黒犬と山猫!

あとみく

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黒井の誕生日を僕なりに祝う

第194話:酔っ払いの送り狼

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 素粒子の勉強をしてきちんとパートナーとしての本分をまっとうするか、あるいは写経でもして落ち着くか、しかし集中など出来るはずもなく、少し、自虐的ではなく、自分は未熟な人間だなと思い知った。
 金髪やピンク髪の彼らが言う<慈愛>などには達していない。全然、これっぽっちも。
 二人きりの時、お前のとがった感情とか、理屈不明の論理とか、本来の僕であれば受け入れられないようなものも受け止められるって、感じている。お前っていう人間を理解して、それを、正しい正しくないじゃなく、そのままで受け入れて、好きだって、思っていられる。
 多少の、自負すらあった。
 今まで人付き合いを最小限にしてきた僕にとって、一人の人間とここまで長く一緒にいて、泣いたり喧嘩したり抱き合ったり、そんなのとんでもないサバイバルだ。
 そして、僕なりに、時間感覚のこととか、過去のトラウマがどんな傷口になってお前を動かしてるのかとか、その感覚を理解して、身につけて、磨いてきたつもりだ。そして、自分なりの理解だけじゃなく、結局話さなきゃわかんないんだってことも、分かってきたつもりだ。
 でも、世界中で俺たちだけだって顔で僕を見るんじゃなく、「お前ら待てよ!・・・あ、また電話するね?」って言われたとき、どうすればいいか、分からない。たぶんそんなこと今までなくて、お前が僕とその他の友達とをどんな風に思って、どう区別してるのか全然知らないし、慣れてない・・・。
 もうお前しかいない、みたいなこと、言ってたくせに・・・!
 性懲りもなく、ひゅうと腹が透ける。
 俺だって、お前以外、誰もいないよ。
 誰一人、そんなの。
 
 下半身が疼いたけど我慢して、だってお前がどこかで誰かと楽しく飲んでるときに、って思ったらみじめだったから、やっぱりふて寝で、ごろごろテレビを見たり、洗濯物をたたんだりした。
 映画でも借りてきて、紛らわすか。
 本を読むには集中できないけど、映像が流れてる分には観ていられるだろう。
 でも、着替えて出かける気力も僅かに基準値を越えなくて、結局テレビを小さくつけたまま、うとうとした。
 少しまどろんで、うるさく感じてきたテレビを消そうとして、どうやらそれは携帯のバイブ音だと気がついた。
 ・・・。
 ・・・電話か!?
 がばっと飛び起き、音の出所を探る。布団に紛れていて、全然気づかなかったんだ。もう誰からか見るまでもなくボタンを押し、きつく耳に当てた。
「あー、もしもしい!!」
 うるさっ!
 思わず耳から離し、「もしもおーし」と続く声を聞く。え、誰、なに、今何時?
 夜中の二時?
「俺だよぉー、ねこ、おーい!!」
 ・・・。
 努めて冷静な声が出るか、やせ我慢の明るい声が出るか、それとも嫉妬に狂った冷たい声が出るか、自分でも分からないまま出たとこ勝負だった。そして結果は、極めて無難な、どっちにも飛び移れる、ザ・「眠そうな声」。
「・・・もしもし?」
「あ、もう寝てたあ?俺、起こしちゃったあ?ま、でも、いいよね!」
「・・・な、なに?どしたの?あの、声、大きいよ」
「ええ?そう?へへ、うっさい?」
「んーと・・・酔ってるの?」
「酔ってる、酔ってる!すげえ飲んだ。あー、またおしっこ出たい」
「あ、あの、クロ?その・・・」
「なに?」
「あの、えっと、どしたの?」
「どしたのって、お前に電話するって、ゆったじゃん!」
「あ、ああ・・・」
「今度はちゃんと思い出してさあ、電話してんじゃん」
「そ、そうだね。・・・ずいぶん、飲んでるね」
「そう、そう。もう、俺、自由だからさ。三十だしね」
「う、うん?」
「ゴムとか持ってないからさあ、だめって言われちった」
「はあ!?」
「送り狼しっぱい!」
「お、おい・・・」
「ま、結局俺、犬だからね。くろいぬ」
 へへへ、と黒井は楽しそうに笑った。僕の感情はといえば、今のところは戸惑いだけ。
「でも別によかったんだあ。それにさ、正直・・・くく、お前の方がうまいし!」
 今度はあははは!と大爆笑する。な、何の、話ですか・・・!
「お、おい、お前どこで喋ってんの?変な話を大声でするなよ・・・!」
「ええ?どこって?それがわかんないんだよー。夜中なのに追い出されてさあ、駅までの道がわかんなくて、っていうか電車もうないじゃんって、完全迷子」
「た、タクシーを拾えよ」
「でもその前にお前に電話しなきゃって」
「う、うん、分かったけど、とにかくまず家に帰れって」
「ええ?いいよもうどうだって。だってもういいんだもん!」
「な、何がだよ」
「だって俺すげえ、何ていうか、ちゃんと俺だもん。全然、馬鹿みたい。あのね、お前からもらったやつ、超羨ましがられた。俺、もらったもんすごいって言われて、モノなのに、俺じゃないのに、何でこんな、当然だろみたいな!」
「う、うん・・・?」
「びっくりした。あいつら何もわかんねえの。俺の言うことなんも通じないし、何言ってるかもわかんないし、何か結婚とかしちゃってるしさ、とにかく馬鹿みたい。ねえってば!」
「うん!?」
「はは、ほんと、おれ・・・馬鹿、みたいで・・・」
「お、おい、どうしたんだよ」
「だってさあ、ほんと、おれ、何のために、何してきたか、わかんない・・・。別にもう、どうでもいいけどさ。でも、ここの奥、きっと、悔しいんだよ。いや、くやしいっていうか、なんだろこれ、わかんない。ねこ、お前なら分かる?おれのこと分かる?」
「・・・、わかんない、よ」
「・・・」
「ちゃんと、聞かなきゃ、ちゃんと理解、出来ない」
 黒井はちょっと間を空けて、鼻で笑いながら、「・・・なんで?」と言った。
「いや、だからそれは、・・・俺は遅いから、一つずつ理屈積まなきゃ、わかんな・・・」
「だから何で!?」
 電話の向こうから癇癪を起こしたような金切り声。でも、語尾は少し、笑ったように上がった。
「・・・しょ、しょうがないだろ、そんな」
「何でお前は俺の話聞いてくれんの!?寝てんのに叩き起こして、こんな酔っぱらいの話、お前、何か機械?」
「は?」
「ロボットなの?俺の妄想?今おれ、ほんとに喋ってる?」
「・・・喋ってる、けど」
「あのね、お前のこと話してると、勘違いするんだよ。何か、あんじゃないかって。ここに、何か、あるんじゃないかって。でもさ、やっぱりなくてさ、でもあったって、まぶしいもの見たときの残像みたいな、そういうの・・・」
「・・・うん」
「だからつらいよ。でもうれしい」
「・・・」
「ぜんぜん、ちがうのかもしんない。お前に言ったけどさ。あの映画でもあったけど、やっぱ、もしかして」
「・・・え?」
「とりもどすんじゃ、ないのかな」
「うん?」
「わかんないよ。ぜんぜんわかんない。ねえどう思う?お前はどう思う?」
「・・・だから、まだ」
「俺の中身どうだった?」
「へっ・・・」
「・・・ねえ」
「う、うん、それは・・・その」
「うん」
「・・・苦かった、です、けど」
「あ、味じゃ、なくて!!」
「えっ!?」
「俺はね、お前に、中身がかっこいいって言われたいの!」
「え、え・・・そ、そういう意味?いや、その、何て言っていいか」
「・・・かっこいいとこなんか、ない?俺に、そんなの・・・」
「な、なくないって」
「たとえば?」
「え、えっと、たとえば・・・」
「顔とかアレとかナシでだよ」
「・・・っ、大丈夫、わかってる、分かってるよ・・・」
 酔っぱらいに突然涙声で無茶振りされて、頭が真っ白になって、でも、ちゃんと言えた。
「歌が、うまかったのと、それと・・・」
 もちろんうまくてかっこよかったけど、でもそれは、あくまで誰かが作った歌だ。
「あの、アトミク、の、こと。どうしてそんな言葉思いついたのかって、お前は、新しいもの、オリジナルで、創造出来るのかって・・・」
「・・・それが、かっこいいとこ?」
「そう、だよ。俺にはそういうの出来ないし、センスもないし・・・」
「え、そう?」
「うん、名前って、難しいよ。それが持つ要素を簡潔に表して、しかも音の清濁とか言い易さとか、字面のイメージも合ってなくちゃいけなくて・・・あの、あれって、前から何か、考えてたの?」
「・・・ううん。あんとき、えっと、お前が何かいろいろパソコンに書いてて、読んでたら、そう思った」
「あの場で?」
「うん」
「物理と、原子と、英語とドイツ語と・・・」
「そんなの考えてないよ。ただそれがあって、後から説明しただけ。だってそう思っただけだもん・・・」
 黒井はしばらく沈黙して、そして急に酔いが冷めたような硬い声で、「タクシーで帰るよ」と。
「え、う、うん。その、気をつけて」
 それから唐突に、「やっぱお前が出してくれたんだ」と、電話は切れた。


・・・・・・・・・・・・・


 何となく、話しぶりからするに、同窓会か何かだったんだろうか。送り狼のくだりが非常に気になるけど、でも、嫉妬に燃えたりはしなかった。
 ちゃんと聞かなきゃわかんない、けど。
 ちゃんと言わなきゃ伝わんない、よね。
 急に、腹と胸が熱くなって、もう、お前を抱きたくてしょうがなくなった。何度でも出してやって、失ってなんかないって、ちゃんと身体の、その奥に眠ってるんだって、身体と心で伝えたい。
 ねえ、俺と、やろうよ。
 誰といたか知らないけど、俺の方がうまく出来る。
 お前を、一生懸命、連れてってやれるよ。
 二十分くらいで、<ついた>とメールが来た。それほど遠くなかったんだな。・・・ま、どうせ東京都心か。そしてすぐに続いて二通目、<もれそう!>・・・。
 こっちもいろいろ、もれそうだよ。

<お帰り。間に合った?>

 そして五分後。

<ぎりぎり、だった>

 まさか、<ついた>ってうちのことじゃないよねって玄関の鍵を開けておいた僕は、ゆっくり鍵とチェーンをかけ直し、咳払いして自分に取り繕った。だ、だって、そういうことするやつじゃん!
 そして、部屋に散らかった、涙を拭いたティッシュを見て、ちょっと笑った。本当に、どうしようもないな。すぐに一喜一憂するのは治りそうもない。
 そして、<おやすみ>とメールが来て、風呂も入らずバタンキューするつもりだな、と思いながら、<おやすみ。でもどうしておやすみはいいの?>とメールした。ちゃんと、訊いてみないとね。
 三分後、即答でなく、少し考えたらしい答えは、<夢をみるから。あっちに行けるから>と。
 ・・・あっち?
 ふと、暗がりの芝生に消えていく黒井の姿が浮かんだ。あれは、本当はどこへ行ったんだ?トイレじゃなかった?っていうか、もしかしてまた幻覚だった・・・?
 急にうすら寒くなって、行くな、行くなよ、と心で叫んだ。戻って来いよ、おはようって笑ってくれよ。
 我に返って、返信しようとしたけど、そうか、とも、詳しく教えて、とも、指が動かなかった。
 ・・・<それを取り戻す>のは、お前にとって、いや、俺にとって、本当に望むような、いいことなんだろうか。
 それは、ただ単に僕が置いてかれるとか、用済みになっちゃうとか、そういうことじゃなくて。
 お前の<それ>は、本当に<まとも>な状態なんだろうか。今だって十分大変なやつだけど、もしかして<それを取り戻し>たら、もはやちょっとヤバい感じ、ってことはないだろうか?
 いや、でも・・・もし、そうだとしたって。
 やるしかないし、行くしかないのか。
 石橋叩く人生とはおさらばだ。全部のリスク背負って走るだけ。少なくとも俺はお前を愛してる。したいこと、するんだから、覚悟は出来てる。
 誰に押しつけられたわけでもない課題と実践だ。結果の責任も全部自分にある。それを引き受けて生きていく。お前がいる限り。
 それだけだ。
 おやすみと送ったけれども眠ることは出来ず、ただ壁にもたれて、じっとしていた。
 怖いという気持ちは、結局は失う恐怖であって、それは得るところから始まるのであって、でも、得るものを最小限に抑えてそれを避けるのは、やめたんだ。少なくとも、黒井彰彦については。
 お前がいれば、怖くない。
 だから、お前とのことは、大丈夫だ。
 でも、もしお前がいなかったら、お前を失うのが怖くて仕方ない。
 ・・・おかしな論理矛盾だ。エラーコードが出る。
 ・・・。

 エラーは僕をおかしなところに連れていく。
 僕は、僕が死んでいるところをリアルに想像した。
 部屋の中で、横向きに倒れている。
 っていうか皮膚の色がおかしい。床に接しているところが黒くなっている。何だかろうそくみたいに真っ白いところもある。何かが腐るにおい。吸い込む前から吐き気がする・・・。
 お前がいなくなったらたぶん僕はこうなるんだろう。中身は溶けて、床に染みてく。僕が物体に戻ってく。
 いいじゃないか。大丈夫だ、それで。
 蛆がわくのが許せないけど、顔なんかひどくて見れないけど、でももう、そんな意味なんかなくなるんだ。許せないとか、よくないとか、そんなのない世界だ。どんな判断基準もない、社会通念も倫理も効率の追求もない、カラカラに乾いた世界。それが僕を自由にする。もういない僕を、自由に解放する・・・。
 いなくなることは、出来るのか。
 明日もこのまま存続するという前提がルールと法律を作り、すべてを縛っていく。でもそれは<必ず>なくなる。人は死ぬ。
 ・・・だから、物理に惹かれた。
 それでいいんだって、それは怖いことでも、悪いことでもないって、強力に肯定してくれる。科学のお墨付きで、奮い立たせてくれる。
 ・・・お前は、意味なんかなくて、それがおもしろいって、言ってたけど。
 僕には、面白くなんかない。
 いや、もちろん、好奇心としては面白いし興味深い。やりがいがあるし、ミステリの要素もある。
 でも、本当は。
 怖くて、見ないようにしていたところに降ってきた、免罪符。<いつもきちんと>していなければいけない社会の中で僕はいつも綱渡りで、もし落ちたら社会的には落ちこぼれなわけだけど、物理的には、ただずっと素粒子の集まりとして在っただけ。落ちても落ちなくても僕の価値は変わらないんだって言ってくれる、唯一の概念。だから面白いとかじゃなく、僕にはただ必要なんだ。
 ・・・やっぱり、やるしかない。
 本末転倒のウロボロスだけど、お前と、アトミクをやるしか、ないみたいだ。
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