと思うよ」
・・・新人の飲み会に?
黒井が誘われたのに僕まで行ったかって?
そ、そりゃ行かないだろうけど、いや、お前だけ行かせるのも許せなくて、結局行ったかもしれないけど・・・。
「本当に、ほんのちょっとのつもりだったんだよ。本社からも誰か来るって話でさ・・・でも結局来なかったんだけど」
「・・・うん」
「・・・まあ、ちょっと、飲みすぎて、昨日もずっと寝てて」
「・・・」
「ごめん」
「ごめんって何?別に、飲み会なんだから、飲めばいいんじゃないの?」
「・・・ごめん」
「だから何がだよ」
「いや、いろいろ、ちょっと・・・」
僕は嫉妬モードから頭を切り離し、事情聴取をする気持ちでそれを聞いた。事実を正確に、善悪の判断を加えず、起きたことをただ確認するという純粋な作業だ。きっとそれならできる。
頭脳はそちらに集中したが、感情の方は、アイロンが僕の代わりにシュゴー、シュゴーと音を立てて熱気を振りまいていた。
・・・・・・・・・・・・・・
「つまり、お前の彼女に立候補してくる女の子がいたから、<付き合ってる人がいる>と答えた、と」
「・・・まあ、うん」
お母さんに<付き合っている>と言ってしまった件では動揺していたけど、どうやらそれで吹っ切れたのかもしれない。自分の感情にびっくりすると揺れるくせに、一度慣れると立ち直りも早い・・・なんて客観的に分析してみたりする。
さすがに僕だとは言っていないみたいだが、どうだろう、これで、社内で肩を寄せて歩くリスクが1上がり、しかし女の子たちが期待して寄ってくる率は1下がった、か・・・?どう思えばいいのか今のところは判断がつかない。
「だってさ、みおちゃんだけじゃなくて、シゲやんまで<俺も黒井さんと付き合いたい>なんて言ってくるから・・・そりゃそっちは冗談だけどさ」
「そりゃ、そうだろうけど」
「・・・なんかね、俺、かっこいいんだって。そう見えるんだって。別に、嘘だろうが顔だけだろうが、でも何かまあ、・・・嬉しかったっていうか」
「・・・まあ、後輩からそんな風に言われたら、嬉しく思って当然だ」
あくまで一般論としては、だけど。
「そういや春にもさ、歓迎会みたいのやったけど、そん時は、別に言われても嬉しくないっていうか・・・千葉では、それどころじゃなくて、俺は俺をどうするかでいっぱいいっぱいだったわけでさ。でも、今は・・・」
「・・・うん?」
「何か、わかんないけど」
「・・・」
「気持ちよくて・・・その、ちょっと、やりすぎた」
その後の聞き取り調査で判明したのは、お姫様抱っこをしてほしいという女子の要望を叶えようとしたけど(叶えようとした!?)誰かに却下され、なぜか腕相撲大会になって男女問わず相手をしたということ。シゲやんとの真剣勝負に負け、椅子から転げ落ちたのをユウトに抱え起こされた、って・・・ユウト?それってまさか岩城君か?岩城君がイケメンの先輩であるクロの身体に触れて抱え起こした?何てことだ、きみは四課でいじめの対象になってもいいのか?
・・・いや、シゲやんは大柄で、体格で不利だったから負けたとかそんなことは聞いていない。
ユウトにも負けたのはシゲやんの後だったから・・・って、勝ち負けなんかどうでもいいんだよ。
え、女の子相手にも手加減しなかった?・・・いや、だから手加減の問題じゃない、手を握るところの問題なんだ。どうしてそれが分からないんだ。
「最後、ナナちゃんにも負けたのはさ、もう腕がピキピキしてたからで・・・。ねこ、幻滅してる?」
「・・・さあねえー」
鼻で笑ったのは、女の子に負けたとか、腕相撲なんかに本気出したとか、そんなことで微笑ましく思って呆れているからではないよ。クロくん。
「な、何だよ、どうでもいい?つまんない?アイロンの方が大事?」
「・・・ふ、はは」
いい加減アイロンの電源を切って、「いや、アイロンはかけてないよ」と言った。かけながら話半分に聞けるくらい余裕があればいいけどねえ。
「え、ちょっとねこってば。・・・お、俺が、新人の飲み会行ったとか、やっぱどうでもいい?」
「・・・やっぱ、って、何が?」
「お、俺ばっか、気にしてた?お前はその、俺が、誰と飲みに行こうと・・・どうでも・・・いい?」
・・・。
どうでもいいわけないだろ!と、怒鳴るべきなのか。
別に、どうでもいいけど?と強がるべきなのか。
でも、何だか、そうじゃなかった。もちろん黒井が新人たちにちやほやされて羽目を外したことに嫉妬していないわけではないけど・・・。
・・・<付き合っている>宣言をしたというから、それで安心したのか?
いや、違う。
・・・話の様子からするとあの不破くんは来ていなかったみたいだから、それで落ち着いている?
それも、違う。
新人に対する嫉妬は、正直、それほどなかった。
たぶん僕は別のことに、わだかまりがあるみたいだ。
長すぎる沈黙に耐えかねたのか、黒井は「ねこ、ねえ、怒ってる?」とバツの悪そうな声を出した。
「別に怒ってないよ。・・・っていうかさ、俺が怒る話じゃ、ないし」
「・・・こんどは、妬いてくんないの」
「・・・何、言ってるんだ」
「だって、何か、こういうの、ごめんって思うけど・・・でもお前に妬いてほしいのも、あるみたいで」
「・・・はあ?知るか」
「な、何だよ。あれから全然電話とかもくんないし、会社でも会ってないのに・・・お前と一緒にいたいのって、俺だけ?」
「・・・っ」
「俺が、付き合ってって言ったとき、・・・会えないのはやだって、言ってくれたじゃん」
「・・・」
「俺は、お前と一緒の時がいい。お前がいる空気の中がいい。・・・あいつらの中にいても、楽しいし、いい気持ちになったけど、・・・でもお前はやっぱり全然、違うもん」
「・・・あー」
心拍数は上がりながらも、心のどこかのスイッチがパキンという音を立てた。本音が置いてある部屋の扉が開かれて、もう投げつけてしまおうとしている。
「・・・なに?」
「もういい、もうやめろって。もういいから。・・・分かったよ、電話しなくて悪かった。電話だけなら出来たはずだけど、・・・あ、会おうって言われるのが、・・・困るから、しなかった」
「・・・なにそれ。・・・なんなの、それ」
・・・・・・・・・・・・・・
いったいどこの誰が、二十八歳の社会人で、私服がどうしようもない上に新しいものを買うこともできないから、休日には交際相手に会えない・・・だなんて、言うんだろう。
しかし黒井はひととおり僕の話・・・というか言い訳の羅列みたいなものを聞くと、「家から一歩も出てないの?」と訊いた。いや、駅前のスーパーまでなら行けるよ。ドラッグストアだってツタヤだって、お前に会わないならどこでも。・・・まあ、鏡や窓に映るとげんなりするんだけど。
「買い物だけなら行けるってこと?」
「・・・それは、まあ」
「じゃ、俺が行けばいいじゃん」
「・・・え?」
「お前はスーパーに買い物に行く。行けるんでしょ?」
「う、うん」
「俺だってスーパーに買い物くらいいくじゃん?」
「・・・はあ」
「たまには遠くのスーパーに行ったっていいじゃん?」
「・・・え?・・・おい、まさか」
「たまたまそこで会ったって、しょうがないじゃん?そうしよ!待ち合わせじゃないよ、デートじゃないよ、ただ偶然会っただけ」
「へ、変なこじつけだろ、そんなの、結局会うんだったら、スーパーだからとか・・・」
「俺だって、コンビニとかならジャージで行くし、うん、明日だって、超テキトーな服で行くよ。・・・スーパー行くのってさ、それがどこだろうが、俺の勝手でしょ?」
「ぐっ・・・」
「ははっ、やった。お前、俺の正論に勝てないでやんの。俺の勝ち!」
「・・・うっ、・・・で、でも・・・な、何時に行くなんて言ってない。偶然会う確率なんてほとんどない」
「んー、じゃあ、俺・・・明日の、何時くらいがいいのかな。ねえ、そういえばスーパーって何時ぐらいがいいの?えっと、月曜?祝日か」
「・・・そりゃ、休みの日なら夕方は家族連れで混むわけだから、五時、六時とかに行くもんじゃない」
「へえ、そっか。・・・そんじゃ、もっと前?三時くらい?」
「まあ、その辺りならまだ空いてる・・・」
「ふうーん。じゃあその辺りに行こうかな。・・・偶然、誰かに、会うかもなあー」
そうして結局、上機嫌になった黒井は含み笑いの「そんじゃあねー!」で電話を切り、僕はすっかり冷たくなったアイロンのスイッチを入れた。
言うつもりもなかった情けない告白をして、しかし、言ってしまうとちょっと、肩の荷が下りたというか、弱みを見せるのも確かに気持ちがよかったりするかも、などと思ってしまった。
やっぱり今週はちょっと人あたりしたようで、しばらく寝ていた。
会社に行っていればそれはそれで仕事をこなすけど、週末、しかも連休となると、何だかぽーんと投げ出されたような気持ち。
去年までは、会社の僕とプライベートの僕がいて、休みの日はドラマや読書や、好きなように好きなことをしていた。誰かと会うこともほぼ皆無だったし、趣味のDVDを大人買いしたり、本屋をはしごしたりして土日が過ぎた。
でも今は、何をしたらいいのかよく分からない。
今更、この連休でプライベートなドラマ鑑賞にふけろうとも思わなかった。
だからって、また何か計画してデ・・・デートに誘うかと言われれば、やっぱりハードルが高すぎる。仕事帰りの銭湯と夕飯くらいが望ましいのに、それもままならないけど。
・・・服、か。
トイレットペーパーのグレードアップ作戦なら受けて立つが、外出着のグレードアップはやはり荷が重すぎる。「今の僕では、このくらいで仕方がないか」というところにさえ、着地できる気がしない。取っ掛かりがなくて、アレンジどころか基礎が皆無だから「上着とズボン」としか思えないし、しかも試着などしなくちゃならないと思うともう無理だ。
・・・仕事のためのスーツ、なら買えるけど。
お前とデートに行くための服、だなんて、もはや衣料品の範疇を超えて、ラブレターを書くかのような気恥ずかしさだ。いや、これならラブレターの方が自信があるかもしれない。
仮に、もし書くなら何て書くのかなんてぼんやり考えつつ、渡しに行く服がないから全裸で渡すところを夢想して、半分寝ながら、先週はここにクロがいたんだと思い出した。
昼下がり、おもむろにカーテンを閉め切ると、今の僕にも出来るプライベートな行為をさせていただいた。その最中の頭で考えたところによると、先週あいつがティッシュに出して捨てていったものは本当は僕へのプレゼントで、「これでお前もよくなって」という、プラトニックな交際の中での華やかな置き土産だったのかもしれない。それをさっさと見もせず捨ててしまったなんて僕は薄情者だ。ごめん、クロ。それは、今、欲しいよ・・・ごめ、ん・・・っ。
・・・・・・・・・・・・・
日曜日は朝から洗濯。暑いほどの日差しで、布団を干したら汗が出た。
夕飯の後、アイロンがけをしていたら電話が鳴って、クロだった。
うわ、ちょっと待ってもういろいろ、ごめんなのか嬉しいなのかよく分からない。
「・・・あ、もしもし」
「もしもし、ねこ?」
「う、うん」
「あの、えっと・・・ど、どうしてた?」
「・・・どうしてたって、別に、どうってことはないけど」
「風呂でも洗ってた?」
「・・・あ、アイロンかけてた」
「あっそ。・・・そっか」
「な、何だよ」
「んー、実は・・・」
黒井は言いにくそうにしばらく黙り、ようやく「ごめん」と謝り、そしてふいに「俺、飲み会に行った」と言った。
・・・は?
・・・飲み会?
「その、金曜の夜さ、あいつら・・・新人たちが飲みやるって、黒井さんも顔出してくれとか言われて・・・、ちょ、ちょっとのつもりだったんだけど」
「・・・ふ、ふうん」
な、何だろう、突然我が家に爆弾が降ってきた。金曜日?僕はどうやって帰ったんだっけ、三課を振り向いて、こいつはいたんだっけ・・・?
・・・いなかった、のか。席を外してるのか先に帰ったのか、とにかく僕はふつうに帰ったんだ。
・・・の。
・・・飲み会に。
・・・行ってた。
「そ、それで?それがどうかしたの?」
我ながらすごい棒読み。僕が棒読みになるのは、照れている時だけじゃないみたいだ。
「ど、どうかしたってわけじゃないけど・・・、うん、まあ、どうしたってわけじゃない、けど」
「・・・けど?」
「いや、だってお前、誘ったって絶対来ないだろうし、・・・き、来た?」
「えっ、こ、こないと思うよ」
・・・新人の飲み会に?
黒井が誘われたのに僕まで行ったかって?
そ、そりゃ行かないだろうけど、いや、お前だけ行かせるのも許せなくて、結局行ったかもしれないけど・・・。
「本当に、ほんのちょっとのつもりだったんだよ。本社からも誰か来るって話でさ・・・でも結局来なかったんだけど」
「・・・うん」
「・・・まあ、ちょっと、飲みすぎて、昨日もずっと寝てて」
「・・・」
「ごめん」
「ごめんって何?別に、飲み会なんだから、飲めばいいんじゃないの?」
「・・・ごめん」
「だから何がだよ」
「いや、いろいろ、ちょっと・・・」
僕は嫉妬モードから頭を切り離し、事情聴取をする気持ちでそれを聞いた。事実を正確に、善悪の判断を加えず、起きたことをただ確認するという純粋な作業だ。きっとそれならできる。
頭脳はそちらに集中したが、感情の方は、アイロンが僕の代わりにシュゴー、シュゴーと音を立てて熱気を振りまいていた。
・・・・・・・・・・・・・・
「つまり、お前の彼女に立候補してくる女の子がいたから、<付き合ってる人がいる>と答えた、と」
「・・・まあ、うん」
お母さんに<付き合っている>と言ってしまった件では動揺していたけど、どうやらそれで吹っ切れたのかもしれない。自分の感情にびっくりすると揺れるくせに、一度慣れると立ち直りも早い・・・なんて客観的に分析してみたりする。
さすがに僕だとは言っていないみたいだが、どうだろう、これで、社内で肩を寄せて歩くリスクが1上がり、しかし女の子たちが期待して寄ってくる率は1下がった、か・・・?どう思えばいいのか今のところは判断がつかない。
「だってさ、みおちゃんだけじゃなくて、シゲやんまで<俺も黒井さんと付き合いたい>なんて言ってくるから・・・そりゃそっちは冗談だけどさ」
「そりゃ、そうだろうけど」
「・・・なんかね、俺、かっこいいんだって。そう見えるんだって。別に、嘘だろうが顔だけだろうが、でも何かまあ、・・・嬉しかったっていうか」
「・・・まあ、後輩からそんな風に言われたら、嬉しく思って当然だ」
あくまで一般論としては、だけど。
「そういや春にもさ、歓迎会みたいのやったけど、そん時は、別に言われても嬉しくないっていうか・・・千葉では、それどころじゃなくて、俺は俺をどうするかでいっぱいいっぱいだったわけでさ。でも、今は・・・」
「・・・うん?」
「何か、わかんないけど」
「・・・」
「気持ちよくて・・・その、ちょっと、やりすぎた」
その後の聞き取り調査で判明したのは、お姫様抱っこをしてほしいという女子の要望を叶えようとしたけど(叶えようとした!?)誰かに却下され、なぜか腕相撲大会になって男女問わず相手をしたということ。シゲやんとの真剣勝負に負け、椅子から転げ落ちたのをユウトに抱え起こされた、って・・・ユウト?それってまさか岩城君か?岩城君がイケメンの先輩であるクロの身体に触れて抱え起こした?何てことだ、きみは四課でいじめの対象になってもいいのか?
・・・いや、シゲやんは大柄で、体格で不利だったから負けたとかそんなことは聞いていない。
ユウトにも負けたのはシゲやんの後だったから・・・って、勝ち負けなんかどうでもいいんだよ。
え、女の子相手にも手加減しなかった?・・・いや、だから手加減の問題じゃない、手を握るところの問題なんだ。どうしてそれが分からないんだ。
「最後、ナナちゃんにも負けたのはさ、もう腕がピキピキしてたからで・・・。ねこ、幻滅してる?」
「・・・さあねえー」
鼻で笑ったのは、女の子に負けたとか、腕相撲なんかに本気出したとか、そんなことで微笑ましく思って呆れているからではないよ。クロくん。
「な、何だよ、どうでもいい?つまんない?アイロンの方が大事?」
「・・・ふ、はは」
いい加減アイロンの電源を切って、「いや、アイロンはかけてないよ」と言った。かけながら話半分に聞けるくらい余裕があればいいけどねえ。
「え、ちょっとねこってば。・・・お、俺が、新人の飲み会行ったとか、やっぱどうでもいい?」
「・・・やっぱ、って、何が?」
「お、俺ばっか、気にしてた?お前はその、俺が、誰と飲みに行こうと・・・どうでも・・・いい?」
・・・。
どうでもいいわけないだろ!と、怒鳴るべきなのか。
別に、どうでもいいけど?と強がるべきなのか。
でも、何だか、そうじゃなかった。もちろん黒井が新人たちにちやほやされて羽目を外したことに嫉妬していないわけではないけど・・・。
・・・<付き合っている>宣言をしたというから、それで安心したのか?
いや、違う。
・・・話の様子からするとあの不破くんは来ていなかったみたいだから、それで落ち着いている?
それも、違う。
新人に対する嫉妬は、正直、それほどなかった。
たぶん僕は別のことに、わだかまりがあるみたいだ。
長すぎる沈黙に耐えかねたのか、黒井は「ねこ、ねえ、怒ってる?」とバツの悪そうな声を出した。
「別に怒ってないよ。・・・っていうかさ、俺が怒る話じゃ、ないし」
「・・・こんどは、妬いてくんないの」
「・・・何、言ってるんだ」
「だって、何か、こういうの、ごめんって思うけど・・・でもお前に妬いてほしいのも、あるみたいで」
「・・・はあ?知るか」
「な、何だよ。あれから全然電話とかもくんないし、会社でも会ってないのに・・・お前と一緒にいたいのって、俺だけ?」
「・・・っ」
「俺が、付き合ってって言ったとき、・・・会えないのはやだって、言ってくれたじゃん」
「・・・」
「俺は、お前と一緒の時がいい。お前がいる空気の中がいい。・・・あいつらの中にいても、楽しいし、いい気持ちになったけど、・・・でもお前はやっぱり全然、違うもん」
「・・・あー」
心拍数は上がりながらも、心のどこかのスイッチがパキンという音を立てた。本音が置いてある部屋の扉が開かれて、もう投げつけてしまおうとしている。
「・・・なに?」
「もういい、もうやめろって。もういいから。・・・分かったよ、電話しなくて悪かった。電話だけなら出来たはずだけど、・・・あ、会おうって言われるのが、・・・困るから、しなかった」
「・・・なにそれ。・・・なんなの、それ」
・・・・・・・・・・・・・・
いったいどこの誰が、二十八歳の社会人で、私服がどうしようもない上に新しいものを買うこともできないから、休日には交際相手に会えない・・・だなんて、言うんだろう。
しかし黒井はひととおり僕の話・・・というか言い訳の羅列みたいなものを聞くと、「家から一歩も出てないの?」と訊いた。いや、駅前のスーパーまでなら行けるよ。ドラッグストアだってツタヤだって、お前に会わないならどこでも。・・・まあ、鏡や窓に映るとげんなりするんだけど。
「買い物だけなら行けるってこと?」
「・・・それは、まあ」
「じゃ、俺が行けばいいじゃん」
「・・・え?」
「お前はスーパーに買い物に行く。行けるんでしょ?」
「う、うん」
「俺だってスーパーに買い物くらいいくじゃん?」
「・・・はあ」
「たまには遠くのスーパーに行ったっていいじゃん?」
「・・・え?・・・おい、まさか」
「たまたまそこで会ったって、しょうがないじゃん?そうしよ!待ち合わせじゃないよ、デートじゃないよ、ただ偶然会っただけ」
「へ、変なこじつけだろ、そんなの、結局会うんだったら、スーパーだからとか・・・」
「俺だって、コンビニとかならジャージで行くし、うん、明日だって、超テキトーな服で行くよ。・・・スーパー行くのってさ、それがどこだろうが、俺の勝手でしょ?」
「ぐっ・・・」
「ははっ、やった。お前、俺の正論に勝てないでやんの。俺の勝ち!」
「・・・うっ、・・・で、でも・・・な、何時に行くなんて言ってない。偶然会う確率なんてほとんどない」
「んー、じゃあ、俺・・・明日の、何時くらいがいいのかな。ねえ、そういえばスーパーって何時ぐらいがいいの?えっと、月曜?祝日か」
「・・・そりゃ、休みの日なら夕方は家族連れで混むわけだから、五時、六時とかに行くもんじゃない」
「へえ、そっか。・・・そんじゃ、もっと前?三時くらい?」
「まあ、その辺りならまだ空いてる・・・」
「ふうーん。じゃあその辺りに行こうかな。・・・偶然、誰かに、会うかもなあー」
そうして結局、上機嫌になった黒井は含み笑いの「そんじゃあねー!」で電話を切り、僕はすっかり冷たくなったアイロンのスイッチを入れた。
言うつもりもなかった情けない告白をして、しかし、言ってしまうとちょっと、肩の荷が下りたというか、弱みを見せるのも確かに気持ちがよかったりするかも、などと思ってしまった。
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