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無常因果的終結(終末)

153:屍山血河(一)

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 黒炎山こくえんざんへと続く山道を長い隊列が進んでゆく。
 煬鳳ヤンフォンたちを含めた、蓬静嶺ほうせいりょう清林峰せいりんほう彩鉱門さいこうもんの精鋭を集めた合同部隊だ。とはいえ、清林峰せいりんほうは戦うためではなくあくまで後方支援のために行動を共にしている。

 意外だったのは、蓬静嶺ほうせいりょう嶺主りょうしゅである静泰還ジンタイハイがこの隊列を率いていることだ。彼は嶺主りょうしゅの座を継いでからこれまでずっと、積極的に戦いなどに加わることはなかった。

 ――多分、嶺主りょうしゅ瞋九龍チェンジューロン清林峰せいりんほうのことを問いただす気なのだろう。

 嶺主りょうしゅの妻子を奪ったあの事件。その真偽を問いただしたいのは当然だ。
 しかし同時に凰黎ホワンリィのこともまた、煬鳳ヤンフォンは心配になる。察しの良い凰黎ホワンリィなら、静泰還ジンタイハイの思いにも当然気づいているはず。

 ――きっと、嶺主りょうしゅ様のことを心配してるだろうな……。

 とはいえ、いかに家族同然に暮らしていたとて、実の妻子の問題に凰黎ホワンリィが口を出すことは決してしないだろう。

「体はもう大丈夫なのですか?」

 そんなモヤモヤとした気持ちを抱えながら馬車に揺られていた煬鳳ヤンフォンだったが、凰黎ホワンリィに尋ねられてようやく我に返った。彼の口から発せられた言葉は、心底煬鳳ヤンフォンの体のことを心配している。

 先ほどまで体のことなど微塵も思い出すことはなく、ただ愛しい人の家族のことを考えていたなどとは言い辛い。煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィを安心させるように、努めて穏やかな声で彼に言った。

「もちろん平気だ。霊力を使うたびに熱くなるのとはまたわけが違うからな。一度落ち着けばそんなに苦労はしないよ」
「でも……」

 凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンをぎゅっと抱きしめる。
 抱きしめるというか……煬鳳ヤンフォンは彼の体を背もたれにして座っており、背後から凰黎ホワンリィに抱きしめられている状態だ。

(滅茶苦茶こっ恥ずかしい……!)

 火龍を倒しに行く道中で、なぜ抱きしめられながら馬車に乗っているのか。
 意味が分からないが、意味はある。

 黒炎山こくえんざんの動きと連動して体温が上がってしまう煬鳳ヤンフォンが、皆と一緒に歩いて黒炎山こくえんざんに向かうのは危険だ。頻繁に黒炎山こくえんざんが活動すれば、その都度煬鳳ヤンフォンも歩みを止めて苦しまなければならない。
 今のところ、そういった事態にはなっていないのが幸いではあるが。

 そんな感じで皆に心配された結果、なぜか『馬車で馳せ参じる』ことになってしまったのだ。
 とんだ特別待遇になってしまった。
 役立たずだと自分でも思うが、蓬静嶺ほうせいりょうとて無造作に嶺内に転がしておくわけにもいかないだろう。

ホワン殿の話によれば、はじめに体温が上がったのが恒凰宮こうおうきゅうでのこと。いかに火龍の目覚めが近いとはいえ、間隔から推察するに、次の地震にはまだ余裕があるはずです。恐らく黒炎山こくえんざん瞋九龍チェンジューロンと相対したとしても、次の揺れがくるのはもっとあとになると思います」

 同じく馬車の中で清粛チンスウは言った。大きな薬籠を抱える彼の隣には、吾太雪ウータイシュエが座っている。ときおり清粛チンスウに支えられながら辛うじて体制を維持している彼の表情には、まだ疲労が色濃く残っていた。

 戦うことを良しとはしない清林峰せいりんほうは、煬鳳ヤンフォン吾太雪ウータイシュエ、それに戦いで怪我をしたものがいた場合の手当てなどをするつもりなのだ。

吾谷主ウーこくしゅ、まだ座るのはお辛いでしょう。私は馬車から降りますので横になってお休み下さい」

 辛そうな彼を気遣って、清粛チンスウが言った。しかし、吾太雪ウータイシュエは自らが望んだことであるからとそれを頑なに断っている。白雪のような彼の袍服は、凰黎ホワンリィ曰くかつての彼が好んで着ていたものに似たものであるそうだが、吾太雪ウータイシュエの深刻な表情も相まってどこか死地に赴くかのような悲壮感と揺るぎない覚悟を思わせる。

 はじめ煬鳳ヤンフォンたちは吾太雪ウータイシュエ蓬静嶺ほうせいりょうで休ませておくつもりだった。しかし黒炎山こくえんざんに向かった瞋九龍チェンジューロン雪岑谷せきしんこく霆雷門ていらいもん、それに瞋砂門しんしゃもんの門弟たちを連れて行ったことが偵察部隊より知らされて、休んでいるわけにはいかなくなったのだ。

 瞋九龍チェンジューロンは間違いなく煬鳳ヤンフォン蓬静嶺ほうせいりょう清林峰せいりんほう、それに彩鉱門さいこうもんが追いかけてくることを見抜いている。

 ――復活が近い瞋九龍チェンジューロンは、本性を現したのだ。

 彼の考えはいま、手に取るようによく分かる。
 雪岑谷せきしんこく瞋砂門しんしゃもんは言うまでもなく瞋九龍チェンジューロンに従わざるを得ない。そして霆雷門ていらいもんもうまく乗せてやれば意気揚々と戦いに加わることだろう。五行盟ごぎょうめいの門派同士が争えば、誰かが呼びかけたとて聞く耳など持ちはしない。その隙をついて全ての門派を火龍の養分にする気なのだ。

『門弟たちを止められるのは儂しかおらぬ。どうか儂を瞋九龍チェンジューロンの元に連れて行って欲しい。必ず門弟たちを説得し、奴から引き剥がしてみせる』

 雪岑谷せきしんこくの門弟――末端の門弟は知らないだろうが、とりわけ一代弟子たちは彼に何が起こっているのかをよく理解している。だからこそ五行盟ごぎょうめいにおいても瞋砂門しんしゃもんに寄り添うような意見ばかりを唱えてきた。黒冥翳魔こくめいえいまのことで煬鳳ヤンフォンを糾弾したときなどが顕著だろう。

 彼らを説得するためには、吾太雪ウータイシュエの無事な姿を見せ、彼の言葉を聞かせること。それしかないのだ。
 そしてもう一つ気になること。それを確かめるために煬鳳ヤンフォン車帷しゃいを捲り、外を歩く彩藍方ツァイランファンに小声で問う。

「な、藍方ランファン瞋熱燿チェンルーヤオは? あいつはどうしてる?」
「ああ……思いつめた顔はしてるけど……大丈夫だろ、多分」

 ちらりと後方の隊列を見やって、彩藍方ツァイランファンは答える。
 昨夜、誰が黒炎山こくえんざんに向かうかという話になったとき、瞋熱燿チェンルーヤオは真っ先に手をあげた。

『僕に、行かせて下さい! お爺様が……火龍が瞋九龍チェンジューロンの姿をしている以上、瞋砂門しんしゃもんの門弟は誰一人、今回の黒炎山こくえんざん行きを疑うことはないでしょう。恐らく瞋九龍チェンジューロン黒炎山こくえんざんに集めた者たちを、かつての黒冥翳魔こくめいえいまのように火龍復活の餌にするつもりです。そうすれば復活も少し早まるでしょうから』

 瞋熱燿チェンルーヤオの言葉にみな青ざめた。瞋九龍チェンジューロンの行動は非常に分かりやすい。煬鳳ヤンフォンたちに正体を知られた以上、なりふり構ってはいられないということ。

瞋砂門しんしゃもんの中で事情を知っているのは僕しかいません。僕が黒炎山こくえんざんに行ってしまった瞋砂門しんしゃもんの門弟たちを説得します。少しでも戦力を削ることができるなら……』

 幸いにして彼の父と祖父は、険しい黒炎山こくえんざんを登るには足手まといだと判断され、瞋九龍チェンジューロンたちと黒炎山こくえんざんへは向かわなかった。それでも瞋熱燿チェンルーヤオ瞋砂門しんしゃもんの地下室の惨状を目の当たりにし、更には吾太雪ウータイシュエからの怒りを向けられて責任を感じていたのだ。

黒曜ヘイヨウ、どう思う?」

 煬鳳ヤンフォンは膝の上に座る黒曜ヘイヨウの顔を覗き込み、問いかける。せっかく煬鳳ヤンフォンと分離できたというのに、黒曜ヘイヨウは全く空を飛ぶ様子がない。先刻の地震による体温の上昇で多少なり弱っているせいもあるのだろうが、程良い温かさの膝の上が心地よく己の翼で飛ぶのが面倒くさかっただけなのではないかと煬鳳ヤンフォンは思っている。

 半分目を閉じうつらうつらと心地よさそうに眠っていた黒曜ヘイヨウは、煬鳳ヤンフォンの声で片目を開けた。

『そうだな……あいつは瞋九龍チェンジューロンの所業と気づけなかった自分たちに責任を感じている。気負い過ぎは良くないが、思ったより気概のある奴だ。瞋砂門しんしゃもんでも俺たちのことを守ろうとしてくれた。信じて任せてもいいんじゃないか』

「随分信頼してるんだな、瞋熱燿チェンルーヤオのこと」


 煬鳳ヤンフォンの膝の上にちょこんと鎮座する黒曜ヘイヨウは、体を膨らませながら『まあな』と言って胸を張る。どこからどう見ても、かつての黒冥翳魔こくめいえいまの一部であったとは誰も思うまい。

『初めは頼りないと思ったさ。でも変わろうと努力している奴をのけ者になんかできないだろう?』

 鳥の姿で大真面目にそのようなことを言うものだから、なんだか妙な感じだ。かといって、黒曜ヘイヨウの言うことは間違ってはいない。
 鸞快子らんかいしが、瞋熱燿チェンルーヤオの力を封じていた影を取り払ったことで、多かれ少なかれ彼を変えるきっかけになったのだと煬鳳ヤンフォンは思う。

(それにしても、まさかあれを見抜いたのが瞋九龍チェンジューロンだったなんて……)

 瞋砂門しんしゃもんで起きた昨晩の出来事。鸞快子らんかいしは以前瞋熱燿チェンルーヤオに『体の変化に気づいた人物が犯人』と助言はしたが、もや本当に指摘する者が現れる日が来ようとは思ってもみなかった。
 そして、見破ることができるのはよほど修為の高い人物か犯人だとも言っていたが、彼らの人生においていままで、そのことに気づく者はいなかった。ならば鸞快子らんかいしも、凰黎ホワンリィも、相当修為が高いことになる。

(俺もちょっとは、ちょっとくらいは気づいたぞ)

 心の中で煬鳳ヤンフォンは思い直す。決して煬鳳ヤンフォンとて気づかなかったわけではない、はずだ。ただ……瞋熱燿チェンルーヤオの存在感が薄すぎて、それまで彼のことを殆ど認識することはなかった。何より五行盟ごぎょうめいの関係者と知り合ったのは、霆雷門ていらいもん蓬静嶺ほうせいりょうの人々を除けばごく最近なのだ。

 不意に規則的だった馬車の動きが変化し、車体が傾く。椅子から転がり落ちそうになった煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィにしっかりと抱きかかえられてしまった。

「完全に馬車が停まるまでこのままで」

 何事かと思ったが、どうやら馬車が速度を緩めたらしい。

「早朝から走り通しで皆も馬も疲れているだろう。……少し休憩にしよう」

 鸞快子らんかいしの声が外で聞こえる。煬鳳ヤンフォンはちらりと前方に座る吾太雪ウータイシュエを見た。彼の顔色は悪く、体制を維持することはかなり困難だったのだろうと思われる。
 煬鳳ヤンフォン吾太雪ウータイシュエの前まで行くと丁寧に拝礼をした。

吾谷主ウーこくしゅ。俺たちは少し外を散歩してきます。ですから遠慮せず横になって休んで下さい。森を抜けたあとはまだ山登りが続きます。いま少しでも体を休めておかないと山頂まで体が持ちません」

 現状まだ本命の山にすら登っていないことを彼に伝え、煬鳳ヤンフォンは馬車を降りようと地面に足を降ろす。少しでもこの先が険しいものであることを理解して、大人しく吾太雪ウータイシュエが休息に専念するように。
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