黒犬と山猫!

あとみく

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僕と黒井の、本気の「本番」

第70話:黒井は人生の本番がしたい

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 やたらに腹が減って、僕は昨日の残りのピザをあらかた平らげ、あとはまたコーヒーと喫煙タイムになった。
 久しぶりに外が曇っていて、小雨がちらついている。快晴の下で吸うよりも、どことなくすさんだ感じがして、タバコ日和だった。
「吸い出したのは、高校かな」
「不良」
「別に、そういうんじゃないよ」
 そう言って、決してうまそうには吸わない。もし僕が今高校一年なら、黒井は卒業間近の三年生だったわけで。それから十年近く経って、まあ、こうして僕は生まれて初めてタバコを吸っている。何だか変な気分だ。
 まあ、相変わらず、うまく吸えないけど。
「・・・さっきのこと、訊かないの」
 黒井が不良みたいに座り込んで、うつむきながら言う。
「ん?・・・さあ、何だろう」
「へえ、そう」
「ま、お互い、男だし、ね」
「何だよ、こないだは、あんな顔してたくせに」
「あ、あれは・・・そ、そういうんじゃなくて」
「いいじゃん。お前が、えろいだけ」
「なっ・・・、そ、それはお前だろ?き、昨日どれだけ・・・」
「違うよ、お前がえろいんだよ。あのね、存在が」
「・・・意味不明。却下」
「はは、だってさ、そうだもん」
 笑って、ふうと煙を吐き出す。お前の口から出たものは、灰色の空に立ち昇って、拡散して消えていった。
 何を吸って、何を吐いたらいいのかよく分からない白い筒をもてあそんで、時折むせながら、ただ時間を過ごした。空を見上げたり、黒井の指先を見つめたり。ふと目が合って、逸らすでもなく、何となく離れたりした。
「あの・・・」
 口を開いたのは、黒井だった。
「やっぱり・・・」
「え?」
「お前、どうして手を縛ってたの?」
「・・・」
「人質ごっこ、って言ってた」
「・・・」
「あれ、何?」
「・・・」
 僕は短くなってきたそれを、ちびちびと吸い続けた。ただじっとして黙ってるより、ずいぶん楽なんだな、こういうの、持ってると。
「お前、何か、また感じが違ったし。あれは、お前?」
「・・・俺、だよ」
「俺が来たから怒ってた、ってわけじゃ、なかったんでしょ?」
「・・・うん」
「言いたくないの?」
「知ってどうするの?」
「俺もやりたい」
「・・・へ?」
 黒井は床でこすって火を消して、吸い殻を灰皿代わりの空き缶に突っ込んだ。僕もそれにならう。小さな飲み口からぽとりと落として、でも何も音はしないから、虚空に消えたみたい。
「やりたい・・・、って?」
「俺もやりたい」
 黒井はもう一度繰り返した。そんなこと、言われても・・・。
「・・・人質は、俺だけだから」
「じゃあ、犯人の役?」
「え?」
「俺、悪いやつで、いいからさ。俺も、入れてよ」
「い、今?」
「そう、これから、すぐに」
 黒井はそう言って立ち上がった。もう、僕の言うことなんか聞いていない。僕を押し退けて部屋に入ると、さっさと裸になって、着替えだした。

 黒井はすっかり自分の着てきた服を着て、帽子にマスクもつけて、「で?」と言った。
「俺、なに?誘拐犯?立てこもり?テロリスト?」
「・・・え、そんなこと、言われても」
「何か、想定してたんでしょ?」
「ど、どうかな。よく、わかんないよ」
 あの時はそんなこと思わなかったのに、今は、ものすごく馬鹿らしく思えた。別に、ごっこ遊びをしたってしょうがないんだ。
「べ、別に、あらためてやろうとしてやることでもないし・・・」
「ええ?やんないの?」
「こんな、部屋で突っ立って何をどうしたって、別に・・・」
「・・・そっか。じゃ、外ね」
 黒井はマスクをずりおろすと、コンロをひねってもう一本タバコをくわえた。
「え?」
「ああ、ここに来る途中ね、俺、迷子になってあちこち歩いてさ。廃工場みたいの、見たよ。<管理地>って看板。あそこ行こう」
「はあ?」
「日曜だし、誰も来ない」
「・・・お前、何、言ってんの」
 黒井は吸いかけのタバコを口へ持っていこうとして、途中で固まった。どこでもない宙を見ながら、眉根を寄せる。何度か視線が飛んで、僕のところに戻ってきた。
「・・・本番」
「え?」
「本番だよ。もう本番がしたい。準備は、出来てる気がするんだ」
「なんの、話?」
「俺の話。俺の、何ていうか、人生の話」
「・・・え?」
「やれると、思うよ。怖いけど、やれそうなんだ。・・・お前とだったら」
 灰が、床に落ちた。一瞬目で捉えたけど、追うことはしなかった。
 いったい、何を言ってるんだ?
 本番?
 廃工場?
 人生?
 ・・・怖いけど、僕となら、やれそうだって??
 何だそれ、セックスの、話なの?
 そんなこと、あるわけないだろ。・・・お前が、やるのに、怖いだなんて。
 でももし、何かをするのが、怖いんだったら・・・。

 思考はそこで途切れて、理屈は紡げなかった。
 落ちた灰の前にしゃがみ、その砂の城を指でつついた。意外と、崩れない。僕は何かの衝動でそれを押し潰し、じわりと熱を感じて、「乗った」と言った。勝手に声が、出ていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・


 僕は棚から地図を取り出して、自宅周辺のところを開いた。会社で支給された、外回り用のポケットマップ。もう古い版だけど、支障はない。
「それ、どの辺?・・・ここが、うち」
 黒井に見せて、指差す。
「駅が、ここ」
「・・・地図とか、わかんないよ」
「仮にも外回りの営業マンだろ?」
「見た目とか、雰囲気でしか、覚えてない」
 ・・・。みつのしずくにも、たどりつく、か。
「工場だろ、名前とか、覚えてないの」
「さあ、工場っぽかった、ってだけで・・・」
 うちから徒歩圏内の工場らしき施設を探すけど、いかんせんこの周辺は縮尺が二万五千分の一だから、新宿駅前の五千分の一に比べたら何も載っていないに等しい。
「別に、地図で調べなくたって・・・」
「お前、犯人なんだろ?下調べが甘いよ」
「え?」
「何の敷地で、いつからそうなってて、今はどこの所有地なのか。ネットで探せばある程度分かると思うけど・・・」
「・・・」
「単なるパン工場なのか、危険物まで取り扱ってたのか。どこの会社と建設業者が絡んでるかとかで、いろいろ事情も違ってくるだろうし・・・」
「・・・そ、そこまで」
「ただうろうろして、何となく忍び込んで、ヤクザでも出てきたらどうすんの」
「や、ヤクザ?」
「本番なんでしょ?どれだけ本気なの?」
「ほ・・・ほんき、です。お願いします」
 黒井はその場で膝をつき、次に頭をついた。
「おい、人質に頭を下げる犯人がいるか。もう、場所が特定できなきゃ話になんないよ。行こう」
「は、はい!!」
 僕も服を着替え、地図とノートと携帯と、ポケット双眼鏡もナップザックに突っ込んで外に出た。曇り空から僅か雨が降り出していて、いい兆候だった。久しぶりの高揚感とともに、エレベーターに向かおうとする黒井の腕を取って、非常階段から降りた。


・・・・・・・・・・・・・・


「・・・お前って、何者なの?」
「別に。普通の、サラリーマン」
 そういうお前こそ、テレビもパソコンもない部屋で、いつも何してるんだよ。
 黒井はコンビニで百円ライターと携帯灰皿を買い、小雨も気にせず火をつけた。つけるのが下手な僕にそれを促すが、首を振って断る。嗅覚が馬鹿になると、仕事がしにくくなるからだ。
 ・・・何が、仕事だ。かっこつけちゃって。
 でも、楽しかった。大学以来の静かな興奮がよみがえる。社会人になってもまだ、こんなことをする余地が、あったのか。
 しばらくは黒井についてあちこち歩き回った。何度も同じ通りを行き来する。文句の一つも言いたいが、<仕事>と思えば腹も立たなかった。その工場を見たのが黒井である以上、今こうしてその曖昧な記憶をたどることが、考えられる一番の近道だ。それを遂行している最中に差し挟む文句など無駄なだけだ。
 四本ほど、消費されただろうか。
 携帯灰皿をポケットに乱暴に突っ込んで、「こっちだ」と。
「あそこだよ、あれあれ」
「・・・ふうん」
 住宅街は途切れて、敷地の広い会社や倉庫らしき建物が並んでいる。どこまでが何なのかよくわからないが、その一角が明らかに閉鎖されており、例の<管理地>のプラスチック看板が雨に濡れていた。驚くほど古くはないが、しかしここ何ヶ月というほどでもない。何がしかの事情で権利関係がごたついて、放置されているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。ただならぬ雰囲気もしないが、これがごく当たり前の状況かと問われれば、少し首を傾げたくなった。
 周辺の看板やトラックの横文字からは、貿易関係、製造関係、というぼんやりとした、あってもなくても意味がないようなキーワードしか読みとれなかった。携帯を取り出し、GPS機能で現在位置を表示させる。読み込みが遅いのでしばらく放っておき、もう少し周辺を洗うことにした。
「あの・・・俺は何したらいい?」
「適当に、この辺の写真撮っといて」
「り、了解」
 薄汚い、塗装の剥がれかけた鉄柵はすぐに乗り越えられそうだが、監視カメラの類がないか分かるまでは近づかない。門構えの周りのブロック塀は、これといって鉄条網などもなく、まあたぶんそれほど大した施設でもないわけだ。いや、まあ、当たり前だけど。
「とりあえず撮ったけど・・・ね、何してるの」
 突っ立ったままの僕に黒井が訊ねる。
「考えてるんだよ」
「何を?」
「侵入、逃走、追跡、捜査・・・」
「え?」
「この施設について、どれで行くのかってことだ。最終的に調べることは同じだけど、目的によってすることも全然違う」
「・・・たとえば?」
「何かを盗みに入るなら侵入で、図面やらセキュリティのチェックやらが必要だ。脱獄的な感じでここから逃走するだけなら、後先考えず見取り図さえあればいい。中にいる凶悪犯を追いつめるなら武器や部屋の配置を考えての戦闘になるし、終わった後の捜査なら残留物をかき集めてそこから犯人をプロファイリングしていくことになる」
 黒井はドン引きしてるのか、あっけに取られたのか、しばらく立ちすくんだ。そして、ポケットからタバコを出すが、そのまましまって、言った。
「・・・それ、全部やろう」
「え?」
「何かを盗むのは犯人の俺、脱獄すんのは人質のお前。凶悪犯は俺、そんで、犯人をプロファイリングすんのはお前。とにかく今のやつ全部」
「全部って・・・でも、何か盗むって何を?」
「何か分からないけど、お宝だよ。俺はお宝をゲットして、人質もとっつかまえて、ライトに照らされながら、こいつの命がどうなってもいいのか、ってお前を盾にしてずらかるんだ。そしたら俺の勝ち」
「へ?」
 僕は、ちょっと考えてそれがどういう状況なのか想像してみた。黒井は何かのお宝を狙っている犯人で、僕を人質として連れ回しているけれど、僕は途中お宝をこっそり隠して逃げ出して、よく分からない施設を一人でさまよう。そして逃げながら、犯人がどんなやつなのか、何が目的なのか、それまでの手がかりから推理していく・・・。
「そうだな、それなら、犯人対人質、どちらが相手を出し抜けるか勝負しよう。犯人は、お宝を持って逃げた人質を探す。人質は、追ってくる犯人のプロファイリングをして相手の正体や弱点をつかみ、お宝を隠して何とか逃げる・・・そうだ、お宝の中身を犯人の正体そのものにしてしまって、それは犯人が設定する。人質はそれを当てる。犯人はお宝を探す」
 何だろう、推理と宝探し付きの、ドロケー、みたいな?
 何か、僕の<人質ごっこ>とは、趣旨も意味も全然違うけど・・・。
 めまぐるしく脳みそが回転した。
「よく分かんないけど、それやるよ。それでいい。俺は勝つ」
「でも、うん、勝ったら何がある?」
「・・・当然、何でも一つ、相手にいうことをきかせられる」
「なんでも、ひとつ・・・?」
「焼き肉を奢れとか、消費税が上がる前に家を買えとか」
「い、家は、無理だけど・・・!」
「はは、それは冗談。ま、相手が出来ることなら、何でも、だよ・・・」
「よし、決まりだ。そしたら一回、さっきの通りに戻ってファミレスに入ろう。そこで詳細を詰める」
 黒井は黙って微笑むと、お願いします、とまた頭を下げた。
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