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旧雨今雨同志们(古き友と今の友)

111:鴛鴦之契(一)

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 先に寝た小黄シャオホワンのことを夜真イエチェン善瀧シャンロンに頼み、荒くれものたちに稽古をつけたあと、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィと共に自室に戻った。そういえば以前玄烏門げんうもんに戻ったときもちょうど恒凰宮こうおうきゅうへ旅立つ前だったことを思い出す。あのときは五行盟ごぎょうめいに行ってそのまま恒凰宮こうおうきゅうに行ったのだ。

 ゆったりとした中衣一枚で廊廡ろうぶ[*外部に面した通路] に腰を下ろした煬鳳ヤンフォンは、ぼんやりと朧月ろうげつを見上げる。玄烏門げんうもんの庭の手入れをするのは、やはり荒くれものの門弟たちなのできちんと剪定されておらず、ところどころ不格好に枝を伸ばしている。しかし木々の隙間から垣間見る月というのもまた美しいものだ。

翳冥宮えいめいきゅうの件もあるし、俺の体のこともあるし……今度は睡龍すいりゅうの話まで出てきて、なんだか落ち着かないな」
「何を言っているんですか。貴方が一番優先しないといけないのは、自分の体のことでしょう?」
「わ、分かってるよ」

 後頭部を優しく小突かれて、慌てて煬鳳ヤンフォンは振り返る。すぐ後ろに立っていた凰黎ホワンリィが、煬鳳ヤンフォンの顔を覗き込む。……が、凰黎ホワンリィの顔を見て煬鳳ヤンフォンは堪らずに噴き出した。

「ぶっ、ちょっと、凰黎ホワンリィ!」
「なんで笑うんですか」
「ごめん、凰黎ホワンリィ。だって……凰黎ホワンリィのそんな顔、初めてみたから」

 そんな顔、というのはむくれた顔のこと。いつもなら怒っているときは、少し目を伏せ溜め息をつくことが多い。申し訳程度に唇を突き出して膨れている凰黎ホワンリィの様子があまりにも愛おしくて、堪え切ることができなかったのだ。

「それは、私だって膨れたくなるときくらいあります」
「ごめん、ごめん。許して、凰黎ホワンリィ。俺が悪かったよ」

 そう言うと、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィの首に抱き着いた。
 本当は凰黎ホワンリィだって、直ぐにでも煬鳳ヤンフォンの体をどうにかしたかったはずだ。ただ、さすがに混迷極まる魔界まかいを放置して拝陸天バイルーティエンを呼び寄せるわけにはいかなかった。
 翳冥宮えいめいきゅうの件を優先するのは、拝陸天バイルーティエン人界にんかいにやってくるまでもう暫くはかかるだろうという考えがあるからに過ぎない。

「許すも何も、私も昼間貴方を拗ねさせてしまったから、おあいこですね。もう膨れるのはやめます」

 微笑んだ凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンおとがいに綺麗な指を添え、口付ける。「これで仲直り」と言って片目を瞑った凰黎ホワンリィの瞼に、頷く代わりに今度は煬鳳ヤンフォンが口付けた。

陸叔公りくしゅくこうが来てくれたらすぐにでも鸞快子らんかいしに頼もう。な?」
「そうですね。殿下……皇帝陛下がご自分の足場を固められたら、いえ、とりあえず暫定的でもいいので目途が立ち次第、人界にんかいへお越しいただきましょう」

 足場を固めるのは時間がかかると判断したのか、『とにかくちょっと落ち着いたらすぐ来てくれ』と言わんばかりの凰黎ホワンリィの言葉に苦笑する。

「大丈夫だよ。きっと陸叔公りくしゅくこうもちゃんと分かってると思う。無理してでもこっちに来てくれるんじゃないかな」

 同時に煬鳳ヤンフォンも、叔父である拝陸天バイルーティエンがたった一人残った血縁である煬鳳ヤンフォンのことを、いかに大切に想ってくれているかは分かっている。だから急かさずとも向こうから必ず来てくれるはずだと信じているのだ。

「そうですね、私もそう思います」

 凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンの言葉に安心したのか、表情を緩める。ようやくすべての準備が揃ってあと少し、というところで待たされているから、落ち着かないのだろう。

凰黎ホワンリィでも焦ることってあるんだな」

 煬鳳ヤンフォンの言葉に凰黎ホワンリィは目を丸くする。

「それは、私だって人間ですから。大切な人のこととあれば尚更です。……本当は今すぐにでも貴方の体の懸念を晴らして貰いたい。そして……」
「そして?」

 一体何を言おうとしたのか。途中で言葉を切った凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンは聞き返す。凰黎ホワンリィは口元に笑みを湛えたまま、静かに首を振る。

「いいえ、何でもありません。まずは体のことが最優先です。そのときは黒曜ヘイヨウにもしっかりして頂きませんとね」

『クエェ』

 呼ばれたと思ったのか、煬鳳ヤンフォンの袖の中から黒曜ヘイヨウが現れた。
 たった今二人で良い雰囲気だったのに!
 間の悪さに呆れ、煬鳳ヤンフォンは思わず黒曜ヘイヨウをわしづかみにする。

「お前、こういうときは出てこないもんだろ!?」

『クェ!?』

 何故煬鳳ヤンフォンに掴まれているのか分からない黒曜ヘイヨウはじたばたと羽ばたいて煬鳳ヤンフォンの手の中から逃れようとするが、煬鳳ヤンフォンはがっちりと捕まえた黒曜ヘイヨウを離さない。ついでに憂さ晴らしとばかりにモミモミと手の中で揉みほぐしてやった。
 自分の霊力の一部であるはずなのだが……ほど良い揉み心地が心地よく手に馴染む。揉まれたほうの気分は知ったことではないが。

「こらこら、煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウに当たっては駄目ですよ」

 笑いながらそれを凰黎ホワンリィが止める。煬鳳ヤンフォンの手から解放された黒曜ヘイヨウは慌てて煬鳳ヤンフォンから離れ、凰黎ホワンリィの肩に飛び乗った。

「あっ、お前! よりによって凰黎ホワンリィの肩に乗るなんて!」

 聞こえないとばかりに黒曜ヘイヨウはそっぽを向いて煬鳳ヤンフォンから目を逸らす。揺らめく黒曜ヘイヨウの黒い尾は長く長く伸び、煬鳳ヤンフォンの首の痣に繋がっている。
 先ほどまで握りしめていた黒曜ヘイヨウの感触を思い出しながら煬鳳ヤンフォンは何気なく首から伸びるそれに触れた。

(こうして触れることができるのに、普段は俺の体の中にいるなんて、本当に不思議だ)

 鸞快子らんかいしは霊力が翳炎えいえん黒曜ヘイヨウの魂によって質量を持ったのだと言っていたが、本当に不思議なものだと改めて思う。

「ところで、そろそろ喋っていいんですよ」

 そんなことを考えていると、凰黎ホワンリィが肩に留まる黒曜ヘイヨウに向かってそう言った。
 なぜそんなことを凰黎ホワンリィが言うのか分からずに煬鳳ヤンフォンは戸惑う。

「何言ってるんだ? さっきからずっと黒曜ヘイヨウは鳴いてるぞ?」

 しかしその返答は意外なところから帰ってきた。

『なんだ、気づいてたのか』

 声の主は、黒い鳥――すなわち、黒曜ヘイヨウだ。
 いつもの鳴き声ではなく、男の声で『喋って』いる。それがあまりに唐突過ぎて煬鳳ヤンフォンは驚き、尻もちをつく。

「うわ、黒曜ヘイヨウ、お前喋れたのか!?」

『実は……魔界まかいで皇太子殿下……皇帝陛下に力を分けて貰っただろう? それで煬鳳ヤンフォンの力が増したことによって、少しだけ俺も言葉が話せるようになったみたいなんだ』
「ちょっと、なんでそんな大事なことはやく言わなかったんだ!?」

 ならばわざわざ煬鳳ヤンフォンの体を貸して翳黒明イーヘイミンを説得する必要などなくて、黒曜ヘイヨウのままでもできたのではないか?
 別に大したことではないのだが、そのあいだ自分は意識がなかったし、結局じかに話を聞くこともできなかったのだ。もし、黒曜ヘイヨウが会話することができると知っていたのなら、自分も交渉の場に加われたのに。
 そう思うと少しだけ文句が言いたかった。

『いや……本当にそれは悪かった。でも、俺が言葉を話せることに気づいたのは人界にんかいに戻ってからなんだ。その、小黄シャオホワンと遊んでたときに無意識に言葉を喋りかけて、それで……』
「なるほど。それから先は今後のことやら呪符のことを話していて、とても貴方の話を聞ける雰囲気ではなかったですものね」
『そうなんだ』

「貴方の話はよく分かりました。……ということは、煬鳳ヤンフォンの体を貸さなくても黒曜ヘイヨウは今後自由に話すことができる。それはそれで喜ばしいことではありませんか」
『これから先はみんなの会話に交じることもあると思うけど、よろしくな』

 煬鳳ヤンフォンの体を貸す必要がなくなったと分かり、凰黎ホワンリィは上機嫌だ。黒曜ヘイヨウも会話ができないままでは不便なので、それはそれで嬉しいらしい。

「分かりました。皆さんには私の方から伝えておきましょう」
『有り難う、凰黎ホワンリィ
「で――ですね」

 間髪入れずに凰黎ホワンリィ黒曜ヘイヨウに畳みかける。突然眼前に迫る凰黎ホワンリィの真意が読めずに黒曜ヘイヨウは戸惑い、肩の上で一歩後退る。

「これから二人だけの時間なんで、貴方はどこかに消えてくれますか?」
『……』

 つまり、お邪魔虫は体に戻りなさい、と言っているのだ。

『ちぇ、分かってる癖に。俺と煬鳳ヤンフォンは離れられないんだよ。でなかったら凰黎ホワンリィだってここまで苦労しないだろ? じゃあ、お休み』

 クエェと一声鳴いたあと、黒曜ヘイヨウ煬鳳ヤンフォンの体の中に再び戻っていった。少々可哀そうな気もするが、ちょうどいい雰囲気だったところに現れてしまったのだから仕方がない。

「さて。お邪魔虫も戻ったことですし、さっきの続きでもいかがですか?」
「いや……続きっていってもなあ」

 確かに黒曜ヘイヨウが出てくるまで良い雰囲気だったとは思うのだが、黒曜ヘイヨウが完全にその雰囲気を持って行ってしまった。いまさら『続き』と言われても、はいそうですかといきなり先ほどの続きに戻せるわけもない。

「ふふ、冗談ですよ。それよりそろそろ窓を閉めないと。風邪をひいてしまいますよ?」

 そう言って穏やかに笑いかける凰黎ホワンリィは、やはりいつもの凰黎ホワンリィだ。

「でも、凄く綺麗な夜空なんだ。もう少し見ていた……っくしゅん」
「ほらほら」

 凰黎ホワンリィがふわりと肩掛けを煬鳳ヤンフォンに掛ける。それで、先ほど背後にいたのは冷えないように肩掛けを掛けようとしてくれたのではないかと、煬鳳ヤンフォンは思い当たった。
 特別なにかで暖めたわけでもないのに、優しい肌触りに包み込まれると不思議とそれが暖かいと感じられる。
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