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無常因果的終結(終末)

154:屍山血河(二)

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ヤン殿。一つ、いいですか?」

 丁度馬車から降りたところで煬鳳ヤンフォンは、あとから出てきた清粛チンスウに呼び止められた。

「なんだ?」
ヤン殿は黒炎山こくえんざんで暮らしていたのですよね?」
「ああ。本当に子供の頃だけ、だけどな」

 煬鳳ヤンフォン清粛チンスウの問いかけに頷く。煬鳳ヤンフォン黒炎山こくえんざんで暮らしていたことは、既に五行盟ごぎょうめいでも話したことだ。今さら隠す必要はなにもない。
 俯き暫し躊躇ったあと、清粛チンスウは再び顔をあげた。

「その……頂上まではあとどれくらいなのでしょうか? ……ウー谷主こくしゅはかなり弱っておられます。意地と気力と責任感から黒炎山こくえんざん行きを申し出られましたが、とてもいまの状態では頂上まで持つとは……」

 清粛チンスウは悲痛な表情で首を振る。
 長い間閉じ込められていた吾太雪ウータイシュエは、いまこうして馬車に乗っているのが奇跡的なほど弱っているのだ。

「せめて索冥花さくめいかがあれば……」

 ぽろっと言いかけた清粛チンスウは、残りの全てを煬鳳ヤンフォンに飲ませてしまったことをすぐに思い出し、「申し訳ありません!」と慌てて煬鳳ヤンフォンに謝罪した。

「いや、俺もお前に索冥花さくめいかを分けて貰った身だからさ。謝らないでくれよ」

 気まずい空気の中、頭を下げる清粛チンスウ煬鳳ヤンフォンは止める。

「自分で差し上げたものをあとからどうこう言うなんて、本当にお恥ずかしい限りで申し開きもありません。私とて医術に携わる身。……他に薬ならいくらでもあります。必ず、ウー谷主こくしゅのお体の苦痛を少しでも和らげ回復できるよう努力いたします!」
「ならさ。吾谷主ウーこくしゅのことは俺が見ててやるから、清粛チンスウはこの辺りで使える薬草がないか見てきたらどうだ? 結構使えるの生えてると思うぞ」

 煬鳳ヤンフォンたちの会話に入ってきたのは彩藍方ツァイランファンだ。幼い頃から黒炎山こくえんざんで暮らしていたこともあって、彼の表情はいつもと変わらず平然としている。馬に乗る者も多い中、彼は徒歩でずっと煬鳳ヤンフォンたちの馬車と共に歩いてきたが、彼は他の者たちほど疲れてはいないらしい。
 清粛チンスウ煬鳳ヤンフォン彩藍方ツァイランファン、二人を交互に見やる。だが迷っている暇はないと判断したらしい。

「では……ツァイ二公子、お願いいたします!」

 頭を下げ清粛チンスウは、小走りに森の奥へと走って行った。
 煬鳳ヤンフォンはおもむろに彩藍方ツァイランファンに語り掛ける。

「今の話、本当なのか?」
「もちろんさ。……まえにいくつか宝器作ったときに錬丹術の実験がてら、ちょっと材料探しに出たんだよ。そうしたらビックリするような薬草ばかり生えてて驚いたんだ」
「そういや、いま思えばあんまり見ない草木が色々生えてたな。小さかったんでなにも気にしたことなかったけど」

 煬鳳ヤンフォン黒炎山こくえんざんの麓の森には様々な草が生えていたことを思い出した。幼かった煬鳳ヤンフォンはもっぱらそこに生えているもののうち、食べられるものを探すことに必死だったし、それがいかに貴重なものであったかなど当時はなにも分からなかったのだが。

黒炎山こくえんざんは火龍や黒冥翳魔こくめいえいまの力、それに火山本来の力とか……とにかく色んなものがこの辺り一帯に影響を及ぼしているんだ。俺たち彩鉱門さいこうもん鋼劍こうけんの人たちがその地熱を利用したことで優れた武器を作り出していたように、麓の森にもその恩恵は表れていたってことさ」
「その割には薬草を探しに来る奴はいなかったな」
「……多分、黒炎山こくえんざんが曰く付きの山なんで、わざわざ薬草を採りに来る奴もいなかったんだろうな。価値を知ってる奴が見たら目ん玉ひんむくぜ」

 黒炎山こくえんざんはかつて噴火で近隣の村にも大きな被害を与えている。近寄りたくないと思うのは当然だろう。
 なるほどなあ、などと感心していると、彩藍方ツァイランファンに頭を小突かれた。

煬鳳ヤンフォン。俺は清粛チンスウの代わりに吾谷主こくしゅの様子を見てないといけないからさ。お前は凰黎ホワンリィと一緒に少し休んで来いよ。このあとは暫く二人でゆっくりも出来ないだろうしな」

 凰黎ホワンリィは二人の会話を邪魔しないようにか、少し離れた場所で煬鳳ヤンフォンを待っている。それに気づいた彩藍方ツァイランファンの、彼なりの気遣いなのだろう。

「有り難う。そうさせてもらうよ」

 彩藍方ツァイランファンの申し出に礼を言うと、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィと連れ立って休めるところがないかと辺りを見回す。近くには川が流れている。その川の周りにはで馬に水を飲ませたり、自らもまた水を飲む者もいるようだ。

煬鳳ヤンフォン、喉が渇いていませんか? 川の脇で我々も休みましょう」

 煬鳳ヤンフォンを気遣うように凰黎ホワンリィは彼の手を取る。手を引かれるままに煬鳳ヤンフォンは傍にある岩に腰を下ろした。

 遠くのほうでは静泰還ジンタイハイ彩鉱門さいこうもん掌門しょうもんである彩天河ツァイティエンホアが何やら話をしている。休憩中とはいえ彼らはここにいる門弟たち全てを率いる身。他の者たちと同じようには休むことはできないのだろう。

「こんな悠長にしていて、大丈夫かな」

 瞋九龍チェンジューロンのほうが先に黒炎山こくえんざんへ向かったことを考えるといささか不安にもなる。しかし休まず動き続けることは難しい。自分一人ならまだしも、同行する者たちがいるのだから当然だ。

「大丈夫かといえば、決して安心はできないでしょうね」
「だよな……」

 言葉とは裏腹に、凰黎ホワンリィの口調は落ち着いている。
 瞋九龍チェンジューロンと共に山頂を目指す者たちの中には、霆雷門ていらいもん雷閃候レイシャンホウ雷靂飛レイリーフェイもいる。鬱陶しい奴らではあるが、それでも火龍の餌になるようなことがあれば寝覚めが悪い。

 そんな不安を察するかのように凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンの手を握る。顔をあげた先にいるのは、普段と変わらずに淡雅な表情を湛える凰黎ホワンリィだ。

「ですが、先に向かった瞋九龍チェンジューロン率いる五行盟ごぎょうめいの面々もまた、休まねばならないのは我々と同じです。瞋九龍チェンジューロン一人なら無茶もできるのでしょうが、盟主という体裁を考えれば門弟たちを気遣うことはしなければならないかと。そうでなかったら、たとえ自分の体が復活するための捨て石だったとしても、それまでに逃げられてしまうでしょうし……ね」

 決して楽観視はできないが、それでも凰黎ホワンリィの言葉に少しだけ心が軽くなる。

凰黎ホワンリィの言う通りだな。途中で逃げられたら元も子もないよな。……有り難う、凰黎ホワンリィ
「いいえ。……レイ公子とは共に清林峰せいりんほうで事件を解決したこともあります。私も彼らの命を無駄に散らしたいとは思いませんから……そうでしょう?」
「うん。あいつらは面倒な奴だけど、なんだかんだ五行盟ごぎょうめいにいるときも俺のこと気に掛けてくれたしさ。少なくとも火龍の餌にはしたくないな」
「私も同感です」

 煬鳳ヤンフォンの頭を抱きよせた凰黎ホワンリィは控えめに煬鳳ヤンフォンの頭を撫でる。急にそんなことをされたので煬鳳ヤンフォンは驚いて固まってしまう。

「きゅ、急にどうしたんだ?」

 その理由が分からずに煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィに問いかけた。

「恋人の頭を撫でるのに理由が必要ですか?」
「……ない」
「でしょう?」

 ない。
 しかし分からない。

 凰黎ホワンリィという人は急に距離が近づいたと思うと、途方もないほど遠くに感じることのある人だ。

(まあ、考えてみれば仙界せんかいから偉いやつが凰黎ホワンリィを連れ帰ろうとするほどの逸材、なんだもんなあ)

 非凡とはいえあくまで煬鳳ヤンフォンは人の範疇であって、人界にんかいを超えて使者がやってくる凰黎ホワンリィは人の範疇を完全に超えている。
 ときおり凰黎ホワンリィという人の存在が、とても遠く感じられてしまうのは彼のそういったことに由来しているのかもしれない。

 だとしたら――とても彼は孤独なのだろう。
 常に強くて闊達な彼が、煬鳳ヤンフォンにだけ見せた小さな弱さ。恒凰宮こうおうきゅうでの出来事は、何度も超えた二人の夜のなかで忘れられない夜だった。

(俺は、凰黎ホワンリィのこと励まして、元気づけてやりたかったけど、できてるのかな……?)

 そんな不安もちらついている。

「なあ、凰黎ホワンリィ?」
「どうしました?」

 いつもの笑顔を向ける凰黎ホワンリィの耳元で煬鳳ヤンフォンは囁く。

「俺は凰黎ホワンリィのことちゃんと……大事にしてるか? 凰黎ホワンリィが辛いとき、支えられてるか?」
「突然どうしたんです?」
「いや、ただ心配になっただけだ。……これから瞋九龍チェンジューロンとやりあわないといけない。はじめは火龍を鎮めるだけのはずだったけど、あいつの意志が瞋九龍チェンジューロンの中にあるのなら、絶対に避けて通ることのできない戦いだ。だから……」

 瞋九龍チェンジューロンの強さは本物だ。中身が火龍であるのなら尚更なのかもしれないが、その強さは圧倒的で、皆が語り継ぐ伝説の英雄そのものだった。

 ――勝てるか分からない。

 数ある門派の名だたる面々も瞋九龍チェンジューロンの討伐隊にはいるのだが、彼らの力をもってしても果たして瞋九龍チェンジューロンを抑えられるのか。
 瞋砂門しんしゃもんで彼と相対したときのことを思い出すと、不安は拭えない。
 だからこそ、今のうちに確かめたい。自分は彼にとって良い伴侶であるのか、と。

「私は……」

 凰黎ホワンリィの手が、煬鳳ヤンフォンの頬に触れた。どきりとして思わず煬鳳ヤンフォンは肩を竦めた。優しく労わるように、何度も頬を撫でつける。頬を滑る掌が心地よくもあり、同時に煬鳳ヤンフォンはいいようもない胸騒ぎも覚えた。

「私は貴方がいつも傍にいて元気な笑顔を見せてくれるのなら、十分すぎるほど元気づけられます。貴方の胸が鼓動を刻む音が聞こえたら、それが何よりの支えになるでしょう。掌の温かさを感じること、頬に触れられること……心と体が繋がっていると感じられること。どれも私にとってこの上ない幸せであり、勇気であり、支えです」
「お、大げさだな……」

 随分と仰々しく並べ立てられて、逆に煬鳳ヤンフォンのほうが恥ずかしくなってきた。堪らずに顔をそらそうとすると、凰黎ホワンリィの瞳が煬鳳ヤンフォンの目に映る。

凰黎ホワンリィ……?」

 煬鳳ヤンフォンを見つめた彼の瞳は、どこか憂いを帯びていた。
 何故そんな表情をするのかと問おうとすれば、瞬く間に悪戯めいたいつもの笑顔に戻っている。

「貴方は粗暴に見えて案外義理堅く、意外なことに誠実です」
「……」

 いまの『案外』と『意外なことに』は必要だったのだろうか。

「ですが無鉄砲で向こう見ずなところはいけません。……これから瞋九龍チェンジューロンと対峙することになります。そのときはどうか、自分を大切にして下さい。約束して」
「……分かった。約束するよ」

 煬鳳ヤンフォンは素早く周りからの視線がないことを確認すると……凰黎ホワンリィを抱きしめ、その胸に顔を埋める。微かに凰黎ホワンリィが身を固くしたように思えたが、すぐに優しく抱き返された。

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