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偃武修文番外編(番外編)
番外02:合縁奇縁(二)
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それから聞き込みを続けること一時辰。
比較的信頼できる古くからの知り合いの元に顔を出し、凰神偉は算命娘々についての情報を集めた。
その中にはなかなか興味深い情報もある。
――一つ。
算命娘々はかなりの美しい女性であるということ。彼女の占いだけでなく彼女自身にも深く惚れ込んで、占いにかこつけて大金を持参するものもいるそうだ。
噂では睡龍の外から危険を冒してはるばるやってきた貴族までいるのだという。
占いへの興味なのか、彼女への興味なのか。
中には娘々に入れ込み過ぎたせいなのか、人が変わってしまったものもいると言う。
いずれにしても、執念は恐ろしいものだ。
――二つ。
夜、占い小屋の窓に青白い灯りが灯ることがある。
そんな日はだいたい立派な馬車が彼女の屋敷の脇に停まっているのだとか。
――三つ。
彼女は昼夜を問わず占いを続けているらしい。誰も疑問に思わないのが不思議だが、普通なら働き過ぎで倒れるのではないかと思う。
『恐ろしいな』
一通り話を聞いた黒曜が最後の饅頭を飲み込みながら言った。彼の『恐ろしい』は恐怖というより、理解できないものに対して引いているといったところだろう。
実際、算命娘々の噂話は首を傾げたくなる部分が多かったが、人々が全くそれを気にしないところもまた、恐ろしいところである。
「我々には理解し難いな。……それより気になることがある。算命娘々が怪しいということは確信が持てたが、彼女がなぜ自らにここまでの負担を強いながら占いを続けるのかが分からない」
『評判を広めるためじゃないか? 自分に貢いでくれる金持ちを集めるために』
黒曜の言うことも一理ある。
「しかし、それだけでは効率が悪過ぎる。もっとも、的中ということ自体がでっちあげということも考えられるが」
評判を上げるため、という理由だけで果たして昼夜を問わず占いを引き受けるだろうか。しかも無償で。
言い方は悪いが、金づるがある程度の人数集まったなら、わざわざ金の無い奴らの玉石混交な要望を聞いて、占ってやる必要などないのではないか。
未来を確実に占うということは危険が伴う上に生半可な力では不可能だ。それは万晶鉱の守り人である自身だから言えることであるし、弟の凰黎が身をもって知った苦労を凰神偉自身も嫌と言うほど理解しているからだ。
そして、彼女が無償の占いを止めないということは、彼女にはまだ目的があるような気がした。
やはり、実際に確認するのが一番早いだろう。そう決めると凰神偉は黒曜に目を向ける。
「貴殿は人の姿になることができるか?」
『もちろん。今は霊力が溢れてるから、人にだって何にだって姿を変えることができるぞ』
自信満々にクエェと鳴くと、黒曜は成人した男性の姿に変化する。――その姿は翳冥宮の宮主、翳黒明にそっくりであった。
案ずるより産むが易しと二人は算命娘々を直接探る事にした。しかし二人そろって行くのは効率が悪い。
「貴殿は鳥の姿で算命娘々の占う様子を探って欲しい。何かあればすぐに呼ぶ、その時はどんな手段を使っても駆け付けてくれ」
『算命娘々の屋敷を壊しても?』
「無論だ。……いかなる損害も恒凰宮が保証する。遠慮は無用」
思い切りの良いところもまた、凰神偉の長所である。
『分かった。でも、どうやって連絡を取るんだ?』
黒曜の疑問に応えるように凰神偉は袖の中から細い糸を取り出した。驚くほど細く仄かな輝きを放ち真珠のような白さを持っている。もしもこの糸で布を織ったら、さぞや美しい服が出来上がることだろう。
「これは天上の蚕が作った繭の糸だ。声に出さずとも呼びかければ言葉が伝わる」
凰神偉は無造作に黒曜の小指に糸を結び付ける。
『狙って宮主殿のところに届くのか?』
凰神偉は己の左手を挙げ、小指を見せた。
「私も同じものを結んでいる。同じ糸を結んだ相手にしか伝わらない」
『なるほどね。……鳥の姿になっても大丈夫か?』
「外れなければ問題はない」
『分かった。じゃあまたあとでな』
黒曜は鳥に変じ、クエェと飛び立つ。
初めて彼に会ったときはもう少し丁寧な物言いだった筈なのだが……。
いつの間にやら十年来の友人であるかのような砕けた口調になっている黒曜に、凰神偉は苦笑するしかなかった。
*
占い待ちの行列をかき分けて屋敷の入り口まで凰神偉は赴いた。入り口では数人の男たちが「娘々に会わせてくれ!」「一目だけでも頼む! 待てないんだ!」と訴えている。
凰神偉は手の空いている使用人の男を捕まえると、本題をぶつけた。
「忙しいところ済まない。算命娘々に会いたいのだが」
「申しわけございません、公子さま。占いを待つ方は沢山おりまして、どうか順番を守って頂きますよう……」
算命娘々の占い小屋で受付焼くの男がチラリと凰神偉を見る。見定めるようなその視線の意図を察して凰神偉は付け加えた。
「金は持って来た。私と弟の占いを頼みたい」
有無を言わさず銀錠を詰め込んだ箱を男の前にどん、と置く。飛びつくように男は箱を抱え上げ「少々お待ちくださいませ!」と勢いよく奥へと駆けて行った。
――いや、既に怪し過ぎるのだが……。
隠さない男に凰神偉は呆気にとられた。
なにせ銀錠の重さは相当なもの。男が鼻歌交じりで運べるような代物ではないのだ。運んできた己のことは棚上げだが、それはそれでこれはこれ。
(間違いない、妖邪の類だな)
先ほど男たちを止めていた者も、そして銀錠を運んで行った男も。そして算命娘々の館の中で働いている者たちも。
その殆どが人ならざる者だったのだ。
(まあ、あからさまに悪事を働いているわけではないようだが)
あくまで『今のところは』である。
そうしているうちに先ほどの男が戻ってきた。
男は襦裙を纏う美しい女たちと共に恭しく頭を下げる。
「お待たせいたしました、公子さま。算命娘々が特別に貴方にお会いしたいと申しております」
女たちに案内されるまま、凰神偉は屋敷の奥へと進んでいく。
(黒曜、こちらは算命娘々に会えることになり向かっている。そちらはどうだ。占いはどうなっている?)
歩きながら凰神偉は黒曜に連絡を取ると、黒曜からすぐさま返事が返ってきた。
『こっちは相変わらずだ。算命娘々は小屋にいて占いを続けているぞ。確認したがちゃんと女が座っている。一般的な観点から言うと綺麗な女だ』
(それは奇妙だ。これから私が会いに行く算命娘々と同じ娘なのだろうか?)
『見てみないと分からないな』
(分かった。こちらも動きがあれば報せる)
実に不思議なものだ。
算命娘々の元へ案内されているはずなのに、彼女は占いを続けているという。
ならば今から会いに行く算命娘々は何者か?
やがて長い廊下は終わりを告げ、豪華な扉が眼前に現れた。
「こちらで娘々がお待ちでございます」
重々しい音を立てて扉が開かれる。
豪華な飾りで彩られた寝台の上には、この世の者とは思えぬような美しい女が座っていた。周囲には数人の楽師を従え、優雅な演奏を奏でている。
さながら仙女か女神か――いや、これはやりすぎだな。
殊更胸元の開いた襦裙を纏い女はしゃらりと歩揺を鳴らし、妖艶な微笑みを浮かべる。
「ようこそ、お待ちしておりましたわ。どうぞお入りになって」
当然ながら、彼女も人ならざるものに違いない。
凰神偉は彼女を一瞥するとすぐさま正体を見抜く。
(なるほど、確かに並々ならぬ力を持っている。油断は禁物だな)
表情一つ変えず凰神偉は算命娘々の元に歩み寄り、寝台の少し手前で足を止めた。
「なんて美しい公子様なのでしょう。そして、とても礼節のある奥ゆかしい方ですわ。貴方の願いでしたら、どのようなことでも占って差し上げます」
どうやら算命娘々は凰神偉が寝台の上まで来ず、手前で立ち止まったことに驚いたようだ。恐らくは今まで連れてきた男は寝台の上の彼女を見るなり、寝台に乗り込んできたのだろう。
(まあ、占うと言って、そのような恰好でこのような場所に呼びつけるのもどうかと思うがな)
娘々はしなだれかかるようにして凰神偉の腕を取り、優雅にほほ笑む。
怒りで思わず顔が引きつりそうになったが、なんとか耐えた。
「算命娘々にそのような言葉を頂くとは、実に光栄なこと。しかし、どんなことでも占ってくれると言ったが、流石に娘々だとしても『何でも』というのは些か言い過ぎではないか? 相手がどのような無理を言ってくるかも分らぬというのに」
「ふふ、心配して下さるのかしら? 大丈夫。私の占いはどのようなことでも確実に当たるのですわ。安心なさって」
ころころと笑う娘々から目をそらしながら、そういえば何も占うことを考えていなかった事に気づく。
脳裏に浮かぶのは弟である凰黎のことばかり。彼は遠い徨州の地で伴侶と共に卵を温めているのだ。
「そうだな……では、弟が卵を温めている。いつ孵るのか占って欲しい」
「まあ、不思議なことをお知りになりたいのですね。分かりましたわ、こちらにお座りになって」
娘々の誘いは凰神偉にとって、かなり嫌なものだった。
彼は元より潔癖過ぎるほど潔癖な性分であるし、あからさまに色仕掛けを懸けられるのも不愉快なのだ。
それでも彼女の目的を探るため、怒りを抑え込みなんとか持ちこたえた。
促されるまま寝台に腰を降ろせば、娘々が凰神偉の顔に手を伸ばす。反射的に跳ねのけようとすると「そのまま身を委ねて」と娘々は言う。
すぐに殴り飛ばすことも考えたが、今ここで騒ぎを起こしても仕方ない。いざとなったらすぐ反撃に出ようと考える。黙って彼女たちのしたいようにさせていると、娘々は懐から長い布を取り出して彼の目に巻きつけた。
心の中では『こんな占い方があるものか』と悪態をついているが、表面上は大人しくして彼女の一挙一動に注意を払う。
「それでは占いを始めますわ」
りんと冷たい鈴の音が響き、甘い香りが周囲に漂う。楽師たちの音楽はそれを合図にして旋律を変えた。
音色に合わせ、微かな霊力が部屋の中に満ちてゆく。
(これは……香と術の合わせ技の類か)
特殊な香りで思考を奪い、音色に術を乗せ相手を篭絡する。力の無い者であれば簡単に意のままに操ることもできるだろう。
さりとて鋼鉄の意志を持つ凰神偉の前に、このような手段を用いたところで全く意味を為さないのだ。
しかし彼は敢えてそれをおくびにも出さず、素知らぬ顔でことの成り行きを見守った。
「さて、公子様のお知りになりたいことですが――」
寝台がぎしりと歪む。彼女は寝台を這いながらゆっくりと凰神偉の方へ近づいて来るようだ。
(何をする気だ?)
彼女の息遣いが段々と近づき、凰神偉の胸に柔らかいものが押し付けられた。
あっと声を上げるより早く顎先に細い指が触れる。甘い吐息が凰神偉の顔にかかったかと思うと――凰神偉は躊躇なく目の前の娘々に拳を突き出した。
「不届き者が!」
駄目だった。随分辛抱したが、最後の一言でもう我慢の限界がきてしまったのだ。
蛙が潰れたような声が聞こえたが、そんなことはどうでも良い。
例え目隠しをされていても、彼には彼女が何をしているのか全て分かっていた。彼女は膝をつきながら寝台の上を移動して凰神偉に近づいた。そして彼に口付け『精気を吸おうとしていた』のだ。
いや、彼女の行動が凰神偉の逆鱗に触れたのは、決してそれが理由ではない。青筋を立てながら凰神偉は叫んだ。
「私の胸に飛び込んで良いのは阿黎だけだ! 身の程を知れ!」
つまり、そういうことである。
「黒曜! 全力でこっちに来い!」
怒りに任せて表に居るであろう黒曜を呼ぶ。
ぶうぶうと文句を言う声が聞こえたが、聞こえないふりをした。
娘々だった筈のソレは、痛みで打ち震えながらゴロンゴロンと地面に転がって苦しんでいる。美しかった姿も今となっては憐れなものだ。
「いきなり女を殴り飛ばす奴がいるのかよ!? こんな美女を!? 信じられないわっ!」
侍女たちはのたうち回る娘々を前にオロオロするばかり。美しかった娘々の形相は怒りに染まり、髭と耳と尻尾が飛び出していた。
「なるほど。なかなかの力を持っていると思ったがそうか。狐仙だったのか」
狐も長く生きれば力を蓄え、やがて術を使い人の姿を取るようになるという。彼が翳冥宮にて剣を交えた閑白も白鷴が変じた仙人であったが、さすがにそれとの差は歴然としており、狐仙とて凰神偉の敵ではない。
「つまり、お前は同じようにして金を貢いだ相手から精気を奪おうとしていたということだな? しかしそれだけではあるまい」
恐らく先ほど楽師たちが試みていた術から鑑みて、算命娘々と夜を共にした男たちは精気を吸ったあと都合のいい傀儡にでもしたのだろう。今後も貢ぎ続ける金づるとして。
あるいは――。
「おのれ、美女を殴り倒すとは女の敵! この屋敷から出られると思うなよ!」
鬼の形相で娘々は立ち上がり、凰神偉を睨みつけた。
「この男を屋敷から絶対に出すな! 八つ裂きにして血肉を喰らおうぞ!」
侍女たちが楽器を奏でると部屋の壁に亀裂が走り、砕けた柱の欠片が凰神偉目掛け飛んで行く。
「無駄だ」
袖の一振りで凰神偉は攻撃を弾き、彼女たちに向けて凄んだ。
「腕にどれほど覚えがあるのかは知らぬが……死ぬ気で来たとて私には敵うまい」
威圧的な視線を向けられて、怯えた楽師たちは演奏の手を止める。楽師たちが演奏を止め、侍女たちも戦うことができなくなって、いよいよ娘々は激怒した。
「ええい、なんと情けない! ほかにはおらぬのか!? 全員でこの男をずたずたにしておやり!」
『残念だけど、屋敷の奴らは皆のびてるぞ』
「なんだって!?」
娘々が扉の方に目を向ければ、昏き炎揺らめく狼が立っている。
「キャーッ!」
「いやあああ! 食べないで!」
狼の姿を見た女たちは泣き叫び、さりとて入り口に立つ狼を避けることもできず気を失って倒れてしまった。
『狐には狼。効果てきめんだな』
「遅い」
狼は凰神偉の言葉に唖然としたあと、人の姿をかたち作る。現れたのは少し前に入り口で別れたばかりの黒曜だ。
『おいおい。屋敷中の奴らの相手をしてやったんだ。感謝してくれよ』
そんな凰神偉に苦笑しながら、黒曜は肩を竦めた。
「感謝はあとでする。それよりも……」
凰神偉はチラリと算命娘々に視線を向ける。
「どうする? お前を守る者はもういないようだぞ」
「煩い!」
寝台を彩っていた大小さまざまな飾りが宙に舞い上がり、二人に向けて一斉に襲い掛かる。凰神偉は鞘から剣を抜き放ち、防壁陣で娘々の攻撃をはじき返した。
「な、なんて奴なの……。この私が、一撃も攻撃を与えることができないなんて……」
「相手が悪かったな。……さて、一つ聞こう。お前は算命娘々と名乗り、人々に無償で占いをしてやった。これは間違いないか?」
「そうよぉ。私は彼らのためにタダで! 占いをしてあげた、だ・け!」
「嘘をつくな。占い小屋には仲間たちを自分に擬態させて代わる代わる精気を吸い取っていたのだろう? 少しずつ吸っていけば、ばれないと踏んだのだな」
「ぐっ!」
凰神偉が娘々に迫られている間、黒曜は外で彼女の占い小屋を見ていた。彼からの連絡を聞く限り……算命娘々が長時間姿を消した形跡はない。
比較的信頼できる古くからの知り合いの元に顔を出し、凰神偉は算命娘々についての情報を集めた。
その中にはなかなか興味深い情報もある。
――一つ。
算命娘々はかなりの美しい女性であるということ。彼女の占いだけでなく彼女自身にも深く惚れ込んで、占いにかこつけて大金を持参するものもいるそうだ。
噂では睡龍の外から危険を冒してはるばるやってきた貴族までいるのだという。
占いへの興味なのか、彼女への興味なのか。
中には娘々に入れ込み過ぎたせいなのか、人が変わってしまったものもいると言う。
いずれにしても、執念は恐ろしいものだ。
――二つ。
夜、占い小屋の窓に青白い灯りが灯ることがある。
そんな日はだいたい立派な馬車が彼女の屋敷の脇に停まっているのだとか。
――三つ。
彼女は昼夜を問わず占いを続けているらしい。誰も疑問に思わないのが不思議だが、普通なら働き過ぎで倒れるのではないかと思う。
『恐ろしいな』
一通り話を聞いた黒曜が最後の饅頭を飲み込みながら言った。彼の『恐ろしい』は恐怖というより、理解できないものに対して引いているといったところだろう。
実際、算命娘々の噂話は首を傾げたくなる部分が多かったが、人々が全くそれを気にしないところもまた、恐ろしいところである。
「我々には理解し難いな。……それより気になることがある。算命娘々が怪しいということは確信が持てたが、彼女がなぜ自らにここまでの負担を強いながら占いを続けるのかが分からない」
『評判を広めるためじゃないか? 自分に貢いでくれる金持ちを集めるために』
黒曜の言うことも一理ある。
「しかし、それだけでは効率が悪過ぎる。もっとも、的中ということ自体がでっちあげということも考えられるが」
評判を上げるため、という理由だけで果たして昼夜を問わず占いを引き受けるだろうか。しかも無償で。
言い方は悪いが、金づるがある程度の人数集まったなら、わざわざ金の無い奴らの玉石混交な要望を聞いて、占ってやる必要などないのではないか。
未来を確実に占うということは危険が伴う上に生半可な力では不可能だ。それは万晶鉱の守り人である自身だから言えることであるし、弟の凰黎が身をもって知った苦労を凰神偉自身も嫌と言うほど理解しているからだ。
そして、彼女が無償の占いを止めないということは、彼女にはまだ目的があるような気がした。
やはり、実際に確認するのが一番早いだろう。そう決めると凰神偉は黒曜に目を向ける。
「貴殿は人の姿になることができるか?」
『もちろん。今は霊力が溢れてるから、人にだって何にだって姿を変えることができるぞ』
自信満々にクエェと鳴くと、黒曜は成人した男性の姿に変化する。――その姿は翳冥宮の宮主、翳黒明にそっくりであった。
案ずるより産むが易しと二人は算命娘々を直接探る事にした。しかし二人そろって行くのは効率が悪い。
「貴殿は鳥の姿で算命娘々の占う様子を探って欲しい。何かあればすぐに呼ぶ、その時はどんな手段を使っても駆け付けてくれ」
『算命娘々の屋敷を壊しても?』
「無論だ。……いかなる損害も恒凰宮が保証する。遠慮は無用」
思い切りの良いところもまた、凰神偉の長所である。
『分かった。でも、どうやって連絡を取るんだ?』
黒曜の疑問に応えるように凰神偉は袖の中から細い糸を取り出した。驚くほど細く仄かな輝きを放ち真珠のような白さを持っている。もしもこの糸で布を織ったら、さぞや美しい服が出来上がることだろう。
「これは天上の蚕が作った繭の糸だ。声に出さずとも呼びかければ言葉が伝わる」
凰神偉は無造作に黒曜の小指に糸を結び付ける。
『狙って宮主殿のところに届くのか?』
凰神偉は己の左手を挙げ、小指を見せた。
「私も同じものを結んでいる。同じ糸を結んだ相手にしか伝わらない」
『なるほどね。……鳥の姿になっても大丈夫か?』
「外れなければ問題はない」
『分かった。じゃあまたあとでな』
黒曜は鳥に変じ、クエェと飛び立つ。
初めて彼に会ったときはもう少し丁寧な物言いだった筈なのだが……。
いつの間にやら十年来の友人であるかのような砕けた口調になっている黒曜に、凰神偉は苦笑するしかなかった。
*
占い待ちの行列をかき分けて屋敷の入り口まで凰神偉は赴いた。入り口では数人の男たちが「娘々に会わせてくれ!」「一目だけでも頼む! 待てないんだ!」と訴えている。
凰神偉は手の空いている使用人の男を捕まえると、本題をぶつけた。
「忙しいところ済まない。算命娘々に会いたいのだが」
「申しわけございません、公子さま。占いを待つ方は沢山おりまして、どうか順番を守って頂きますよう……」
算命娘々の占い小屋で受付焼くの男がチラリと凰神偉を見る。見定めるようなその視線の意図を察して凰神偉は付け加えた。
「金は持って来た。私と弟の占いを頼みたい」
有無を言わさず銀錠を詰め込んだ箱を男の前にどん、と置く。飛びつくように男は箱を抱え上げ「少々お待ちくださいませ!」と勢いよく奥へと駆けて行った。
――いや、既に怪し過ぎるのだが……。
隠さない男に凰神偉は呆気にとられた。
なにせ銀錠の重さは相当なもの。男が鼻歌交じりで運べるような代物ではないのだ。運んできた己のことは棚上げだが、それはそれでこれはこれ。
(間違いない、妖邪の類だな)
先ほど男たちを止めていた者も、そして銀錠を運んで行った男も。そして算命娘々の館の中で働いている者たちも。
その殆どが人ならざる者だったのだ。
(まあ、あからさまに悪事を働いているわけではないようだが)
あくまで『今のところは』である。
そうしているうちに先ほどの男が戻ってきた。
男は襦裙を纏う美しい女たちと共に恭しく頭を下げる。
「お待たせいたしました、公子さま。算命娘々が特別に貴方にお会いしたいと申しております」
女たちに案内されるまま、凰神偉は屋敷の奥へと進んでいく。
(黒曜、こちらは算命娘々に会えることになり向かっている。そちらはどうだ。占いはどうなっている?)
歩きながら凰神偉は黒曜に連絡を取ると、黒曜からすぐさま返事が返ってきた。
『こっちは相変わらずだ。算命娘々は小屋にいて占いを続けているぞ。確認したがちゃんと女が座っている。一般的な観点から言うと綺麗な女だ』
(それは奇妙だ。これから私が会いに行く算命娘々と同じ娘なのだろうか?)
『見てみないと分からないな』
(分かった。こちらも動きがあれば報せる)
実に不思議なものだ。
算命娘々の元へ案内されているはずなのに、彼女は占いを続けているという。
ならば今から会いに行く算命娘々は何者か?
やがて長い廊下は終わりを告げ、豪華な扉が眼前に現れた。
「こちらで娘々がお待ちでございます」
重々しい音を立てて扉が開かれる。
豪華な飾りで彩られた寝台の上には、この世の者とは思えぬような美しい女が座っていた。周囲には数人の楽師を従え、優雅な演奏を奏でている。
さながら仙女か女神か――いや、これはやりすぎだな。
殊更胸元の開いた襦裙を纏い女はしゃらりと歩揺を鳴らし、妖艶な微笑みを浮かべる。
「ようこそ、お待ちしておりましたわ。どうぞお入りになって」
当然ながら、彼女も人ならざるものに違いない。
凰神偉は彼女を一瞥するとすぐさま正体を見抜く。
(なるほど、確かに並々ならぬ力を持っている。油断は禁物だな)
表情一つ変えず凰神偉は算命娘々の元に歩み寄り、寝台の少し手前で足を止めた。
「なんて美しい公子様なのでしょう。そして、とても礼節のある奥ゆかしい方ですわ。貴方の願いでしたら、どのようなことでも占って差し上げます」
どうやら算命娘々は凰神偉が寝台の上まで来ず、手前で立ち止まったことに驚いたようだ。恐らくは今まで連れてきた男は寝台の上の彼女を見るなり、寝台に乗り込んできたのだろう。
(まあ、占うと言って、そのような恰好でこのような場所に呼びつけるのもどうかと思うがな)
娘々はしなだれかかるようにして凰神偉の腕を取り、優雅にほほ笑む。
怒りで思わず顔が引きつりそうになったが、なんとか耐えた。
「算命娘々にそのような言葉を頂くとは、実に光栄なこと。しかし、どんなことでも占ってくれると言ったが、流石に娘々だとしても『何でも』というのは些か言い過ぎではないか? 相手がどのような無理を言ってくるかも分らぬというのに」
「ふふ、心配して下さるのかしら? 大丈夫。私の占いはどのようなことでも確実に当たるのですわ。安心なさって」
ころころと笑う娘々から目をそらしながら、そういえば何も占うことを考えていなかった事に気づく。
脳裏に浮かぶのは弟である凰黎のことばかり。彼は遠い徨州の地で伴侶と共に卵を温めているのだ。
「そうだな……では、弟が卵を温めている。いつ孵るのか占って欲しい」
「まあ、不思議なことをお知りになりたいのですね。分かりましたわ、こちらにお座りになって」
娘々の誘いは凰神偉にとって、かなり嫌なものだった。
彼は元より潔癖過ぎるほど潔癖な性分であるし、あからさまに色仕掛けを懸けられるのも不愉快なのだ。
それでも彼女の目的を探るため、怒りを抑え込みなんとか持ちこたえた。
促されるまま寝台に腰を降ろせば、娘々が凰神偉の顔に手を伸ばす。反射的に跳ねのけようとすると「そのまま身を委ねて」と娘々は言う。
すぐに殴り飛ばすことも考えたが、今ここで騒ぎを起こしても仕方ない。いざとなったらすぐ反撃に出ようと考える。黙って彼女たちのしたいようにさせていると、娘々は懐から長い布を取り出して彼の目に巻きつけた。
心の中では『こんな占い方があるものか』と悪態をついているが、表面上は大人しくして彼女の一挙一動に注意を払う。
「それでは占いを始めますわ」
りんと冷たい鈴の音が響き、甘い香りが周囲に漂う。楽師たちの音楽はそれを合図にして旋律を変えた。
音色に合わせ、微かな霊力が部屋の中に満ちてゆく。
(これは……香と術の合わせ技の類か)
特殊な香りで思考を奪い、音色に術を乗せ相手を篭絡する。力の無い者であれば簡単に意のままに操ることもできるだろう。
さりとて鋼鉄の意志を持つ凰神偉の前に、このような手段を用いたところで全く意味を為さないのだ。
しかし彼は敢えてそれをおくびにも出さず、素知らぬ顔でことの成り行きを見守った。
「さて、公子様のお知りになりたいことですが――」
寝台がぎしりと歪む。彼女は寝台を這いながらゆっくりと凰神偉の方へ近づいて来るようだ。
(何をする気だ?)
彼女の息遣いが段々と近づき、凰神偉の胸に柔らかいものが押し付けられた。
あっと声を上げるより早く顎先に細い指が触れる。甘い吐息が凰神偉の顔にかかったかと思うと――凰神偉は躊躇なく目の前の娘々に拳を突き出した。
「不届き者が!」
駄目だった。随分辛抱したが、最後の一言でもう我慢の限界がきてしまったのだ。
蛙が潰れたような声が聞こえたが、そんなことはどうでも良い。
例え目隠しをされていても、彼には彼女が何をしているのか全て分かっていた。彼女は膝をつきながら寝台の上を移動して凰神偉に近づいた。そして彼に口付け『精気を吸おうとしていた』のだ。
いや、彼女の行動が凰神偉の逆鱗に触れたのは、決してそれが理由ではない。青筋を立てながら凰神偉は叫んだ。
「私の胸に飛び込んで良いのは阿黎だけだ! 身の程を知れ!」
つまり、そういうことである。
「黒曜! 全力でこっちに来い!」
怒りに任せて表に居るであろう黒曜を呼ぶ。
ぶうぶうと文句を言う声が聞こえたが、聞こえないふりをした。
娘々だった筈のソレは、痛みで打ち震えながらゴロンゴロンと地面に転がって苦しんでいる。美しかった姿も今となっては憐れなものだ。
「いきなり女を殴り飛ばす奴がいるのかよ!? こんな美女を!? 信じられないわっ!」
侍女たちはのたうち回る娘々を前にオロオロするばかり。美しかった娘々の形相は怒りに染まり、髭と耳と尻尾が飛び出していた。
「なるほど。なかなかの力を持っていると思ったがそうか。狐仙だったのか」
狐も長く生きれば力を蓄え、やがて術を使い人の姿を取るようになるという。彼が翳冥宮にて剣を交えた閑白も白鷴が変じた仙人であったが、さすがにそれとの差は歴然としており、狐仙とて凰神偉の敵ではない。
「つまり、お前は同じようにして金を貢いだ相手から精気を奪おうとしていたということだな? しかしそれだけではあるまい」
恐らく先ほど楽師たちが試みていた術から鑑みて、算命娘々と夜を共にした男たちは精気を吸ったあと都合のいい傀儡にでもしたのだろう。今後も貢ぎ続ける金づるとして。
あるいは――。
「おのれ、美女を殴り倒すとは女の敵! この屋敷から出られると思うなよ!」
鬼の形相で娘々は立ち上がり、凰神偉を睨みつけた。
「この男を屋敷から絶対に出すな! 八つ裂きにして血肉を喰らおうぞ!」
侍女たちが楽器を奏でると部屋の壁に亀裂が走り、砕けた柱の欠片が凰神偉目掛け飛んで行く。
「無駄だ」
袖の一振りで凰神偉は攻撃を弾き、彼女たちに向けて凄んだ。
「腕にどれほど覚えがあるのかは知らぬが……死ぬ気で来たとて私には敵うまい」
威圧的な視線を向けられて、怯えた楽師たちは演奏の手を止める。楽師たちが演奏を止め、侍女たちも戦うことができなくなって、いよいよ娘々は激怒した。
「ええい、なんと情けない! ほかにはおらぬのか!? 全員でこの男をずたずたにしておやり!」
『残念だけど、屋敷の奴らは皆のびてるぞ』
「なんだって!?」
娘々が扉の方に目を向ければ、昏き炎揺らめく狼が立っている。
「キャーッ!」
「いやあああ! 食べないで!」
狼の姿を見た女たちは泣き叫び、さりとて入り口に立つ狼を避けることもできず気を失って倒れてしまった。
『狐には狼。効果てきめんだな』
「遅い」
狼は凰神偉の言葉に唖然としたあと、人の姿をかたち作る。現れたのは少し前に入り口で別れたばかりの黒曜だ。
『おいおい。屋敷中の奴らの相手をしてやったんだ。感謝してくれよ』
そんな凰神偉に苦笑しながら、黒曜は肩を竦めた。
「感謝はあとでする。それよりも……」
凰神偉はチラリと算命娘々に視線を向ける。
「どうする? お前を守る者はもういないようだぞ」
「煩い!」
寝台を彩っていた大小さまざまな飾りが宙に舞い上がり、二人に向けて一斉に襲い掛かる。凰神偉は鞘から剣を抜き放ち、防壁陣で娘々の攻撃をはじき返した。
「な、なんて奴なの……。この私が、一撃も攻撃を与えることができないなんて……」
「相手が悪かったな。……さて、一つ聞こう。お前は算命娘々と名乗り、人々に無償で占いをしてやった。これは間違いないか?」
「そうよぉ。私は彼らのためにタダで! 占いをしてあげた、だ・け!」
「嘘をつくな。占い小屋には仲間たちを自分に擬態させて代わる代わる精気を吸い取っていたのだろう? 少しずつ吸っていけば、ばれないと踏んだのだな」
「ぐっ!」
凰神偉が娘々に迫られている間、黒曜は外で彼女の占い小屋を見ていた。彼からの連絡を聞く限り……算命娘々が長時間姿を消した形跡はない。
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「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
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子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位
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【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
貧乏大学生がエリート商社マンに叶わぬ恋をしていたら、玉砕どころか溺愛された話
タタミ
BL
貧乏苦学生の巡は、同じシェアハウスに住むエリート商社マンの千明に片想いをしている。
叶わぬ恋だと思っていたが、千明にデートに誘われたことで、関係性が一変して……?
エリート商社マンに溺愛される初心な大学生の物語。
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
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【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
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*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
今世はメシウマ召喚獣
片里 狛
BL
オーバーワークが原因でうっかり命を落としたはずの最上春伊25歳。召喚獣として呼び出された世界で、娼館の料理人として働くことになって!?的なBL小説です。
最終的に溺愛系娼館主人様×全般的にふつーの日本人青年。
※女の子もゴリゴリ出てきます。
※設定ふんわりとしか考えてないので穴があってもスルーしてください。お約束等には疎いので優しい気持ちで読んでくださると幸い。
※誤字脱字の報告は不要です。いつか直したい。
※なるべくさくさく更新したい。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
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