上 下
155 / 177
実事求是真凶手(真犯人)

151:斬釘截鉄(一)

しおりを挟む
「皆さん!」

 鉄鉱力士てっこうりきし蓬静嶺ほうせいりょうの門前に降りるなり、清粛チンスウと彼の父である清大秧チンダーヤンが走り寄る。彼らはすぐさま瞋熱燿チェンルーヤオ吾太雪ウータイシュエが怪我をしていることに気づき、彼らの状態を見る。

清粛チンスウ! それにチン公子!」
「話はあとで、彼らを奥に運びましょう!」

 清粛チンスウの呼びかけに応じ、清林峰せいりんほうの門弟と蓬静嶺ほうせいりょうの門弟たちが二人のことを屋敷の中に運び入れた。煬鳳ヤンフォンたちも彼らを手伝おうとしたのだが、清粛チンスウたちの手際が良すぎて全く間に入る余地が無い。

阿黎アーリィ。大変だったようだな」

 二人が居たたまれなさを感じながら清粛チンスウたちの後を歩いていると、静泰還ジンタイハイがやってきた。彼の出で立ちは普段と変わらぬものであったが、その手には彼の愛剣が握られている。恐らくは、いつ襲撃があっても対処できるようにということなのだろう。

嶺主りょうしゅ様。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 頭を下げた凰黎ホワンリィに倣って煬鳳ヤンフォンも頭を下げる。しかし静泰還ジンタイハイは「そなたたちが悪いわけではない」と煬鳳ヤンフォンたちを遮った。

ツァイ二公子から聞いたとは思うが、我々も瞋九龍チェンジューロンには何かしらの隠し事があると考えていたのだ。先ほど鸞快子らんかいし国師こくし殿からの話を聞いて、疑念は確信に変わった」
嶺主りょうしゅ様。先ほど我々が運んできたのは雪岑谷せきしんこく谷主こくしゅ、吾谷主こくしゅなのです」
「なんだと……!?」

 静泰還ジンタイハイの表情が変わる。長らく閉閑修行に入っていたはずの谷主こくしゅが、まさか誰ともつかぬような状態で蓬静嶺ほうせいりょうに運び込まれるとは彼ですら思わなかったのだろう。

「詳しい話は谷主こくしゅ様の治療を終えたあとで……」

 まだ驚きを隠せない静泰還ジンタイハイではあったが、凰黎ホワンリィの言葉にすぐさま頷く。

阿黎アーリィの言う通りだ。……我々も彼らの元に向かおう。守りは塘湖月タンフーユエに任せてある」

 煬鳳ヤンフォンが振り返ると、蓬静嶺ほうせいりょうの中でも実力の高い門弟たちが門壁の周りを固めている。彼らに指示を飛ばしているのが凰黎ホワンリィの兄弟子である塘湖月タンフーユエだ。少なくとも塘湖月タンフーユエの実力は煬鳳ヤンフォンも知っている。瞋九龍チェンジューロンと互角に戦えるかは分からないが、彼なら煬鳳ヤンフォンたちが気づくまで持ちこたえることは可能だろう。
 申し訳ない――そう思いつつも一先ずこの場は彼らに任せることにしたのだった。

    * * *

 清粛チンスウの父、清大秧チンダーヤンは数少ない門弟を連れて蓬静嶺ほうせいりょうにやってきたそうだ。峰主ほうしゅ清義晗チンイーハンは前峰主ほうしゅ清樹チンシュウと共に清林峰せいりんほうを守っている。

睡龍すいりゅうのことも一大事であり決して他人事ではないが、ここには薬草や薬が沢山ある。清林峰せいりんほうをもぬけの殻にして、いざというときに何かあっては対処することもできない。我々はここに残って薬を作り続けよう、どんな怪我人がきても、不測の事態にも対処してみせる』

 清峰主チンほうしゅは万が一のことを考えて清林峰せいりんほうに残ることにしたそうだ。代わりに息子の清大秧チンダーヤンと門弟数名を孫である清粛チンスウの元に送った。
 数名というのは少なく思えるが、清林峰せいりんほうの神医であった榠聡檸ミンツォンニンは既に拘束されており、息子の榠曹ミンツァオも同様だ。元々門弟の少なかった清林峰せいりんほうからすれば数名でもかなりの人員を割いたといえよう。

清林峰せいりんほうの門弟は少ないですが、全力で皆様の援護をさせて頂きます。吾谷主ウーこくしゅのこともお任せ下さい」

 清粛チンスウは決意を込めた表情で語り、吾太雪ウータイシュエの治療を引き受けた。幸い彼の精神力は強靭で、すぐに元通りとはいかないまでも会話ができる程度には持ち直したそうだ。

 瞋熱燿チェンルーヤオも肩の怪我を手当てして貰い、震える足もいったんは落ち着いたようだが、顔色は悪い。己の門派に関わること、しかも地下室で見たあの惨状のことを何一つ知らずにいままでいたこと。自分が英雄だと思っていた瞋九龍チェンジューロンの恐ろしい形相、それらをすぐに他人事と思えるはずもないのだ。

 暫く蓬静嶺ほうせいりょうの客房で清粛チンスウたちは吾太雪ウータイシュエの手当てをしていたが、暫くすると皆を呼びに戻ってきた。どうやら吾太雪ウータイシュエが彼らに頼んだらしい。

「長時間話をするのは難しいでしょうが……どうしても皆さんに話さねばならないことがあると仰ったので」

 寝台に上体だけを起こすようにして、吾太雪ウータイシュエ煬鳳ヤンフォンたちが集まるのを待っていた。傍の盆には清大秧チンダーヤンが煎じた薬湯の器が置いてある。

「助けて頂いたうえ、このような姿でお呼び立てして申し訳ない」

 蓬静嶺ほうせいりょうで伸び放題だった髪を整え沐浴を済ませ、洗いたての衣袍を纏う彼の姿は、痩せてこそいるものの目に宿る光は強く、やはり谷主こくしゅたる威厳を感じさせた。

 瞋熱燿チェンルーヤオも肩の怪我を手当てして貰い、震える足もいったんは落ち着いたようだが、顔色は悪い。己の門派に関わること、しかも地下室で見たあの惨状のことを何一つ知らずにいままでいたこと。自分が英雄だと思っていた瞋九龍チェンジューロンの恐ろしい形相、それらをすぐに他人事と思えるはずもないのだ。

「そう仰らないで下さい。吾谷主ウーこくしゅ。我々は貴方に何があったのか、瞋砂門しんしゃもんに何が起こったのか……。国師こくし様の遣わした方のこと、聞きたいことは沢山あるのです」

 吾太雪ウータイシュエの体が辛くないようにと凰黎ホワンリィは彼の背を支え「まだお辛いでしょうが、お願いいたします」と優しく語り掛けた。

「全てお話します。まず――どこから話しましょうか……」

 目を閉じ、遠い昔を思い出すように吾太雪ウータイシュエは語りだす。

 五行盟ごぎょうめいの歴史は百年ほど。
 発足のきっかけとなる、黒冥翳魔こくめいえいまを封じた当時のことを知る者は既に五行盟ごぎょうめいを去り、瞋九龍チェンジューロン以外は残っていない。

 吾太雪ウータイシュエは現五行盟ごぎょうめいの中では静泰還ジンタイハイと比較的年齢が近く、三百年以上を生きる瞋九龍チェンジューロンに次いで年長者である。そんな彼でも生まれたときには既に瞋九龍チェンジューロンは英雄であったし、彼にとって睡龍すいりゅうの地を生み出すきっかけとなった火龍殺かりゅうさつ瞋九龍チェンジューロンといえば憧れの人物だ。

 だから彼が前雪岑谷せきしんこく谷主こくしゅの跡を継いで谷主こくしゅになり、五行盟ごぎょうめいの代表の一人として瞋九龍チェンジューロンと相対したときは得も言われぬ感情があった。
 豪快にして圧倒的。最強の男――吾太雪ウータイシュエにとって瞋九龍チェンジューロンはまさに言葉通りの人物だったのだ。彼の感動は一言では言い表すことはできない。

 その日から吾太雪ウータイシュエ五行盟ごぎょうめいのために、そして瞋九龍チェンジューロンのためにと陰に日向に邁進をつづけた。

 あるときは瞋九龍チェンジューロンの片腕として僻地に赴き、またあるときは強大な妖邪ようじゃと戦うため、命を投げ出す覚悟で彼と共に立ち向かう。伝説の英雄が己の背で戦っている。そう思うだけで吾太雪ウータイシュエは踊りだしたくなるほど心が軽く、英雄のために働けること、それが何よりも幸せであると彼は感じていた。

 些細な違和感を感じたのは二人で山奥の妖邪ようじゃを退治するために出向いたときだ。かつてないほどの凶悪さと強さを持った妖邪ようじゃと相対し、不覚にも吾太雪ウータイシュエは深手を負った。意識を失った彼が目を覚ましたときには妖邪ようじゃの気配は既になく、瞋九龍チェンジューロンが焚き木の傍に座っているだけ。

『気が付いたようだな。心配したぞ』

 吾太雪ウータイシュエが気を失っている間に、瞋九龍チェンジューロンはたった一人で妖邪ようじゃを倒したのだ。
 せっかく英雄と共に妖邪ようじゃ退治に赴いたというのに、結局彼の足手まといになってしまったと、吾太雪ウータイシュエは己の無力さを嘆いた。
 瞋九龍チェンジューロンはそんな彼に、これから強くなればいい、と優しく諭す。
 彼への感謝を感じた最中に、ふと吾太雪ウータイシュエは不可解なことに気づいた。

 ――妖邪ようじゃの死体は一体どこに?

 吾太雪ウータイシュエ瞋九龍チェンジューロン妖邪ようじゃの死骸はどこにやったのかと尋ねたのだが、彼は山の悪い気に乗っ取られてはいけないから燃やしてしまったのだと言う。彼の指し示したたき火の中には、妖邪ようじゃであった獣らしき骨があった。

 獣が変じたもの、死人が変じたもの、実体のない鬼。全てを総称して妖邪ようじゃと呼んではいるが、実際のところ彼らは細かく細分化されるのだ。

 今回退治したのは獣が変じた――実体のある妖邪ようじゃに分類される。
 確かに凶悪な妖邪ようじゃを生み出した山には、良くない気配が充満していた。死んだ妖邪ようじゃの処分すら手伝えなかった自分の無力さが情けなかったが、早めに対処しておかなければ、妖邪ようじゃは新たな陰気を吸収し再び立ち上がって襲い掛かっていたかもしれない。

 瞋九龍チェンジューロンは基本的に盟主であり、自ら戦いに赴くようなことは少なかったのだが、極端に強い妖邪ようじゃと戦うときなどは自ら先陣をきって妖邪ようじゃ退治に赴くことも多かった。
 圧倒的な強さを誇る火龍殺かりゅうさつ五行盟ごぎょうめい盟主は、彼一人でも妖邪ようじゃの大群を圧倒するほどの強さを誇る。

 いつの日であっても勝利するたび、羨望の眼差しが彼に向けられていた。
 しかし同時に疑念を感じることもないわけではない。

 突然烈火のごとく怒り散らし、理不尽に他人に当たり、修練の場では執拗に相手をいたぶり続けた。
 生きるか死ぬかの世界だからこそ、敢えての厳しさであると人は言う。
 盟主の瞳に凶悪な紅き光が灯っていたことに気づいたものは多くはない。
 その光は獣か妖邪ようじゃの目にも似て、残忍な本性を映し出しているかのようだった。

 瞋九龍チェンジューロンは日ごとに感情の起伏が激しくなってゆき、門弟や五行盟ごぎょうめい本部の者たちが宥めても収まらない日も少なくはない。それこそ、気でも触れたのかと思うほど。
 英雄色を好むというが、彼もまたあちこちの妓楼へと足を運び、幾多の女を連れ帰った。しかし、暫くすると彼の周りを取り巻いていた女たちはすっかり別の女に代わっている。

 機嫌の良いときは豪勢な食事を貪り、皆に酒をふるまい、日ごろの苦労をねぎらった。
 彼の栄光と悪評とがせめぎ合い、しかし睡龍すいりゅうの地を救った英雄であることだけは動かしがたい事実。それゆえに、いかに彼が暴虐の限りを尽くしたとしても、やはり皆はそれを耐え、彼の機嫌を取るしかない。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

フィリス・ガランの近衛生活

BL / 連載中 24h.ポイント:746pt お気に入り:295

拷問部屋

ホラー / 連載中 24h.ポイント:2,343pt お気に入り:259

異世界で双子の弟に手篭めにされたけど薬師に救われる

BL / 連載中 24h.ポイント:931pt お気に入り:376

双子の番は希う

BL / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:54

双子のカルテット

BL / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:236

オメガパンダの獣人は麒麟皇帝の運命の番

BL / 連載中 24h.ポイント:4,197pt お気に入り:510

処理中です...