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あらためて、片想いが募る日々
第199話:冷たいところがある山根君
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金曜日。
残業中、課長が何となくそわそわ、にやにやしていて、メンバーがそろった19時頃、こそこそと召集され、ミーティングルームへ。G長やその周辺は知っているらしく、何やらうなずきあっている。何だ、まさか僕の営業事務らしきポジションを全員でやることになったのか?僕と黒井だけって立場もなくなっちゃうのか?
しかし懸念は杞憂に終わり、ドアを閉めるなり課長は「さてやってまいりました、新人ドラフト会議!!」と幕開けした。
「えー皆さんお疲れ様です。残業中お集まりいただき申し訳ありません。えー、でね、ドラフト会議。ふふっ、まあ、私とグループ長でやろうかなと思ってたんですが、せっかくだから皆さんのお知恵も拝借というかね、一緒に考えてもらってもいいかなと思いまして、急遽お集まりいただきました。まあご存知の通り、三十人からいますからね。うち二割くらいは開発とか、SSを希望してるみたいですけども、結局今期は全員ここでやってもらうわけですから。我々としては、もちろん第一に教育というのもあるんです、で、す、が、ここはね、別に優秀なのを持ってきて数字を上げようなんて考えないで、まあ課の雰囲気ってんですか、その・・・」
ここでG長がぼそっと「要するに華が欲しいと」とツッコミを入れ、全員が笑った。
まあ、男所帯だからね。
僕の同期や後輩の女子が特に一課に多く残ってるのは、たぶん担当する客先の問題なのだ。僕たちは普通の企業を相手にしてるけど、一課は士業の事務所相手で狭い世界だから、先生に気に入られれば安定して長く付き合えるし、女の子は特に喜ばれるからクレームも少なく小さな案件もわりと簡単にもらえたりして、やりやすいんだろう。それに比べて企業は相手の担当もころころ変わるし(うちも人のことは言えないが)、シビアだし、女性の担当者も多いから色目も使えない・・・ってセクハラ発言か。
「はい!まあそういうことでね、えー、資料をもらってまいりました!別にね、『この子がいい!』ってもらってこれるわけじゃないですけど、メンバーのバランスとして大体の目安とか落とし所を勘案してね・・・」
三十人分の、写真入りのプロフィールというか、たぶん研修で書かされた<目標>や<長所・短所>などが書かれた紙がざっと回された。赤や青で書き込みがあり、誰かが「これはもう、他の課が唾つけてるんすか」と訊く。希望職種や持っている資格によっては先に一課や二課が手を挙げているらしく、まあ、三課と四課は特別な知識や技術も必要ないし、残り物を分け合うのは仕方ない。
回ってくる紙をざっと見ながら、例の不破くんと、黒井のところにすぐ来る女子二人だけは何となく分かった。他にも黒井から聞いた名前が何人か。しかし僕は別に華が欲しいとも思ってないし、まあ、苦手な不破くんでなければ誰だって同じだった。どうせ微妙な雰囲気で何度か営業同行して、あとは菅野みたいに「ここ電話していいですか」とか「セミナー案内に行ってもいいですか」とか訊かれるだけだ。・・・まあ、高圧的で傲慢そうな、ガタイのいい男子から見下ろされるよりは、「あのう・・・」と女の子から訊かれる方が、そりゃいいけど。
僕は試しに、かわいい女の子三人くらいに囲まれて、頼られたり、ちやほやされてるところを思い浮かべてみた。
一瞬にやけそうになるけど、いや、油断大敵。
僕は知ってる。女子が二人、三人集まったら、噂話に品定め、くっだらないお喋り、芸能人やブランド物の話、キワどい上に下品なカレシとのあれこれ・・・。佐山さんや菅野とは一対一の関係だからそこそこ普通に話せるのであって、一対ニ、三となればこっちに勝ち目はない。おだてられて仕事させられたり、こそこそ話に不安になったり、いいことなんかないんだ。
・・・しかし。
あの二人組をまんまと三課に行かせるのは避けたい。
今は仮配属だから席は向こうだけど、来年からは、正式に島に来るわけだ。
その時、黒井の隣になったりしたら、大変だ。
僕は急に焦って、その二人の紙を探した。一課の課長が手をつけてない?開発志望とか書いてない?
「お、山根君、その二人が好み?」
「ご指名?」
「おいおい、キャバクラじゃないんだから」
「でもさ、我々、写真見てご指名するしかないんだから、まあしょうがないよね」
「じゃあ俺この子で!」
「えっ、その子・・・?」
「えって、鹿島さん失礼ですやん。いや、ちょっと俺も遠慮しますけど」
そのちょっと化粧濃い目の女の子の写真をめぐり、本当に失礼な笑いが漏れる。
僕はひやひやしながら苦笑いで紙を戻し、ん、っていうか、むしろ「ぜひ!」ってプッシュしてこっちにもらってきちゃった方がよかったのかな。いや、三課と四課なんかすぐそこだ。きっと何だかんだ理由をつけて「黒井さーん」って行っちゃうだろう。・・・くそ、どうしてその簡単なことが僕には出来ないんだ。
しばらくして、大体赤や青の入った紙は横によけられて、無愛想な黒のレ点はたぶん三課の中山課長の独断で、それも外されると、十数人に絞られた。三十人を四課で割って一課当たり七人強の計算になるけど、さいたまや横浜、あるいは九州や四国の地元の支社に行きたいという希望もあるし、開発や経理なんかの希望も汲めば、まあ来年の本配属では三、四人だということだった。
「ですからまあ、三名くらいは、本当に教育という目的でね、来年度からはいなくなるという前提で取っていただきたいわけ。どこかの課だけにそういう人が集中してもね、あんまりよくないから」
というわけで、本命三人、地方や別業種希望者を三人、予備二人、という感じで、何となく紙が動いていった。基本的には課長は口を出さず、G長がそれとなく舵取りして、みんなで空気を読みながら。
そして、華が欲しいというわりには、結局男子六人、女子二人で決着した。
その女子にしても、事務希望だ。つまり、フロアの向こう側の、藤井のところに行きたいということ。僕の心配しているあの二人でもなく地味な子で、まあ無難な着地と思われた。
まあ、四課は、地味なんだ。
三課は切れ者の課長にカミソリのようなG長が揃っていて、一課と二課はまあそれぞれ客先の特殊さもあって独特な感じ。それに比べると四課は温情派の課長に、とっつきにくいけど実は何も考えてなさそうなG長、頑張り過ぎないおっさんたち、そして僕と横田という華のない若手におっとりした佐山さん。あの席に座った菅野と西沢がちょっと異質なのであって、実にまったりとした、古臭い地元の居酒屋みたいなメンバーだ・・・。
「さて、大体目星がついたかなというところでそろそろ解散したいと思いますが、その前に一つだけ。えー、一応来週あたりから徐々にこのメンバー、あ、まだもちろん本決まりではないです、最終的には向こうの伊藤さんを通じて人事の方で割り振りますのでね、でもまあ、大体こんなようなメンバーになるんじゃないかなと。それで、少しずつ同行とか始まってくるかと思います。でね、何が言いたいかというと、一応、その歓迎会めいたものをね、開こうかと」
おっ、とか、飲みですか、の声が上がる。僕は当然「えー」という顔で目線は斜め下へ。
「まあ、大変遅くなってしまったんですが、西沢君もね、新しいメンバーではあるわけで、きちんとしなくてほんと申し訳ないんですが」
「あ、いえいえいえ、そんな気ぃ遣ってもらわんでも。ま、内心いつ飲めるか思とりましたが」
ははは、と笑いが漏れ、和やかなムードで、六月のどこかの金曜日にでも、という話になった。
そして。
「じゃ、そうね、山根君に幹事頼もうかな」
「はっ?」
「いや、だって、西沢君とかそういうの得意そうだけどさ、彼に頼むわけにいかないじゃない。まああれだったら、横田も一緒に」
「へっ、俺すか」
隣の横田がまったく緩慢に、貧乏くじ引いたって顔を横に背けた。
「別にそんな、大層なあれじゃなくて、予約だけ取ってくれりゃいいからさ。それじゃあまあそういうわけで、週末ですから、残業もそこそこで。ではいったん解散、お疲れ様でした」
お疲れ様でしたー、と三々五々に腰を上げ、ちょっと未練たらしく写真の紙を見ながら部屋を出て行く面々。僕と横田はちょっと遅れて立ち上がり、横田は開口一番「面倒っすね」と。僕は黒井が忘年会の幹事だったことを思い出し、それが縁でもあったわけで、幹事という立場をあまり毛嫌いも出来なかったけど、そうか、横田はあの時いなかったんだった。
「ま、別に、予約するだけでしょ」
「何かあったら手伝いますよ」
「早速サブリーダー宣言?」
「そう、副班、副班。あ、何か今、山根君班長だったの思い出した。あの、新人研修で」
「あー・・・そうね」
僕にとってそれは黒井に嫌われていたという事実に直結する思い出なので、何とも言えない針のむしろの気分。
「そうだよね、あなたすっごいやる気なかったよね」
「・・・え、そう?俺なりに頑張ってたと思うけど」
「いやいやご謙遜を。くっだらねえって顔丸出しだったじゃないすか」
「・・・マジで?」
「いや、マジマジ。この人つええなあって思ってましたもん」
「何それ、ちょっとどういうこと?いやいや、ほんとに」
「・・・丸くなったんじゃないすか?」
「そんなにとがってた?」
「ナーイフみたいに・・・って古い?」
「古い」
廊下に出て、何となくそこまでかなと思ったけど、横田は続きを話してくれた。
「・・・ま、冷たかったよね。何つーの、目立ったり、意見はっきり言うような人には、バッサリ」
「・・・」
「覚えてない?ほら、班でお互いがどう見えるかみたいな演習でさ、渡辺さんに<ちょっと冷たいところがある>って書かれて、山根君、『そうですか』で終わって、渡辺さんが『あの、そういうところとか・・・』つって、マジ笑えるのに山根君笑わないからさ、しらーってなって」
僕はしばらく固まって、「・・・覚えてない」と言った。
「いや、そんで、山根君が渡辺さんに何て書いたかって、<人のことばかり考えて干渉しすぎる>とか何とか、そうそう、たしか俺もうこれまずいって思って、何か話題逸らして時間終了まで持ち込んでさ、いや、あれ焦ったって」
・・・そういう演習があったことはうっすら覚えてるけど、髪の長い、面倒見の良さそうな渡辺さんのことも思い出したけど、でも、そんなエピソードは覚えていなかった。
たぶん、本当に、黒井が言っていたようなことも、あったってことか。
しかも、かなり、あからさまに。
黒井が特にそういうのを敏感に感じて、過去の演劇部のトラウマもあって多少被害妄想気味に思い込んだんじゃなく、本当に僕があまりに冷たかったんだ。
呆然としてるのを隠したくて、「え、俺、お前には何て書いたんだろう?」と訊くと、「あー、確かね、<特に印象がありません>」と。・・・ああ、ごめん。
・・・・・・・・・・・・・
四課に戻って、途中、黒井を見れなかった。
あの三月の終わり、築地のホテルでこの話を聞いてから、でも、結局理解はしたけど本当の納得はしてなくて。
疑ってたわけじゃないけど、半分くらい、そんなの相手の感じ方だって、思ってた・・・。
しかも、どれもこれも覚えていない。冷たいってキーワードはちょっとだけ記憶にかすったけど、たぶん気にもかけてなかったから、忘れちゃったんだろう。
黒井は、何を言われようと、中身がないから堪えないんだって言ってた。
たぶん、僕はちょっと違う。
中身を通り抜けるから堪えないんじゃなく、鉄壁で弾き返してる。
他人を徹底的に排除して、理論武装して、自分の世界にこもることで嫌なことを避けている。
今だったら、そんな目立つことしないで無難にうまいこと書いとけよ!って言いたくなるけど、きっと、若かったのかな。最初だから周りを牽制して、防御姿勢だったのかも。それが、最初だから周りとうまくやりたかった黒井とぶつかったのか・・・。
あの時僕は黒井だけじゃなく、全員を見下してたんだろう。
たぶん、黒井はやっぱり目立ってたし、無意識にその端正な顔を僕もつい見てたんだろう。きっと、ただ頻度の問題だ。あいつは何も悪くない。
うん、ますます、分からないね。こんな僕がどうして黒井を好きになったのか。かっこいい人気者に声をかけられていい気になっただけじゃなく、その先、その先まで進んで、それでもまだ好きでいられるなんて。
でも、あいつを好きなのは、そういうことじゃない。
人気者とかイケメンとか何の関係もなくて、もっと違うものに惹かれた。そういう華やかな外側じゃなく、内側の、僕の世界の問題。
違う世界を、見せてくれるから。
だから、あいつじゃなきゃ、だめだ。
胸がきゅうと締め付けられた。でも、僕は昔の自分を本当にありがたく思った。あいつの目に留まって、どうしてもこいつだけは、って存在に仕立ててくれて、ありがとう。それがなかったら今の僕には何もなかった。何て奇跡、何て僥倖。あまりに冷たくて嫌なやつだった俺に、感謝!
・・・・・・・・・・・・・・・
穏やかな週末だった。
大した意味はないけど衣替えをしたり、布団や風呂場のマットを干したり、急に切れたトイレの電球を取り替えたりした。
土曜の夜、黒井から電話がきて、少しとりとめのない話を聞いた。
「だから、ちょっと、俺すごいじゃんって思って」
クローゼットの引き出しはやはり大量の物理の本だったようで、それを全部引っ張り出しているらしい。「衣替えは?」とか「本当に元通りしまえる?」とか言いたくなったけど、黙っていた。でもとにかく、本のことを教えてくれたのは嬉しい。だって、お前のうちにあるほとんどのものを俺は知ってるってことだ。たぶん、きっと、誰よりも。
「結構たくさんあったんだよね。読みかけとかもあるけど、ちょっと壮観」
基本的に<読みかけ>という本のない僕は、しおりは常に裏表紙の手前にはさまってるものだけど、まあフィクションとノンフィクションでは読み方が違うのかもしれない。
「何か、前やったこと振り返ったってしょうがないって思ったけど、こうして見てると、何か、うん、あーって感じ。ぱらぱら読んでみたらさ、あー、お前にこれも言いたい、これも伝えたいって、何でだろ。お前が褒めるから、自慢みたく話したくなったりしてさ」
ええ、そう?と曖昧にうなずきながら、左の拳をぐっと握った。褒め甲斐のない黒井にすごいと言っておいて本当によかった。
「別にまあ、それだけなんだけどね」
僕は話を引き伸ばそうと全速力で話題を探すけど、「じゃ、もうちょい読むかな」と言われたら、うなだれてとぼとぼと引き返し、無理に笑って「うん、それじゃ」と言うしかなかった。
日曜は、ふいにベトナムのフォーが食べたくなって、レシピで検索してナンプラーという調味料を買ってみた。フォー(米粉の麺)は売ってなくて、仕方なくはるさめで代用。ナンプラーは思わず「むはっ」とするにおいだったけど、レモン汁を振ったら結構美味しくなった。うん、アジア料理っぽい。
無意識に、今度黒井に食わしてやろうという前提で料理していることに気づき、それで最近ちょっと材料を量るのが丁寧だったりするのかと思い至った。
そして、一緒に住む部屋をぼんやり思い浮かべていたりして、おめでたい頭だなあと思った。そうそう、その前に収益モデルを作らなきゃね。いや、まあ、それ以前の問題だってことは分かってるけどさ。
スーパーの文具売り場で20ポケットファイルを買ってきたけど、領収書を入れてみたら、やたら安っぽく感じた。今度伊東屋にでも行って、もうちょっと高級そうなファイルを買おう。
残業中、課長が何となくそわそわ、にやにやしていて、メンバーがそろった19時頃、こそこそと召集され、ミーティングルームへ。G長やその周辺は知っているらしく、何やらうなずきあっている。何だ、まさか僕の営業事務らしきポジションを全員でやることになったのか?僕と黒井だけって立場もなくなっちゃうのか?
しかし懸念は杞憂に終わり、ドアを閉めるなり課長は「さてやってまいりました、新人ドラフト会議!!」と幕開けした。
「えー皆さんお疲れ様です。残業中お集まりいただき申し訳ありません。えー、でね、ドラフト会議。ふふっ、まあ、私とグループ長でやろうかなと思ってたんですが、せっかくだから皆さんのお知恵も拝借というかね、一緒に考えてもらってもいいかなと思いまして、急遽お集まりいただきました。まあご存知の通り、三十人からいますからね。うち二割くらいは開発とか、SSを希望してるみたいですけども、結局今期は全員ここでやってもらうわけですから。我々としては、もちろん第一に教育というのもあるんです、で、す、が、ここはね、別に優秀なのを持ってきて数字を上げようなんて考えないで、まあ課の雰囲気ってんですか、その・・・」
ここでG長がぼそっと「要するに華が欲しいと」とツッコミを入れ、全員が笑った。
まあ、男所帯だからね。
僕の同期や後輩の女子が特に一課に多く残ってるのは、たぶん担当する客先の問題なのだ。僕たちは普通の企業を相手にしてるけど、一課は士業の事務所相手で狭い世界だから、先生に気に入られれば安定して長く付き合えるし、女の子は特に喜ばれるからクレームも少なく小さな案件もわりと簡単にもらえたりして、やりやすいんだろう。それに比べて企業は相手の担当もころころ変わるし(うちも人のことは言えないが)、シビアだし、女性の担当者も多いから色目も使えない・・・ってセクハラ発言か。
「はい!まあそういうことでね、えー、資料をもらってまいりました!別にね、『この子がいい!』ってもらってこれるわけじゃないですけど、メンバーのバランスとして大体の目安とか落とし所を勘案してね・・・」
三十人分の、写真入りのプロフィールというか、たぶん研修で書かされた<目標>や<長所・短所>などが書かれた紙がざっと回された。赤や青で書き込みがあり、誰かが「これはもう、他の課が唾つけてるんすか」と訊く。希望職種や持っている資格によっては先に一課や二課が手を挙げているらしく、まあ、三課と四課は特別な知識や技術も必要ないし、残り物を分け合うのは仕方ない。
回ってくる紙をざっと見ながら、例の不破くんと、黒井のところにすぐ来る女子二人だけは何となく分かった。他にも黒井から聞いた名前が何人か。しかし僕は別に華が欲しいとも思ってないし、まあ、苦手な不破くんでなければ誰だって同じだった。どうせ微妙な雰囲気で何度か営業同行して、あとは菅野みたいに「ここ電話していいですか」とか「セミナー案内に行ってもいいですか」とか訊かれるだけだ。・・・まあ、高圧的で傲慢そうな、ガタイのいい男子から見下ろされるよりは、「あのう・・・」と女の子から訊かれる方が、そりゃいいけど。
僕は試しに、かわいい女の子三人くらいに囲まれて、頼られたり、ちやほやされてるところを思い浮かべてみた。
一瞬にやけそうになるけど、いや、油断大敵。
僕は知ってる。女子が二人、三人集まったら、噂話に品定め、くっだらないお喋り、芸能人やブランド物の話、キワどい上に下品なカレシとのあれこれ・・・。佐山さんや菅野とは一対一の関係だからそこそこ普通に話せるのであって、一対ニ、三となればこっちに勝ち目はない。おだてられて仕事させられたり、こそこそ話に不安になったり、いいことなんかないんだ。
・・・しかし。
あの二人組をまんまと三課に行かせるのは避けたい。
今は仮配属だから席は向こうだけど、来年からは、正式に島に来るわけだ。
その時、黒井の隣になったりしたら、大変だ。
僕は急に焦って、その二人の紙を探した。一課の課長が手をつけてない?開発志望とか書いてない?
「お、山根君、その二人が好み?」
「ご指名?」
「おいおい、キャバクラじゃないんだから」
「でもさ、我々、写真見てご指名するしかないんだから、まあしょうがないよね」
「じゃあ俺この子で!」
「えっ、その子・・・?」
「えって、鹿島さん失礼ですやん。いや、ちょっと俺も遠慮しますけど」
そのちょっと化粧濃い目の女の子の写真をめぐり、本当に失礼な笑いが漏れる。
僕はひやひやしながら苦笑いで紙を戻し、ん、っていうか、むしろ「ぜひ!」ってプッシュしてこっちにもらってきちゃった方がよかったのかな。いや、三課と四課なんかすぐそこだ。きっと何だかんだ理由をつけて「黒井さーん」って行っちゃうだろう。・・・くそ、どうしてその簡単なことが僕には出来ないんだ。
しばらくして、大体赤や青の入った紙は横によけられて、無愛想な黒のレ点はたぶん三課の中山課長の独断で、それも外されると、十数人に絞られた。三十人を四課で割って一課当たり七人強の計算になるけど、さいたまや横浜、あるいは九州や四国の地元の支社に行きたいという希望もあるし、開発や経理なんかの希望も汲めば、まあ来年の本配属では三、四人だということだった。
「ですからまあ、三名くらいは、本当に教育という目的でね、来年度からはいなくなるという前提で取っていただきたいわけ。どこかの課だけにそういう人が集中してもね、あんまりよくないから」
というわけで、本命三人、地方や別業種希望者を三人、予備二人、という感じで、何となく紙が動いていった。基本的には課長は口を出さず、G長がそれとなく舵取りして、みんなで空気を読みながら。
そして、華が欲しいというわりには、結局男子六人、女子二人で決着した。
その女子にしても、事務希望だ。つまり、フロアの向こう側の、藤井のところに行きたいということ。僕の心配しているあの二人でもなく地味な子で、まあ無難な着地と思われた。
まあ、四課は、地味なんだ。
三課は切れ者の課長にカミソリのようなG長が揃っていて、一課と二課はまあそれぞれ客先の特殊さもあって独特な感じ。それに比べると四課は温情派の課長に、とっつきにくいけど実は何も考えてなさそうなG長、頑張り過ぎないおっさんたち、そして僕と横田という華のない若手におっとりした佐山さん。あの席に座った菅野と西沢がちょっと異質なのであって、実にまったりとした、古臭い地元の居酒屋みたいなメンバーだ・・・。
「さて、大体目星がついたかなというところでそろそろ解散したいと思いますが、その前に一つだけ。えー、一応来週あたりから徐々にこのメンバー、あ、まだもちろん本決まりではないです、最終的には向こうの伊藤さんを通じて人事の方で割り振りますのでね、でもまあ、大体こんなようなメンバーになるんじゃないかなと。それで、少しずつ同行とか始まってくるかと思います。でね、何が言いたいかというと、一応、その歓迎会めいたものをね、開こうかと」
おっ、とか、飲みですか、の声が上がる。僕は当然「えー」という顔で目線は斜め下へ。
「まあ、大変遅くなってしまったんですが、西沢君もね、新しいメンバーではあるわけで、きちんとしなくてほんと申し訳ないんですが」
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「何かあったら手伝いますよ」
「早速サブリーダー宣言?」
「そう、副班、副班。あ、何か今、山根君班長だったの思い出した。あの、新人研修で」
「あー・・・そうね」
僕にとってそれは黒井に嫌われていたという事実に直結する思い出なので、何とも言えない針のむしろの気分。
「そうだよね、あなたすっごいやる気なかったよね」
「・・・え、そう?俺なりに頑張ってたと思うけど」
「いやいやご謙遜を。くっだらねえって顔丸出しだったじゃないすか」
「・・・マジで?」
「いや、マジマジ。この人つええなあって思ってましたもん」
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「・・・ま、冷たかったよね。何つーの、目立ったり、意見はっきり言うような人には、バッサリ」
「・・・」
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僕はしばらく固まって、「・・・覚えてない」と言った。
「いや、そんで、山根君が渡辺さんに何て書いたかって、<人のことばかり考えて干渉しすぎる>とか何とか、そうそう、たしか俺もうこれまずいって思って、何か話題逸らして時間終了まで持ち込んでさ、いや、あれ焦ったって」
・・・そういう演習があったことはうっすら覚えてるけど、髪の長い、面倒見の良さそうな渡辺さんのことも思い出したけど、でも、そんなエピソードは覚えていなかった。
たぶん、本当に、黒井が言っていたようなことも、あったってことか。
しかも、かなり、あからさまに。
黒井が特にそういうのを敏感に感じて、過去の演劇部のトラウマもあって多少被害妄想気味に思い込んだんじゃなく、本当に僕があまりに冷たかったんだ。
呆然としてるのを隠したくて、「え、俺、お前には何て書いたんだろう?」と訊くと、「あー、確かね、<特に印象がありません>」と。・・・ああ、ごめん。
・・・・・・・・・・・・・
四課に戻って、途中、黒井を見れなかった。
あの三月の終わり、築地のホテルでこの話を聞いてから、でも、結局理解はしたけど本当の納得はしてなくて。
疑ってたわけじゃないけど、半分くらい、そんなの相手の感じ方だって、思ってた・・・。
しかも、どれもこれも覚えていない。冷たいってキーワードはちょっとだけ記憶にかすったけど、たぶん気にもかけてなかったから、忘れちゃったんだろう。
黒井は、何を言われようと、中身がないから堪えないんだって言ってた。
たぶん、僕はちょっと違う。
中身を通り抜けるから堪えないんじゃなく、鉄壁で弾き返してる。
他人を徹底的に排除して、理論武装して、自分の世界にこもることで嫌なことを避けている。
今だったら、そんな目立つことしないで無難にうまいこと書いとけよ!って言いたくなるけど、きっと、若かったのかな。最初だから周りを牽制して、防御姿勢だったのかも。それが、最初だから周りとうまくやりたかった黒井とぶつかったのか・・・。
あの時僕は黒井だけじゃなく、全員を見下してたんだろう。
たぶん、黒井はやっぱり目立ってたし、無意識にその端正な顔を僕もつい見てたんだろう。きっと、ただ頻度の問題だ。あいつは何も悪くない。
うん、ますます、分からないね。こんな僕がどうして黒井を好きになったのか。かっこいい人気者に声をかけられていい気になっただけじゃなく、その先、その先まで進んで、それでもまだ好きでいられるなんて。
でも、あいつを好きなのは、そういうことじゃない。
人気者とかイケメンとか何の関係もなくて、もっと違うものに惹かれた。そういう華やかな外側じゃなく、内側の、僕の世界の問題。
違う世界を、見せてくれるから。
だから、あいつじゃなきゃ、だめだ。
胸がきゅうと締め付けられた。でも、僕は昔の自分を本当にありがたく思った。あいつの目に留まって、どうしてもこいつだけは、って存在に仕立ててくれて、ありがとう。それがなかったら今の僕には何もなかった。何て奇跡、何て僥倖。あまりに冷たくて嫌なやつだった俺に、感謝!
・・・・・・・・・・・・・・・
穏やかな週末だった。
大した意味はないけど衣替えをしたり、布団や風呂場のマットを干したり、急に切れたトイレの電球を取り替えたりした。
土曜の夜、黒井から電話がきて、少しとりとめのない話を聞いた。
「だから、ちょっと、俺すごいじゃんって思って」
クローゼットの引き出しはやはり大量の物理の本だったようで、それを全部引っ張り出しているらしい。「衣替えは?」とか「本当に元通りしまえる?」とか言いたくなったけど、黙っていた。でもとにかく、本のことを教えてくれたのは嬉しい。だって、お前のうちにあるほとんどのものを俺は知ってるってことだ。たぶん、きっと、誰よりも。
「結構たくさんあったんだよね。読みかけとかもあるけど、ちょっと壮観」
基本的に<読みかけ>という本のない僕は、しおりは常に裏表紙の手前にはさまってるものだけど、まあフィクションとノンフィクションでは読み方が違うのかもしれない。
「何か、前やったこと振り返ったってしょうがないって思ったけど、こうして見てると、何か、うん、あーって感じ。ぱらぱら読んでみたらさ、あー、お前にこれも言いたい、これも伝えたいって、何でだろ。お前が褒めるから、自慢みたく話したくなったりしてさ」
ええ、そう?と曖昧にうなずきながら、左の拳をぐっと握った。褒め甲斐のない黒井にすごいと言っておいて本当によかった。
「別にまあ、それだけなんだけどね」
僕は話を引き伸ばそうと全速力で話題を探すけど、「じゃ、もうちょい読むかな」と言われたら、うなだれてとぼとぼと引き返し、無理に笑って「うん、それじゃ」と言うしかなかった。
日曜は、ふいにベトナムのフォーが食べたくなって、レシピで検索してナンプラーという調味料を買ってみた。フォー(米粉の麺)は売ってなくて、仕方なくはるさめで代用。ナンプラーは思わず「むはっ」とするにおいだったけど、レモン汁を振ったら結構美味しくなった。うん、アジア料理っぽい。
無意識に、今度黒井に食わしてやろうという前提で料理していることに気づき、それで最近ちょっと材料を量るのが丁寧だったりするのかと思い至った。
そして、一緒に住む部屋をぼんやり思い浮かべていたりして、おめでたい頭だなあと思った。そうそう、その前に収益モデルを作らなきゃね。いや、まあ、それ以前の問題だってことは分かってるけどさ。
スーパーの文具売り場で20ポケットファイルを買ってきたけど、領収書を入れてみたら、やたら安っぽく感じた。今度伊東屋にでも行って、もうちょっと高級そうなファイルを買おう。
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秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。
「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」
秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。
【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。
なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。
右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。
前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。
※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。
縦読みを推奨します。

代わりでいいから
氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。
不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。
ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。
他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。
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