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偃武修文番外編(番外編)
番外01:黒明危機一髪
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あれから黒明は崩れ落ちた翳冥宮を復興させるため、凰神偉と共に冽州へと戻っていった。
とはいえ彼はたった一人。当然ながら建物を修繕する技術などない。拝陸天はそんな彼のために大工を何人か寄越してくれたそうなのだが、それでもあっという間に完成するわけでもない。
完成した暁に魔界から選ばれたものを迎えるため、地道な作業が続けられている。
煬鳳と凰黎が鳳凰の卵を温め始め――秋に差し掛かかった頃の話だ。
そんな黒明から、「助けてくれ!」という文が届いた。
一体どういうことなのか?と思ったが、しかし煬鳳たちは朝に夕に卵を温め続けなければならない。とても冽州への旅など不可能だ。
仕方がないので黒曜だけ翳冥宮に飛ばせて理由を訊ねに向かわせた。黒曜は実体はあれど霊力と翳炎でできた存在だ。一羽で飛んでいけばそう苦労なく冽州まで飛んで行ける。
暫くののち、困惑した顔の黒曜が小屋に戻ってきた。
しかしどうにも様子がおかしい。
何かあったのかと尋ねれば何もないと答える。
では、大丈夫だったのかと問えば、大丈夫ではなさそうだという。
一体どうしたのかと尋ねれば何とも言い難い顔で「それが……」と困惑気に事の仔細を語り始めた。
黒明は翳冥宮が復旧するまでの間、魔界から来た大工たちと共に恒凰宮で世話になっているそうだ。
翳冥宮はかつて広く美しく、それこそ恒凰宮にも負けぬほどの規模を誇っていたらしい。かつての姿に再建するには、まだ当分の時間がかかるだろう。
翳冥宮の門弟を迎えるのはその後だ。
ところが、意外な人物が翳冥宮の門弟になりたいとやってきた。
彩鉱門の彩菫青。
かつては彩鉱門で一番の実力者で、次期掌門間違いなしといわれていた、彩藍方の義理の兄であり公子。
やってきたのは、なんと彼だったのだ。
黒曜から話を聞いた煬鳳も凰黎も、予想だにしなかった展開に少々驚いた。
「あいつが? 珍しいな。黒冥翳魔の強さに憧れたとか?」
けれど、渋い渋い顔で黒曜は首を振る。
『それならまだ良かったんだがな』
どうやら違う理由で彼はやってきたらしい。
* * *
彩菫青は恒凰宮に黒明が滞在していると知り、はるばる徨州から恒凰宮までやってきた。しかし、彼は彩鉱門の公子である。掌門の承諾を得たのかと聞けば、無断で飛び出したという。
それで、はじめ黒明は無理だと断ったのだ。
「翳冥宮はまだ荒れ地同然であり、いつ復旧するかもまだ見通しは立たない。何より翳冥宮の門弟は特別な巫覡の資質を持つ血筋でなければならなし、勝手に彩鉱門の公子を門弟に加える訳にもいかない」
万晶鉱が無くなったいま、原始の谷を開くために血筋が重要であるかといえば、実はそうでもない。力についても既にそこまでの意味を為さなくなったため、魔界から門弟がやって来ることには変わりないが、厳密に入る資格があるかないかでいえば、黒明の心づもり一つで彩菫青を門下に加えることは可能なのだ。
しかし、やはり彼の身体を一度は借りていた後ろめたさもあり、彼の父である彩鉱門掌門にも申し訳ないという気持ちが勝った。
門弟になりたいなど、どういう風の吹き回しかは分からないが、これで彼も諦めて彩鉱門に戻るだろう。
黒明はそう考えたのだが。
――ところがどっこい。
彼は諦めなかったのだ。
「正直に言います! ……実は……貴方に一目惚れしたんです! 門弟でなくても構いません、どうかここに置いてください! 何でもします!」
「は!?」
黒明は呆気に取られてしまった。何がなんだか分からない。
戸惑いながら一体どういうことかと尋ねれば、彼は黒明が白暗と邂逅を果たしたとき――正確には、彼から約束の髪飾りを受け取ったときに微かに目覚めかけていたのだという。
朧げな視界の中に映し出された真珠の様な髪を持つ人物。淡薄な翠色の瞳で儚く笑う美しい相貌。
どうやら黒明の視界越しに、彩菫青は白暗を見ていたようだ。
あれは自分ではなく弟である。そのことをどう彼に告げようか黒明は悩んだ。
(いつは白暗が好きなのか? それとも俺なのか? どっちでもいいってことなのか? ……いや、どれであっても冗談じゃない!)
黒明が想うのは白暗ただ一人であるし、白暗だって同じ気持ちだろう。
彩菫青には申し訳ないが、やはり諦めて貰うしかない。
覚悟を決めて黒明は自分は黒冥翳魔であること、そしてこの体は弟の白暗の者であるが、色々あって今は二人で一つの存在となったこと。
そして……お互い想い合っている、ということをざっくりと彼に伝えた。
* * *
「で? 彩菫青はなんて言ったんだ?」
凰黎が作ってくれた桂花糕を口に放り込みながら煬鳳は黒曜に尋ねる。黒曜はそんな煬鳳の態度を見て不満そうに『クェェ』と鳴いた。
『他人事だと思って面白がってるだろ』
「そんなことないさ。でもほら、命の危機ってわけじゃないしさ。焦ったって冽州に一瞬で行ける訳じゃないし」
黒曜は納得いかない表情で煬鳳をジロリと一瞥する。
『彩菫青は、貴方に想い人がいるのならそれでも構わない。貴方のことを生涯見守りたい。使用人でもいい、椅子でも床敷きでも構わないから傍に居させて欲しい……って熱烈に……』
「……それは、なんというか……ちょっと嫌だな」
『だろ?』
しかし、あれほど自暴自棄であった彩菫青がそこまで言い切ったのも驚きだ。彼の中で、よほどの変化があったのだろうか。
それまで黙って黒曜と煬鳳の会話を聞いていた凰黎が口を開く。
「ですが、彩公子は足の怪我のせいで満足に動くことはできないし、武術だって殆どできなくなったのですよね? そもそも門弟になることなど不可能だったのでは?」
『それだよ、それ』
よくぞ聞いてくれたとばかりに、黒曜が『クエェ』と一声鳴いた。
『あいつさ……翳冥宮で黒明と分離したあと、清林峰で療養してただろ? それで、怪我が完治したあと、峰主様に土下座して足を少しでも動かせるように修練をさせて貰って、それからあっという間に元のように歩けるようになったんだ』
「えっ!?」
足を引きずっていた彼の姿が思い起こされる。とても治せるような状態には見えなかったのだが、瞋九龍の一件のあとまだそこまで時間も経っていない。清林峰の医療技術もあるのだろうが……それにしたって驚くほかない。
『しかも、黒明を守るって言って、猛烈に修行を重ねた結果、まだ元の状態にまでは及ばぬものの、かなり元の状態まで戦えるようになったらしい』
「それはまた……凄い執念ですね……。ある意味少し恐ろしく感じるくらいには……」
『だろ?』
若干引いている凰黎に向かって、黒明は大きく頷いた。
「あ! ならさ。彩鉱門に連絡したら良いんじゃないか? そしたら引きずってでも連れて帰ってくれるだろ」
我ながら良い案だと思い、煬鳳はすぐさまそれを口にする。
しかし、黒曜は首を振り『もう言った』と肩を落とした。
この落ち込みようは一体?
煬鳳は不思議に思ったが、黒曜の次の話を聞いて納得せざるを得なかった。
『彩鉱門にもすぐ連絡した。でも、使者が持って来た文に書いてあったのは「足を引きずり夜をはかなみ、全てを諦めていた息子が、愛のためにここまで強くなったというのならもう親として言うことは無い。敷物でも召使でも、何でもいいから置いてやって欲しい」って内容だった』
「……」
確かに。
彩鉱門の掌門の言葉はとても説得力のあるものだった。足を引きずりながら歩いていた彩菫青が、ほぼ元の状態まで回復したのだ。その理由が黒明……なのか白暗なのかは分からないが、とにかく彼にあるのなら、親として止める理由など何もない。
掌門とて動けるようになったのなら、本心では戻ってきて欲しいと願っているだろう。しかし、戻らない事が彼の生きる希望と気力になるのなら、それ以上望むものはない――恐らくはそういう意味なのだ。
長い長い沈黙のあと、凰黎と二人で顔を見合わせた煬鳳は溜息をつく。
「それは……災難というか、大変というか……。飽きないかもしれませんが、特別なことを求められるわけでないのなら、気が済むまで置いて差し上げるしかない、のかもしれませんね……」
気まずそうに言葉を詰まらせながら、凰黎は黒曜を慰める。慰めの言葉など、何の役にも立たないだろうが、凰黎ですらそれ以上の言葉が出ないのだ。
他人事ながら、黒曜も元は同じ黒明の一部。
悩み苦しむ黒明を見て、他人事とは思えなかったのだろう。
しかし、煬鳳たちは天帝から賜った鳳凰の卵をしっかりと温め続けて孵さなければならないのだ。
もし仮に冽州まで行ったとしても、当事者同士で解決する問題であり、煬鳳たちがどうこうできるものでもない。
「ま、災難だとは思うけどさ。召使でも椅子でもなんでも、一人でいるよりは少しは気がまぎれるんじゃないか。あいつ意外に使命に対して愚直なほど生真面目なところがあるからさ」
「確かに。彼にとっては不本意かもしれませんが……恒凰宮の方々の他に、真意はどうあれ傍に居てくれる人がいた方が、気持ちが軽くなるかもしれませんね」
煬鳳の言葉に凰黎も同意する。
『お前ら、他人事だと思って……』
「本気でやばくなったら陸叔公に頼んで追い返して貰うからさ。害が無い限りはまあ、様子見てろよ」
こんなしょうもない話に魔界の皇帝陛下を呼び立てるというのは、いかがなものかと思わなくもないが、事情が事情だ。もしものときはきっと叔父は助けてくれるだろう――煬鳳はそう思った。
黒曜はまだ不満そうな顔をしていたが、しかしやはり今はどうにもならないだろう、と納得したのかじきに大人しくなった。
『その代わり、何かあったらすぐに皇帝陛下を呼ぶんだぞ!』
「分かった、分かったって」
自暴自棄に陥って、世界の全てを呪っていた彩菫青。そして彼が破滅を望み己の身体を差し出した黒冥翳魔こと黒明。
奇縁で繋がっている二人ではあるが、まさかこのような展開を見せるとは誰一人思わなかっただろう。
黒明も。
そして彩菫青自身も。
卵の件が落ち着いたら冽州を訪れようと思っていた煬鳳たちだったが、卵が孵ったあとは更にそれどころではなくなってしまい……。
結局、黒明の元を訪れたのはそれから一年ほど後のことだった。
翳冥宮の工事はまだ続けられているが、彩菫青は毎日恒凰宮の庭掃除を欠かさず、昼に夜に献身的に働き続け修練も怠らず……未だに彼の元にいるそうだ。
もちろん、黒明の心は白暗と共に不変であることに変わりはないのだが。
運命とは本当に不思議なものだ。
<黒明危機一髪 了>
とはいえ彼はたった一人。当然ながら建物を修繕する技術などない。拝陸天はそんな彼のために大工を何人か寄越してくれたそうなのだが、それでもあっという間に完成するわけでもない。
完成した暁に魔界から選ばれたものを迎えるため、地道な作業が続けられている。
煬鳳と凰黎が鳳凰の卵を温め始め――秋に差し掛かかった頃の話だ。
そんな黒明から、「助けてくれ!」という文が届いた。
一体どういうことなのか?と思ったが、しかし煬鳳たちは朝に夕に卵を温め続けなければならない。とても冽州への旅など不可能だ。
仕方がないので黒曜だけ翳冥宮に飛ばせて理由を訊ねに向かわせた。黒曜は実体はあれど霊力と翳炎でできた存在だ。一羽で飛んでいけばそう苦労なく冽州まで飛んで行ける。
暫くののち、困惑した顔の黒曜が小屋に戻ってきた。
しかしどうにも様子がおかしい。
何かあったのかと尋ねれば何もないと答える。
では、大丈夫だったのかと問えば、大丈夫ではなさそうだという。
一体どうしたのかと尋ねれば何とも言い難い顔で「それが……」と困惑気に事の仔細を語り始めた。
黒明は翳冥宮が復旧するまでの間、魔界から来た大工たちと共に恒凰宮で世話になっているそうだ。
翳冥宮はかつて広く美しく、それこそ恒凰宮にも負けぬほどの規模を誇っていたらしい。かつての姿に再建するには、まだ当分の時間がかかるだろう。
翳冥宮の門弟を迎えるのはその後だ。
ところが、意外な人物が翳冥宮の門弟になりたいとやってきた。
彩鉱門の彩菫青。
かつては彩鉱門で一番の実力者で、次期掌門間違いなしといわれていた、彩藍方の義理の兄であり公子。
やってきたのは、なんと彼だったのだ。
黒曜から話を聞いた煬鳳も凰黎も、予想だにしなかった展開に少々驚いた。
「あいつが? 珍しいな。黒冥翳魔の強さに憧れたとか?」
けれど、渋い渋い顔で黒曜は首を振る。
『それならまだ良かったんだがな』
どうやら違う理由で彼はやってきたらしい。
* * *
彩菫青は恒凰宮に黒明が滞在していると知り、はるばる徨州から恒凰宮までやってきた。しかし、彼は彩鉱門の公子である。掌門の承諾を得たのかと聞けば、無断で飛び出したという。
それで、はじめ黒明は無理だと断ったのだ。
「翳冥宮はまだ荒れ地同然であり、いつ復旧するかもまだ見通しは立たない。何より翳冥宮の門弟は特別な巫覡の資質を持つ血筋でなければならなし、勝手に彩鉱門の公子を門弟に加える訳にもいかない」
万晶鉱が無くなったいま、原始の谷を開くために血筋が重要であるかといえば、実はそうでもない。力についても既にそこまでの意味を為さなくなったため、魔界から門弟がやって来ることには変わりないが、厳密に入る資格があるかないかでいえば、黒明の心づもり一つで彩菫青を門下に加えることは可能なのだ。
しかし、やはり彼の身体を一度は借りていた後ろめたさもあり、彼の父である彩鉱門掌門にも申し訳ないという気持ちが勝った。
門弟になりたいなど、どういう風の吹き回しかは分からないが、これで彼も諦めて彩鉱門に戻るだろう。
黒明はそう考えたのだが。
――ところがどっこい。
彼は諦めなかったのだ。
「正直に言います! ……実は……貴方に一目惚れしたんです! 門弟でなくても構いません、どうかここに置いてください! 何でもします!」
「は!?」
黒明は呆気に取られてしまった。何がなんだか分からない。
戸惑いながら一体どういうことかと尋ねれば、彼は黒明が白暗と邂逅を果たしたとき――正確には、彼から約束の髪飾りを受け取ったときに微かに目覚めかけていたのだという。
朧げな視界の中に映し出された真珠の様な髪を持つ人物。淡薄な翠色の瞳で儚く笑う美しい相貌。
どうやら黒明の視界越しに、彩菫青は白暗を見ていたようだ。
あれは自分ではなく弟である。そのことをどう彼に告げようか黒明は悩んだ。
(いつは白暗が好きなのか? それとも俺なのか? どっちでもいいってことなのか? ……いや、どれであっても冗談じゃない!)
黒明が想うのは白暗ただ一人であるし、白暗だって同じ気持ちだろう。
彩菫青には申し訳ないが、やはり諦めて貰うしかない。
覚悟を決めて黒明は自分は黒冥翳魔であること、そしてこの体は弟の白暗の者であるが、色々あって今は二人で一つの存在となったこと。
そして……お互い想い合っている、ということをざっくりと彼に伝えた。
* * *
「で? 彩菫青はなんて言ったんだ?」
凰黎が作ってくれた桂花糕を口に放り込みながら煬鳳は黒曜に尋ねる。黒曜はそんな煬鳳の態度を見て不満そうに『クェェ』と鳴いた。
『他人事だと思って面白がってるだろ』
「そんなことないさ。でもほら、命の危機ってわけじゃないしさ。焦ったって冽州に一瞬で行ける訳じゃないし」
黒曜は納得いかない表情で煬鳳をジロリと一瞥する。
『彩菫青は、貴方に想い人がいるのならそれでも構わない。貴方のことを生涯見守りたい。使用人でもいい、椅子でも床敷きでも構わないから傍に居させて欲しい……って熱烈に……』
「……それは、なんというか……ちょっと嫌だな」
『だろ?』
しかし、あれほど自暴自棄であった彩菫青がそこまで言い切ったのも驚きだ。彼の中で、よほどの変化があったのだろうか。
それまで黙って黒曜と煬鳳の会話を聞いていた凰黎が口を開く。
「ですが、彩公子は足の怪我のせいで満足に動くことはできないし、武術だって殆どできなくなったのですよね? そもそも門弟になることなど不可能だったのでは?」
『それだよ、それ』
よくぞ聞いてくれたとばかりに、黒曜が『クエェ』と一声鳴いた。
『あいつさ……翳冥宮で黒明と分離したあと、清林峰で療養してただろ? それで、怪我が完治したあと、峰主様に土下座して足を少しでも動かせるように修練をさせて貰って、それからあっという間に元のように歩けるようになったんだ』
「えっ!?」
足を引きずっていた彼の姿が思い起こされる。とても治せるような状態には見えなかったのだが、瞋九龍の一件のあとまだそこまで時間も経っていない。清林峰の医療技術もあるのだろうが……それにしたって驚くほかない。
『しかも、黒明を守るって言って、猛烈に修行を重ねた結果、まだ元の状態にまでは及ばぬものの、かなり元の状態まで戦えるようになったらしい』
「それはまた……凄い執念ですね……。ある意味少し恐ろしく感じるくらいには……」
『だろ?』
若干引いている凰黎に向かって、黒明は大きく頷いた。
「あ! ならさ。彩鉱門に連絡したら良いんじゃないか? そしたら引きずってでも連れて帰ってくれるだろ」
我ながら良い案だと思い、煬鳳はすぐさまそれを口にする。
しかし、黒曜は首を振り『もう言った』と肩を落とした。
この落ち込みようは一体?
煬鳳は不思議に思ったが、黒曜の次の話を聞いて納得せざるを得なかった。
『彩鉱門にもすぐ連絡した。でも、使者が持って来た文に書いてあったのは「足を引きずり夜をはかなみ、全てを諦めていた息子が、愛のためにここまで強くなったというのならもう親として言うことは無い。敷物でも召使でも、何でもいいから置いてやって欲しい」って内容だった』
「……」
確かに。
彩鉱門の掌門の言葉はとても説得力のあるものだった。足を引きずりながら歩いていた彩菫青が、ほぼ元の状態まで回復したのだ。その理由が黒明……なのか白暗なのかは分からないが、とにかく彼にあるのなら、親として止める理由など何もない。
掌門とて動けるようになったのなら、本心では戻ってきて欲しいと願っているだろう。しかし、戻らない事が彼の生きる希望と気力になるのなら、それ以上望むものはない――恐らくはそういう意味なのだ。
長い長い沈黙のあと、凰黎と二人で顔を見合わせた煬鳳は溜息をつく。
「それは……災難というか、大変というか……。飽きないかもしれませんが、特別なことを求められるわけでないのなら、気が済むまで置いて差し上げるしかない、のかもしれませんね……」
気まずそうに言葉を詰まらせながら、凰黎は黒曜を慰める。慰めの言葉など、何の役にも立たないだろうが、凰黎ですらそれ以上の言葉が出ないのだ。
他人事ながら、黒曜も元は同じ黒明の一部。
悩み苦しむ黒明を見て、他人事とは思えなかったのだろう。
しかし、煬鳳たちは天帝から賜った鳳凰の卵をしっかりと温め続けて孵さなければならないのだ。
もし仮に冽州まで行ったとしても、当事者同士で解決する問題であり、煬鳳たちがどうこうできるものでもない。
「ま、災難だとは思うけどさ。召使でも椅子でもなんでも、一人でいるよりは少しは気がまぎれるんじゃないか。あいつ意外に使命に対して愚直なほど生真面目なところがあるからさ」
「確かに。彼にとっては不本意かもしれませんが……恒凰宮の方々の他に、真意はどうあれ傍に居てくれる人がいた方が、気持ちが軽くなるかもしれませんね」
煬鳳の言葉に凰黎も同意する。
『お前ら、他人事だと思って……』
「本気でやばくなったら陸叔公に頼んで追い返して貰うからさ。害が無い限りはまあ、様子見てろよ」
こんなしょうもない話に魔界の皇帝陛下を呼び立てるというのは、いかがなものかと思わなくもないが、事情が事情だ。もしものときはきっと叔父は助けてくれるだろう――煬鳳はそう思った。
黒曜はまだ不満そうな顔をしていたが、しかしやはり今はどうにもならないだろう、と納得したのかじきに大人しくなった。
『その代わり、何かあったらすぐに皇帝陛下を呼ぶんだぞ!』
「分かった、分かったって」
自暴自棄に陥って、世界の全てを呪っていた彩菫青。そして彼が破滅を望み己の身体を差し出した黒冥翳魔こと黒明。
奇縁で繋がっている二人ではあるが、まさかこのような展開を見せるとは誰一人思わなかっただろう。
黒明も。
そして彩菫青自身も。
卵の件が落ち着いたら冽州を訪れようと思っていた煬鳳たちだったが、卵が孵ったあとは更にそれどころではなくなってしまい……。
結局、黒明の元を訪れたのはそれから一年ほど後のことだった。
翳冥宮の工事はまだ続けられているが、彩菫青は毎日恒凰宮の庭掃除を欠かさず、昼に夜に献身的に働き続け修練も怠らず……未だに彼の元にいるそうだ。
もちろん、黒明の心は白暗と共に不変であることに変わりはないのだが。
運命とは本当に不思議なものだ。
<黒明危機一髪 了>
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