黒犬と山猫!

あとみく

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女の子から突然告白されてどうしよう

第64話:「黒井くんの彼女」ごっこ

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 病院を出てしまうと、もうやることもなかった。すがりついて土下座してでも一緒にいてほしいけど、でもそういうことじゃない。開き直って、したいこと、しちゃおうかとも思うけど、いったい何がしたいのか、よくは分からなかった。
 駅までのタクシー乗り場には五人ほど並んでいて、タクシーはいなかった。少しだけ先延ばし、出来たかな。
「全然来ないね」
「そう、だね」
「ねえ、少し、歩こっか」
「・・・」
 この辺の地理なんか知らないし、歩いて駅まで何分かかるのかも分からないけど・・・そのことには何も触れないで、歩きだした。もう、迷子になって、次元に穴でもあいて、異世界にでも飛んでいけばいい。そうでないなら、これが、最後かも、しれなかった。
 ・・・彼女でも、ないし。付き合っても、いないんだし。だからわざわざ別れたりは、しないけど。でも、このまま、<ただの同僚>に戻っていくことは、十分にあり得ることだった。朝は頭がおかしかったからあんなこと、平気でしちゃったけど。
 何てこと、しちゃったんだろう。
 こないだのあれは、まあ、生理的な、そういうことかもしれないけど。
 僕が告白された女の子にされたことを、黒井がされる理由なんてあるはずもなくて。本当は、嬉しくないどころじゃなかったんじゃないだろうか。
 うん。
 訊く勇気がないから、何も言わないまま、うやむやにしようとしている。でも、僕は僕の意志で、やりたいことをやったんだ。会社も他人も関係なく、身体がおかしくなっていたわけでもなく、どんな状況にも流されなかった。僕じゃない僕、でもなかった。たとえ今思い出してぞっとしてみたって、でも確かに、あれは僕で、あれが僕の行為だった。言い訳も後悔もない。これ以上どうしようもない。
 だから、今度は黒井がしたいようにしてくれたらいい。駅までたどり着いたら、その時は。
 ごく普通の同僚の顔で、「じゃ、お大事にね」って、見送って、くれて・・・うん、それで、いいんだ。
「・・・何かさ、気持ちいいね」
「そうだね、晴れてるし」
 病院から適当に、方向の見当すらつけずに歩き出すと、何かの開発予定地のような空き地が続く一帯に出た。だだっ広くて、少し向こうには川なんか見えたりして、日差しの暖かさが、確かに気持ちいい。
「この辺、まだこんなだったのか」
「そのうちショッピングモールでも、出来るのかね」
「ああ、そうかもね」
 ゆっくりと、他愛ない会話をして歩いた。鳥のさえずりなんかがして、本当に、まったりしている。何もかも忘れて、ちょっとした遠出気分だ。
 ああ、本当に、気持ちいいな。
 駅に着くまでは、もう、全部忘れよう。同僚になるのはそのあとでいい。今は、仲のいい親友同士だ。三十分?一時間?タイムリミットは近いんだ。もう、したいこと全部、人もいないし今のうちに!
「ねえ、ねこさ」
 先をぶらぶら歩いていた黒井が、ちょっと振り向いて僕を待った。
「なに?」
「ちょっと、俺の彼女、やってみない?」
「・・・へっ?」
 僕は今さっきの決意のまま、妙なアクセントの裏返った声で「いいよ?」と言った。

「じゃあ、ほら」
 ・・・。
 黒井が左手で僕の右手をとった。普通の繋ぎ方じゃなくて、いわゆる、恋人繋ぎ、って、やつ?
「・・・え」
 指をそれぞれの指の間に入れて握り、そのまま黒井のダッフルコートのポケットへ。
「こんな感じ?」
「・・・そ、そ、そうじゃない?」
 もう、だめ。だめ。
 は、腹がもたない。
 ひゅうひゅう透けて、風穴開いて、たぶんスカイダイビングみたい。
 た、たかが手を繋いで、その手がポケットに入っただけなのに。
 そ、それだけで?
 そのまま歩くペースは更にゆっくりなぐらいで、うららかな日差しの中、誰もいない道を歩く。
「あっ、あの、く、・・・くろいくん?これって、どういう・・・」
 あ、黒井くんとか呼んじゃった、ベ、別に彼女になりきってるとかじゃないんだけど、なんか・・・。
「デートだよ、デート」
「はっ、はい・・・」
 たぶん心拍数が二倍くらいになってる。あ、焦りすぎだって分かってるけど、声の震えも止まんないし、足が痺れた時みたいに、ちょっとでも刺激を与えたら、ぎゃーーってことに、なっちゃいそうだ。
 こ、腰が、抜ける・・・。
「ねえ、彼女とはどんな話をすればいいの?いい天気だってことはもう言っちゃったけど・・・」
「え、え、えと・・・」
 そんなこと、わかんないよ!・・・い、いや、焦って分かんないんじゃなくて、今本気でわかんないよ。彼女と?何を話すか?そんなこと言われても、普段お前と何を話しているかさえ、思い出せないよ!
 で、でも、何か言わなきゃ!
「け・・・」
「うん?」
「け、け・・・血液検査の話」
「・・・ええ?」
「う、うそだよ、血液型のはなし!」
「ああ、なるほどね。そういえばお前の血液型、知らないね」
「そ、そうでしょ?」
 これ、ずっと、手は繋いだままなの?このまま歩くの?もうぞわぞわしてきて、普通に歩きたい!っていう衝動と、でも、このままでいたい!っていう欲望が、・・・結局欲望が勝つんだけど。
「・・・で?何型なの?」
「お、俺?び、Bだよ」
「B型?」
「うん」
「俺も」
「え・・・ほんとに?」
「ほんとだよ。でも何か、全然違うね。だってお前、細かいし、綺麗好きで理屈っぽいし、A型って言われるでしょ」
「よく言われる。でもBなんだ。・・・お前はまあ、そうっぽいね」
「マイペース?」
「う・・・うん」
 別に、血液型占いとか、だからどうした、とは思うけど、今まで生きてきた経験と感覚からは、違和感しか感じなかった。黒井のマイペースは、何だかきっと僕と違う。
「でもさ、同じ血液型だって、別に意味ないよね。二人ともBですって言われたって、何も、ないし」
「・・・ゆ、輸血が、できるよ」
「え?・・・ああ、そうか」
 黒井がポケットの手を少しぎゅっと握り、少し腕に力を入れて更に僕を引き寄せた。車が一台、通り過ぎた。見たところ通行人はいないけど、でも、こんなに寄り添って歩いたりして、それが世界に丸見えで、もう目をつぶって、顔を両手で覆ってしまいたくなった。いや、片手しか使えないけど・・・。
「じゃあ今、俺が車に轢かれても大丈夫なんだ」
 そう言って黒井は少しずつ車道へ寄っていく。
「だ、大丈夫とかじゃないよ。別に、そういうことじゃないって・・・ほら、そっち行くな」
 今度は僕が歩道側に引っ張る。でも繋いだ手に力が入らなくて、よけいくっつくだけだった。
「あ、あの、おれ、もう恥ずかしいんだけど・・・!」
「何が?」
「これ・・・」
「じゃあ違うことする?」
「な、なに、それ」
 黒井はポケットの手を出して離すと、街路樹の下で立ち止まり、僕をこちらに向かせた。
「・・・え」
 僕は一瞬黒井の顔をまともに見て、それからすべるように目を逸らす。な、な、何か、嫌な予感。
「あ、あの・・・」
 急に立ち止まって、何となく流れていた空気も止まる。また一台車が通り過ぎて、しゅううん、というタイヤの音とともに去っていく。そのあとは、誰も来なかった。僕はひたすらに車道の向かいの歩道のガードレールとか、向こうの空き地の建設計画の看板とかを見ていた。どんどん、どんどん腹の中心から同心円で緊張が広がって、全身を覆っていく。
 そして。
 黒井が、半歩前に出て、僕に顔を近づけてきた。不意打ちなんかじゃなくて、ゆっくり、確信的に・・・。僕は目を逸らしたまま固まる。あ、あ・・・。
 ほんの気持ち、反射的に後ろに引いて、も、もう、半分、目を閉じて、周りの景色も見えなくなって、息を止めた。
 目を、閉じた。キス、されてしまう。
 ・・・。
 突然両肩をどん、と叩かれ、「ひい」と飛び上がった。
「あ・・・あははは!だめ。だめだよ、出来ない!こんなの、無理だって・・・ははは!」
 黒井は腹を抱えて笑った。声が青空と野っぱらに響き渡る。
「・・・な」
「だって、だってさ・・・!ひひひ、おれ、やっぱ無理!」
「・・・な、何だよ。お、お前が勝手に・・・!」
「彼女とか・・・だって、違うもん!」
 僕の顔を見てまた吹き出す。
「あ、当たり前だろ!!」
「でもさ、だって・・・お、俺、合ってたでしょ?頑張ったもん。ひ、ひい、おかしい。でも、雰囲気、出てたでしょ?」
「・・・ふ、雰囲気は出て、た、けど!そ、そういう問題じゃないよ、相手が俺なんだから!」
「そうだよ、お前にさ、あんなこと、無理無理・・・!!」
 黒井は手をぶんぶん振って、「ないない」と笑った。・・・そ、そうでしょうよ。なくて当たり前だよ。
 ・・・トイレでは、したくせに、さ。
「いやあ、だめだった」
「だ、だから当たり前だって・・・」
 笑いがいったんおさまって、「はあ」と一息つくと、黒井は言った。
「今よく分かったよ。お前はそういう相手じゃない。こんなことする相手じゃないんだよ・・・」
 そう言って、またこみ上げた笑いをこらえることなく、本当に楽しそうに笑った。僕はゆっくりと歩き始め、「そうだよ、そりゃ、そうだよ・・・」とつぶやいた。
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