9 / 77
輝く君、現る
02-02:桜の秘密
しおりを挟む
「昂明さま? 銀?」
母屋の奥から聞こえた小さな声に、思わず二人はぎくりと振り返る。体を起こした桜が此方の様子を窺っていた。うっかりいつもの調子で蔀戸を取り外してしまったから、朝の風が寒かったのかもしれない。
「起こしたか? 済まない」
慌てて銀が廂の上に上がると、桜の肩に自分の被っていた衣を重ねた。桜はふるふると首を振って銀を見上げる。
「ううん、なんだか少し怖い夢見たから……」
「夢?」
「うん……火がたくさん追いかけてくる、夢。振り返ったら追いつかれてしまいそうで、私……あっ!」
そこまで言った桜は「しまった」という顔をして衣を取り落とす。
「な、なんでもないの!」
己が言った言葉を打ち消すように、慌ててぶんぶんと体ごと否定する。まだ十を数えるかどうかの子供がここまで頑なに話そうとしないのは、やはり何かしらの理由があるのかもしれない。無理に聞き出せるはずもなし、やはり彼女が自ら話してくれるのを待つしかなさそうだと昂明は思った。
「桜」
銀が桜のことをそっと抱き上げ廂の淵に座らせる。昂明は井戸水を汲み上げると桜に差し出した。一口飲んだ時は水の冷たさに身を縮めた桜だったが、二口三口と口にして、
「……おいしい。ありがとう。昂明さま、銀」
と言って微笑んだ。桜は足を遊ばせ、二人のことを見上げて問いかける。
「それより桜。足の具合はどうだ?」
「昨日よりは痛くないかも。昂明さまのお薬のお陰ね」
「でも油断は駄目だぞ。ちゃんと傷が良くなるまでは……」
「分かってるもん。みだりに歩いたりしない、でしょ?」
「宜しい」
昨晩泣いた少女の姿はどこ。したり顔で言い返す桜に対して、昂明も銀も顔を見合わせて苦笑した。
桜の着ていた晴れの汗衫は山道を走ったせいであちこち破れており、婆やが修繕している最中だ。何より男ばかりの古びた邸の中で着るのは少々勿体ない。だからと言っては何だが、婆やが持ってきてくれた小袖を今は着ている。貴族の娘だから嫌がるだろうかと不安に思ったが、昂明達の予想に反して動きやすい小袖が気に入ったらしい。腰布までしっかりと巻き「これで怪我が治ったらどこにでも走っていけるわ」と大層喜んでいた。
「待て。どこでも走っていくって……一体どこにだ」
「ないしょ」
一抹の不安が過って尋ねてみたものの、こういう時は悪戯をする子供のような顔をする。
こちらの心配をよそに、桜は決して「どこに」ということは言わなかった。
* * *
「もし……」
門を叩く音と小さな声に気付いて昂明達三人は顔を見合わせる。当然、門番などいるはずはない。銀の背にしがみ付く桜に「大丈夫だ」と言うと、昂明は門の隙間から相手の顔を覗き見た。
……直衣姿のその人物はどうやら貴族の類らしい。意外にも供の者は一人だけ。時折周りの様子を気にしているのは、後ろめたい事情があるからか。
「貴族の方がお忍びで、何用で御座いますか」
「お願いしたいことがあり、お尋ねした次第です。こちら刀岐昂明という陰陽師殿の邸とお見受け致しますが」
隙間から垣間見える男の顔は、男である昂明から見ても美しいと思えた。銀も大概にして顔が良いが、この男の美しさはまた少し異なっている。立っているだけでも伝わってくる優雅さと溢れんばかりの気品。そしてそれが何であるか。その答えは男を母屋へと遠した後ですぐに分かった。
「先ぶれもなく突然の来訪、ご容赦ください。私は源輝之と申すもの。右近衛中将を務めております」
「近衛中将!?」
思わず昂明と銀の二人で声を重ねる。近衛中将と言えば雲の上の……昂明の兄達も憧れる殿上人だ。そのような地位の公卿が何故落ちぶれ陰陽師の邸になど。
母屋の奥から聞こえた小さな声に、思わず二人はぎくりと振り返る。体を起こした桜が此方の様子を窺っていた。うっかりいつもの調子で蔀戸を取り外してしまったから、朝の風が寒かったのかもしれない。
「起こしたか? 済まない」
慌てて銀が廂の上に上がると、桜の肩に自分の被っていた衣を重ねた。桜はふるふると首を振って銀を見上げる。
「ううん、なんだか少し怖い夢見たから……」
「夢?」
「うん……火がたくさん追いかけてくる、夢。振り返ったら追いつかれてしまいそうで、私……あっ!」
そこまで言った桜は「しまった」という顔をして衣を取り落とす。
「な、なんでもないの!」
己が言った言葉を打ち消すように、慌ててぶんぶんと体ごと否定する。まだ十を数えるかどうかの子供がここまで頑なに話そうとしないのは、やはり何かしらの理由があるのかもしれない。無理に聞き出せるはずもなし、やはり彼女が自ら話してくれるのを待つしかなさそうだと昂明は思った。
「桜」
銀が桜のことをそっと抱き上げ廂の淵に座らせる。昂明は井戸水を汲み上げると桜に差し出した。一口飲んだ時は水の冷たさに身を縮めた桜だったが、二口三口と口にして、
「……おいしい。ありがとう。昂明さま、銀」
と言って微笑んだ。桜は足を遊ばせ、二人のことを見上げて問いかける。
「それより桜。足の具合はどうだ?」
「昨日よりは痛くないかも。昂明さまのお薬のお陰ね」
「でも油断は駄目だぞ。ちゃんと傷が良くなるまでは……」
「分かってるもん。みだりに歩いたりしない、でしょ?」
「宜しい」
昨晩泣いた少女の姿はどこ。したり顔で言い返す桜に対して、昂明も銀も顔を見合わせて苦笑した。
桜の着ていた晴れの汗衫は山道を走ったせいであちこち破れており、婆やが修繕している最中だ。何より男ばかりの古びた邸の中で着るのは少々勿体ない。だからと言っては何だが、婆やが持ってきてくれた小袖を今は着ている。貴族の娘だから嫌がるだろうかと不安に思ったが、昂明達の予想に反して動きやすい小袖が気に入ったらしい。腰布までしっかりと巻き「これで怪我が治ったらどこにでも走っていけるわ」と大層喜んでいた。
「待て。どこでも走っていくって……一体どこにだ」
「ないしょ」
一抹の不安が過って尋ねてみたものの、こういう時は悪戯をする子供のような顔をする。
こちらの心配をよそに、桜は決して「どこに」ということは言わなかった。
* * *
「もし……」
門を叩く音と小さな声に気付いて昂明達三人は顔を見合わせる。当然、門番などいるはずはない。銀の背にしがみ付く桜に「大丈夫だ」と言うと、昂明は門の隙間から相手の顔を覗き見た。
……直衣姿のその人物はどうやら貴族の類らしい。意外にも供の者は一人だけ。時折周りの様子を気にしているのは、後ろめたい事情があるからか。
「貴族の方がお忍びで、何用で御座いますか」
「お願いしたいことがあり、お尋ねした次第です。こちら刀岐昂明という陰陽師殿の邸とお見受け致しますが」
隙間から垣間見える男の顔は、男である昂明から見ても美しいと思えた。銀も大概にして顔が良いが、この男の美しさはまた少し異なっている。立っているだけでも伝わってくる優雅さと溢れんばかりの気品。そしてそれが何であるか。その答えは男を母屋へと遠した後ですぐに分かった。
「先ぶれもなく突然の来訪、ご容赦ください。私は源輝之と申すもの。右近衛中将を務めております」
「近衛中将!?」
思わず昂明と銀の二人で声を重ねる。近衛中将と言えば雲の上の……昂明の兄達も憧れる殿上人だ。そのような地位の公卿が何故落ちぶれ陰陽師の邸になど。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
42
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる