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お盆旅行と、告白
第256話:真夏の夜の怪談
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あるところに男がいて・・・。
探偵の説明はややこしいから抜きにする。
起こったことだけ抜き出すと・・・。
いや、これは要件と違うか。すまない、もとい。
あるところに男がいて、依頼を受けて、病院に行くんだ。病院といっても、産婦人科だ。依頼人はそこの病院の娘で、着物を着ている。ああ、古い話なんだ。戦後の話だ。
依頼は、その娘の、姉の病気のことだ。いや、妹か?忘れた。とにかく姉妹がいて、姉にしようか、その姉は、いつまでも子どもが産まれないんだ。いや、子どもが出来ないんじゃなく、大きなお腹のまま、ずっと産まれてこないんだ。いや、そこは産婦人科なわけで、娘の父が院長なわけで、当然診ているわけだが、原因は分からない。当時の医学では、たぶんスキャン装置とかもないだろうしね。それで、まあその男、探偵ではないんだけど、まあ探偵と呼ぼうか。その探偵は、もちろん婦人科の医者として呼ばれたわけじゃない。依頼はそこじゃなくて、その、姉の、夫だな。亭主がいなくなったんだ。蒸発して、いや、文字通り、密室から・・・ああ、まあ、お約束通り、密室なんだ、その鍵のかかった部屋から消えちまって、そのせいで姉がおかしくなっていると言うんだ。だから、亭主を捜してくれと、生きてても死んでてもいいから、とにかくはっきりさせたいんだと、そういう話だ。
それでまあ、探偵はその病院兼住居を調べるわけだ。その探偵は、まあさっきも言ったが本当は探偵じゃなくて、たまたま巻き込まれた素人なんだけど、まあ、真似事をするわけだな。その時あなたはどこにいましたか、誰と誰の仲は険悪でしたか・・・。
そして、とうとうその部屋、つまり、亭主が消えていなくなり、今は姉が寝ている部屋に来る。姉はちょっと精神的におかしくなっていて、大きなお腹で憔悴したまま、亭主がその、消えた部屋にまた戻ってくるんじゃないかと、そこで寝たきりで待ってるんだ。書庫か何かかな、天井が高く、少し冷えていて、密閉性が高い。入ったとたん、ナフタリンのにおいがする。本棚には、分厚い医学書がずらりと並んでいる。ベッドで、真っ白な顔の姉が、譫言をつぶやいている。時々笑いながら、細い棒のような腕を宙に上げて、「姉さん、あの人が帰って来たの?」・・・って、やっぱり妹だったか。僕はその亭主に間違われたんだ。・・・あ、僕っていうのはその探偵の一人称だから、つい。
僕はその部屋に入って、一年も二年も産まれない子どもを宿した女を、怪物みたいに恐れていたわけだけど、まあ、やせ細ってはいるがふつうの女だ。でも、それとは別に、こう、床が・・・。
カツ、カツ、と靴音がするような、固い木の床、いや、石造りか?とにかく冷たく頑丈な床だ。その、女のお腹を、膨張して盛り上がったお腹を見ることが出来なくて、僕は無意識に目を逸らすんだ。そして、そこを・・・。
きらりと、光って。
いや、違う。
女と話しているときに光ったんじゃないよ。その前、部屋を、歩いて、横切る時だろう。そうじゃなきゃ光が、窓からの光を反射して、きらりとなる角度にはならない。だから、その前から気づいてたんだ。
・・・。
・・・死体だよ。
・・・。
(黒井が一瞬、びくっとする)
光っているのはナイフだよ。果物ナイフ、死体に突き立っている、果物ナイフだ。今思えば、きらりと光るほど綺麗だったのかな。だってその男が死んだのはその、一年も二年も前なんだから。錆びたり、血が固まって、光るほど銀色じゃなくなってないかな?どうだろう、誰か拭いてたのかな。
とにかく、最初から、当の最初から死体はそこにあったんだ。見えていないのは探偵だけ。妹のベッドからは見えない位置で、姉は、まあ、本当は知ってるんだけど、ちょっと事情でね。
・・・探偵にはどうして見えなかったかって?
それは、ただ、見えなかったんだよ。
自分の脳みそに、その情報はインプットされなかった。網膜には映っただろうよ、しかし、認識はしなかった。人間の精神は、脳みそは、僕たちが思うよりずっと柔軟で、曖昧で、しかし精巧で、綺麗にトリミングだってやってのけるんだ。普段の生活ではそんなことはあまり起こり得ない。ただ、突然探偵となって、恐ろしい噂の場所に足を踏み入れ、死体を見た日とあっては話は別、と言ってもおかしくはないだろう。
・・・まあ、この真相がミステリとしてふさわしいかふさわしくないか、そういうことは別にはあるがね。でも、それだって僕には面白かったんだ。見えない死体だなんて、鏡のトリックとかじゃなく、脳みそがそれを見せないなんてさ。いや、僕が探偵ならもちろん死体を発見したいよ。だから僕はそれが・・・。
・・・。
ええと、何だったかな。
ちょっと分からなくなってしまった。
どうして亭主がそこで死に、妹がおかしくなったかは、見えない死体とは全く別の恐ろしい真相があるわけだけど、それは先に言ったとおり説明しきれないからやめておこう。
だから僕の話はこれまでだ。
拙い語りで済まない。怖かったかは分からないが、これで、終わりだ。ご静聴有り難う。お休みなさい。
・・・・・・・・・・・・・・
夢を、見た。
ふと、雨戸に叩きつける土砂降りの雨に気づく。こういう風に起きた時はよく、音を後から認識するんだ。最初は聞こえていなかった。・・・ああ、うん、死体だって見えないんだろう。
たどるように夢を思い出す。また僕は死んでたんだ。やっぱりねという感じ。
僕は、車を売る営業マンだった。まあ、急に運転なんかしたから夢に出たんだろう。
正確にいえばそれは僕ではなく、映画の中というか、たとえばテレビで見る、よく出来た再現VTRみたいな感じだ。僕だけど僕ではない、もう少し洗練されていて見栄えのする僕は、外資系っぽい会社のちょっとエリート風な感じだった。
外国の最先端のオフィスビルみたいなところで、商談を終えた。
もう少しでうまくいくところだが、まだだ。
ロビーまで戻り、上司らしき人物に電話をかける。しかし彼は、「実は・・・」みたいなことを言いかけるが、結局言わない。
それは、その客についての秘密であり、それが分かれば商談も制することが出来るだろう。エリートの<僕>はそれを聞いてはいないのだが、この僕には何となくそれが分かる(映画の観客のような感じなので)。その秘密とは、ちょっと非現実的な、SFみたいな、そう、バットマンみたいな世界観で、その会社が特殊な能力を持つ巨悪と裏で繋がってるとか、そういう感じだ。
結局、いったん商談を終え、切り上げる。
会社に戻ると、同僚でもある親友が現れる。その横には事務の魅力的な女の子を連れている・・・みたいだが、これは付属品としてくっついているだけで、その子は喋らないし、特に意味はない。男は「よう、仕事はどうだよ」「いい話あるぜ」みたいな物言いで、ちょっといけ好かないやつだ。まあ、今考えれば何だか芝居がかった、いかにもなキャラクター。
そして、その親友が今日は、「マジ困ってる」。
「なあ、聞けよ、これ、産業革命以来の革命的な味のドレッシング」
スプーンに一口試食すると、まあ、オリーブオイルベースで美味しい。が、産業革命以来って何だ。
「これの在庫が一億ほどあるってワケ」
一億本?一億円分?あっそう、それで?
「どうにかしてサバかなきゃなんねえよ」
今ある他の使える在庫は、水道水と(おい?)、シーザーサラダドレッシングが二千ほど、とのこと。そんなもの混ぜても美味しくないだろう。だったら単品で売れよ。
「いや、これを、プレゼントにすんだよ」
ああ、なるほど。キャンペーンのプレゼントとしてタダでばらまき、客集めやアンケートに使おうというわけか。そりゃそうだ、混ぜてどうする俺。
「それだけじゃなくてさ、ほら、これのキャンペーン」
今売り出し中の、4WD。これを買うと今ならアウトドアグッズがついてくるというのがあり、僕は、400万近い車に1、2万のグッズが一つついたから何だ・・・、しかし、もらえるとなれば嬉しくなるから騙されてるよな、と思う。
とにかくそのキャンペーンに乗っかって、アンケートに答えるとドレッシングがもらえることにするらしい。
「まあ大体、答えるのはほぼ全員女だ」
・・・まあ、ドレッシングは料理に使うんだし、女性が多いだろう。
「だからよぉ」
どうやら、応募してきた女性を吟味し、見栄えのする綺麗どころばかりを揃えて(応募は写真つき、いや、ホログラム立体つきで、どうやらここは近未来らしい)、「良かったです!」なんて感想とともに広告に載せるだの、そういう微妙な悪巧み・・・。
え、何だ、それだけじゃなくて、好みの女を引っかけようって?まったく下衆なヤツだな。
そして、その同僚の思考のことを考えたらそこへ入っていって、そいつの心の声の視点に切り替わっていく。
最初は、「ケッ、何だこんな仕事、やってられっか」みたいな遠吠え。
しかし、徐々に怯えた感じになっていく。
「だって、あれ以来、怖いに決まってんだろ?感じるんだよ、視線をよ。ずっと、ずっと、監視されてる、見られてる・・・!」
どうやら、うちの会社を狙うテロリストだか悪の組織だかの話だ。
「ずっと見てるよ、お前を」
そしてその思考は、そのテロリストへと移っていく。
「すべて見ている。二十四時間、全部把握している、お前のことを・・・。あんな風になりたくなかったら、せいぜい頑張ることだな・・・」
どうやら暗殺者、狙撃手のような?
「○月○日の(七月だったような?日付までは思い出せない)、と言えば、分かるだろう・・・?」
そう、その日、うちの会社で、人知れず犠牲者が出た。表向きはふつうに処理されてるけど、本当はやつらの仕業なんだ。殺された。その、殺された男は・・・。
・・・僕なんだ。
そうか。そうだったのか。
でも、じゃあ、どうしてまだ意識があるんだ?
今は七月よりずっと後のはずなのに、いったい、あの商談や、同僚や、あれは誰と何を喋ってたんだ?
でも確かに死んだのは僕だ。どうなっている?
知っているのは、あの、電話の相手だ。
上司、いや、本当は上司じゃないし、うちの会社の人間でもないのかもしれない。
素性は知れない。年上の男、というくらいしか分からない。
しかし、そいつなら全てを知っている。知ってるはずだ・・・。
そして目覚めた。
体を起こし、手で額を覆う。・・・ふう、やっぱりか。やっぱり続くのか、僕が死ぬ夢は。
「・・・ねこ?」
「・・・っ」
どきっとして、思わず唾を飲み込んだ。ああ、そうだ、隣にクロがいた。うん、分かってはいたけど、考えないようにしていた・・・。
「どしたの?」
「・・・何でもない」
はは、もう、男の子が死ぬ夢は卒業したみたいだよ。
大丈夫だ、すっかり、死ぬのは僕だけだから。
黒井は何か言いたそうに沈黙していたが、やがて、「雨、すごいね」とだけ言った。
・・・・・・・・・・・・・・
リビングの雨戸を一つだけ開けて、バケツをひっくり返したみたいな雨を見る。
大の大人が四人揃って、口をぽかんと開けたまま。
お姉さんは「これじゃ帰れないよー」とテレビの天気予報をザッピングし、お母さんはどこかに何かのキャンセルの電話。僕は新聞を読むともなく読み、黒井だけ外を眺め続けていた。
思い詰めた、ような。
あるいは何かに惹かれるような、いつもの横顔。
ダイニングテーブルにはオムレツやウインナーやフルーツが並んでいて、どうやら今日の朝食は各自好きなように食べるビュッフェスタイル。昨日の残り物もあったので、僕は積極的にそれを食べた。何ていうか、「美味しいですね」と言葉に出そうとは特に思わないような、いわゆる<普通に美味しい>というやつ。近隣にデパ地下があるわけでなし、全部手作りなんだよねえ?
お母さんは電話で忙しく、お姉さんはスマホでの検索に余念がないので、何となく僕たちは食べたら二階に引っ込んだ。ああ、食べたら食べっぱなしなんて、申し訳ない。
・・・って、いうか。
何だかもう、本当に、家族みたいだ。
あの、キャビネ前の四人だって僕としては相当近く感じてしまっているけれども、でも、ほんの三日目で、ここではそれ以上を感じていた。
法事なんて、何もなくて。
親戚のおじさんおばさん連中もいなくて。
そういえば、黒井に対する「そろそろ結婚は?」攻撃もなく(僕に対する「彼女は?」はあったが)、「仕事は順調?(出世は?)」もなく、あまり期待されてないというか、子ども扱いのままというか。
子どものままでいてもいいんだ、みたいな。
いや、そんなのだめだ。どんなに甘えたって年は取るし、十人兄弟の末っ子とかならともかく、僕たちは二人とも長男なんだ。
・・・はは、別に、余所のお宅なんだから、子どものままも甘えるも何もないよね。黒井が甘えるかどうかは本人の問題であって、僕は単なるどこかの他人だ。ちょっと優しくされて、受け入れてもらった(ように見える)からって、何をいい気になっているんだか。
そう思ったら、昼間から布団でごろごろしているわけにもいかず、部屋の片づけを始めた。雨じゃなければ庭の草むしりでもするところだけど、他に何かあるだろうか?
黒井はスケッチブックにまた何か描いていて、集中してるみたいだったので、僕はトイレのついでに下へ行き、何か手伝いを申し出た。
僕に申し渡されたのは、一階の和室の押入れの整理と、昼食のチャーハンの、フライパンをあおる係。お散歩に行けないいくと君がたまにちょろちょろして、僕を見て「・・・にゃにゃ?」とつぶやくので、ちょっとどぎまぎした。お姉さんも見ていなくて、ただ個人的に幼児から質問を受けたことに戸惑う。逡巡した挙げ句「・・・はい、そうです」と述べ、しかし、「いくと君は何才ですか」と問うことは出来なかった。何やら体も目線も落ち着かないが、こちらにわざわざ注意を払ってもらうほどの用事でもない。
四人分のチャーハンは大量で、重い鉄のフライパンが返しきれない。う、腕が疲れる。人がいるというのはこういうことか。
お母さんが横でたまごスープを作り、ふわふわ卵が出来ていくのを間近で見た。強火にして、糸みたいに少しずつ垂らすのがコツとのこと。ふむふむ。
「彰彦さんは何をしてるんですか?」
「・・・え、えっと、絵を、描いてるみたいです」
「お絵かき」
「は、はあ」
「お絵かきねえ、まあ、お暇ですし、よろしゅうございますこと」
ちょっと迷ったが、一歩踏み込んでみる。
「あ、あの、とても、上手ですよ」
「え、彰彦さん?ああ、そうね、昔からお絵かきは上手ね」
「そうでしたか」
「やまねこさんは何か、お好きなものがあるの?」
「え、えっと、僕は、・・・ミステリが」
「ミステリー?」
「その、推理小説です」
「ああ、そう。私もね、ドラマ?ほら、テレビ面白いのないから、いつも見てますよ。えー、十津川さんのとか、山村美紗さんのとか」
「・・・浅見光彦、とか」
「そうそう、浅見さんも」
何だ、見てたのか。和服で「彰彦さん」って呼ぶところはご母堂様みたいです、って、何となくそこまでは言えないけど。
昼過ぎ、高級そうなカニ缶のチャーハンと中華スープと、その他こまごましたものが並ぶ。雨は降ったり止んだりで、たまにゲリラ豪雨みたいになった。
豆腐サラダみたいなものをつつきながら、ふとした会話で、「これは宮様からいただいてね」「あ、いつもの?」「そう、律儀に送ってくださるの」とか。・・・宮さんって名字の人、じゃ、ないよね。発音からしてそれは、宮内庁の宮、だよね・・・。もしかして昨日のアロハシャツの人はものすごく偉い人だった?研修って、外務省か何かとか?く、クロは、東証二部上場程度のこんな会社でいいのか?「好きに生きたらいい」って、こんな、僕なんかとつるんでて本当にいいんですかね!?
探偵の説明はややこしいから抜きにする。
起こったことだけ抜き出すと・・・。
いや、これは要件と違うか。すまない、もとい。
あるところに男がいて、依頼を受けて、病院に行くんだ。病院といっても、産婦人科だ。依頼人はそこの病院の娘で、着物を着ている。ああ、古い話なんだ。戦後の話だ。
依頼は、その娘の、姉の病気のことだ。いや、妹か?忘れた。とにかく姉妹がいて、姉にしようか、その姉は、いつまでも子どもが産まれないんだ。いや、子どもが出来ないんじゃなく、大きなお腹のまま、ずっと産まれてこないんだ。いや、そこは産婦人科なわけで、娘の父が院長なわけで、当然診ているわけだが、原因は分からない。当時の医学では、たぶんスキャン装置とかもないだろうしね。それで、まあその男、探偵ではないんだけど、まあ探偵と呼ぼうか。その探偵は、もちろん婦人科の医者として呼ばれたわけじゃない。依頼はそこじゃなくて、その、姉の、夫だな。亭主がいなくなったんだ。蒸発して、いや、文字通り、密室から・・・ああ、まあ、お約束通り、密室なんだ、その鍵のかかった部屋から消えちまって、そのせいで姉がおかしくなっていると言うんだ。だから、亭主を捜してくれと、生きてても死んでてもいいから、とにかくはっきりさせたいんだと、そういう話だ。
それでまあ、探偵はその病院兼住居を調べるわけだ。その探偵は、まあさっきも言ったが本当は探偵じゃなくて、たまたま巻き込まれた素人なんだけど、まあ、真似事をするわけだな。その時あなたはどこにいましたか、誰と誰の仲は険悪でしたか・・・。
そして、とうとうその部屋、つまり、亭主が消えていなくなり、今は姉が寝ている部屋に来る。姉はちょっと精神的におかしくなっていて、大きなお腹で憔悴したまま、亭主がその、消えた部屋にまた戻ってくるんじゃないかと、そこで寝たきりで待ってるんだ。書庫か何かかな、天井が高く、少し冷えていて、密閉性が高い。入ったとたん、ナフタリンのにおいがする。本棚には、分厚い医学書がずらりと並んでいる。ベッドで、真っ白な顔の姉が、譫言をつぶやいている。時々笑いながら、細い棒のような腕を宙に上げて、「姉さん、あの人が帰って来たの?」・・・って、やっぱり妹だったか。僕はその亭主に間違われたんだ。・・・あ、僕っていうのはその探偵の一人称だから、つい。
僕はその部屋に入って、一年も二年も産まれない子どもを宿した女を、怪物みたいに恐れていたわけだけど、まあ、やせ細ってはいるがふつうの女だ。でも、それとは別に、こう、床が・・・。
カツ、カツ、と靴音がするような、固い木の床、いや、石造りか?とにかく冷たく頑丈な床だ。その、女のお腹を、膨張して盛り上がったお腹を見ることが出来なくて、僕は無意識に目を逸らすんだ。そして、そこを・・・。
きらりと、光って。
いや、違う。
女と話しているときに光ったんじゃないよ。その前、部屋を、歩いて、横切る時だろう。そうじゃなきゃ光が、窓からの光を反射して、きらりとなる角度にはならない。だから、その前から気づいてたんだ。
・・・。
・・・死体だよ。
・・・。
(黒井が一瞬、びくっとする)
光っているのはナイフだよ。果物ナイフ、死体に突き立っている、果物ナイフだ。今思えば、きらりと光るほど綺麗だったのかな。だってその男が死んだのはその、一年も二年も前なんだから。錆びたり、血が固まって、光るほど銀色じゃなくなってないかな?どうだろう、誰か拭いてたのかな。
とにかく、最初から、当の最初から死体はそこにあったんだ。見えていないのは探偵だけ。妹のベッドからは見えない位置で、姉は、まあ、本当は知ってるんだけど、ちょっと事情でね。
・・・探偵にはどうして見えなかったかって?
それは、ただ、見えなかったんだよ。
自分の脳みそに、その情報はインプットされなかった。網膜には映っただろうよ、しかし、認識はしなかった。人間の精神は、脳みそは、僕たちが思うよりずっと柔軟で、曖昧で、しかし精巧で、綺麗にトリミングだってやってのけるんだ。普段の生活ではそんなことはあまり起こり得ない。ただ、突然探偵となって、恐ろしい噂の場所に足を踏み入れ、死体を見た日とあっては話は別、と言ってもおかしくはないだろう。
・・・まあ、この真相がミステリとしてふさわしいかふさわしくないか、そういうことは別にはあるがね。でも、それだって僕には面白かったんだ。見えない死体だなんて、鏡のトリックとかじゃなく、脳みそがそれを見せないなんてさ。いや、僕が探偵ならもちろん死体を発見したいよ。だから僕はそれが・・・。
・・・。
ええと、何だったかな。
ちょっと分からなくなってしまった。
どうして亭主がそこで死に、妹がおかしくなったかは、見えない死体とは全く別の恐ろしい真相があるわけだけど、それは先に言ったとおり説明しきれないからやめておこう。
だから僕の話はこれまでだ。
拙い語りで済まない。怖かったかは分からないが、これで、終わりだ。ご静聴有り難う。お休みなさい。
・・・・・・・・・・・・・・
夢を、見た。
ふと、雨戸に叩きつける土砂降りの雨に気づく。こういう風に起きた時はよく、音を後から認識するんだ。最初は聞こえていなかった。・・・ああ、うん、死体だって見えないんだろう。
たどるように夢を思い出す。また僕は死んでたんだ。やっぱりねという感じ。
僕は、車を売る営業マンだった。まあ、急に運転なんかしたから夢に出たんだろう。
正確にいえばそれは僕ではなく、映画の中というか、たとえばテレビで見る、よく出来た再現VTRみたいな感じだ。僕だけど僕ではない、もう少し洗練されていて見栄えのする僕は、外資系っぽい会社のちょっとエリート風な感じだった。
外国の最先端のオフィスビルみたいなところで、商談を終えた。
もう少しでうまくいくところだが、まだだ。
ロビーまで戻り、上司らしき人物に電話をかける。しかし彼は、「実は・・・」みたいなことを言いかけるが、結局言わない。
それは、その客についての秘密であり、それが分かれば商談も制することが出来るだろう。エリートの<僕>はそれを聞いてはいないのだが、この僕には何となくそれが分かる(映画の観客のような感じなので)。その秘密とは、ちょっと非現実的な、SFみたいな、そう、バットマンみたいな世界観で、その会社が特殊な能力を持つ巨悪と裏で繋がってるとか、そういう感じだ。
結局、いったん商談を終え、切り上げる。
会社に戻ると、同僚でもある親友が現れる。その横には事務の魅力的な女の子を連れている・・・みたいだが、これは付属品としてくっついているだけで、その子は喋らないし、特に意味はない。男は「よう、仕事はどうだよ」「いい話あるぜ」みたいな物言いで、ちょっといけ好かないやつだ。まあ、今考えれば何だか芝居がかった、いかにもなキャラクター。
そして、その親友が今日は、「マジ困ってる」。
「なあ、聞けよ、これ、産業革命以来の革命的な味のドレッシング」
スプーンに一口試食すると、まあ、オリーブオイルベースで美味しい。が、産業革命以来って何だ。
「これの在庫が一億ほどあるってワケ」
一億本?一億円分?あっそう、それで?
「どうにかしてサバかなきゃなんねえよ」
今ある他の使える在庫は、水道水と(おい?)、シーザーサラダドレッシングが二千ほど、とのこと。そんなもの混ぜても美味しくないだろう。だったら単品で売れよ。
「いや、これを、プレゼントにすんだよ」
ああ、なるほど。キャンペーンのプレゼントとしてタダでばらまき、客集めやアンケートに使おうというわけか。そりゃそうだ、混ぜてどうする俺。
「それだけじゃなくてさ、ほら、これのキャンペーン」
今売り出し中の、4WD。これを買うと今ならアウトドアグッズがついてくるというのがあり、僕は、400万近い車に1、2万のグッズが一つついたから何だ・・・、しかし、もらえるとなれば嬉しくなるから騙されてるよな、と思う。
とにかくそのキャンペーンに乗っかって、アンケートに答えるとドレッシングがもらえることにするらしい。
「まあ大体、答えるのはほぼ全員女だ」
・・・まあ、ドレッシングは料理に使うんだし、女性が多いだろう。
「だからよぉ」
どうやら、応募してきた女性を吟味し、見栄えのする綺麗どころばかりを揃えて(応募は写真つき、いや、ホログラム立体つきで、どうやらここは近未来らしい)、「良かったです!」なんて感想とともに広告に載せるだの、そういう微妙な悪巧み・・・。
え、何だ、それだけじゃなくて、好みの女を引っかけようって?まったく下衆なヤツだな。
そして、その同僚の思考のことを考えたらそこへ入っていって、そいつの心の声の視点に切り替わっていく。
最初は、「ケッ、何だこんな仕事、やってられっか」みたいな遠吠え。
しかし、徐々に怯えた感じになっていく。
「だって、あれ以来、怖いに決まってんだろ?感じるんだよ、視線をよ。ずっと、ずっと、監視されてる、見られてる・・・!」
どうやら、うちの会社を狙うテロリストだか悪の組織だかの話だ。
「ずっと見てるよ、お前を」
そしてその思考は、そのテロリストへと移っていく。
「すべて見ている。二十四時間、全部把握している、お前のことを・・・。あんな風になりたくなかったら、せいぜい頑張ることだな・・・」
どうやら暗殺者、狙撃手のような?
「○月○日の(七月だったような?日付までは思い出せない)、と言えば、分かるだろう・・・?」
そう、その日、うちの会社で、人知れず犠牲者が出た。表向きはふつうに処理されてるけど、本当はやつらの仕業なんだ。殺された。その、殺された男は・・・。
・・・僕なんだ。
そうか。そうだったのか。
でも、じゃあ、どうしてまだ意識があるんだ?
今は七月よりずっと後のはずなのに、いったい、あの商談や、同僚や、あれは誰と何を喋ってたんだ?
でも確かに死んだのは僕だ。どうなっている?
知っているのは、あの、電話の相手だ。
上司、いや、本当は上司じゃないし、うちの会社の人間でもないのかもしれない。
素性は知れない。年上の男、というくらいしか分からない。
しかし、そいつなら全てを知っている。知ってるはずだ・・・。
そして目覚めた。
体を起こし、手で額を覆う。・・・ふう、やっぱりか。やっぱり続くのか、僕が死ぬ夢は。
「・・・ねこ?」
「・・・っ」
どきっとして、思わず唾を飲み込んだ。ああ、そうだ、隣にクロがいた。うん、分かってはいたけど、考えないようにしていた・・・。
「どしたの?」
「・・・何でもない」
はは、もう、男の子が死ぬ夢は卒業したみたいだよ。
大丈夫だ、すっかり、死ぬのは僕だけだから。
黒井は何か言いたそうに沈黙していたが、やがて、「雨、すごいね」とだけ言った。
・・・・・・・・・・・・・・
リビングの雨戸を一つだけ開けて、バケツをひっくり返したみたいな雨を見る。
大の大人が四人揃って、口をぽかんと開けたまま。
お姉さんは「これじゃ帰れないよー」とテレビの天気予報をザッピングし、お母さんはどこかに何かのキャンセルの電話。僕は新聞を読むともなく読み、黒井だけ外を眺め続けていた。
思い詰めた、ような。
あるいは何かに惹かれるような、いつもの横顔。
ダイニングテーブルにはオムレツやウインナーやフルーツが並んでいて、どうやら今日の朝食は各自好きなように食べるビュッフェスタイル。昨日の残り物もあったので、僕は積極的にそれを食べた。何ていうか、「美味しいですね」と言葉に出そうとは特に思わないような、いわゆる<普通に美味しい>というやつ。近隣にデパ地下があるわけでなし、全部手作りなんだよねえ?
お母さんは電話で忙しく、お姉さんはスマホでの検索に余念がないので、何となく僕たちは食べたら二階に引っ込んだ。ああ、食べたら食べっぱなしなんて、申し訳ない。
・・・って、いうか。
何だかもう、本当に、家族みたいだ。
あの、キャビネ前の四人だって僕としては相当近く感じてしまっているけれども、でも、ほんの三日目で、ここではそれ以上を感じていた。
法事なんて、何もなくて。
親戚のおじさんおばさん連中もいなくて。
そういえば、黒井に対する「そろそろ結婚は?」攻撃もなく(僕に対する「彼女は?」はあったが)、「仕事は順調?(出世は?)」もなく、あまり期待されてないというか、子ども扱いのままというか。
子どものままでいてもいいんだ、みたいな。
いや、そんなのだめだ。どんなに甘えたって年は取るし、十人兄弟の末っ子とかならともかく、僕たちは二人とも長男なんだ。
・・・はは、別に、余所のお宅なんだから、子どものままも甘えるも何もないよね。黒井が甘えるかどうかは本人の問題であって、僕は単なるどこかの他人だ。ちょっと優しくされて、受け入れてもらった(ように見える)からって、何をいい気になっているんだか。
そう思ったら、昼間から布団でごろごろしているわけにもいかず、部屋の片づけを始めた。雨じゃなければ庭の草むしりでもするところだけど、他に何かあるだろうか?
黒井はスケッチブックにまた何か描いていて、集中してるみたいだったので、僕はトイレのついでに下へ行き、何か手伝いを申し出た。
僕に申し渡されたのは、一階の和室の押入れの整理と、昼食のチャーハンの、フライパンをあおる係。お散歩に行けないいくと君がたまにちょろちょろして、僕を見て「・・・にゃにゃ?」とつぶやくので、ちょっとどぎまぎした。お姉さんも見ていなくて、ただ個人的に幼児から質問を受けたことに戸惑う。逡巡した挙げ句「・・・はい、そうです」と述べ、しかし、「いくと君は何才ですか」と問うことは出来なかった。何やら体も目線も落ち着かないが、こちらにわざわざ注意を払ってもらうほどの用事でもない。
四人分のチャーハンは大量で、重い鉄のフライパンが返しきれない。う、腕が疲れる。人がいるというのはこういうことか。
お母さんが横でたまごスープを作り、ふわふわ卵が出来ていくのを間近で見た。強火にして、糸みたいに少しずつ垂らすのがコツとのこと。ふむふむ。
「彰彦さんは何をしてるんですか?」
「・・・え、えっと、絵を、描いてるみたいです」
「お絵かき」
「は、はあ」
「お絵かきねえ、まあ、お暇ですし、よろしゅうございますこと」
ちょっと迷ったが、一歩踏み込んでみる。
「あ、あの、とても、上手ですよ」
「え、彰彦さん?ああ、そうね、昔からお絵かきは上手ね」
「そうでしたか」
「やまねこさんは何か、お好きなものがあるの?」
「え、えっと、僕は、・・・ミステリが」
「ミステリー?」
「その、推理小説です」
「ああ、そう。私もね、ドラマ?ほら、テレビ面白いのないから、いつも見てますよ。えー、十津川さんのとか、山村美紗さんのとか」
「・・・浅見光彦、とか」
「そうそう、浅見さんも」
何だ、見てたのか。和服で「彰彦さん」って呼ぶところはご母堂様みたいです、って、何となくそこまでは言えないけど。
昼過ぎ、高級そうなカニ缶のチャーハンと中華スープと、その他こまごましたものが並ぶ。雨は降ったり止んだりで、たまにゲリラ豪雨みたいになった。
豆腐サラダみたいなものをつつきながら、ふとした会話で、「これは宮様からいただいてね」「あ、いつもの?」「そう、律儀に送ってくださるの」とか。・・・宮さんって名字の人、じゃ、ないよね。発音からしてそれは、宮内庁の宮、だよね・・・。もしかして昨日のアロハシャツの人はものすごく偉い人だった?研修って、外務省か何かとか?く、クロは、東証二部上場程度のこんな会社でいいのか?「好きに生きたらいい」って、こんな、僕なんかとつるんでて本当にいいんですかね!?
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燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
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