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然后鳳凰抱鳳雛(そして鳳凰は鳳雛を抱く)
160:多生曠劫(一)
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で予定しております。
瞋九龍の身体は首が落ちたあと、みるみるうちに骨と皮になり、まるで何百年も昔からそこにあったかのように石のようになり、そして砂になった。風が吹くたびにさらさらと散ってゆき、既に彼の鎧と僅かな土くれを残すのみ。
「お爺様は……もうとうの昔に亡くなっていたのですね。恐らく、火龍に完全に乗っ取られた頃……」
じっと砂と変わりゆく瞋九龍を見ていた瞋熱燿がぽつりと零した。
「そうだな。それでも、彼が火龍を倒したことに変わりはない。彼が居なければ火龍を封印できなかったろうし、様々なことはあれど今日に至るまでこの地が無事であるはずもない。それだけは変わらない事実」
そんな瞋熱燿を慰めるように、鸞快子が続けた。
火龍の心智は失われ、睡龍の大地に横たわるのは眠れる龍の肉体のみ。
龍の身体は翳炎と共に生き続けてはいるが、龍の心は死んだのだ。二度と目覚めることはないだろう。
結果的に煬鳳は、ようやく目的を果たすことができたのだ。
万感の思いを込め、火口で燃える翳炎を煬鳳は見た。
「煬鳳」
凰黎が煬鳳の肩を抱き、煬鳳は凰黎を仰ぎ見る。
穏やかな表情の凰黎が煬鳳を見つめていた。
(終わったんだ……)
長い道のりを経て、ようやく煬鳳と黒曜は己の運命から解放されたのだ。
成り行きとはいえ、それでも頸根の痣一つからここまで大事になってしまうとは、当時の煬鳳は思いもしなかった。
五行盟がこれからどうなっていくのか、煬鳳には分からない。けれど煬鳳と凰黎の目的はようやく終わりを迎えたことになる。
「帰ろう、俺たちの小屋に」
煬鳳はもう一度凰黎を見て、抱き着いた。
「大変だ!」
返答を待つことはなく、煬鳳たちは山下より駆け上がってきた男に目を移す。男は蓬静嶺の門弟だと分かる服装をしており、恐らくは蓬静嶺を含む煬鳳たち一行を追いかけてきたのだと思われる。
よほど慌ててやってきたのか嶺主の元に辿り着く前に地面に倒れ込んでしまった。
「大丈夫ですか!?」
清粛と鼓牛が男に駆け寄って容態を確認する。清粛が男に霊気を送り込み、男はようやく落ち着きを取り戻した。
よほどの難道を通ってきたのか、袖や裾はあちこち引っ掛けて破れている。煬鳳たちは、黒炎山の頂上までの道筋をある程度把握していたため険しい場所を通ることはなかったが、あとからきた彼は知らなかったのだろう。
「た、大変です。至急……嶺主様や鸞快子様にお伝えしたいことが……!」
「いったいどうしたというのだ?」
先ほどより回復した静泰還が、門弟に歩み寄る。蓬静嶺の門弟は、静泰還がやってきたことに気づくと慌てて居住まいを正し、拝礼しようと試みた。
「いや、挨拶は不要だ。用件を先に言いなさい」
「はっ、はい……! それが、恒凰宮より至急の連絡が入り、原始の谷に押しかけた各門派が一斉に詰めかけたそうです」
まさか、と煬鳳は彼の発言を疑った。
凰神偉が行っていることも、翳黒明が共にいることも、そして何より小黄のために彼らが連れ立って原始の谷に行ったのだ。そして彼らが先を急いだ理由、それは原始の谷へ続く道の封印が解けてしまったことで、他の門派が詰めかけることを予想していたからでもある。
つまり、門派が押しかけるところまでは承知のうえであって既に煬鳳たちにもそれは伝えてあり、わざわざ連絡することではないはずだ。
ならばなぜ、と考える。
「そして原始の谷の封印が解かれたことにより、他門派のものたちは万晶鉱を見つけ出したとのこと」
「なんだって!?」
煬鳳は動揺のあまり大きな声で叫んでしまった。
万晶鉱は危険な代物だ……どれほど危険かは既に凰黎が幼い頃の話からも、そして彩鉱門の彩藍方からも嫌というほど聞いている。
それなのに――万晶鉱を見つけたという話が本当なら、大変なことになってしまうだろう。
「それで、万晶鉱を見つけた人たちは大丈夫なのですか?」
「公子、それが……」
急に門弟の表情が沈痛な面持ちに変わる。
「万晶鉱に触れたものはみな、目から耳から、ありとあらゆるところから血を流し、絶叫しながら倒れ伏したそうです……!」
まさか起きて欲しくない出来事のうち、最も最悪な事態が起こってしまうなど、いったい誰が予想しただろうか?
万晶鉱の事実を知る煬鳳や凰黎、そして彩藍方を含む彩鉱門の門弟たちはみな言葉を失ってしまった。
万晶鉱に触れた人々も心配だが、最も大きな懸念事項は他にある。それは、押しかけた彼らを抑えるはずの、凰神偉と翳黒明、それに彼らと共にいる小黄の状況だ。彼らがいるならば、きっと原始の谷を開くなどということはしないはずだ。しかし現実は門派の者たちが開いた原始の谷になだれ込み、万晶鉱に触れたという。
小黄は、凰神偉は、それに翳黒明は無事なのか――?
「……かなきゃ……」
はやる気持ちを抑えながら、煬鳳は呟く。
「行かなきゃ……原始の谷に! みんなを助けないと、止めないと!」
煬鳳は立ち上がって凰黎を、そして鸞快子に訴える。
「小黄も、凰神偉も……それに黒明も心配だ。みんな無事なのか、確かめないと! それに、倒れた人たちも……! 今すぐ!」
「煬鳳、落ち着いて。状況を整理しましょう」
いつになく冷静な声で凰黎が言う。
なぜ?
「落ち着いてなんていられないよ! だって。お前の兄貴だってどうなってるか分からないんだぞ!? それに、小黄だって……」
「この状況はどこか奇妙です。恐らく兄上や翳黒明たちすらも手玉に取るような力が――」
煬鳳は急速に己の視界が暗くなっていくことに気づいた。目の前にいるはずの凰黎の顔が歪んで見えないし、だんだんぼやけて暗闇に溶けてゆく。
(なんだ、いったいどうしたんだ!?)
焦って何かを言おうとすると、今度は固い地面に放り出されてしまった。
「いてっ!」
再び視界が明るくなったとき、煬鳳は見たこともない場所にいることに気づく。
洞窟の中にもかかわらず、周囲は異常なほどに明るい。不思議に思ったが、その理由はすぐに判明した。
周囲を見回せば、まるで鏡のような岩があたり一面を埋め尽くしている。どの岩も磨かれた鏡のように壁一面を埋め尽くす自身を映し出し、眩いほどに瞬いているのだ。
まさか、本当に鏡なのか?
そんなことを思いながら煬鳳は壁から突き出した結晶のようなものに触れようとした。
「止めるんだ! 触れてはいけない!」
叫ぶ声に驚いて手を止め、煬鳳は声の主に振り返る。いつの間にか洞窟の中には多数の門派の面々がいて、興味津々の顔で銀色の鉱石を凝視している。
(あれは……?)
声の主は凰神偉だった。彼は門派の面々を必死で宥め、なんとか止めようとしているのだ。
「万晶鉱は容易に触れて良いものではない。人の身で扱うならば、相応の技術が必要なのだ! 悪いことは言わない。その手をどけて、万晶鉱に触れるのは止しなさい」
凰神偉は横柄な門派の長老や掌門たちに対して、必死で万晶鉱の危険性を解いている。煬鳳はなぜ彼らがそこまで万晶鉱を危険視するかという理由をよく知っているが、彼らは何も知らないのだ。
(待てよ? ってことは……ここは原始の谷なのか? この中のきらきらした鉱石は、もしかして万晶鉱!?)
思えば眩しいばかりに輝く結晶の数々は、言い伝えられる原始の谷の姿によく似ている。凰黎の話してくれた幼い頃の話と照らし合わせても、ここが『万晶鉱』の眠る原始の谷であるということが最も的確な解に思えた。
しかし、なぜ黒炎山にいたはずの自分が原始の谷にいるのだろうか。皆目見当がつかない。煬鳳は必死で思い出そうと頑張ったが、それより目の前のことを解決する方が先決だと考え直す。
「万晶鉱は災いを呼ぶ! 触ったらきっと後悔するぞ!」
叫んだのは翳黒明だ。
(あれ? でも、おかしいな)
確かに翳黒明のはずなのだが、煬鳳の知っている彼と少し異なっている。翳黒明は翳白暗の身体を借りて蘇ったはずなのだが、目の前にいる翳黒明は彩鉱門の公子、彩菫青の姿をしているのだ。
纏う衣袍も翳白暗と一つになる以前と変わらず、何よりも二人にとってかけがえのない『約束の花』の髪飾りも着けていない。
そして一番煬鳳が気になったのは、小黄がいないこと。
凰神偉と翳黒明がいるにもかかわらず――小黄の姿がどこにも見えないのだ。
(いったいどういうことなんだ?)
答えは出ない。
しかし門派と双宮の諍いはだんだん激しくなって、しまいに彼らでは抑えきれないほどの事態に陥ってしまった。
「お前ら恒凰宮は自由に原始の谷を開けられるんだからいいよな!」
「万晶鉱という貴重な鉱石を独り占めしようなんて、ふざけた奴らだ!」
「俺たち門派にだって、万晶鉱を手に入れる権利があるはずだ!」
「そうだそうだ!」
他門派の面々は、とにかく伝説の万晶鉱をいまこそ手に入れんとするため、凰神偉たちが止めるのも聞かず「いいから万晶鉱を寄越せ」と繰り返すばかり。
どうやら彼らは恒凰宮だけで原始の谷の封印を開くことができると思っているようだ。翳黒明が誰であるかも恐らくは気づいていないのだろう。
「万晶鉱に触れれば、この先に起こる出来事を知ることができるとか」
「私も聞きましたぞ! なんでも触れれば恒久の叡智が手に入り、この世の全てを知ることができるのだと!」
「それは素晴らしい!」
湾曲された伝承を頼りに、知見派の門派である長老たちが口々に意見する。彼らはどうやら万晶鉱の伝説の一つ、知識や授けられ未来を予見する力があると思っているようだ。
(半分は当たっているが、半分は違う……)
恒凰宮を責め立てる声は大きくなるばかりで、収拾を付けたくてもどうにもならない。そのうちに痺れを切らした門派の者たちが凰神偉の制止も聞かずに万晶鉱をつかんだ。
「ぎゃあああ!」
響き渡る幾多の絶叫と、血を流し倒れる男たち。その中には悍ましい光景に驚くあまり、後退った先で万晶鉱に触れてしまったものもいる。
しかしみな行きつく先は、目から鼻から血を流し、絶叫と共に崩れ落ちるだけ。
苦しみのあまり首を斬るもの、目に手を突っ込んで目玉を抉るもの。血を吐いて倒れたきり動かないもの。
阿鼻叫喚の地獄絵図が眼前に広がってゆく。仲には恒凰宮への呪いの言葉を口にしながら尽き果てるものもいた。
「うぎゃああああ!」
奇声をあげた男の一人が凰神偉に襲い掛かる。横から淡青の影が素早く飛び出したかと思えば、神侯が男たちを切り裂いた。
「凰黎!」
凰神偉が凰黎に呼びかける。
「兄上、ご無事ですか?」
「こちらは問題ない。そちらはどうだ?」
凰黎は沈痛な面持ちで目を伏せ首を振った。
「予想通り、みな万晶鉱の持つ森羅万象の理を受けきれず、誰一人無事であるものはおりませんでした。誰か一人でも息があるものが残っていれば良いのですが……」
凰神偉は「やはり」と呟き、深い溜め息を漏らす。万晶鉱がどのようなものであるかを知っていた恒凰宮だからこそ予見できた事態だったのだが、結局止めることができなかったのは肩を落とすしかないのだろう。
「こちらも概ね似たり寄ったりというところだ。しかし……恐れていたことが起こってしまったか。いったいなぜ……」
「原始の谷の封印は解けなかったのですよね?」
「その通りだ。翳冥宮の小宮主の魂魄が宿る身体は彼の一族と全く無縁のものであった。それゆえ原始の谷を開くことが叶わなかったのだ」
いったい自分は何を見ているのだろうか。煬鳳は何が起こっているのか分からず、言葉を発することができなかった。
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「お爺様は……もうとうの昔に亡くなっていたのですね。恐らく、火龍に完全に乗っ取られた頃……」
じっと砂と変わりゆく瞋九龍を見ていた瞋熱燿がぽつりと零した。
「そうだな。それでも、彼が火龍を倒したことに変わりはない。彼が居なければ火龍を封印できなかったろうし、様々なことはあれど今日に至るまでこの地が無事であるはずもない。それだけは変わらない事実」
そんな瞋熱燿を慰めるように、鸞快子が続けた。
火龍の心智は失われ、睡龍の大地に横たわるのは眠れる龍の肉体のみ。
龍の身体は翳炎と共に生き続けてはいるが、龍の心は死んだのだ。二度と目覚めることはないだろう。
結果的に煬鳳は、ようやく目的を果たすことができたのだ。
万感の思いを込め、火口で燃える翳炎を煬鳳は見た。
「煬鳳」
凰黎が煬鳳の肩を抱き、煬鳳は凰黎を仰ぎ見る。
穏やかな表情の凰黎が煬鳳を見つめていた。
(終わったんだ……)
長い道のりを経て、ようやく煬鳳と黒曜は己の運命から解放されたのだ。
成り行きとはいえ、それでも頸根の痣一つからここまで大事になってしまうとは、当時の煬鳳は思いもしなかった。
五行盟がこれからどうなっていくのか、煬鳳には分からない。けれど煬鳳と凰黎の目的はようやく終わりを迎えたことになる。
「帰ろう、俺たちの小屋に」
煬鳳はもう一度凰黎を見て、抱き着いた。
「大変だ!」
返答を待つことはなく、煬鳳たちは山下より駆け上がってきた男に目を移す。男は蓬静嶺の門弟だと分かる服装をしており、恐らくは蓬静嶺を含む煬鳳たち一行を追いかけてきたのだと思われる。
よほど慌ててやってきたのか嶺主の元に辿り着く前に地面に倒れ込んでしまった。
「大丈夫ですか!?」
清粛と鼓牛が男に駆け寄って容態を確認する。清粛が男に霊気を送り込み、男はようやく落ち着きを取り戻した。
よほどの難道を通ってきたのか、袖や裾はあちこち引っ掛けて破れている。煬鳳たちは、黒炎山の頂上までの道筋をある程度把握していたため険しい場所を通ることはなかったが、あとからきた彼は知らなかったのだろう。
「た、大変です。至急……嶺主様や鸞快子様にお伝えしたいことが……!」
「いったいどうしたというのだ?」
先ほどより回復した静泰還が、門弟に歩み寄る。蓬静嶺の門弟は、静泰還がやってきたことに気づくと慌てて居住まいを正し、拝礼しようと試みた。
「いや、挨拶は不要だ。用件を先に言いなさい」
「はっ、はい……! それが、恒凰宮より至急の連絡が入り、原始の谷に押しかけた各門派が一斉に詰めかけたそうです」
まさか、と煬鳳は彼の発言を疑った。
凰神偉が行っていることも、翳黒明が共にいることも、そして何より小黄のために彼らが連れ立って原始の谷に行ったのだ。そして彼らが先を急いだ理由、それは原始の谷へ続く道の封印が解けてしまったことで、他の門派が詰めかけることを予想していたからでもある。
つまり、門派が押しかけるところまでは承知のうえであって既に煬鳳たちにもそれは伝えてあり、わざわざ連絡することではないはずだ。
ならばなぜ、と考える。
「そして原始の谷の封印が解かれたことにより、他門派のものたちは万晶鉱を見つけ出したとのこと」
「なんだって!?」
煬鳳は動揺のあまり大きな声で叫んでしまった。
万晶鉱は危険な代物だ……どれほど危険かは既に凰黎が幼い頃の話からも、そして彩鉱門の彩藍方からも嫌というほど聞いている。
それなのに――万晶鉱を見つけたという話が本当なら、大変なことになってしまうだろう。
「それで、万晶鉱を見つけた人たちは大丈夫なのですか?」
「公子、それが……」
急に門弟の表情が沈痛な面持ちに変わる。
「万晶鉱に触れたものはみな、目から耳から、ありとあらゆるところから血を流し、絶叫しながら倒れ伏したそうです……!」
まさか起きて欲しくない出来事のうち、最も最悪な事態が起こってしまうなど、いったい誰が予想しただろうか?
万晶鉱の事実を知る煬鳳や凰黎、そして彩藍方を含む彩鉱門の門弟たちはみな言葉を失ってしまった。
万晶鉱に触れた人々も心配だが、最も大きな懸念事項は他にある。それは、押しかけた彼らを抑えるはずの、凰神偉と翳黒明、それに彼らと共にいる小黄の状況だ。彼らがいるならば、きっと原始の谷を開くなどということはしないはずだ。しかし現実は門派の者たちが開いた原始の谷になだれ込み、万晶鉱に触れたという。
小黄は、凰神偉は、それに翳黒明は無事なのか――?
「……かなきゃ……」
はやる気持ちを抑えながら、煬鳳は呟く。
「行かなきゃ……原始の谷に! みんなを助けないと、止めないと!」
煬鳳は立ち上がって凰黎を、そして鸞快子に訴える。
「小黄も、凰神偉も……それに黒明も心配だ。みんな無事なのか、確かめないと! それに、倒れた人たちも……! 今すぐ!」
「煬鳳、落ち着いて。状況を整理しましょう」
いつになく冷静な声で凰黎が言う。
なぜ?
「落ち着いてなんていられないよ! だって。お前の兄貴だってどうなってるか分からないんだぞ!? それに、小黄だって……」
「この状況はどこか奇妙です。恐らく兄上や翳黒明たちすらも手玉に取るような力が――」
煬鳳は急速に己の視界が暗くなっていくことに気づいた。目の前にいるはずの凰黎の顔が歪んで見えないし、だんだんぼやけて暗闇に溶けてゆく。
(なんだ、いったいどうしたんだ!?)
焦って何かを言おうとすると、今度は固い地面に放り出されてしまった。
「いてっ!」
再び視界が明るくなったとき、煬鳳は見たこともない場所にいることに気づく。
洞窟の中にもかかわらず、周囲は異常なほどに明るい。不思議に思ったが、その理由はすぐに判明した。
周囲を見回せば、まるで鏡のような岩があたり一面を埋め尽くしている。どの岩も磨かれた鏡のように壁一面を埋め尽くす自身を映し出し、眩いほどに瞬いているのだ。
まさか、本当に鏡なのか?
そんなことを思いながら煬鳳は壁から突き出した結晶のようなものに触れようとした。
「止めるんだ! 触れてはいけない!」
叫ぶ声に驚いて手を止め、煬鳳は声の主に振り返る。いつの間にか洞窟の中には多数の門派の面々がいて、興味津々の顔で銀色の鉱石を凝視している。
(あれは……?)
声の主は凰神偉だった。彼は門派の面々を必死で宥め、なんとか止めようとしているのだ。
「万晶鉱は容易に触れて良いものではない。人の身で扱うならば、相応の技術が必要なのだ! 悪いことは言わない。その手をどけて、万晶鉱に触れるのは止しなさい」
凰神偉は横柄な門派の長老や掌門たちに対して、必死で万晶鉱の危険性を解いている。煬鳳はなぜ彼らがそこまで万晶鉱を危険視するかという理由をよく知っているが、彼らは何も知らないのだ。
(待てよ? ってことは……ここは原始の谷なのか? この中のきらきらした鉱石は、もしかして万晶鉱!?)
思えば眩しいばかりに輝く結晶の数々は、言い伝えられる原始の谷の姿によく似ている。凰黎の話してくれた幼い頃の話と照らし合わせても、ここが『万晶鉱』の眠る原始の谷であるということが最も的確な解に思えた。
しかし、なぜ黒炎山にいたはずの自分が原始の谷にいるのだろうか。皆目見当がつかない。煬鳳は必死で思い出そうと頑張ったが、それより目の前のことを解決する方が先決だと考え直す。
「万晶鉱は災いを呼ぶ! 触ったらきっと後悔するぞ!」
叫んだのは翳黒明だ。
(あれ? でも、おかしいな)
確かに翳黒明のはずなのだが、煬鳳の知っている彼と少し異なっている。翳黒明は翳白暗の身体を借りて蘇ったはずなのだが、目の前にいる翳黒明は彩鉱門の公子、彩菫青の姿をしているのだ。
纏う衣袍も翳白暗と一つになる以前と変わらず、何よりも二人にとってかけがえのない『約束の花』の髪飾りも着けていない。
そして一番煬鳳が気になったのは、小黄がいないこと。
凰神偉と翳黒明がいるにもかかわらず――小黄の姿がどこにも見えないのだ。
(いったいどういうことなんだ?)
答えは出ない。
しかし門派と双宮の諍いはだんだん激しくなって、しまいに彼らでは抑えきれないほどの事態に陥ってしまった。
「お前ら恒凰宮は自由に原始の谷を開けられるんだからいいよな!」
「万晶鉱という貴重な鉱石を独り占めしようなんて、ふざけた奴らだ!」
「俺たち門派にだって、万晶鉱を手に入れる権利があるはずだ!」
「そうだそうだ!」
他門派の面々は、とにかく伝説の万晶鉱をいまこそ手に入れんとするため、凰神偉たちが止めるのも聞かず「いいから万晶鉱を寄越せ」と繰り返すばかり。
どうやら彼らは恒凰宮だけで原始の谷の封印を開くことができると思っているようだ。翳黒明が誰であるかも恐らくは気づいていないのだろう。
「万晶鉱に触れれば、この先に起こる出来事を知ることができるとか」
「私も聞きましたぞ! なんでも触れれば恒久の叡智が手に入り、この世の全てを知ることができるのだと!」
「それは素晴らしい!」
湾曲された伝承を頼りに、知見派の門派である長老たちが口々に意見する。彼らはどうやら万晶鉱の伝説の一つ、知識や授けられ未来を予見する力があると思っているようだ。
(半分は当たっているが、半分は違う……)
恒凰宮を責め立てる声は大きくなるばかりで、収拾を付けたくてもどうにもならない。そのうちに痺れを切らした門派の者たちが凰神偉の制止も聞かずに万晶鉱をつかんだ。
「ぎゃあああ!」
響き渡る幾多の絶叫と、血を流し倒れる男たち。その中には悍ましい光景に驚くあまり、後退った先で万晶鉱に触れてしまったものもいる。
しかしみな行きつく先は、目から鼻から血を流し、絶叫と共に崩れ落ちるだけ。
苦しみのあまり首を斬るもの、目に手を突っ込んで目玉を抉るもの。血を吐いて倒れたきり動かないもの。
阿鼻叫喚の地獄絵図が眼前に広がってゆく。仲には恒凰宮への呪いの言葉を口にしながら尽き果てるものもいた。
「うぎゃああああ!」
奇声をあげた男の一人が凰神偉に襲い掛かる。横から淡青の影が素早く飛び出したかと思えば、神侯が男たちを切り裂いた。
「凰黎!」
凰神偉が凰黎に呼びかける。
「兄上、ご無事ですか?」
「こちらは問題ない。そちらはどうだ?」
凰黎は沈痛な面持ちで目を伏せ首を振った。
「予想通り、みな万晶鉱の持つ森羅万象の理を受けきれず、誰一人無事であるものはおりませんでした。誰か一人でも息があるものが残っていれば良いのですが……」
凰神偉は「やはり」と呟き、深い溜め息を漏らす。万晶鉱がどのようなものであるかを知っていた恒凰宮だからこそ予見できた事態だったのだが、結局止めることができなかったのは肩を落とすしかないのだろう。
「こちらも概ね似たり寄ったりというところだ。しかし……恐れていたことが起こってしまったか。いったいなぜ……」
「原始の谷の封印は解けなかったのですよね?」
「その通りだ。翳冥宮の小宮主の魂魄が宿る身体は彼の一族と全く無縁のものであった。それゆえ原始の谷を開くことが叶わなかったのだ」
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