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初デートに奔走
第280話:予行演習とさらなる誤解
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なぜか西沢の中で僕は黒井がすごく苦手という設定になり、そして、水曜、夕飯をともにすることになってしまった。朝だけで済ませたかったのに、やはり嘘を重ねるとろくなことにならない。
しかしそれでもいろいろ、構っている暇はなかった。相変わらず僕の中でのデート像は曖昧過ぎて実を結ばず、夢想や妄想すらも浮いてはこない。黒井とデートをする、という言葉すらやはり首をかしげてしまい、いっそのこと国内旅行のパッケージツアーみたいに、設定済みの日程表(イチャイチャ行為込み)が売っていればいいのに。どうしてみんな、こんなもの毎度自分で考えて実行できるんだ?世の中の男女はどうなってるんだ?
しかし、少し冷静になった僕はようやく・・・うん、自分がそもそもデートというものに興味がないのだと気がついた。好きな人とどこかへ行って「これはデートでは?」と思ったら浮かれるが、最初からデートと言われると、さて(イチャイチャ部分以外の)スケジューリングをしなくちゃとしか思えない。
そうか、僕にデートをしたい気持ちがないから、考えるのも難しいわけだ。草むらでのイチャイチャ行為に興味はあるけど、都内のどこかを電車や徒歩でまわりつつ行われるそれに、付加価値が感じられないのだ。
なるほど、一つ謎は解けたが、それならますます、西沢に訊かないと。
・・・・・・・・・・・・・
水曜日。
九月も三日目になり、曇りがちで、はっきりした境目もなく、気づいたら「そういえば」という感じで長袖のシャツを着ていた。僕の激動の夏は終わり、次の季節への移行が始まっているようだ。
朝、家を出る時にすうっと冷えていて、空気のにおいがちょっと違う。そういえば電車に再び現れた学生たちはスマホ片手に楽しそうで、聞いてみれば現役での恋バナなどが飛び交っており、思わず聞き耳を立ててしまった。・・・いや、現役ってなんだ、それをいえば僕だって現役じゃないか(たぶん)。
デング熱が都庁の隣の、あの中央公園にも飛び火したとのことで、社内メールにも注意の呼びかけ。そして、そろそろ少しだけお腹が目立つようになってきた佐山さんは、島津さんに絶対公園に近寄らないように諭されていた。
「でも、来週免許の更新に、都庁に行かなきゃならなくて・・・」
「地下から行きなさい。大江戸線のところから直通で行けるから」
それから小声で、「一人の身体じゃないんだから」「もう安定期だし、大丈夫」のやりとり。時間は不可逆的に前に向かって流れている。僕はすっかり忘れていた卓上カレンダーの八月を黄金の稲穂の九月に替えて、さて今週の日曜日に赤ボールペンで丸などつけてみる。・・・いやいやいや、どうなんだこれ。
そして夕方。
西沢は席で引っ越し云々の話をすることはなかったが、夕飯を食べに行くということなら、その件では普通に話しかけられてしまうだろう。まさかその様子を三課から見られているわけにもいかないし、僕は黒井も西沢も帰社してくる前に仕事を済ませ、早々に会社を出た。黒井は立ち寄らないであろう工学院のカフェで時間を潰し、西沢の会社ケータイに僕のアドレスを添えて連絡すると、<了解、待っとって>とすぐにメール。黒井以外で最近メールなんかしたのは菅野と藤井くらいで、意外にも女性ばかりであり、男からメールが入るという事態が何だか恐ろしかった。
・・・と、いうか。
デートの前に、そもそも、この食事会のハードルが高い。
場所を移して、というのは有り難いが、せめてこのカフェとかファーストフードくらいならいいのに、中華を食べに行くだって?西沢と二人なんてランチだって遠慮したいのに、しかし、そもそも話を振ったのは僕なわけで、デートを何とかするためには致し方がない。
・・・うん、友人が欲しいとは思ったけど、やっぱり無理かな。
自席や帰り道だったら会話はできるけど、デート同様、「場を設けて」という概念がだめみたいだ。まるで抜き打ちの実技テストのようで、基準がないから何をしたらいいのか分からない。一方的に連れ回されるのはいいが、互いの合意を前提としてしまうと、僕はもう消えていなくなりたくなってしまう。
・・・むしろ、デート本番に際して、これが僕の<リハビリ>か?いや、元々出来ていたわけじゃないからただの練習だけど。
「おー、おつかれ、こんなとこカフェあったんや。・・・待った?」
「あ、いえ・・・」
長身の西沢が歩いてきて、キザったらしく片手を上げる。今更ながらに後悔。いや、もうここで話しませんか、要点のみですぐ済ませますから・・・。
「ほな行こか、ちょい歩くけど、東口の方やねん」
当たり障りのない仕事の話をしながら、それとなく西沢がリードして、暗くなるのが早くなった街を歩く。並んで歩けば相手の顔を見なくて済むが、足の長さのぶん歩幅が違うので合わせるのに苦労した。いや、合わせられるのに苦労した。もうどちらかが完全に主導権を握って、残りの一人はオートで追従すればいいのに。
会社の外で二人だと、何となくいつもの上から目線発言も減るから、僕も冷たく返せない。
妙に真面目に仕事論なんかぶたれたって、いや、僕の頭は日曜日のピンク色なわけで。
しかしまあ、ビルの上階の小洒落た創作中華店で夜景など見下ろしてしまえば、話は仕事からやや色気のある方向へ。
「ここ、前にランチで来たんやけどな、ディナーはどないかなって気になってたんよ。彼女がでけたら来よ思て」
「・・・結局彼女出来てないんですか」
「んーそれ言う?いや、出会いは色々あったんよ。たぶんもうちょい・・・」
「予行演習ってわけですか?」
「ま、まあそれもあるね。別にええやん、美味しかったら」
「いいですけど」
なぜだか・・・うん、たぶん僕は自分が告白されているという優越感から急に気が楽になって、「じゃあ予行演習でいいので、おすすめ頼んでください」とメニューも丸投げにした。いや、そんな優越感は持つべきじゃないし、告白の純粋性が失われそうだけど、とにかく今は訊くだけ訊いてあとは礼を言って帰るだけだ。
・・・・・・・・・・・・・・
「都会住みのええとこねえー、ちゅうか、山根君とこの駅、スタバある?オシャレな服屋とか雑貨屋とかある?・・・あー、あっちやったら多摩センか、それか調布まで出るとか?ってか何でそないなとこ住んどんねん」
そんなことはどうでもいいですと言いたいが、何かの野菜炒めとお焦げのあんかけチャーハンと、何かのパリパリした鶏肉とロックの紹興酒がどうにも旨い。
「あの、山根君。いちおうまだ水曜やから。ちょっとにしとき」
「・・・別に、そんな飲む気ありませんよ」
うん、そういえばシンヤくんの時もそうだった。男と向かい合ってどうしていいか分からない時、つい酒に逃げてしまうんだ僕は。
「で、<とかいずみ>がどーしたんですっけ?」
「うん?ああそうね・・・」
西沢は自分が連れてきた店だからか、こっちの取り皿を使えだの骨に気をつけろだのいろいろ口を出してきた。他にも、僕の酔い具合を心配したり、トイレに立とうとすると察して場所を教えたり、そういえばさっきもエレベーターでは先を譲ったりとか、そんなに僕のことを考えないで下さいと思うほど。しかしふと僕は<予行演習>のことを思い出し、ああ、もしかしてデートやディナーって相手にこんなに気を遣わなくちゃいけないのかとおののいた。
・・・がしかし、そんなに気が回るのかと思えば箸遣いが汚かったりゲップをしたり、店員を呼んで無視されたらかっこ悪く諦めたりして、気を遣った先にある理想像が高い分、残念な部分の減点が大きくなっていく。
西沢さん、これ全然、合理的じゃないよ。上げるか下げるかどっちかにしないと。
「そやから、山根君もな、もう少しビジネスセンスを磨くゆうかね、そういう意味でも最先端の街って意味があって・・・」
うん、だから、その失礼な上から目線が更に減点なんだってば。
「やっぱりちょっと、発想が平凡になってしまいがちやん。そこ、もうちょっと、自分の目線を持つゆうかね・・・」
分かりやすくため息をついてもうざったい講釈は続き、僕は苛立ちを越えて、少し冷静になった。
・・・たぶん、悪気は、ないんだろう。
僕をやり込めてやろうとか、自分を優位にしたいがために言っているのではない。・・・以前自分でも言っていたが、嫌われたくなくて、ナイーブで、気を遣う。うん、きっとこれまで誰かと関係を持つ際、たまたま有効だったのがこの上から目線のなれなれしさで、それをずっと手放さず、手放せず、誰にでも大した応用もないまま使い回しているだけなんだ。
でもそれは、たぶん、僕も同じで。
応用どころかすべてそれ一本で斬ってきた理論武装は、理論上は誰にでもきちんと有効なはずだが、実際には<冷たいところがある山根君>であり、黒井を本社に行かせることにまでなった迷惑者だ。
つまりこれは、今までそれなりにうまくいったパターンをただ盲目的に続けているだけで、意味なんかない。僕はきっと本当は馬鹿にされているわけでもなく、むしろ彼は僕と仲良くしたいだけなんだろう。
「・・・それ、西沢さん、自分は出来てるんですか?」
「・・・っ、いやまあ、・・・山根君な、せやからそうバッサリやると会話にならんやん?コミュニケーションが大事って話よ」
そうしてきっと僕たちは互いの鎧をぶつけあって、それで<コミュニケーション>を取った。
そういえばクロの鎧は何だろうと思うけど、今ひとつ、感じ取れなかった。もしかしてそれで、鎧がない分クロはいつもダイレクトに本人がそこにいて、だから好きになってしまったのかななんて思った。
・・・ああ、そして、あの時あの車の中で僕の鎧は完全に剥がされて、それで、好かれてしまったのかな。
考えたら、たぶん顔が赤くなった。
西沢が「酔うた?気分悪いんちゃう?」と心配するので、「すこし酔いました」とつぶやいた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「まあたとえばやけど、水族館っちゅうたらじゃあサンシャインですねって、それはもう、万人向けやん。サンシャイン久しぶり行ったけど、もうガキばっかで、あとはアニメとかオタクっぽいのでイヤんなったわ。そうやなくて、やっぱ大人はね、白金とかそっち行って、品川の水族館くらいってのを目指さんと・・・」
徒歩で帰宅する西沢は僕を京王線まで送りながら、今ひとつよくわからない都会住み×ビジネス論?を語り続けた。
「・・・つまりデートでは品川に行けと?」
「別にそうは言わんけど・・・あ、山根君、もしやオタクやったん。ごめんやで、馬鹿にしとるわけやないで」
「ふう、結局馬鹿にしてるし、オタクじゃないです」
「ええんやで隠さんでも。こんなやけど俺ほんま、馬鹿にし・・・」
そうして西沢はふと雑踏の中で立ち止まり、振り返りざまの僕の肩に手を置いて、「・・・あああああっ!」と叫んだ。
「・・・な、何ですか、忘れ物?財布?」
いや、そのダチョウ革だかの長財布なら、先ほどしまうところをちゃんと見た。おごられたくなんかなかったのに。
「あ、あ、・・・ああ、山根君」
「な、なんですか?」
思わず語尾上がりのエセ関西弁のイントネーションが出る。西沢は肩に置いた手に力を込めて、「うーわっ!」とまた勝手に叫んだ。
「だから何ですか!」
「ややや山根君、恋人出来てん・・・い、一緒住むつもりやん!おわっ、俺鈍すぎる、何で気づかんかったんや、いや、まさか、まさか山根君に彼女できるて思わんもん!!」
「・・・、は、はあ?」
「いや、こないだからテンションおかしかったで。あれ、なに、恋愛オーラ出しよったんや、休み明けから何か変や思たわー」
西沢は盛大に舌打ちをして、「嘘や・・・」と天を仰いだ。この酔い具合で何か言ってしまわないよう注意しつつ、しかし、やはり心のどこかで優越感。そして恋愛オーラって何だ。
「うわー、それでみんなにも内緒やったんやー。・・・え、ってかそこまで極秘?・・・ってか俺にはベラベラ喋っとるやん」
「・・・な、何も、言ってません」
「あ、なに、俺だけ?」
「・・・え?」
「あ・・・そう。俺だけにはええの?・・・ん?」
そして西沢は黙った挙句、「山根君、ほんまに彼女おるん?」と訊いた。
「・・・いや、いないです」
「じゃまさか、俺のこと・・・。え、うちで、一緒に住みたいゆうてる?」
・・・。
僕は、馬鹿じゃないですかとか、頼まれたってごめんですとか、ここぞとばかり重い鎧をぶつけようとしたが、しかし、西沢を見たら案外に真面目な顔をしていた。それは、もしもの場合、安易に拒否して僕を傷つけてしまわないよう細心の注意を払っている顔で、それで僕は、ショウゴさんのこととかあの公園での黒井の涙を思い出し、急に何も言えなくなってしまった。・・・いや、告白されているわけじゃないけど。
黙っていたら、西沢が僕の肩に置いていた手を離し、でもやっぱり今度はそうっと置いて、「・・・ごめんな」と柔らかく謝った。何に対する謝罪なのか分からないが、どちらにしても彼をいらぬことに巻き込んで混乱させたのは僕で、「すみません」とこちらも謝った。
「・・・その、え、いつから?俺、気づかんで」
「・・・え?」
「その、俺のこと・・・」
「・・・あ、あの、そういうのじゃないです。本当に、そういうわけじゃないです」
「ほんま?え、そんなら、別の相手?」
「・・・は、い」
「あっ、そうなんや。そっか、あー、びっくりした。ちょ、ははっ、そんなら俺、恥ずかしいやんなあ」
そうして気まずそうに笑うので、ちょっと申し訳なかった。それでも律儀に「少し酔うとるから、気ぃつけて帰り」と言われ、僕は「あの、ご馳走様でした」とだけつぶやいて別れた。
しかしそれでもいろいろ、構っている暇はなかった。相変わらず僕の中でのデート像は曖昧過ぎて実を結ばず、夢想や妄想すらも浮いてはこない。黒井とデートをする、という言葉すらやはり首をかしげてしまい、いっそのこと国内旅行のパッケージツアーみたいに、設定済みの日程表(イチャイチャ行為込み)が売っていればいいのに。どうしてみんな、こんなもの毎度自分で考えて実行できるんだ?世の中の男女はどうなってるんだ?
しかし、少し冷静になった僕はようやく・・・うん、自分がそもそもデートというものに興味がないのだと気がついた。好きな人とどこかへ行って「これはデートでは?」と思ったら浮かれるが、最初からデートと言われると、さて(イチャイチャ部分以外の)スケジューリングをしなくちゃとしか思えない。
そうか、僕にデートをしたい気持ちがないから、考えるのも難しいわけだ。草むらでのイチャイチャ行為に興味はあるけど、都内のどこかを電車や徒歩でまわりつつ行われるそれに、付加価値が感じられないのだ。
なるほど、一つ謎は解けたが、それならますます、西沢に訊かないと。
・・・・・・・・・・・・・
水曜日。
九月も三日目になり、曇りがちで、はっきりした境目もなく、気づいたら「そういえば」という感じで長袖のシャツを着ていた。僕の激動の夏は終わり、次の季節への移行が始まっているようだ。
朝、家を出る時にすうっと冷えていて、空気のにおいがちょっと違う。そういえば電車に再び現れた学生たちはスマホ片手に楽しそうで、聞いてみれば現役での恋バナなどが飛び交っており、思わず聞き耳を立ててしまった。・・・いや、現役ってなんだ、それをいえば僕だって現役じゃないか(たぶん)。
デング熱が都庁の隣の、あの中央公園にも飛び火したとのことで、社内メールにも注意の呼びかけ。そして、そろそろ少しだけお腹が目立つようになってきた佐山さんは、島津さんに絶対公園に近寄らないように諭されていた。
「でも、来週免許の更新に、都庁に行かなきゃならなくて・・・」
「地下から行きなさい。大江戸線のところから直通で行けるから」
それから小声で、「一人の身体じゃないんだから」「もう安定期だし、大丈夫」のやりとり。時間は不可逆的に前に向かって流れている。僕はすっかり忘れていた卓上カレンダーの八月を黄金の稲穂の九月に替えて、さて今週の日曜日に赤ボールペンで丸などつけてみる。・・・いやいやいや、どうなんだこれ。
そして夕方。
西沢は席で引っ越し云々の話をすることはなかったが、夕飯を食べに行くということなら、その件では普通に話しかけられてしまうだろう。まさかその様子を三課から見られているわけにもいかないし、僕は黒井も西沢も帰社してくる前に仕事を済ませ、早々に会社を出た。黒井は立ち寄らないであろう工学院のカフェで時間を潰し、西沢の会社ケータイに僕のアドレスを添えて連絡すると、<了解、待っとって>とすぐにメール。黒井以外で最近メールなんかしたのは菅野と藤井くらいで、意外にも女性ばかりであり、男からメールが入るという事態が何だか恐ろしかった。
・・・と、いうか。
デートの前に、そもそも、この食事会のハードルが高い。
場所を移して、というのは有り難いが、せめてこのカフェとかファーストフードくらいならいいのに、中華を食べに行くだって?西沢と二人なんてランチだって遠慮したいのに、しかし、そもそも話を振ったのは僕なわけで、デートを何とかするためには致し方がない。
・・・うん、友人が欲しいとは思ったけど、やっぱり無理かな。
自席や帰り道だったら会話はできるけど、デート同様、「場を設けて」という概念がだめみたいだ。まるで抜き打ちの実技テストのようで、基準がないから何をしたらいいのか分からない。一方的に連れ回されるのはいいが、互いの合意を前提としてしまうと、僕はもう消えていなくなりたくなってしまう。
・・・むしろ、デート本番に際して、これが僕の<リハビリ>か?いや、元々出来ていたわけじゃないからただの練習だけど。
「おー、おつかれ、こんなとこカフェあったんや。・・・待った?」
「あ、いえ・・・」
長身の西沢が歩いてきて、キザったらしく片手を上げる。今更ながらに後悔。いや、もうここで話しませんか、要点のみですぐ済ませますから・・・。
「ほな行こか、ちょい歩くけど、東口の方やねん」
当たり障りのない仕事の話をしながら、それとなく西沢がリードして、暗くなるのが早くなった街を歩く。並んで歩けば相手の顔を見なくて済むが、足の長さのぶん歩幅が違うので合わせるのに苦労した。いや、合わせられるのに苦労した。もうどちらかが完全に主導権を握って、残りの一人はオートで追従すればいいのに。
会社の外で二人だと、何となくいつもの上から目線発言も減るから、僕も冷たく返せない。
妙に真面目に仕事論なんかぶたれたって、いや、僕の頭は日曜日のピンク色なわけで。
しかしまあ、ビルの上階の小洒落た創作中華店で夜景など見下ろしてしまえば、話は仕事からやや色気のある方向へ。
「ここ、前にランチで来たんやけどな、ディナーはどないかなって気になってたんよ。彼女がでけたら来よ思て」
「・・・結局彼女出来てないんですか」
「んーそれ言う?いや、出会いは色々あったんよ。たぶんもうちょい・・・」
「予行演習ってわけですか?」
「ま、まあそれもあるね。別にええやん、美味しかったら」
「いいですけど」
なぜだか・・・うん、たぶん僕は自分が告白されているという優越感から急に気が楽になって、「じゃあ予行演習でいいので、おすすめ頼んでください」とメニューも丸投げにした。いや、そんな優越感は持つべきじゃないし、告白の純粋性が失われそうだけど、とにかく今は訊くだけ訊いてあとは礼を言って帰るだけだ。
・・・・・・・・・・・・・・
「都会住みのええとこねえー、ちゅうか、山根君とこの駅、スタバある?オシャレな服屋とか雑貨屋とかある?・・・あー、あっちやったら多摩センか、それか調布まで出るとか?ってか何でそないなとこ住んどんねん」
そんなことはどうでもいいですと言いたいが、何かの野菜炒めとお焦げのあんかけチャーハンと、何かのパリパリした鶏肉とロックの紹興酒がどうにも旨い。
「あの、山根君。いちおうまだ水曜やから。ちょっとにしとき」
「・・・別に、そんな飲む気ありませんよ」
うん、そういえばシンヤくんの時もそうだった。男と向かい合ってどうしていいか分からない時、つい酒に逃げてしまうんだ僕は。
「で、<とかいずみ>がどーしたんですっけ?」
「うん?ああそうね・・・」
西沢は自分が連れてきた店だからか、こっちの取り皿を使えだの骨に気をつけろだのいろいろ口を出してきた。他にも、僕の酔い具合を心配したり、トイレに立とうとすると察して場所を教えたり、そういえばさっきもエレベーターでは先を譲ったりとか、そんなに僕のことを考えないで下さいと思うほど。しかしふと僕は<予行演習>のことを思い出し、ああ、もしかしてデートやディナーって相手にこんなに気を遣わなくちゃいけないのかとおののいた。
・・・がしかし、そんなに気が回るのかと思えば箸遣いが汚かったりゲップをしたり、店員を呼んで無視されたらかっこ悪く諦めたりして、気を遣った先にある理想像が高い分、残念な部分の減点が大きくなっていく。
西沢さん、これ全然、合理的じゃないよ。上げるか下げるかどっちかにしないと。
「そやから、山根君もな、もう少しビジネスセンスを磨くゆうかね、そういう意味でも最先端の街って意味があって・・・」
うん、だから、その失礼な上から目線が更に減点なんだってば。
「やっぱりちょっと、発想が平凡になってしまいがちやん。そこ、もうちょっと、自分の目線を持つゆうかね・・・」
分かりやすくため息をついてもうざったい講釈は続き、僕は苛立ちを越えて、少し冷静になった。
・・・たぶん、悪気は、ないんだろう。
僕をやり込めてやろうとか、自分を優位にしたいがために言っているのではない。・・・以前自分でも言っていたが、嫌われたくなくて、ナイーブで、気を遣う。うん、きっとこれまで誰かと関係を持つ際、たまたま有効だったのがこの上から目線のなれなれしさで、それをずっと手放さず、手放せず、誰にでも大した応用もないまま使い回しているだけなんだ。
でもそれは、たぶん、僕も同じで。
応用どころかすべてそれ一本で斬ってきた理論武装は、理論上は誰にでもきちんと有効なはずだが、実際には<冷たいところがある山根君>であり、黒井を本社に行かせることにまでなった迷惑者だ。
つまりこれは、今までそれなりにうまくいったパターンをただ盲目的に続けているだけで、意味なんかない。僕はきっと本当は馬鹿にされているわけでもなく、むしろ彼は僕と仲良くしたいだけなんだろう。
「・・・それ、西沢さん、自分は出来てるんですか?」
「・・・っ、いやまあ、・・・山根君な、せやからそうバッサリやると会話にならんやん?コミュニケーションが大事って話よ」
そうしてきっと僕たちは互いの鎧をぶつけあって、それで<コミュニケーション>を取った。
そういえばクロの鎧は何だろうと思うけど、今ひとつ、感じ取れなかった。もしかしてそれで、鎧がない分クロはいつもダイレクトに本人がそこにいて、だから好きになってしまったのかななんて思った。
・・・ああ、そして、あの時あの車の中で僕の鎧は完全に剥がされて、それで、好かれてしまったのかな。
考えたら、たぶん顔が赤くなった。
西沢が「酔うた?気分悪いんちゃう?」と心配するので、「すこし酔いました」とつぶやいた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「まあたとえばやけど、水族館っちゅうたらじゃあサンシャインですねって、それはもう、万人向けやん。サンシャイン久しぶり行ったけど、もうガキばっかで、あとはアニメとかオタクっぽいのでイヤんなったわ。そうやなくて、やっぱ大人はね、白金とかそっち行って、品川の水族館くらいってのを目指さんと・・・」
徒歩で帰宅する西沢は僕を京王線まで送りながら、今ひとつよくわからない都会住み×ビジネス論?を語り続けた。
「・・・つまりデートでは品川に行けと?」
「別にそうは言わんけど・・・あ、山根君、もしやオタクやったん。ごめんやで、馬鹿にしとるわけやないで」
「ふう、結局馬鹿にしてるし、オタクじゃないです」
「ええんやで隠さんでも。こんなやけど俺ほんま、馬鹿にし・・・」
そうして西沢はふと雑踏の中で立ち止まり、振り返りざまの僕の肩に手を置いて、「・・・あああああっ!」と叫んだ。
「・・・な、何ですか、忘れ物?財布?」
いや、そのダチョウ革だかの長財布なら、先ほどしまうところをちゃんと見た。おごられたくなんかなかったのに。
「あ、あ、・・・ああ、山根君」
「な、なんですか?」
思わず語尾上がりのエセ関西弁のイントネーションが出る。西沢は肩に置いた手に力を込めて、「うーわっ!」とまた勝手に叫んだ。
「だから何ですか!」
「ややや山根君、恋人出来てん・・・い、一緒住むつもりやん!おわっ、俺鈍すぎる、何で気づかんかったんや、いや、まさか、まさか山根君に彼女できるて思わんもん!!」
「・・・、は、はあ?」
「いや、こないだからテンションおかしかったで。あれ、なに、恋愛オーラ出しよったんや、休み明けから何か変や思たわー」
西沢は盛大に舌打ちをして、「嘘や・・・」と天を仰いだ。この酔い具合で何か言ってしまわないよう注意しつつ、しかし、やはり心のどこかで優越感。そして恋愛オーラって何だ。
「うわー、それでみんなにも内緒やったんやー。・・・え、ってかそこまで極秘?・・・ってか俺にはベラベラ喋っとるやん」
「・・・な、何も、言ってません」
「あ、なに、俺だけ?」
「・・・え?」
「あ・・・そう。俺だけにはええの?・・・ん?」
そして西沢は黙った挙句、「山根君、ほんまに彼女おるん?」と訊いた。
「・・・いや、いないです」
「じゃまさか、俺のこと・・・。え、うちで、一緒に住みたいゆうてる?」
・・・。
僕は、馬鹿じゃないですかとか、頼まれたってごめんですとか、ここぞとばかり重い鎧をぶつけようとしたが、しかし、西沢を見たら案外に真面目な顔をしていた。それは、もしもの場合、安易に拒否して僕を傷つけてしまわないよう細心の注意を払っている顔で、それで僕は、ショウゴさんのこととかあの公園での黒井の涙を思い出し、急に何も言えなくなってしまった。・・・いや、告白されているわけじゃないけど。
黙っていたら、西沢が僕の肩に置いていた手を離し、でもやっぱり今度はそうっと置いて、「・・・ごめんな」と柔らかく謝った。何に対する謝罪なのか分からないが、どちらにしても彼をいらぬことに巻き込んで混乱させたのは僕で、「すみません」とこちらも謝った。
「・・・その、え、いつから?俺、気づかんで」
「・・・え?」
「その、俺のこと・・・」
「・・・あ、あの、そういうのじゃないです。本当に、そういうわけじゃないです」
「ほんま?え、そんなら、別の相手?」
「・・・は、い」
「あっ、そうなんや。そっか、あー、びっくりした。ちょ、ははっ、そんなら俺、恥ずかしいやんなあ」
そうして気まずそうに笑うので、ちょっと申し訳なかった。それでも律儀に「少し酔うとるから、気ぃつけて帰り」と言われ、僕は「あの、ご馳走様でした」とだけつぶやいて別れた。
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