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海誓山盟明和暗(不変の誓い)

131:陰謀詭秘(七)

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「申しわけございません、蓬莱ほうらい様。ですが弟は閑白シャンバイとの一戦で疲労しております。非礼を承知でお願いいたします、今日のところは仙界せんかいにお戻りください」

 凰神偉ホワンシェンウェイ蓬莱ほうらいに頭を下げ直言する。丁寧な物腰だが、絶対に引くことはないという意思のこもった声。かつては幼かったばかりに凰黎ホワンリィを見送ることしかできなかったツケを、いま取り戻そうと彼はしているのだろう。

「やれやれ。こうなっては儂が悪者のようじゃな」

 溜め息を一つついた蓬莱ほうらいの声から、殺気が抜けたように煬鳳ヤンフォンには思えた。

「今日のところはそなたの兄に免じて帰るとしよう。しかし凰黎ホワンリィ。そなたは既に人の道を外れている。このまま人界にんかいにいるよりも仙界せんかいに行く方がきっとそなたのためになるであろうよ。ゆめゆめ忘れるでないぞ」

 そう言うと蓬莱ほうらいはひらりと扇を一扇ぎする。扇いだ風から霞か雲か生まれると蓬莱ほうらいはそれを纏って空の彼方へと飛んでゆく。

「ゆめゆめ忘れるでないぞ――」

 遠くでもう一度、蓬莱ほうらいの声が聞こえた気がした。


 それから、煬鳳ヤンフォンたちは急いで彩藍方ツァイランファン彩鉱門さいこうもんへと送り出した。蓬莱ほうらいがいつ戻って来るとも分からなかったからだ。彩菫青ツァイジンチンが負った怪我も楽観視はできない。

「師兄の件が落ち着いたらまた戻ってくるからな!」

 彩藍方ツァイランファンはそう言い残し、大急ぎで鉄鉱力士てっこうりきしに乗って黒炎山こくえんざんへと帰っていった。

「騒がしい奴が減るとなんか凄い静かになったな」

 崩れかけの翳冥宮えいめいきゅうの外観を眺めながら、これまでのことを思い出す。
 模造品とはいえ、彼ら彩鉱門さいこうもん鉄鉱力士てっこうりきし閑白シャンバイの分身たちと対等にやりあっていた。口数は多くて騒がしかったが、彩藍方ツァイランファンも彼の門派も大したものだ。

 あとから知ったことだが、蓬莱ほうらいが現れたと同時か僅か前に、鸞快子らんかいし小黄シャオホワンは姿を消していた。煬鳳ヤンフォンとしては万が一のときに鸞快子らんかいしがいてくれたのなら蓬莱ほうらいを退けることができたのではないか、と思わなくもない。
 しかし、

小黄シャオホワンにはまだ秘密がある。万に一つでも蓬莱ほうらいに狙われてはいけないと思い、咄嗟に姿を隠したのだ」

 という鸞快子らんかいしの言葉にも一理ある。
 だが、それで余計に鸞快子らんかいしという人物の底知れぬ力を煬鳳ヤンフォンは思い知った。

(だって……蓬莱ほうらいですら小黄シャオホワンの存在に、いや鸞快子らんかいしと二人の存在に気づかなかったってことだろ?)

 あの蓬莱ほうらいを前にして、彼に気取られないように姿を隠す方法など、存在するのだろうか?
 けれど鸞快子らんかいしはやはり「運が良かっただけだ」と笑ってはぐらかすのだ。

 翳冥宮えいめいきゅうに溜まっていた陰気は凰神偉ホワンシェンウェイ凰黎ホワンリィが取り除いてくれた。もともと閑白シャンバイが無理やり陰気を増幅させていたことがそもそもの原因であったので、対応自体はさほど難しいものではなかったようだ。

 残念ながら煬鳳ヤンフォンにはできることがない。
 それで仕方なく、小黄シャオホワンと手を繋ぎながら彼らの働きぶりを眺めていた。

黒明ヘイミン

 ぼんやりと翳冥宮えいめいきゅうを見つめる翳黒明イーヘイミン煬鳳ヤンフォンは呼び掛ける。翳白暗イーバイアンの持つ真珠のような髪の毛は、翳黒明イーヘイミンの魂魄が入ったことにより下の方が黒くなっている。このまま魂魄が定着したら完全な黒い髪になるかもしれないが、それは翳黒明イーヘイミンが寂しがるだろう。

「お前たちには感謝してもし切れない」

 翳黒明イーヘイミンが口を開く。
 聞こえていないのではないかと思ったが、一応聞こえてはいたようだ。

「お前たちのお陰で翳冥宮えいめいきゅう白暗バイアンたちの仇を取ることができた。自分がいかに愚かだったのかも痛いほど思い知った。それでも、俺はこれから踏み出すことができる」

 翳黒明イーヘイミンは髪飾りに触れた。羊脂玉の花弁が触れ合って、さらりと音を立てながら約束の花は揺れる。夕日を受けた白い花の飾りは、きらきらと輝きを放ち美しい。

白暗バイアンと約束、したからな」

 その先を翳黒明イーヘイミンが言うことはなかったが、翳黒明イーヘイミンが何を言いたかったのか、煬鳳ヤンフォンには分かった。

「さあ、翳冥宮えいめいきゅうを包むように結界も張った。我々も恒凰宮こうおうきゅうに帰ろうか」

 凰神偉ホワンシェンウェイ凰黎ホワンリィが戻ってきたのを見つけると、鸞快子らんかいし煬鳳ヤンフォンたちに呼び掛ける。煬鳳ヤンフォンとしては原始の谷のことも気にはなったのだが、いまはそれよりとにかく疲れが勝っていた。

 黒曜ヘイヨウ翳黒明イーヘイミンのことが心配なのか、それとも共に悲しみを分かち合うためなのか、何か語るでもなく静かに翳黒明イーヘイミンの肩に留まっている。

 翳冥宮えいめいきゅう全体に結界を施した凰神偉ホワンシェンウェイ凰黎ホワンリィも、多かれ少なかれ疲れているのだろう。足取りも心なしか重く感じる。
 しかし凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンのことを気づかわし気に窺う。

煬鳳ヤンフォン、疲れているのではないですか?」
「疲れた! でも、俺より凰黎ホワンリィのほうがずっと疲れてるだろ?」

 煬鳳ヤンフォンの言葉に凰黎ホワンリィは「そうですね……」と考えている。

「疲れたといえば疲れましたが、肉体的な疲れより精神的な疲れの方が大きかったですね」

 そう言うと凰黎ホワンリィは大きく溜め息をついた。その大きさといったら、全身で溜め息をつくようなほどだ。
 蓬莱ほうらいの力はとんでもなく強い。戦わずしてそれが理解できる程には凄かったのだ。
 そんな人物を前にして、凰黎ホワンリィは誰一人傷つかないようにと必死で堪えていた。

(一番辛かったのは、きっと凰黎ホワンリィだったろうに……)

 すべてを推し量ることはできないが、あのときの凰神偉ホワンシェンウェイ凰黎ホワンリィ、二人の恨事の念はいかほどであっただろうか。煬鳳ヤンフォンは彼らの心が少しでも楽になればと努めて明るい口調で同意した。

「まあ、俺も初めてあの蓬莱ほうらいって爺さんに会ったけど……大して言葉を交わしたわけでもないのに凄い疲れたよ」
「でしょう?」

 凰黎ホワンリィから笑顔が漏れる。自分の苦労が少しでも理解されて嬉しかったのだろう。煬鳳ヤンフォンは大きく頷き言葉を続けた。

「うんうん! それに凄い不気味だった。なんであいつ、そこまで凰黎ホワンリィに執着するんだ? 有能なやつなんていくらでもいるだろ? ちょっと異常なくらいのしつこさじゃないか?」

 なぜなのか、凰黎ホワンリィの表情が微かに曇る。

「それは……それだけの秘密を私が持っている、ということですよ」
「秘密?」

 躊躇いと気まずさをない交ぜにしたような顔で、凰黎ホワンリィは頷く。その言葉の続きを煬鳳ヤンフォンは待っていたが、結局凰黎ホワンリィから次の言葉は出てこない。

(不味いこと聞いちゃったかな……)

 すぐに話を変えようと、煬鳳ヤンフォンは言葉を探すのだが、焦れば焦るほど頭の中は真っ白だ。
 そんな時煬鳳ヤンフォンたちの背後から翳黒明イーヘイミン凰神偉ホワンシェンウェイの声が聞こえてきた。

「さっきのあいつ……仙人だっけか? ああいうお高いところにいる奴は何から何まで信用ならないな。閑白シャンバイの件だって知らないというのも正直に言えば怪しいものだ。白暗バイアンのことだって都合のいい道具としか見ていなかったんだろうな」
「全く持って同感だ。彼らは人界にんかいに住む者を何だと思っているのだろう。彼らは私の弟の人生を大きく狂わせた。その結果がどうであっても、そのような所業を許せるはずがない」

 翳黒明イーヘイミンの言葉に凰神偉ホワンシェンウェイはもっともだとばかりに同意する。なんだか妙なところで彼らは意気投合してしまったらしい。

「……凰黎ホワンリィ。お前結構兄貴に愛されてるんだな……」

 そんな彼らのやり取りを見て思わず煬鳳ヤンフォンは苦笑する。

「羨ましいな」

 突然のことだ。先程まで息巻いていた翳黒明イーヘイミンが、力なくぽつりと零した。

恒凰宮こうおうきゅう宮主ぐうしゅ。俺は貴方が羨ましい。……俺も、かつての弟にそこまでの気持ちを傾けてやったのなら……。この結末は変えられたのだろうか……」

 様々な苦難に飲まれ続けてきた彼に掛けてやる言葉は、誰も持ち合わせてはいない。煬鳳ヤンフォンたちは何も言えず、沈黙を守るのみ。

「いや……すまない。忘れてくれ。俺はそのようなことを願うことすら許されない。あいつを殺したのは他でもない俺なのだから」

 そう言うと翳黒明イーヘイミンは小さく自嘲気味に笑ったが、やはり誰一人その言葉に返すことができない。

(気まずい……)

 誰か翳黒明イーヘイミンに対して、うまいことの一つでも言ってくれないものだろうか。ちらちらと凰神偉ホワンシェンウェイ凰黎ホワンリィ、それに後ろを歩く鸞快子らんかいしに視線を向けるが、誰一人として言葉が出てこない。

 ――誰でもいいから助けて!

 神に祈るがごとく、煬鳳ヤンフォンが思ったときに神は現れた。

大哥にいに。それ以上言ったらだめ」

 それは小黄シャオホワンだった。

小黄シャオホワン……?」
「それ以上自分を責めたら、大哥にいにのだいじな人が悲しむから」
「済まない、だが……」
翳黒明イーヘイミン

 小黄シャオホワンがはっきりとした口調で呼び掛ける。驚いた翳黒明イーヘイミンが顔を向けると、小黄シャオホワンは悲しげな表情で翳黒明イーヘイミンを見つめていた。

翳白暗イーバイアン翳黒明イーヘイミンの傍にいるよ、いまもずっと。だからそれ以上自分を責めたり悲しまないで」

 その言葉に応えるように、翳黒明イーヘイミンの髪飾りがさらりと音を奏でる。
 翳黒明イーヘイミンは戸惑い暫く視線をあちこちと彷徨わせ、それから小さく頷いた。


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