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黒井の誕生日を僕なりに祝う
第190話:おんぶしてナイト・トレイル
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「ね、お前は、どこで生まれたの?」
「へっ?」
いや、聞きたいのはこっちで、そんな、僕のことなんて、どうだって・・・。
「もしかして、この辺、なの?」
「え、いや、違うよ」
「そう。・・・俺さ、引越しも何回かしたし、東京だし、故郷とか地元ってないから・・・お前はそういうの、あんのかなって」
「と、東京?」
「え、うん」
芦屋じゃなくて?
「東京って、ヤモリも、枇杷も?」
「うん」
「と、東京の、どの辺・・・」
一応、ここだって東京だけど。
「えっと、あれは世田谷」
「せたがや?」
世田谷の一軒家の庭に、枇杷と桜と棕櫚?
「・・・っていうか、お前、今も世田谷だ」
「あ、そうだね、そういえば。でもちょっと違うよ。あれは東横沿いで」
「とうよこ・・・」
「世田谷で何度か転々としたんだよ。次は、もっと渋谷寄りで」
「しぶや・・・」
どうしよう、埼玉で生まれて千葉で育ったなんて、言えなくなってきた。
「ね、あそこ、何か見える」
「え?」
我に返って、指さす方を見るけど僕の視力では何も見えなかった。
「ほら、何か、屋根みたいの?」
「ああ、休憩所かな」
確か、昼間は売店とか、軽食とか出してたような。
「俺、ちょっと足痛い」
「あ、ごめん・・・っていうか、サンダルで飛び出してくるから」
「別に、これはこれで、いいんだって。・・・あ」
「・・・なに?」
「おんぶしてもらおう!」
「へっ!?」
な、何でそうなる?お、俺、背中には、ナップザックを・・・。
「それ前に背負ってよ」
「へっ?な、ど、どっか怪我した?」
「ううん。疲れただけ」
「も、もうちょっとだ」
僕にも見えてきた東屋を示すけど、「何だよ、いや?」と。
い、いやじゃないです。です、けど。
腹とか、腰が抜けて、途中で潰れる、かも・・・。
・・・・・・・・・・・・・
「あ、脱げた」
「ええ?だから、言ったのに・・・」
もう、いろいろ、くらくらした。
成人男子がこんなに重く感じるとは思わなかったし、でもつい大丈夫なふりで歩き出しちゃって、いやいや、しゃがんで拾うとか無理だって!
「い、いったん降りて・・・」
「え、もういいよ。このまま行こ」
「ちょ、じたばたすんな!」
「早く!早く!」
一度背負いなおして、裸足の黒犬を東屋まで連れていく。こないだ僕が熱を出して背負われたときは、もっと長い距離を、もっとさっさと歩いていたような。
っていうか、こんなのもう、だめなんですけど。
顔が見えないのが幸いだ。緩んで、にやけて、どうしようもない。
休憩所に至る道はほんのちょっとした丘になっていて、僕はサンダルを置いて歩き始めたけれど、一歩一歩遠ざかるうち、だんだん気になってきてしまう。
「や、やっぱり、拾おうか」
「ええ?いいってば」
「でも、なんか、ちゃんと完結しない・・・」
「おい、戻るなって!いいよ、俺ベンチで待ってるからお前が取ってくれば」
何が「いいよ」なのか分からないが、まあ、確かに僕が取ってくればいい話だ。どうにも落ち着かないけど、重い足取りでまた引き返す。
「ね、重い?」
「・・・うん」
「俺、向こう行って、ちょっと太ったかも」
「・・・ふうん」
ああ、確かに三月のげっそりした感じに比べて、健康的になったね。
「あのね、60、くらい」
「・・・何が」
「俺の、質量」
「ああ、そう・・・」
178センチの男性が60キロというのが痩せているのかどうなのか、自分の体重もよく知らない僕には分からなかった。
裸足の黒井に途中で降りて、とは言えないから、緩い傾斜の芝生をのぼりつづける。向こうに回れば舗装された階段もあったけど、こっちが、近い、かと、思って・・・。
足を支える腕が疲れてくるし、芝生が少しすべるし、え、っていうか俺、今六十キロの物体を運んでるのか。段ボールだったら絶対持てない重さだけど、こうしてしがみつかれたら運べるもんだ。死体だったら、あらかじめおぶっておかないと死後硬直で運びにくくなるだろう。うん、車のトランクに入れるとか、一人では無理だな。いや、ロープやてこなんかを使えば、何とかなるのかな?
「ね、こんなか、何入ってんの?」
黒井が前に手を伸ばして、ナップザックを探る。
「お、おい、開けるなって。タオルとか、ライトとか、だよ」
「ライト?つけたい!」
握った手の形を作るけど、残念ながらそれは持ってきてない。
「懐中電灯、じゃ、ないんだ」
「え、なに、ランプ?」
「ヘッド、ライト」
「ええ!すごい、つけたい!」
「あ、暴れるな!勝手に開けるな!」
「ええ?今つけたいよ。早くしなきゃ、着いちゃうじゃん」
「着いて、降ろして、落ち着いてから、つけよう・・・」
ようやく、菱形を斜めに二つ繋げたような東屋にたどりついた。隣の小さな建物はシャッターが下りた売店。
東屋のベンチの上に降ろしてやると、もう、僕がへたばった。
「ね、どこ?」
「あ、ちょ、待てって!今出すから・・・」
「何だよ、いいじゃん」
「ち、違う。とにかく、クロ、待て!<待て>!」
手のひらで制止を示すと、黒犬は「・・・くうん、ふん、ふん!」と、仕方なさそうに手を引っ込めた。僕はナップザックを引ったくり・・・いや、緩慢に引き寄せ、ヘッドライトを出した。僕だってつけたことないから、どこをどうするのか分からない。説明書もついてるけど暗くて見えなくて、何かライトない?・・・って、本末転倒だ。
「貸して貸して!」
「ほら。でもやり方わかんないよ。どっか、サイズを合わせるとこが・・・」
「はは、俺、説明書なんか読まずに捨てるよ。あ、ついた!」
点けて、目の前でかぶってみせるから、ま、眩しいって!
「ね、どう?俺、どう?」
「どうって、なんも見えないよ!」
「探検隊っぽい?冒険家?」
「・・・うーん、それを言うなら、今こそひげがほしかったね」
「ええ?そんな、今無理だよ」
「・・・そりゃ無理だろ」
二人で笑い、何とはなしに顎をさすった。もうほんの少しちくちくしている。僕なんか薄くて綺麗に生え揃わないし、どうせ童顔だから似合いもしないけど。
黒井は僕に眩しい光線を当てるのをやめ、頭を押さえて天井を照らしたり、好奇心旺盛に新しいアイテムで遊んでいる。ふむ、こういうのは、マンホールを降りた地下道みたいな人工の場所と、洞穴のような自然の中と、どっちが似合うだろう。まあ、どちらにしたって見つけるのはもちろん・・・。
「ほら、お前も」
「うわっ」
ぼうっとしているとライトをかぶせられ、・・・はあ、頭を動かすと視界が丸ごと照らされるという感覚は、何だか新鮮だった。手で操作するのではなく、視覚と思考が一致する感じ。自分が視点となって、自分の中から世界を見ている感じ。・・・いや、それは、そうなんだけど。
「ね、これで、何か発見とかしたくない?」
「う、うん、ちょっといいね」
「そうだな、・・・化石とか、壁画とか」
「えっ」
死体じゃないの?
黒井は楽しそうにまたかぶり、「よし、探検行こう!」と、しかし、踏み出した足が裸足だった。
「いてっ」
早速ライトで足の裏を照らし、小さな石を手で払う。
「サンダルどの辺だっけ」
「さあ、降りたとこだろうけど、よく見えないよ」
「え、もしかして、これでそれを探しに行く?」
「あ、なるほど。じゃ、行ってくる・・・」
「えー!ずるいよ!」
「へっ・・・?」
黒井に僕の靴を貸せばよかったってことは、ずいぶん後から気がついた。別に、推理小説が好きだからって頭の回転が早くなりはしない・・・。
「あれ、どの辺から登ってきたっけ?」
「は、早く、見つけて・・・」
もう重い。もう疲れた。好きな人を背負ってるからって疲れを凌駕できるわけではなく、っていうかむしろ、心拍数的に、余計、大変・・・。
「っていうか、それほど見えないね。ぼんやり明るいだけで」
「・・・」
こないだの雑誌に書いてあったけど、たぶんこれは用途として、霧の中とか、あるいは木立を抜けていく時なんかに役立つのであって、FBIが使うハイビームのライトみたいな役割とは、違うんじゃ、ないか、な・・・。
「あ、あれかな?あそこ?」
黒井が指さす方に、もう何も考えずに歩く。むしろ、ライトがない方が、暗さに目が慣れてよく見えるような気さえする。でもまあ、そんなことどうだっていいんだ。こうして黒井がはしゃいでいて、僕だって楽しいんだから。
「ね、ねこ、尻が、落ちるよ・・・!」
「じ、じぶんで、のぼって・・・」
「あ、ちょっと!うわ、はは、ちゃんと持って!」
「うで、しびれて、きた・・・」
声が裏返って、腕から力が抜けていく。黒井が背中からずり落ちていって、「うう・・・」と唸りながらしばらくしがみついて、やがて、地面にどさりと落ちた。
「・・・あはははっ!!!」
僕ももうそのまま倒れて、腹を抱えて痙攣して笑った。
「・・・見て、ねこ、・・・もうちょっとだった!」
「・・・ええ?」
「ほら、あそこ」
黒井が外したヘッドライトを地面に置いて照らし、二メートルくらい先に、裏返ったサンダルがあっちこっちを向いて転がっていた。
「そ、そう・・・。お、落として、ごめん・・・」
「尻が、痛かった」
「俺だって、腰が、痛い・・・」
裸足を投げ出して、手を後ろについて空を仰いだ黒井は、大笑いの余韻を残しつつ、「・・・星、あんま見えないね」と言った。
僕は立ち上がってよろけながらサンダルを持ってきて、黒井の横に置いた。ああ、時計がないな。もう日付が変わったかどうか、これじゃわかんないよ。
「戻ろう。ポカリを、持ってきたから」
「ああ、飲みたい。喉渇いた」
無意識に出してしまった手を黒井が取って、立ち上がった。ふらふらになった手足と、ひゅうと透ける腹を引きずって、また同じ道を歩く。
お前に、星を、見せてやりたくて。
・・・・・・・・・・・・
ナップザックから携帯を出すけど、いつの間にか充電切れで死んでいた。
「ね、クロ、今何時か分かる?」
「え、何で?・・・あ、お前まさか」
「・・・え?」
「終電の時間とか気にしてる?・・・別に、そんなのさあ」
「ち、違うよ」
「え?」
「い、いいから、何時か教えて」
「なに、用事でもあるわけ?一人で帰るの?」
「違うって。た、ただ知りたいだけ」
「何それ」
しばらく押し問答が続き、「意地張るなって」「そっちこそ!」と、爆笑の後は喧嘩腰。どうして俺たちこうなっちゃうんだろう?とうとう黒井はスマホをベンチに叩きつけるように置いて、「俺今こういうの見たくない」とそっぽを向いた。ああ、ごめん、それでお前は千葉でも、ネットも電話もしなかったんだ。
「じゃ、じゃあちょっとだけ見せてよ。時間だけ見たら、すぐしまうから」
「嫌だ」
「だ、大事なことなんだって」
「だから何が?」
「お願いだって」
「だからそれを言えって!」
そんなの、そっちこそ、察してくれ!
・・・。
どうしよう、こんな雰囲気で渡したって、しょうがないよね。
せっかく用意したのに、自分のせいで台無しだなんて、ほんとうに情けなくて呆れる。どうして夜でも光って見える腕時計を用意しなかったんだ。
やっぱり、ちゃんと、完璧に計画しないから。
そのせいでお前に嫌な思いをさせてるなんて、耐えられない。やっぱり、ちゃんとやらなきゃ、だめなんだ・・・。
ネクタイの、サプライズとか、してくれたのに。
僕はこうして、情けない声出して、誕生日をロマンチックに演出することも出来やしない。
「・・・あの」
「うん?」
少し苛立った声。はあ。しかも、バッグからこそこそ出すのが、へんてこりんな包みなんだから、もうどうしようもない。
「これ・・・」
「・・・なに?」
「べ、別に後でも、よかったけど、・・・今、って、思ったから」
「・・・何のこと?」
「いや、だから・・・時間、まだだったら、言え、ないし」
「はあ?」
「い、いい加減、気づけって!」
チカチカとライトをもてあそんでいた黒井が、「ええ?」と怪訝そうにこちらを向く。僕はグレーの袋を持ったまま、でも渡すことも出来ず、「だ、だから、時間!」と繰り返した。
「時間が何なの?それ何?」
あぐらのまま僕を見上げる黒井に、「時間を見なきゃ、今が何日かわかんないだろ!!」と、逆ギレ。どうしてもっとまともに祝ってやれないんだ?
「何日って、え・・・」
すう、と顔から苛立ちが消えて、ぽかんとした無表情。
「この鈍感!」
「え、まさか」
「だから、早く見て!」
「な、なんだよ・・・」
ゆっくりベンチから足を下ろし、裸足も気にせず、僕の顔と持っている袋を交互に見ながら近づいてくる。ひゅう、と全身がこわばって、クロの顔が見れない。スニーカーの僕とほとんど同じ高さの、その顔が、スローモーションみたいにゆっくり肩に乗って、あとから背中に手が回された。
「バカ、そんなの、何時だって」
「よ、よくない。ちゃんと、正確に・・・」
「そう、思ったら、そんときだ」
「・・・分かったよ。分かった。今日はお前に譲る。誕生日おめでとうクロ」
右手に袋を持ったまま、僕は左手だけでクロを抱きしめた。クロは、「お前のときは、ちゃんと、見る」と、懸命に譲歩してくれた。
「へっ?」
いや、聞きたいのはこっちで、そんな、僕のことなんて、どうだって・・・。
「もしかして、この辺、なの?」
「え、いや、違うよ」
「そう。・・・俺さ、引越しも何回かしたし、東京だし、故郷とか地元ってないから・・・お前はそういうの、あんのかなって」
「と、東京?」
「え、うん」
芦屋じゃなくて?
「東京って、ヤモリも、枇杷も?」
「うん」
「と、東京の、どの辺・・・」
一応、ここだって東京だけど。
「えっと、あれは世田谷」
「せたがや?」
世田谷の一軒家の庭に、枇杷と桜と棕櫚?
「・・・っていうか、お前、今も世田谷だ」
「あ、そうだね、そういえば。でもちょっと違うよ。あれは東横沿いで」
「とうよこ・・・」
「世田谷で何度か転々としたんだよ。次は、もっと渋谷寄りで」
「しぶや・・・」
どうしよう、埼玉で生まれて千葉で育ったなんて、言えなくなってきた。
「ね、あそこ、何か見える」
「え?」
我に返って、指さす方を見るけど僕の視力では何も見えなかった。
「ほら、何か、屋根みたいの?」
「ああ、休憩所かな」
確か、昼間は売店とか、軽食とか出してたような。
「俺、ちょっと足痛い」
「あ、ごめん・・・っていうか、サンダルで飛び出してくるから」
「別に、これはこれで、いいんだって。・・・あ」
「・・・なに?」
「おんぶしてもらおう!」
「へっ!?」
な、何でそうなる?お、俺、背中には、ナップザックを・・・。
「それ前に背負ってよ」
「へっ?な、ど、どっか怪我した?」
「ううん。疲れただけ」
「も、もうちょっとだ」
僕にも見えてきた東屋を示すけど、「何だよ、いや?」と。
い、いやじゃないです。です、けど。
腹とか、腰が抜けて、途中で潰れる、かも・・・。
・・・・・・・・・・・・・
「あ、脱げた」
「ええ?だから、言ったのに・・・」
もう、いろいろ、くらくらした。
成人男子がこんなに重く感じるとは思わなかったし、でもつい大丈夫なふりで歩き出しちゃって、いやいや、しゃがんで拾うとか無理だって!
「い、いったん降りて・・・」
「え、もういいよ。このまま行こ」
「ちょ、じたばたすんな!」
「早く!早く!」
一度背負いなおして、裸足の黒犬を東屋まで連れていく。こないだ僕が熱を出して背負われたときは、もっと長い距離を、もっとさっさと歩いていたような。
っていうか、こんなのもう、だめなんですけど。
顔が見えないのが幸いだ。緩んで、にやけて、どうしようもない。
休憩所に至る道はほんのちょっとした丘になっていて、僕はサンダルを置いて歩き始めたけれど、一歩一歩遠ざかるうち、だんだん気になってきてしまう。
「や、やっぱり、拾おうか」
「ええ?いいってば」
「でも、なんか、ちゃんと完結しない・・・」
「おい、戻るなって!いいよ、俺ベンチで待ってるからお前が取ってくれば」
何が「いいよ」なのか分からないが、まあ、確かに僕が取ってくればいい話だ。どうにも落ち着かないけど、重い足取りでまた引き返す。
「ね、重い?」
「・・・うん」
「俺、向こう行って、ちょっと太ったかも」
「・・・ふうん」
ああ、確かに三月のげっそりした感じに比べて、健康的になったね。
「あのね、60、くらい」
「・・・何が」
「俺の、質量」
「ああ、そう・・・」
178センチの男性が60キロというのが痩せているのかどうなのか、自分の体重もよく知らない僕には分からなかった。
裸足の黒井に途中で降りて、とは言えないから、緩い傾斜の芝生をのぼりつづける。向こうに回れば舗装された階段もあったけど、こっちが、近い、かと、思って・・・。
足を支える腕が疲れてくるし、芝生が少しすべるし、え、っていうか俺、今六十キロの物体を運んでるのか。段ボールだったら絶対持てない重さだけど、こうしてしがみつかれたら運べるもんだ。死体だったら、あらかじめおぶっておかないと死後硬直で運びにくくなるだろう。うん、車のトランクに入れるとか、一人では無理だな。いや、ロープやてこなんかを使えば、何とかなるのかな?
「ね、こんなか、何入ってんの?」
黒井が前に手を伸ばして、ナップザックを探る。
「お、おい、開けるなって。タオルとか、ライトとか、だよ」
「ライト?つけたい!」
握った手の形を作るけど、残念ながらそれは持ってきてない。
「懐中電灯、じゃ、ないんだ」
「え、なに、ランプ?」
「ヘッド、ライト」
「ええ!すごい、つけたい!」
「あ、暴れるな!勝手に開けるな!」
「ええ?今つけたいよ。早くしなきゃ、着いちゃうじゃん」
「着いて、降ろして、落ち着いてから、つけよう・・・」
ようやく、菱形を斜めに二つ繋げたような東屋にたどりついた。隣の小さな建物はシャッターが下りた売店。
東屋のベンチの上に降ろしてやると、もう、僕がへたばった。
「ね、どこ?」
「あ、ちょ、待てって!今出すから・・・」
「何だよ、いいじゃん」
「ち、違う。とにかく、クロ、待て!<待て>!」
手のひらで制止を示すと、黒犬は「・・・くうん、ふん、ふん!」と、仕方なさそうに手を引っ込めた。僕はナップザックを引ったくり・・・いや、緩慢に引き寄せ、ヘッドライトを出した。僕だってつけたことないから、どこをどうするのか分からない。説明書もついてるけど暗くて見えなくて、何かライトない?・・・って、本末転倒だ。
「貸して貸して!」
「ほら。でもやり方わかんないよ。どっか、サイズを合わせるとこが・・・」
「はは、俺、説明書なんか読まずに捨てるよ。あ、ついた!」
点けて、目の前でかぶってみせるから、ま、眩しいって!
「ね、どう?俺、どう?」
「どうって、なんも見えないよ!」
「探検隊っぽい?冒険家?」
「・・・うーん、それを言うなら、今こそひげがほしかったね」
「ええ?そんな、今無理だよ」
「・・・そりゃ無理だろ」
二人で笑い、何とはなしに顎をさすった。もうほんの少しちくちくしている。僕なんか薄くて綺麗に生え揃わないし、どうせ童顔だから似合いもしないけど。
黒井は僕に眩しい光線を当てるのをやめ、頭を押さえて天井を照らしたり、好奇心旺盛に新しいアイテムで遊んでいる。ふむ、こういうのは、マンホールを降りた地下道みたいな人工の場所と、洞穴のような自然の中と、どっちが似合うだろう。まあ、どちらにしたって見つけるのはもちろん・・・。
「ほら、お前も」
「うわっ」
ぼうっとしているとライトをかぶせられ、・・・はあ、頭を動かすと視界が丸ごと照らされるという感覚は、何だか新鮮だった。手で操作するのではなく、視覚と思考が一致する感じ。自分が視点となって、自分の中から世界を見ている感じ。・・・いや、それは、そうなんだけど。
「ね、これで、何か発見とかしたくない?」
「う、うん、ちょっといいね」
「そうだな、・・・化石とか、壁画とか」
「えっ」
死体じゃないの?
黒井は楽しそうにまたかぶり、「よし、探検行こう!」と、しかし、踏み出した足が裸足だった。
「いてっ」
早速ライトで足の裏を照らし、小さな石を手で払う。
「サンダルどの辺だっけ」
「さあ、降りたとこだろうけど、よく見えないよ」
「え、もしかして、これでそれを探しに行く?」
「あ、なるほど。じゃ、行ってくる・・・」
「えー!ずるいよ!」
「へっ・・・?」
黒井に僕の靴を貸せばよかったってことは、ずいぶん後から気がついた。別に、推理小説が好きだからって頭の回転が早くなりはしない・・・。
「あれ、どの辺から登ってきたっけ?」
「は、早く、見つけて・・・」
もう重い。もう疲れた。好きな人を背負ってるからって疲れを凌駕できるわけではなく、っていうかむしろ、心拍数的に、余計、大変・・・。
「っていうか、それほど見えないね。ぼんやり明るいだけで」
「・・・」
こないだの雑誌に書いてあったけど、たぶんこれは用途として、霧の中とか、あるいは木立を抜けていく時なんかに役立つのであって、FBIが使うハイビームのライトみたいな役割とは、違うんじゃ、ないか、な・・・。
「あ、あれかな?あそこ?」
黒井が指さす方に、もう何も考えずに歩く。むしろ、ライトがない方が、暗さに目が慣れてよく見えるような気さえする。でもまあ、そんなことどうだっていいんだ。こうして黒井がはしゃいでいて、僕だって楽しいんだから。
「ね、ねこ、尻が、落ちるよ・・・!」
「じ、じぶんで、のぼって・・・」
「あ、ちょっと!うわ、はは、ちゃんと持って!」
「うで、しびれて、きた・・・」
声が裏返って、腕から力が抜けていく。黒井が背中からずり落ちていって、「うう・・・」と唸りながらしばらくしがみついて、やがて、地面にどさりと落ちた。
「・・・あはははっ!!!」
僕ももうそのまま倒れて、腹を抱えて痙攣して笑った。
「・・・見て、ねこ、・・・もうちょっとだった!」
「・・・ええ?」
「ほら、あそこ」
黒井が外したヘッドライトを地面に置いて照らし、二メートルくらい先に、裏返ったサンダルがあっちこっちを向いて転がっていた。
「そ、そう・・・。お、落として、ごめん・・・」
「尻が、痛かった」
「俺だって、腰が、痛い・・・」
裸足を投げ出して、手を後ろについて空を仰いだ黒井は、大笑いの余韻を残しつつ、「・・・星、あんま見えないね」と言った。
僕は立ち上がってよろけながらサンダルを持ってきて、黒井の横に置いた。ああ、時計がないな。もう日付が変わったかどうか、これじゃわかんないよ。
「戻ろう。ポカリを、持ってきたから」
「ああ、飲みたい。喉渇いた」
無意識に出してしまった手を黒井が取って、立ち上がった。ふらふらになった手足と、ひゅうと透ける腹を引きずって、また同じ道を歩く。
お前に、星を、見せてやりたくて。
・・・・・・・・・・・・
ナップザックから携帯を出すけど、いつの間にか充電切れで死んでいた。
「ね、クロ、今何時か分かる?」
「え、何で?・・・あ、お前まさか」
「・・・え?」
「終電の時間とか気にしてる?・・・別に、そんなのさあ」
「ち、違うよ」
「え?」
「い、いいから、何時か教えて」
「なに、用事でもあるわけ?一人で帰るの?」
「違うって。た、ただ知りたいだけ」
「何それ」
しばらく押し問答が続き、「意地張るなって」「そっちこそ!」と、爆笑の後は喧嘩腰。どうして俺たちこうなっちゃうんだろう?とうとう黒井はスマホをベンチに叩きつけるように置いて、「俺今こういうの見たくない」とそっぽを向いた。ああ、ごめん、それでお前は千葉でも、ネットも電話もしなかったんだ。
「じゃ、じゃあちょっとだけ見せてよ。時間だけ見たら、すぐしまうから」
「嫌だ」
「だ、大事なことなんだって」
「だから何が?」
「お願いだって」
「だからそれを言えって!」
そんなの、そっちこそ、察してくれ!
・・・。
どうしよう、こんな雰囲気で渡したって、しょうがないよね。
せっかく用意したのに、自分のせいで台無しだなんて、ほんとうに情けなくて呆れる。どうして夜でも光って見える腕時計を用意しなかったんだ。
やっぱり、ちゃんと、完璧に計画しないから。
そのせいでお前に嫌な思いをさせてるなんて、耐えられない。やっぱり、ちゃんとやらなきゃ、だめなんだ・・・。
ネクタイの、サプライズとか、してくれたのに。
僕はこうして、情けない声出して、誕生日をロマンチックに演出することも出来やしない。
「・・・あの」
「うん?」
少し苛立った声。はあ。しかも、バッグからこそこそ出すのが、へんてこりんな包みなんだから、もうどうしようもない。
「これ・・・」
「・・・なに?」
「べ、別に後でも、よかったけど、・・・今、って、思ったから」
「・・・何のこと?」
「いや、だから・・・時間、まだだったら、言え、ないし」
「はあ?」
「い、いい加減、気づけって!」
チカチカとライトをもてあそんでいた黒井が、「ええ?」と怪訝そうにこちらを向く。僕はグレーの袋を持ったまま、でも渡すことも出来ず、「だ、だから、時間!」と繰り返した。
「時間が何なの?それ何?」
あぐらのまま僕を見上げる黒井に、「時間を見なきゃ、今が何日かわかんないだろ!!」と、逆ギレ。どうしてもっとまともに祝ってやれないんだ?
「何日って、え・・・」
すう、と顔から苛立ちが消えて、ぽかんとした無表情。
「この鈍感!」
「え、まさか」
「だから、早く見て!」
「な、なんだよ・・・」
ゆっくりベンチから足を下ろし、裸足も気にせず、僕の顔と持っている袋を交互に見ながら近づいてくる。ひゅう、と全身がこわばって、クロの顔が見れない。スニーカーの僕とほとんど同じ高さの、その顔が、スローモーションみたいにゆっくり肩に乗って、あとから背中に手が回された。
「バカ、そんなの、何時だって」
「よ、よくない。ちゃんと、正確に・・・」
「そう、思ったら、そんときだ」
「・・・分かったよ。分かった。今日はお前に譲る。誕生日おめでとうクロ」
右手に袋を持ったまま、僕は左手だけでクロを抱きしめた。クロは、「お前のときは、ちゃんと、見る」と、懸命に譲歩してくれた。
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