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【二】翠雀
六
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陳頼と思われる遺体の身に着けていた上着は、やはり陳頼が失踪当時着ていたものだったらしい。陳夫人が繕った場所と、修繕の跡が一致したのだそうだ。
あの夜の出来事がよほど堪えたのか、万辰は反論するでもなく、県衙門の尋問に全ての顛末を語った。
もともと万辰は、陳夫妻が夫婦になる前より、陳夫人のことが好きだった。しかし当時、既に陳頼と陳夫人の二人は、夫婦になる約束を交わしていたそうだ。
万辰は鬱屈した思いを抱えたまま、仕事場では否が応でも陳頼に会う。周りの仲間もいる手前、距離を置くことも難しい。皆で飲みに出ることもあるが、そんなとき、陳頼の口から陳夫人の話題が出るたび、言いようも無い怒りと殺意に駆られることも多かった。
陳頼が失踪したといわれる日――。
その日の夜は、皆で陽城にある店で飲んでおり、先に陳頼が帰って行った。残った皆も結局家に帰ることにして、万辰も同じように家に帰るつもりだった。
ところが、たたま帰り道で陳頼に再会し、二人で万辰の家で酒を飲むことにした。それは、ほんの気まぐれだったかもしれない。しかし飲み続けるうち、陳夫人への想いを語る陳頼が許せなくなって、衝動的に殺してしまったそうだ。どこかに捨てたかったが、一人ではどうすることもできず、院子の片隅に埋めるしかなかった。
そのうち、陳頼が行方不明だという話が流れてきて、万辰の家にも胥吏たちがやってきた。死体を埋めたことに気づかれるかと思ったが、幸か不幸か、陳頼の遺体が見つかることはなかった。
陳頼の捜索が落ち着いた頃合いを見計らって、万辰は陳夫人に家に住まないかと誘いをかけた。しかし彼女は頑なに首を縦に振ろうとはしない。
ならば彼女の家に押しかけて、そのまま家に居ついてしまえばいい――とも思ったが、家に陳頼の死体がある手前、そうすることもできなかった。彼女の元に住むために家を誰かに売り渡したら、死体が見つかってしまうかもしれない。そのことを恐れ自分の家に陳夫人を呼び寄せたいと考えたのだ。そうして問答を繰り返すうち、三年間が過ぎ去った。しかしそれでも彼女は首を縦に振らず、ついに万辰の元にやってくることはなかった。
* * *
陳頼の葬儀が終わり、暫く経ったころ。陳夫人から、陽城を離れることにした、という報せを受け取った。青月が彼女のことを大層気にしていたので、ならば別れの挨拶くらいは行こうか、という話になった。
陳家を訪れると、ちょうど陳夫人は旅の支度を終えたところだった。彼女の話によれば明日の麻には陽城を出るらしい。
「仕事柄、二人で遠くに行くこともできませんでした。せめて遺灰と共に、あの人が行きたがっていた場所を、一つずつまわっていこうと思いまして……」
そう答えた彼女の表情は、晴れ晴れとしている。夫が戻ることは無かったが、ようやく心の区切りがついたのだろう。
「お二方、それに県衙門の方には本当にお世話になりました。心より感謝申し上げます。もしもお二方が県衙門を動かしてくださらなかったら……」
「そのときは、一人で万辰を殺すつもりだった、んでしょ?」
上手く言えずに詰まってしまったのは、丁寧な言葉遣いに慣れていないからだ。陳夫人は黄琳の言葉に目を見開いた。
「どうして分かったんです?」
それは、簡単なこと。黄琳には初めから分かっていたことだった。
「……飾ってあった花は、翠雀だけじゃなかった。翠雀のあいだに、よく似た花が――鳥頭[*トリカブト]って毒草があったから。きっと花が枯れ腐り落ちる前に毒として使うんだと思ったんです」
彼を殺し、夫の仇をとりたかった。翠雀に紛れさせた鳥頭は、その決意の証し。己に言い寄る万辰の心を利用して、恐らく彼を毒殺する心づもりだったのだ。
しかしそれ以上に、犯人を捕まえて陳頼の死体を見つけて欲しかった。だからこそ人相描きを頼んだのだ。人相書きを使って、万辰を脅し怯えさせたかった。人相書きをきっかけとして、もう一度県衙門に動いて欲しかった。誰かに気づいて貰いたかった。夫の死の真相を、世間に知らしめたかったに違いない。
黄琳が彼女の真意に気づいたのは、随分あとのことであったが、彼女が毒を誰かに盛ろうとしていることは陳家を訪れてすぐに気づいた。
「万辰が陳頼を殺したと、どこで気づいたのですか」
青月の問いに、陳夫人は目を伏せる。
「夫が戻らず、夫の友人である万辰の家を尋ねました。そこで、萎れた翠雀が落ちているのを見つけたのです。――夫は、私がこの花を好きなことを知っていました。それで、仕事の帰りには必ずこの花を持ち帰ってくれました。万辰は私が好きな花を知りませんし、美しい花を愛でる男でもありません。きっと、この翠雀は夫が持ち帰ろうとした物だったのだと、直感しました」
女の勘は鋭い、と言うしかない。
呆気にとられる黄琳と青月を尻目に、では、と陳夫人は背を向ける。
「あっと、待った。これを」
黄琳は慌てて彼女を呼び止めた。抱えていた長い包みを差し出し、所在なさげに目を泳がせる。隣にいた青月が小突く。それで止むを得ずたどたどしい言葉で続ける。
「良かったら、これ……」
受け取った陳夫人は包みを解きかけ、顔を上げた。
「開けても?」
「もちろん」
中から一枚の表装された巻物が現れる。それは新たに黄琳が描いた、陳夫婦の絵だった。もとはただの紙に描いただけであったが、青月が職人に依頼して綺麗な表装を施してくれたのだ。
「その、名だたる画師みたいな絵じゃねぇけど、俺なりに二人の思い出になるようにと思って……」
「嬉しいです」
陳夫人が綻ぶ。
「素晴らしい絵を有り難うございます。大切にいたしますわ」
それからじきに、陳夫人は旅立ち、陳家だった家は別の誰かの家に変わっていた。
あの夜の出来事がよほど堪えたのか、万辰は反論するでもなく、県衙門の尋問に全ての顛末を語った。
もともと万辰は、陳夫妻が夫婦になる前より、陳夫人のことが好きだった。しかし当時、既に陳頼と陳夫人の二人は、夫婦になる約束を交わしていたそうだ。
万辰は鬱屈した思いを抱えたまま、仕事場では否が応でも陳頼に会う。周りの仲間もいる手前、距離を置くことも難しい。皆で飲みに出ることもあるが、そんなとき、陳頼の口から陳夫人の話題が出るたび、言いようも無い怒りと殺意に駆られることも多かった。
陳頼が失踪したといわれる日――。
その日の夜は、皆で陽城にある店で飲んでおり、先に陳頼が帰って行った。残った皆も結局家に帰ることにして、万辰も同じように家に帰るつもりだった。
ところが、たたま帰り道で陳頼に再会し、二人で万辰の家で酒を飲むことにした。それは、ほんの気まぐれだったかもしれない。しかし飲み続けるうち、陳夫人への想いを語る陳頼が許せなくなって、衝動的に殺してしまったそうだ。どこかに捨てたかったが、一人ではどうすることもできず、院子の片隅に埋めるしかなかった。
そのうち、陳頼が行方不明だという話が流れてきて、万辰の家にも胥吏たちがやってきた。死体を埋めたことに気づかれるかと思ったが、幸か不幸か、陳頼の遺体が見つかることはなかった。
陳頼の捜索が落ち着いた頃合いを見計らって、万辰は陳夫人に家に住まないかと誘いをかけた。しかし彼女は頑なに首を縦に振ろうとはしない。
ならば彼女の家に押しかけて、そのまま家に居ついてしまえばいい――とも思ったが、家に陳頼の死体がある手前、そうすることもできなかった。彼女の元に住むために家を誰かに売り渡したら、死体が見つかってしまうかもしれない。そのことを恐れ自分の家に陳夫人を呼び寄せたいと考えたのだ。そうして問答を繰り返すうち、三年間が過ぎ去った。しかしそれでも彼女は首を縦に振らず、ついに万辰の元にやってくることはなかった。
* * *
陳頼の葬儀が終わり、暫く経ったころ。陳夫人から、陽城を離れることにした、という報せを受け取った。青月が彼女のことを大層気にしていたので、ならば別れの挨拶くらいは行こうか、という話になった。
陳家を訪れると、ちょうど陳夫人は旅の支度を終えたところだった。彼女の話によれば明日の麻には陽城を出るらしい。
「仕事柄、二人で遠くに行くこともできませんでした。せめて遺灰と共に、あの人が行きたがっていた場所を、一つずつまわっていこうと思いまして……」
そう答えた彼女の表情は、晴れ晴れとしている。夫が戻ることは無かったが、ようやく心の区切りがついたのだろう。
「お二方、それに県衙門の方には本当にお世話になりました。心より感謝申し上げます。もしもお二方が県衙門を動かしてくださらなかったら……」
「そのときは、一人で万辰を殺すつもりだった、んでしょ?」
上手く言えずに詰まってしまったのは、丁寧な言葉遣いに慣れていないからだ。陳夫人は黄琳の言葉に目を見開いた。
「どうして分かったんです?」
それは、簡単なこと。黄琳には初めから分かっていたことだった。
「……飾ってあった花は、翠雀だけじゃなかった。翠雀のあいだに、よく似た花が――鳥頭[*トリカブト]って毒草があったから。きっと花が枯れ腐り落ちる前に毒として使うんだと思ったんです」
彼を殺し、夫の仇をとりたかった。翠雀に紛れさせた鳥頭は、その決意の証し。己に言い寄る万辰の心を利用して、恐らく彼を毒殺する心づもりだったのだ。
しかしそれ以上に、犯人を捕まえて陳頼の死体を見つけて欲しかった。だからこそ人相描きを頼んだのだ。人相書きを使って、万辰を脅し怯えさせたかった。人相書きをきっかけとして、もう一度県衙門に動いて欲しかった。誰かに気づいて貰いたかった。夫の死の真相を、世間に知らしめたかったに違いない。
黄琳が彼女の真意に気づいたのは、随分あとのことであったが、彼女が毒を誰かに盛ろうとしていることは陳家を訪れてすぐに気づいた。
「万辰が陳頼を殺したと、どこで気づいたのですか」
青月の問いに、陳夫人は目を伏せる。
「夫が戻らず、夫の友人である万辰の家を尋ねました。そこで、萎れた翠雀が落ちているのを見つけたのです。――夫は、私がこの花を好きなことを知っていました。それで、仕事の帰りには必ずこの花を持ち帰ってくれました。万辰は私が好きな花を知りませんし、美しい花を愛でる男でもありません。きっと、この翠雀は夫が持ち帰ろうとした物だったのだと、直感しました」
女の勘は鋭い、と言うしかない。
呆気にとられる黄琳と青月を尻目に、では、と陳夫人は背を向ける。
「あっと、待った。これを」
黄琳は慌てて彼女を呼び止めた。抱えていた長い包みを差し出し、所在なさげに目を泳がせる。隣にいた青月が小突く。それで止むを得ずたどたどしい言葉で続ける。
「良かったら、これ……」
受け取った陳夫人は包みを解きかけ、顔を上げた。
「開けても?」
「もちろん」
中から一枚の表装された巻物が現れる。それは新たに黄琳が描いた、陳夫婦の絵だった。もとはただの紙に描いただけであったが、青月が職人に依頼して綺麗な表装を施してくれたのだ。
「その、名だたる画師みたいな絵じゃねぇけど、俺なりに二人の思い出になるようにと思って……」
「嬉しいです」
陳夫人が綻ぶ。
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