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旧雨今雨同志们(古き友と今の友)

112:鴛鴦之契(二)

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「あったかいな、これ」
蓬静嶺ほうせいりょうに戻ったときに部屋から取ってきました。……まだ寒いのですから、夜は冷えますよ」
 凰黎ホワンリィに中に入るよう促され、二人で寝室へと向かう。閉めかけた扉の隙間から流れ込む冷たさに身震いし、慌てて煬鳳ヤンフォンは格子戸をしっかりと閉める。……と、振り返らぬうちに背後から掛け布ごと抱きしめられた。

凰黎ホワンリィ?」

 凰黎ホワンリィは答えない。ただ無言で抱きしめられるばかりで煬鳳ヤンフォンはどうしていいか分からない。仕方なくそのままでいると、凰黎ホワンリィの髪が頬に触れる。

「約束して下さい、絶対に無茶はしないと。私から絶対に離れないで欲しい。生涯と共に在って欲しい」

 どうしようもないほど切なげで、泣き出してしまいそうな凰黎ホワンリィの声に煬鳳ヤンフォンは驚いた。万晶鉱ばんしょうこうの短剣は借りることができた。扱えるものもいる。そして、懸念だった血縁の協力だって取り付けることができた。
 もう、あとは機が熟すのを待つだけだというのに、どうしてそんなに苦しそうな声で言うのだろう。

(もしかしたら、あと少しって思ったら急に不安になったのかもしれない)

 何かを成し遂げるあと一歩というときほど、その一歩が不安になってしまうことは少なくはない。
 そう思い煬鳳ヤンフォンは首に回された凰黎ホワンリィの腕に優しく触れる。

「そんなの、当たり前だろ。無茶は……するかもしれないけど。でも、ずっと一緒にいる、そのつもりで今まできたんだから」
「ほら。やっぱり無茶をする気でいる」
「絶対に、っていう約束は難しい。だって、俺だって凰黎ホワンリィが危ないときは助けたいと思うし、どうしても……ってときだってあるかもしれないだろ?」
「……」

 やはりそれでも凰黎ホワンリィは心配らしい。煬鳳ヤンフォンは安心させるように、凰黎ホワンリィの腕をとんとんと叩く。普段は凰黎ホワンリィの方がずっと大人なのに、今はなんだか駄々をこねる子供のように思えて、それがまた煬鳳ヤンフォンを何ともいえない気持ちに掻き立てるのだ。

「心配ないって。……もし万に一つでも、鸞快子らんかいしが失敗したとしても……いざとなったら全部力を捨ててしまえば、そんな心配だってなくなるだろ? 前だって一度すべての力を失ったんだし、もう一度捨てたって構わないさ」
「それは……駄目です」

 少しの躊躇いのあと、凰黎ホワンリィが言う。

「どうして? 力があろうとなかろうと、俺は俺だ。黒曜ヘイヨウは……俺の力全部渡せばどうにでもなるだろ? それとも、力がない俺じゃ駄目か?」
「違います。そうではないのです。……でも、駄目なんです」

 その言葉の裏には何か意味があるように思えるのだが、凰黎ホワンリィはそれを決して言葉にしない。それがなぜなのか分からず、煬鳳ヤンフォンは戸惑う。

「なんで駄目なんだ?」

 凰黎ホワンリィは答えない。けれど、何を言うべきか迷っているような息遣いは感じられる。

「力があろうとなかろうと、貴方が貴方なのは間違いありません。しかし……力が無くては身を守れません。けれど、無茶はして欲しくないのです。矛盾したことを言っているのは理解しています。ただ……」

 躊躇っているのか、彼の息遣いからは迷いが見え隠れしているように思えた。煬鳳ヤンフォンにはなぜ凰黎ホワンリィがそこまで慎重になっているのか、分からない。けれど彼が過剰なほどに煬鳳ヤンフォンのことを心配しているのは分かる。

「ただ? ……凰黎ホワンリィが言える範囲でいいから、教えてくれよ。無茶を言いたいわけじゃないんだ。ただ、そこまで凰黎ホワンリィが何を心配しているのか、俺は知りたいんだ」
「……煬鳳ヤンフォン蓬莱ほうらい閑白シャンバイを覚えていますか?」
「え? あ、うん」

 蓬莱ほうらいに会ったことはないが、閑白シャンバイは一度相まみえた相手だ。仙界せんかいから来たというだけあって、その力は計り知れなかった。そして仙界せんかいの五仙と言われる蓬莱ほうらいについても……凰黎ホワンリィから話だけは聞いたが、人の話も気持ちも聞かないかなり厄介な相手という印象しかない。

「知っての通り、蓬莱ほうらいは私を仙界せんかいに呼び寄せたいと思っています。厄介なことに、どうやら十年以上たってもなお、その考えは変わってはいないようです。……もし彼がを仙界せんかいに連れて行こうとしたとき、彼らが邪魔に思う存在は誰だと思いますか?」

 問われ、煬鳳ヤンフォンは考える。
 否、考えるまでもなくそれは己自身だ。

「えっと……もしかして、まさか……?」
「そう。……彼らは私が仙界せんかい行きを拒否する原因として、貴方を狙うでしょう。十数年前、私を蓬静嶺ほうせいりょうに出した両親がすぐに殺されなかったのが不思議なほど、彼らは私に強く執着しています。ですから、私が拒めば拒むほど貴方の身が危険に晒されることになるのです」

 なんということだろうか。
 さすがにそこまで考えが及ばなかった。

「で、でも相手は凄い偉い奴なんだろ? 確かに嫌な顔はしたけど、だからって俺をどうこうなんて……」

 凰黎ホワンリィは首を振る。
 思えば白宵城はくしょうじょうへ向かう途中で閑白シャンバイに会ったときの凰黎ホワンリィは、異常なまでに彼を警戒していた。それは決して怯えていたわけでなく、煬鳳ヤンフォンに危害が及ぶことを恐れていたのだ。

 そしてその予想は的中し、閑白シャンバイは強い殺意を煬鳳ヤンフォンに向けた。
 だからこそ凰黎ホワンリィは恐れているのだ。煬鳳ヤンフォンが力を失うことを。
 煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウのことが解決する前に、彼らの手が煬鳳ヤンフォンに及ぶ可能性を。

(もしも、俺があいつらにやられたら……)

 その時凰黎ホワンリィ仙界せんかいに連れて行かれてしまうのだろうか。
 そんなのは、嫌だ。

「ようやく貴方に想いが通じたのに、通じ合えたのに、あっという間に別れるなんて絶対に嫌です」

 凰黎ホワンリィの切実な想いが背中越しにひしひしと伝わってくる。
 煬鳳ヤンフォンの知る凰黎ホワンリィは、いつでも優雅な笑みを絶やさず、弱気な言葉など口にしない、良家の生まれで恵まれている完璧な人間だった。

 しかしこれまでの旅を経て、彼にも辛い過去があり幼い頃別れた家族と新たな家族への並々ならぬ想いがあり、そして閑白シャンバイを前にしたときは本気で怒りの感情を露わにすることもあったのだと知ったのだ。
 そんな凰黎ホワンリィが、煬鳳ヤンフォンのことだけは何があっても譲らない。

 煬鳳ヤンフォンのことを心から心配し、失うことを恐れ、無理をするなと懇願しているのだ。その真心にどう応えるべきなのか。煬鳳ヤンフォンは考える。

凰黎ホワンリィ

 後ろを向いて凰黎ホワンリィに向き直る。ちょうど少し前もこうして見つめ合っていたと思い出す。

「約束するよ、無茶はしない。でも俺は凰黎ホワンリィが好きだから……やっぱり凰黎ホワンリィが危ないときには体が勝手に動くと思う。だから、絶対にって約束はできないかもしれない。でも、凰黎ホワンリィの気持ちをちゃんと考える。できる限り無茶しないように努力する、約束する。……それじゃ駄目か?」

 体全体で溜め息をつき、凰黎ホワンリィは首を振る。

「……負けました」

 煬鳳ヤンフォンの手を取り凰黎ホワンリィは寝台まで連れて行くと、二人で腰掛けた。煬鳳ヤンフォンの肩に手を載せ、己に言い聞かせるように凰黎ホワンリィは口にする。

「今はその言葉で納得します。……少なくと私が危険にさえならなければ、貴方は無茶をしないということですものね」
「そういうこと」
「分かりました。私も貴方に危害が及ばぬよう、努力します。心配ばかりしてごめんなさい」

 煬鳳ヤンフォンに無理を言ったと凰黎ホワンリィは頭を下げるが、煬鳳ヤンフォンは笑う。

「気にするなよ。……翳冥宮えいめいきゅうに……また冽州れいしゅうへ行かないといけないから心配してるんだろ? あそこは天界てんかいに近いから、仙界せんかいのやつらが来る可能性がぐっと高くなる。だから凰黎ホワンリィは心配してるんだよな?」
煬鳳ヤンフォンには敵いません。……その通りです。冽州れいしゅう星霓峰せいげつほうの先には、遥か先まで続く崑崙こんろんの山がそびえます。我々が世界を隔てた崑崙こんろんの向こう――仙界せんかいに行くためには、相応の難しい手続きが必要ですが、彼らがこちらに来ることは容易いのです」
「つまり、こっちが乗り込むのは難しいけど、あっちは自由に出入りできるってことか」

 その通りです、と凰黎ホワンリィは頷く。たびたび恒凰宮こうおうきゅうには蓬莱ほうらい仙界せんかいより訪れていた。だからこそ、彼はそのことを一番身に染みて実感しているのだ。幼い頃に彼らのせいで生き方を大幅に変えざるをえなかった凰黎ホワンリィ恒凰宮こうおうきゅう宮主ぐうしゅたちは、さぞ悔しい思いをしてきたのだろう。

 煬鳳ヤンフォンはおもむろに立ち上がると凰黎ホワンリィの前に立つ。寝台に片膝を載せれば凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンの腰を引き寄せ己の膝上へと座らせる。そのまま二人で真っ直ぐに見つめ、煬鳳ヤンフォンは口を開いた。

「なあ、凰黎ホワンリィ。俺も……一つだけ約束して欲しいことがあるんだ。いいか?」
「なんでしょう?」
「……何があっても、絶対に仙界せんかいに行かないで。凰黎ホワンリィと離れるのは嫌だ。何があってもずっと傍にいてくれ」

 凰黎ホワンリィの瞳が見開かれる。丸くなった瞳はゆっくりと細められ、それからゆっくりと煬鳳ヤンフォンへと近づいてゆく。鼻と鼻が触れ合う距離で互いの息遣いを感じながら、抱き合い唇を重ねた。
 切なさを孕んだ凰黎ホワンリィの手のひらが、行き場を探して煬鳳ヤンフォンの頬に触れる。煬鳳ヤンフォンがその手に己の手を重ねれば、今度はその手が慈しむように煬鳳ヤンフォンの頬を撫でた。

「約束します。絶対に貴方から離れたりなんかしません」
「お前も離れるなっていったんだ、大丈夫だよな?」
「ええ。仮に拒否しても、離れるつもりは毛頭ありませんからね?」

 凰黎ホワンリィに包まれながら、煬鳳ヤンフォンも抱きしめ返す。

「本当に、本当に?」
「私が嘘を言うと思いますか? できないことをできるなんて言ったことがありますか?」

 少し考えて煬鳳ヤンフォンは答えた。

「ない!」

 温かい気持ちが心全体に沁みわたる。

 ――凰黎ホワンリィが言ったんだから、大丈夫だ。

 今まで一度だって、凰黎ホワンリィは約束を違えたことなんかない。
 けれどどうしてか……見上げた凰黎ホワンリィの表情には微かに憂いが見え隠れする。なぜ彼がそんな表情をしているのか、一抹の不安が煬鳳ヤンフォンの中に残ったが、多分それはこれから行く場所への不安なのだろうと――そう思うことにした。



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