173 / 177
然后鳳凰抱鳳雛(そして鳳凰は鳳雛を抱く)
169:情永不絶
しおりを挟む
玄烏門の大門を潜り抜け、幼子が息せき切ってやってくる。
「煬爹、凰爹~!」
体にぴったり合うように繕われた藍色の衣をなびかせながら、腕には格桑花を掻き抱く。走るたび、高く結い上げられた髪に結ばれた銀の髪飾りが上下して、涼やかな音色を奏でる。
殆ど飛び込むようにして煬鳳の胸の中に収まった幼子は、顔に笹の葉をつけながら煬鳳の胸に頬を寄せた。煬鳳はそんな幼子を掻き抱くと、幼子の額に己の額をくっつける。
「阿鸞!」
阿鸞と呼ばれた幼子は嬉しそうに微笑み、煬鳳に格桑花の花を見せる。白や桃、色とりどりの美しく開いた格桑花は、愛らしい幼子によく似合う。
「みてみて煬爹! いっぱい咲いてたの!」
凄く綺麗だ、と言いながら煬鳳は鸞の頭を撫で繰り回す。
「鯉の爺さんはどこいった? 一人で帰ってきたのか?」
「いっしょだよ! でも、鯉のじいじは階段のぼるのが大変だから、先に鸞だけ走ってきたの」
鸞の振り返った先を見れば、今にも死にそうなほど息を切らせた老人が門の前に立っている。煬鳳は鸞を廊廡に座らせると「ちょっと待ってろ」と言って鯉仙人の元へと走った。
背中を丸めて未だ息を切らす老人を背負うと、煬鳳は鸞の元へと歩き出す。
「ちびの相手して貰って悪いな、爺さん」
「いやいや、最近の若い者は元気で宜しい」
息も絶え絶えになりながら、鯉仙人は答える。
鯉仙人はただの喋る鯉だと思っていたが、意外にも彼は『龍鯉仙』と言って本当に鯉が化身した仙人だった。彼は煬鳳たちの生活を迷惑にも頻繁に覗いていたが、最近は時折こうして鸞の遊び相手をしてくれる。もはや鸞にとって彼はただの『鯉のじいじ』であり、仙人であるという考えは毛頭ない。
「阿鸞、お帰りなさい。それに龍鯉仙様も。お菓子とお茶をご用意致しましたので、どうかこちらでお休みになって下さい」
茶盆を持って顔を出したのは凰黎だ。盆の上には茶碗のほかに艶やかで甘そうな蜜煎金橘が盛られた皿が載っている。
「凰爹! 食べたい!」
凰黎の足に鸞がしがみ付くと、苦笑しながら凰黎が「いま置くから少し待って」と言って卓子の上に茶碗を置いた。
天帝から賜った鳳凰の卵――その卵から生まれたのが鸞だ。鳳凰の卵にもかかわらず、中から赤子が出て来たときは、流石に二人とも面食らってしまった。
はじめは本当にこれが鳳凰の雛なのか?とも思ったが、凰黎はしたり顔で、
「間違いなく、天帝様の仰る通り『鳳』『凰』の『雛』ですよ」
と満足げに頷く。
どことなく煬鳳と凰黎に面差しが似ている赤子は、鸞快子から名を貰って「鸞」と名づけることにした。
それまで清瑞山の小さな小屋で暮らしていた煬鳳たちだったが、鸞のためにもう少し快適な暮らしをしようかと、玄烏門へ戻ってきたのだ。
清瑞山にある二人の小屋は、鯉仙人に留守番がてら貸し出している。
煬鳳は掌門の座を夜真に譲り、自分は師と同じ長老の座に落ち着いた。大した理由ではないのだが、煬鳳が掌門についたのも夜真より若い頃だったし、いまは鸞を育てることに集中したい。自分が幼い頃に両親と死別してしまったこともあり、せっかく授かった鸞のことは凰黎と二人で大切に育てていこうと話し合った。
夜真は多少渋ってはいたが、別に煬鳳が玄烏門から消えるわけではないと分かって承諾してくれた。善瀧との仲も相変わらずであるし、凰黎と煬鳳、夜真と善瀧。二組の関係を考えるといずれ蓬静嶺と玄烏門とが一つになる日も来るのかもしれない。
……と、これは煬鳳の勝手な想像ではあるが。
「瑤姑娘!」
鸞が叫び、蜜煎金橘を放り出して中庭へ飛び出した。中庭には美しい襦裙を纏った天女のような女性が佇んでいる。たったいま空から降りてきたような彼女の手には瑞々しい果物が抱えられており、煬鳳たちを見ると頭を下げる。
「瓊瑤、いらっしゃい」
「凰様」
瓊瑤は凰黎を見ると嬉しそうに顔を綻ばせた。
「公子様に、これを」
「有り難うございます。良かったら阿鸞と一緒に待ってて下さい。彼も貴方にとても会いたがっていたのですよ」
彼女は抱えた果物を凰黎に預け、代わりにしがみ付いてきた鸞のことを抱き上げる。
重明鳥の瓊瑤は、いつしか人の姿を取るようになり、そして煬鳳たちの前に時折姿を見せるようになった。あるときは鸞の遊び相手となり、あるときは勉強相手にもなり。鸞もそんな彼女によく懐き、彼女を姉のように慕っている。
鸞快子が経営していた盈月楼は、いまは彼女が女主人として代わりに取り仕切っているようだ。もともと盈月楼で給仕や楽師をしている女性たちは本をただせばみな奏詠荘という門派の出身で、その顔触れもほぼ女性だけ。瓊瑤がそんな茶楼の女主人となることはある意味収まるべきところに収まったのだといえよう。
「あのね。この前じいじがね、勉強したくなったらじいじのところに来なさいって言ってたの」
鸞の言う『じいじ』とは蓬静嶺の嶺主、静泰還のことだ。彼は煬鳳と凰黎が孵化させた鸞を孫のように可愛がり、しょっちゅう会いにやってくる。彼の言う『勉強したくなたら』というのは、習い事をさせるときは蓬静嶺に通いなさい、という意味である。
学のない荒くれ集団の集う玄烏門ではまともな勉強などできるはずもなく、仮に鸞に何かを学ばせようと思った場合は恐らくそうするしか選択肢はないだろう。
ただ……。
「阿鸞はまだ勉強するほどの歳じゃないぞ!? 気が早すぎないか!?」
実のところ、鸞が生まれてから季節はまだ二巡りほど。多少成長は早く感じるが、様子を見に来た鼓牛曰く『恐らく育った環境と相まって精神的な成長が早いだけで、実際の年齢は普通の子供と変わらない』のだそうだ。だから、勉強をさせるにはまだ少し早い。
「いまの阿鸞は、まだ好きなように鯉のじいじと遊んだり、瓊瑤と花摘みに行ったり、好きなことをして良いのですよ。もう少し大きくなったら、じいじに教えて貰いましょう。きっとお友達も沢山できるでしょうから」
「ほんと?」
「ええ、本当ですよ」
瞳を輝かせた鸞に、凰黎はにっこりと微笑んだ。
蓬静嶺と玄烏門はかなり近いが、魔界は遠い。おまけに皇帝としての政務が山積みの拝陸天はなかなか鸞に会いに来ることができず、悔しがっていることだろう。
(これで蓬静嶺に勉強するために通う、なんて言ったら陸叔公は凄く悔しがるんだろうな)
悔しがる拝陸天の姿がまざまざと脳裏に浮かぶ。
実は悔しがっているのは拝陸天だけではない。
恒凰宮の凰神偉もまた、鸞に頻繁に会いにやってくるのだ。しかし、恒凰宮は徨州から最も離れた場所にあるため、訪れる回数にも限度がある。燐瑛珂にも窘められてここ暫くは渋々星霓峰に籠もっているのだそうだ。
彼にとって凰黎はたった一人残された肉親であり弟。その弟に面差しがよく似た幼い鸞は、彼にとっても可愛くて仕方のない存在らしい。
『クエェ』
聞きなれた声が頭上で聞こえた。廊廡から顔を出すと、屋根の上に黒曜が留まっている。
「黒曜、帰ったのか?」
煬鳳が呼び掛けると黒曜は『大分あっちも落ち着いてきたからな』と言って羽ばたき煬鳳の肩に留まった。
「あ! 曜曜だ!」
目ざとく鸞が黒曜を見つけ、煬鳳に両手を突き出した。黒曜を貸して、という意図らしい。
黒曜は『クエェ』と鳴くと、いつものように鸞の腕の中にすっぽりと収まる。以前から思っていたことだが、黒曜は子供に甘い。
「曜曜、おかえり! 阿鸞はね、曜曜のこと待ってたの!」
抱きしめ頬を寄せる鸞に黒曜も頭を何度も擦り付けた。
「黒曜もお前に会いたかったって言ってるぞ、阿鸞」
「ほんと?」
煬鳳の言葉に鸞は目を輝かせ「だいすき!」ともういちど黒曜を抱きしめる。嬉しそうに小さく黒曜が鳴いたのを、煬鳳は聞き逃さなかった。
「ねえねえ。曜曜にね、ずっと見せたいものがあったんだ。このまえ探検してたときにね、見つけたの。……瑤姑娘、いまから一緒に行ってくれる?」
鸞が懇願すれば瓊瑤は微笑を浮かべ「公子がお望みなら」と手を差し伸べる。
「なあ、凰黎」
瓊瑤と手を繋ぎ、黒曜を抱えながら歩いてゆく鸞を目で追いながら煬鳳は呼び掛けた。
「何でしょう?」
「あのさ。お前の垣間見た未来は、どこまでがその通りになったんだ?」
突然投げかけられた疑問に、暫し凰黎は目を伏せ考える。
煬鳳は『答えてくれるよな?』という期待の眼差しを凰黎に向け、彼が口を開くのを待つ。
「そうですね……一つだけ……」
鸞の横顔を見つめる凰黎の眼差しは、幸せに満ちている。
「あの子が我々の元にやって来ることは、私が見た未来にはありませんでしたよ」
万晶鉱はもう存在しない。これから先のことは、誰にも分からない。
煬鳳は凰黎の手をとり指を絡ませ、いつぞや凰黎が言った言葉を思い出す。
『もう未来も過去も見る必要はないのですから。これからは貴方と共に歩む幸せな未来がある。それだけ分かっていれば十分です』
彼の言葉はいつだって的確だ。幸せないまであるからこそ、その言葉の意味が良く分かる。
「そうだな。ほんと、その通りだ」
「何がですか?」
煬鳳と凰黎と……それに愛しい幼子と。
三人で歩んでいける未来がある。仮にどんな困難が現れたとしても、絶対にあきらめることはないはずだ。
煬鳳と凰黎がそうであったように。
「いや、なんでもないよ。……やっぱり凰黎には敵わないなって思ってさ」
凰黎を抱きしめようと手を回すと、凰黎が煬鳳を抱き上げる。
煬鳳はそんな彼の首に腕を回すとぴったりと体をくっつけた。
「ほら、言った通りだろ?」
頬と頬とが触れ合う温かさを感じながら、煬鳳は凰黎に笑みを向ける。
凰黎は同意する代わりに――煬鳳の唇にその答えを残した。
<鳳凰抱鳳雛 ~鳳凰は鳳雛を抱く~ 了>
* * *
仙境に三神山なる神山あり。
蓬莱、方丈、瀛州。
元は五山なれど今となっては三山を残すのみ。
それらもまた、いずれは伝承の中に霞となりて消えゆかん。
※後日、番外編を公開するかも予定。(一つは今日公開)
(1/18追記)
週末くらいに短編(といいつつ既に1万字超えている)公開予定です。
「煬爹、凰爹~!」
体にぴったり合うように繕われた藍色の衣をなびかせながら、腕には格桑花を掻き抱く。走るたび、高く結い上げられた髪に結ばれた銀の髪飾りが上下して、涼やかな音色を奏でる。
殆ど飛び込むようにして煬鳳の胸の中に収まった幼子は、顔に笹の葉をつけながら煬鳳の胸に頬を寄せた。煬鳳はそんな幼子を掻き抱くと、幼子の額に己の額をくっつける。
「阿鸞!」
阿鸞と呼ばれた幼子は嬉しそうに微笑み、煬鳳に格桑花の花を見せる。白や桃、色とりどりの美しく開いた格桑花は、愛らしい幼子によく似合う。
「みてみて煬爹! いっぱい咲いてたの!」
凄く綺麗だ、と言いながら煬鳳は鸞の頭を撫で繰り回す。
「鯉の爺さんはどこいった? 一人で帰ってきたのか?」
「いっしょだよ! でも、鯉のじいじは階段のぼるのが大変だから、先に鸞だけ走ってきたの」
鸞の振り返った先を見れば、今にも死にそうなほど息を切らせた老人が門の前に立っている。煬鳳は鸞を廊廡に座らせると「ちょっと待ってろ」と言って鯉仙人の元へと走った。
背中を丸めて未だ息を切らす老人を背負うと、煬鳳は鸞の元へと歩き出す。
「ちびの相手して貰って悪いな、爺さん」
「いやいや、最近の若い者は元気で宜しい」
息も絶え絶えになりながら、鯉仙人は答える。
鯉仙人はただの喋る鯉だと思っていたが、意外にも彼は『龍鯉仙』と言って本当に鯉が化身した仙人だった。彼は煬鳳たちの生活を迷惑にも頻繁に覗いていたが、最近は時折こうして鸞の遊び相手をしてくれる。もはや鸞にとって彼はただの『鯉のじいじ』であり、仙人であるという考えは毛頭ない。
「阿鸞、お帰りなさい。それに龍鯉仙様も。お菓子とお茶をご用意致しましたので、どうかこちらでお休みになって下さい」
茶盆を持って顔を出したのは凰黎だ。盆の上には茶碗のほかに艶やかで甘そうな蜜煎金橘が盛られた皿が載っている。
「凰爹! 食べたい!」
凰黎の足に鸞がしがみ付くと、苦笑しながら凰黎が「いま置くから少し待って」と言って卓子の上に茶碗を置いた。
天帝から賜った鳳凰の卵――その卵から生まれたのが鸞だ。鳳凰の卵にもかかわらず、中から赤子が出て来たときは、流石に二人とも面食らってしまった。
はじめは本当にこれが鳳凰の雛なのか?とも思ったが、凰黎はしたり顔で、
「間違いなく、天帝様の仰る通り『鳳』『凰』の『雛』ですよ」
と満足げに頷く。
どことなく煬鳳と凰黎に面差しが似ている赤子は、鸞快子から名を貰って「鸞」と名づけることにした。
それまで清瑞山の小さな小屋で暮らしていた煬鳳たちだったが、鸞のためにもう少し快適な暮らしをしようかと、玄烏門へ戻ってきたのだ。
清瑞山にある二人の小屋は、鯉仙人に留守番がてら貸し出している。
煬鳳は掌門の座を夜真に譲り、自分は師と同じ長老の座に落ち着いた。大した理由ではないのだが、煬鳳が掌門についたのも夜真より若い頃だったし、いまは鸞を育てることに集中したい。自分が幼い頃に両親と死別してしまったこともあり、せっかく授かった鸞のことは凰黎と二人で大切に育てていこうと話し合った。
夜真は多少渋ってはいたが、別に煬鳳が玄烏門から消えるわけではないと分かって承諾してくれた。善瀧との仲も相変わらずであるし、凰黎と煬鳳、夜真と善瀧。二組の関係を考えるといずれ蓬静嶺と玄烏門とが一つになる日も来るのかもしれない。
……と、これは煬鳳の勝手な想像ではあるが。
「瑤姑娘!」
鸞が叫び、蜜煎金橘を放り出して中庭へ飛び出した。中庭には美しい襦裙を纏った天女のような女性が佇んでいる。たったいま空から降りてきたような彼女の手には瑞々しい果物が抱えられており、煬鳳たちを見ると頭を下げる。
「瓊瑤、いらっしゃい」
「凰様」
瓊瑤は凰黎を見ると嬉しそうに顔を綻ばせた。
「公子様に、これを」
「有り難うございます。良かったら阿鸞と一緒に待ってて下さい。彼も貴方にとても会いたがっていたのですよ」
彼女は抱えた果物を凰黎に預け、代わりにしがみ付いてきた鸞のことを抱き上げる。
重明鳥の瓊瑤は、いつしか人の姿を取るようになり、そして煬鳳たちの前に時折姿を見せるようになった。あるときは鸞の遊び相手となり、あるときは勉強相手にもなり。鸞もそんな彼女によく懐き、彼女を姉のように慕っている。
鸞快子が経営していた盈月楼は、いまは彼女が女主人として代わりに取り仕切っているようだ。もともと盈月楼で給仕や楽師をしている女性たちは本をただせばみな奏詠荘という門派の出身で、その顔触れもほぼ女性だけ。瓊瑤がそんな茶楼の女主人となることはある意味収まるべきところに収まったのだといえよう。
「あのね。この前じいじがね、勉強したくなったらじいじのところに来なさいって言ってたの」
鸞の言う『じいじ』とは蓬静嶺の嶺主、静泰還のことだ。彼は煬鳳と凰黎が孵化させた鸞を孫のように可愛がり、しょっちゅう会いにやってくる。彼の言う『勉強したくなたら』というのは、習い事をさせるときは蓬静嶺に通いなさい、という意味である。
学のない荒くれ集団の集う玄烏門ではまともな勉強などできるはずもなく、仮に鸞に何かを学ばせようと思った場合は恐らくそうするしか選択肢はないだろう。
ただ……。
「阿鸞はまだ勉強するほどの歳じゃないぞ!? 気が早すぎないか!?」
実のところ、鸞が生まれてから季節はまだ二巡りほど。多少成長は早く感じるが、様子を見に来た鼓牛曰く『恐らく育った環境と相まって精神的な成長が早いだけで、実際の年齢は普通の子供と変わらない』のだそうだ。だから、勉強をさせるにはまだ少し早い。
「いまの阿鸞は、まだ好きなように鯉のじいじと遊んだり、瓊瑤と花摘みに行ったり、好きなことをして良いのですよ。もう少し大きくなったら、じいじに教えて貰いましょう。きっとお友達も沢山できるでしょうから」
「ほんと?」
「ええ、本当ですよ」
瞳を輝かせた鸞に、凰黎はにっこりと微笑んだ。
蓬静嶺と玄烏門はかなり近いが、魔界は遠い。おまけに皇帝としての政務が山積みの拝陸天はなかなか鸞に会いに来ることができず、悔しがっていることだろう。
(これで蓬静嶺に勉強するために通う、なんて言ったら陸叔公は凄く悔しがるんだろうな)
悔しがる拝陸天の姿がまざまざと脳裏に浮かぶ。
実は悔しがっているのは拝陸天だけではない。
恒凰宮の凰神偉もまた、鸞に頻繁に会いにやってくるのだ。しかし、恒凰宮は徨州から最も離れた場所にあるため、訪れる回数にも限度がある。燐瑛珂にも窘められてここ暫くは渋々星霓峰に籠もっているのだそうだ。
彼にとって凰黎はたった一人残された肉親であり弟。その弟に面差しがよく似た幼い鸞は、彼にとっても可愛くて仕方のない存在らしい。
『クエェ』
聞きなれた声が頭上で聞こえた。廊廡から顔を出すと、屋根の上に黒曜が留まっている。
「黒曜、帰ったのか?」
煬鳳が呼び掛けると黒曜は『大分あっちも落ち着いてきたからな』と言って羽ばたき煬鳳の肩に留まった。
「あ! 曜曜だ!」
目ざとく鸞が黒曜を見つけ、煬鳳に両手を突き出した。黒曜を貸して、という意図らしい。
黒曜は『クエェ』と鳴くと、いつものように鸞の腕の中にすっぽりと収まる。以前から思っていたことだが、黒曜は子供に甘い。
「曜曜、おかえり! 阿鸞はね、曜曜のこと待ってたの!」
抱きしめ頬を寄せる鸞に黒曜も頭を何度も擦り付けた。
「黒曜もお前に会いたかったって言ってるぞ、阿鸞」
「ほんと?」
煬鳳の言葉に鸞は目を輝かせ「だいすき!」ともういちど黒曜を抱きしめる。嬉しそうに小さく黒曜が鳴いたのを、煬鳳は聞き逃さなかった。
「ねえねえ。曜曜にね、ずっと見せたいものがあったんだ。このまえ探検してたときにね、見つけたの。……瑤姑娘、いまから一緒に行ってくれる?」
鸞が懇願すれば瓊瑤は微笑を浮かべ「公子がお望みなら」と手を差し伸べる。
「なあ、凰黎」
瓊瑤と手を繋ぎ、黒曜を抱えながら歩いてゆく鸞を目で追いながら煬鳳は呼び掛けた。
「何でしょう?」
「あのさ。お前の垣間見た未来は、どこまでがその通りになったんだ?」
突然投げかけられた疑問に、暫し凰黎は目を伏せ考える。
煬鳳は『答えてくれるよな?』という期待の眼差しを凰黎に向け、彼が口を開くのを待つ。
「そうですね……一つだけ……」
鸞の横顔を見つめる凰黎の眼差しは、幸せに満ちている。
「あの子が我々の元にやって来ることは、私が見た未来にはありませんでしたよ」
万晶鉱はもう存在しない。これから先のことは、誰にも分からない。
煬鳳は凰黎の手をとり指を絡ませ、いつぞや凰黎が言った言葉を思い出す。
『もう未来も過去も見る必要はないのですから。これからは貴方と共に歩む幸せな未来がある。それだけ分かっていれば十分です』
彼の言葉はいつだって的確だ。幸せないまであるからこそ、その言葉の意味が良く分かる。
「そうだな。ほんと、その通りだ」
「何がですか?」
煬鳳と凰黎と……それに愛しい幼子と。
三人で歩んでいける未来がある。仮にどんな困難が現れたとしても、絶対にあきらめることはないはずだ。
煬鳳と凰黎がそうであったように。
「いや、なんでもないよ。……やっぱり凰黎には敵わないなって思ってさ」
凰黎を抱きしめようと手を回すと、凰黎が煬鳳を抱き上げる。
煬鳳はそんな彼の首に腕を回すとぴったりと体をくっつけた。
「ほら、言った通りだろ?」
頬と頬とが触れ合う温かさを感じながら、煬鳳は凰黎に笑みを向ける。
凰黎は同意する代わりに――煬鳳の唇にその答えを残した。
<鳳凰抱鳳雛 ~鳳凰は鳳雛を抱く~ 了>
* * *
仙境に三神山なる神山あり。
蓬莱、方丈、瀛州。
元は五山なれど今となっては三山を残すのみ。
それらもまた、いずれは伝承の中に霞となりて消えゆかん。
※後日、番外編を公開するかも予定。(一つは今日公開)
(1/18追記)
週末くらいに短編(といいつつ既に1万字超えている)公開予定です。
0
お気に入りに追加
115
あなたにおすすめの小説
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
キスから始まる主従契約
毒島らいおん
BL
異世界に召喚された挙げ句に、間違いだったと言われて見捨てられた葵。そんな葵を助けてくれたのは、美貌の公爵ローレルだった。
ローレルの優しげな雰囲気に葵は惹かれる。しかも向こうからキスをしてきて葵は有頂天になるが、それは魔法で主従契約を結ぶためだった。
しかも週に1回キスをしないと死んでしまう、とんでもないもので――。
◯
それでもなんとか彼に好かれようとがんばる葵と、実は腹黒いうえに秘密を抱えているローレルが、過去やら危機やらを乗り越えて、最後には最高の伴侶なるお話。
(全48話・毎日12時に更新)
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
Ωの不幸は蜜の味
grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。
Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。
そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。
何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。
6千文字程度のショートショート。
思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる