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海誓山盟明和暗(不変の誓い)

125:陰謀詭秘(一)

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 ぺちぺちと頬を叩く感触で、煬鳳ヤンフォンは目を覚ます。

「おっ前なぁ~。過去を見てる途中で寝るとかどういう神経だよ!?」
「は?」

 頬を叩いたのは彩藍方ツァイランファンだったらしい。煬鳳ヤンフォンの胸倉を掴んでまさにもう一発お見舞いしようとしているところだった。

「ちょ! 起きてるよ! っていうか、俺だってちゃんとこの翳冥宮えいめいきゅうでの出来事を見てたんだぞ? 二人が子供の頃からだったからやたら長かったけど……」
「は? なに言ってるんだ?」

 今度は彩藍方ツァイランファンに聞き返されてしまった。

「え? なにって、お前たちだって見たんだろ?」
「俺たちが見たのは、翳冥宮えいめいきゅうでの惨劇のくだりだぞ」

 なぜか皆首を振る。しかし翳黒明イーヘイミンだけが妙な表情で煬鳳ヤンフォンのことを見ている。

 ――なにかおかしい。

 もしかすると煬鳳ヤンフォンが見た光景と、他の皆の見た光景に差があったのだろうか。
「おそらく……俺の記憶が煬鳳ヤンフォンにも見えたのかも……しれない」
「確かに。煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウと繋がっている。黒曜ヘイヨウ翳黒明イーヘイミンの分身でもある訳だから、そういったこともあるだろう」

 言い辛そうに答えた翳黒明イーヘイミンの言葉に同意するように、鸞快子らんかいしもまたそう付け加えた。やはり煬鳳ヤンフォンが見た光景は、翳黒明イーヘイミンの過去の記憶だったのだ。
 しかし同時に翳黒明イーヘイミンが言い辛そうにしている理由も良く分かる。いままで煬鳳ヤンフォンたちが見てきた翳黒明イーヘイミンとは異なる、幼い頃からの翳黒明イーヘイミンと双子の弟である翳白暗イーバイアンとの大切な思い出。そして大切な弟と拗れたまま最終的に殺し合う羽目になったこと。
 他人に知られるには恥ずかしい部分も多々あった、ような気がする。

「あー、うん。なんかちょっとだけ見えたかも。まあ、詳しくはあんまり覚えてないや、ははは……」

 それを全部つまびらかにしてしまっては気の毒だ。煬鳳ヤンフォンはぎこちない物言いで、適当に言い繕った。

『クエェ……』

 黒曜ヘイヨウに目を向けると素知らぬ顔でぷいとそっぽを向かれてしまう。

(あいつ、また鳥の振りしてる……)

 都合が悪いときはいつだってそうだ。小黄シャオホワンの手から離れたら、また引っ掴まえてモミモミしてやろうと煬鳳ヤンフォンは誓う。

煬鳳ヤンフォン

 凰黎ホワンリィがそっと煬鳳ヤンフォンに耳打ちした。

「もし貴方からも彼らの過去が見えたのなら……なにか気づくことはありませんでしたか? 当事者よりもこういった場合、第三者からの気づきで分かることもあるかもしれません」
「気づくこと……? そうだなあ……」

 言われて煬鳳ヤンフォンはもう一度彼らの記憶の始まりのところから思い出す。初めの頃はなんてことのない可愛らしい思い出だったような気もするのだが。

(でも確かに妙だったよな……)

 その正体が一体なんであったのか。煬鳳ヤンフォンが見た過去の彼らの思い出の中に、終始纏わりついてくる違和感が拭えない。

「気づくというより、妙なことばっかりだった気がするな。……黒明ヘイミン黒曜ヘイヨウ、話してもいいか?」

 彼らの繊細な部分であるため、煬鳳ヤンフォンは念のために彼らに確認する。一人と一羽はは顔を見合わせたものの「構わない」と頷いた。

翳冥宮えいめいきゅうでの話は本当に不思議なことばっかりだ。まず噂のこと。ちょっと噂の広がり方がおかしすぎる気がしたな。それに婚約の話も唐突すぎる。白暗バイアンの方から詳しい話が聞けてないからどういった状況であの流れになったのかは分からないけど。でも、なんで市井の金持ちが翳冥宮えいめいきゅうに婚約の話なんか持ち掛けるんだ?」
「それは白暗バイアンのことを考えて父上が……」
「それが変だっていうんだ。普通そういうことは当人の意見をちゃんと聞くだろう? それともお前の父親はそんなことも聞かないほど自分勝手だったのか?」
「いや……そんなことは、ないはず、だ」

 戸惑いがちに翳黒明イーヘイミンが言う。

「しかも双子の兄である黒明ヘイミンが知らないのに、街の人間のほうが情報を先に知ってるなんておかしすぎる。百歩譲って富豪が言いふらした可能性もあるけど、それだって翳冥宮えいめいきゅうの人間であるお前が知らなかったのは妙だ」
「た、たしかに……」

 煬鳳ヤンフォンは続ける。違和感は本当に沢山あったのだ。

「確証はないけど、全てのことが違和感だらけだ。まず、翳冥宮えいめいきゅうを乗っ取ろうとしたのは魔界まかい鬼燎帝きりょうていだったはずだろ? なのにさっきの段階まで魔族まぞくの影も形も見えなかった。黒明ヘイミンが正気を失って、それから一度翳冥宮えいめいきゅうに戻ってきたときには入れ替わった魔族まぞくの気配にすぐ気づいてる。なのに初めの一件が起きたときには魔族まぞくの影も形も見当たらない。……これっておかしくないか?」
「そ、そういえば……」
翳冥宮えいめいきゅうがおかしな方向にいったことについては、明らかに誰かが背後でそうなるように仕組んでいるような気がするんだ。ああ、そうだ、あの女。あいつって一体何者なんだ?」

 そこまで殆ど息もつかない勢いでまくしたてた煬鳳ヤンフォンに、翳黒明イーヘイミンは呆然とした顔で煬鳳ヤンフォンを見つめている。どうやらあまりの勢いだったので思考が追いついていないらしい。

「えっと、何者って? あの女?」
「そうそう。……えっと、愚京ユージンってやつだよ。随分小さい頃から知ってるみたいだけど……大した力があるように見えないのに十年以上見た目が変わらないのも気になるし、あと何より凄い絶妙なときに必ずといっていいほど現れるだろう。白暗バイアンの言葉を遮ったのも、お前が白暗バイアンに怒りを向けるような言い方を選んで言ったのもあの女だ。少しでも誤解が解けそうになると決まってあいつが出てきて場を荒らしていつの間にか消えてるし」
「……」
「だいいち……確か凰黎ホワンリィの話では、お前の母親はお前たちが生まれてすぐに死んだんだろ? なんで侍女だけずっと侍女のまま翳冥宮えいめいきゅうをウロウロしてるんだ? あいつは一体誰の侍女なんだ?」

 翳黒明イーヘイミンは目を見開いたまま動かない。

翳黒明イーヘイミン? 大丈夫ですか?」

 多少の心配を込めて、凰黎ホワンリィ翳黒明イーヘイミンの顔を覗き込んだ。翳黒明イーヘイミンは驚きから一転、蒼い顔になって「そんな、まさか……」とつぶやいた。

「確かに、嫌なときに限って出てくるから、鬱陶しいって思っていたんだ。……でも、小さい頃から見知った顔だったし……まさかそんな。でも、確かに言われてみれば色々おかしいところはあったんだ。それに……」
「それに?」

 聞き返す煬鳳ヤンフォン翳黒明イーヘイミンは己の頬を叩いて、青い顔から真剣な顔へと引き締める。

「はっきりとは言えないけど、本格的に翳冥宮えいめいきゅうが混乱してきたあたりから、急に愚京ユージンの姿を見なくなったんだ。そのときは大して気にも留めてなかったけど、あの翳冥宮えいめいきゅうでの一件のときも、あいつの死体は見なかったと思う。全員を確認したわけじゃないから分からないけど……あっ、でも」

 気づいたように翳黒明イーヘイミンは顔をあげた。

「でも?」
「俺が一度正気に戻って翳冥宮えいめいきゅうへ帰って来たとき、そのときは俺が全員に引導を渡したんだ。だから全員の顔を覚えている。そのとき……あいつの姿はなかった。それだけは間違いない。こんな単純なことなのに……いまのいままで、しかも他人に言われるまで気づかないなんて……」

 翳黒明イーヘイミンは愕然として膝をつく。

「恐らく、とても強力な存在によって暗示のようなものをかけられていたのではないでしょうか。だから誰一人として違和感に気づけない。普段ならどこかで歯止めがかかるはずのところで止まることができず、取り返しのつかないところまで誘導されてしまった……」

 淡々と凰黎ホワンリィは語るが、翳黒明イーヘイミンはまだ信じることができないようだ。それはやむを得ないことだろうと煬鳳ヤンフォンは思う。

 ――だって、もしもそれが本当なら。翳黒明イーヘイミンは幼い頃からずっと騙され続けてた、いいように操られていたようなものじゃないか……。

 その結果として翳冥宮えいめいきゅうが滅びてしまったというならば、翳冥宮えいめいきゅうにいたすべての人々が哀れでならない。

「で、でも。そんな、翳冥宮えいめいきゅうがいとも容易くあしらわれるなんて……。父上だって、決して弱い人ではなかった。実力でいうなら誰よりも強かった!」
「それでも――。それでもなお、及ばぬほどの力であったなら?」

 戸惑う翳黒明イーヘイミンに対し、鸞快子らんかいしの言葉が刺さる。そして『翳冥宮えいめいきゅう宮主ぐうしゅですら及ばぬ力』の存在。煬鳳ヤンフォンはその存在に心当たりがある。
 かつて恒凰宮こうおうきゅう宮主ぐうしゅすら、抗うことが容易でなかった存在。
 そのせいで一人の幼子が家族と別れて遠くに行かねばならなかった。

鸞快子らんかいし。まさか翳冥宮えいめいきゅうを真に陥れた存在は……」

 いつになく動揺した声で凰神偉ホワンシェンウェイが言った。彼も煬鳳ヤンフォンと同様に、同じ結論に辿り着いたようだ。
 そして恐らくは、凰黎ホワンリィも――。
 煬鳳ヤンフォンは隣にいる凰黎ホワンリィを見る。凰黎ホワンリィはいつもと変わりない表情をしているが、それは皆の前だからだろう。凰神偉ホワンシェンウェイが気づいて当事者の凰黎ホワンリィが気づかぬはずはない。そして、そのことを思い出して辛くないはずはないのだ。

「さて。ここで皆に問いたい」

 突然打って変わった調子で鸞快子らんかいしが軽快に語る。不気味なほどの変わりように、恐らくなにかあるのだろうと煬鳳ヤンフォンは身構えた。

「我々は翳冥宮えいめいきゅうにやってきて、過去になにがあったのか。なぜ翳冥宮えいめいきゅうは滅びてしまったのか、その光景を垣間見た。しかし、考えてもみて欲しい。この場所を崩壊に導いた何者かがいたとして、我々がその原因を探るために翳冥宮えいめいきゅうまでやってきたことに、気づかないと思うか? あるいは知っていて見逃してくれると思うか?」

 いつの間にか鸞快子らんかいしは、腰につけていた弓に矢を番えている。それは以前、閑白シャンバイに向かって放ったものと同じものだ。

「答えは………………否!」

 鸞快子らんかいしの手から矢が放たれた。耳をつんざくような甲高い音が走り抜け、ただ一点に向かって収束する。煬鳳ヤンフォンはそれを殆ど目で追うことができず、風の通り抜けた軌跡を追いかけた。
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