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旧雨今雨同志们(古き友と今の友)

101:倚門之望(一)

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 霧谷関むこくかんで待っていたのは思いもよらぬ人物だった。

「よぉ、煬鳳ヤンフォン!」
藍方ランファン!?」

 馬車を下りるなり駆け寄ってきたのは見知った人物。彩鉱門さいこうもん彩藍方ツァイランファンだった。彩藍方ツァイランファン煬鳳ヤンフォンの傍にいた翳黒明イーヘイミンを見るなり「げっ!」と叫び後退る。

「なんだ、彩鉱門さいこうもんの若造か」
黒冥翳魔こくめいえいま……もがが」

 大声で彼の二つ名を呼びそうになった彩藍方ツァイランファンの口を慌てて煬鳳ヤンフォンは塞ぐ。いまここで彼の存在が雪岑谷せきしんこくの門弟に見つかってしまったら、面倒なことになる。

「しーっ! しーっ! 頼むからいまは見逃してくれ、あとで説明するから!」

 それでも何か言いたげな彩藍方ツァイランファンをなだめすかし、なんとか落ち着かせた。

「絶対だぞ、ちゃんと説明しろよ!」

 彼がそう言うのも無理はない。なにせ翳黒明イーヘイミンがいま宿っている体は、彼の兄弟子である彩菫青ツァイジンチンの体であるからだ。しかしいくら兄弟子の望みでそうなったとはいえ、幼い頃より彼を見ていた彩藍方ツァイランファンとしては、やはり簡単に納得ができるようなことではない。

「分かった、ちゃんと説明する。それより何でここに?」
「ああ、それはな……」

 そう言って彩藍方ツァイランファン凰黎ホワンリィの方を見た。そこには驚きのあまり硬直した凰黎ホワンリィが立っている。彼の視線の先にいるのは意外な人物だった。

「兄上!? ……あっ、宮主ぐうしゅ様! 何故こちらに?」

 なんと、恒凰宮こうおうきゅう凰神偉ホワンシェンウェイまで彼らと共にやって来たのだ。これには凰黎ホワンリィも驚きを隠せずに、動揺のあまり恒凰宮こうおうきゅうでもないのに兄上、と呼んでしまい、慌てて無理やり誤魔化した。

「いや、俺はホワン殿の事情をある程度知ってるからさ、気にしなくて大丈夫だぞ。でも、俺がどこの門派であるかは皆には内緒な」

 彩鉱門さいこうもん恒凰宮こうおうきゅうともやり取りがあり、現在でも蓬静嶺ほうせいりょうとも繋がっている。だから凰黎ホワンリィの複雑な事情もある程度は知っているのかもしれない。

「実はさ、万晶鉱ばんしょうこうのこと上手くいったか気になって、恒凰宮こうおうきゅうまで行ったんだ。そうしたら宮主ぐうしゅ殿がお前たちが霧谷関むこくかんに行ったと聞いて迎えに行くって言うから、俺もそれに乗っかったってわけさ」

 そこまで話すと彩藍方ツァイランファンは言葉を切って、小声で煬鳳ヤンフォンの耳元に口を寄せる。

「もしかして、上手くいったのか? 黒冥翳魔こくめいえいまの件」

 彩鉱門さいこうもんでの一件のとき、凰黎ホワンリィは確かに彩藍方ツァイランファンに言ったのだ。

『彼が暴走してしまうような切っ掛けがあったのかもしれません。……その謎を解くのが黒曜ヘイヨウと、そして黒冥翳魔こくめいえいま、二人にとって共通の願いであり、その内容次第では彼は戦う必要がなくなり、煬鳳ヤンフォンが敵視されることもなくなる……かもしれませんね』

 ――と。

 煬鳳ヤンフォンはすぐにそのことを思い出し、彩藍方ツァイランファンに頷いた。

「ああ。魔界まかいでは結構いろんなことがあって、少し気になることもあるけど、黒冥翳魔こくめいえいま……黒明ヘイミンの件はある程度落ち着いたし、恒凰宮こうおうきゅうの望みだった翳冥宮えいめいきゅう復興についてもなんとかなりそうだ」
「あの悪名高い黒冥翳魔こくめいえいまがねえ……」

 することもなくぼんやりと霧谷関むこくかんの関所の隅に佇んでいる翳黒明イーヘイミンをしげしげと見ながら彩藍方ツァイランファンは言う。彼の瞳には多少の驚きと、複雑な感情が入り混じっている。最後に彼が翳黒明イーヘイミンに会ったときから考えれば、とてもいまのような姿は想像できなかったはずだ。
 だから驚くのも仕方のないことだろう。

「あー。阿黎アーリィ……」

 煬鳳ヤンフォン彩藍方ツァイランファンの後ろから小さな声が聞こえてくる。二人で振り返ればそこにいたのは凰神偉ホワンシェンウェイだ。

 先ほどの話が本当なら、彼は凰黎ホワンリィたちを迎えるためにこの霧谷関むこくかんまでやってきたらしい。どう言葉を返して良いか分からない凰黎ホワンリィと、なんと言葉をかけて良いか分からない凰神偉ホワンシェンウェイ。二人はどちらから言葉を言うべきか、迷っているようだ。

ジン公子は……いや、もういい。どのみちこんな辺境の地なんだ。雪岑谷せきしんこくの門弟も気づきやしないだろう。阿黎アーリィ、そなたが霧谷関むこくかん より魔界まかいに行ったという話は恒凰宮こうおうきゅうに立ち寄った鸞快子らんかいしから聞いた」
鸞快子らんかいしから? 兄上は彼をご存じなのですか?」
五行盟ごぎょうめいで何度か顔を合わせている。恒凰宮こうおうきゅうに来たのは初めてだった。……それで、そなた達がもしも黒冥翳魔こくめいえいまを連れて戻ってきたら、きっと交渉が成功しているだろうから、彼のことを翳冥宮えいめいきゅうまで連れて行ってやって欲しいと頼まれた」
「そういうことだったのですね……」

 兄が霧谷関むこくかんまで来た理由に凰黎ホワンリィは納得したようだ。しかし煬鳳ヤンフォンは思う。……凰神偉ホワンシェンウェイ凰黎ホワンリィ魔界まかいへ行ったと聞いて、やはり落ち着かなかったし心配もしたに違いない。それで、鸞快子らんかいしからの頼みにかこつけて弟の顔を見にやって来たのだ。

 ――絶対に間違いない。

 普段は冷たい表情の凰神偉ホワンシェンウェイが心なしか嬉しそうな顔をしているのを見て、煬鳳ヤンフォンは確信した。

(そういえば……)

 翳黒明イーヘイミンの知り合いは誰一人ここにいない。彼のことをすっかり放りっぱなしにしてしまったことに気づいて、慌てて煬鳳ヤンフォンは先ほど彼が佇んでいた場所を探す。
 翳黒明イーヘイミンは先ほどと同じように、物思いに耽りながらぼんやりと周りの景色を眺めている。彼を知らぬものが見たら、誰一人彼のことを昔その名を欲しいままにした悪名高い黒冥翳魔こくめいえいまだとは思うまい。

黒明ヘイミン

 だからわざと煬鳳ヤンフォンは、黒冥翳魔こくめいえいまではない、彼の本当の名で呼ぶ。

「どうした? 久しぶりの再会なんだろう。俺は目的さえ果たせればそれでいい。落ち着くまで好きなだけ話して構わない」
「いや、あとは道すがら話すことにするよ。それより恒凰宮こうおうきゅう宮主ぐうしゅにお前のこと紹介しなきゃ」

 煬鳳ヤンフォンはそう言うと凰神偉ホワンシェンウェイを探す。彼はまだ凰黎ホワンリィと語らっているようだ。

(おいおい、黒明ヘイミン翳冥宮えいめいきゅうに連れて行くんじゃなかったのかよ)

 彼の話ではそちらが一番の目的であるはずなのだが、一向に翳黒明イーヘイミンを気にかける様子もない。しかしこれではらちが明かないのだ。

「まさか兄上がこうして来てくださるとは思いませんでした」
「いくら取り引きであったとて、そなたに任せきりでは私も恒凰宮こうおうきゅう宮主ぐうしゅとして忍びない。少しでも力になることができるのなら、私も傍観はしまい。……苦労はしなかったか? 怪我などしていないか?」
「大丈夫ですよ、兄上。あちらでも色々ありましたが……それは改めてお話します。そうだ、兄上にお渡ししたかった物があるのです」

 凰黎ホワンリィは大切に懐に仕舞っていた箱を差し出した。漆塗りの箱は、別れ際に拝陸天バイルーティエンから手渡されたもの。

「新たな魔界まかいの皇帝陛下となられた皇太子殿下からの、翳冥宮えいめいきゅうについての手紙です。まずはお受け取り下さい。先に翳黒明イーヘイミンから話が聞けると思いますが、我々もあとからご説明に伺います」
「分かった。待っている」

 凰黎ホワンリィの言葉に凰神偉ホワンシェンウェイは頷く。

ホワンの兄君」

 どう呼ぶべきか悩んだが、ここには凰黎ホワンリィもいる。……なので悩んだ末に煬鳳ヤンフォンは『ホワンの兄君』と呼ぶことにしたのだが。

ヤン殿、いかがされたか」

 何故か凰神偉ホワンシェンウェイの視線が鋭い。恐らく「誰がお前の兄君だ」とでも思っているに違いない。

(いや、別に俺はあんたが兄君だなんて思ってないよ。ただ、凰黎ホワンリィもいるからホワン殿だとややこしいと思ってそう言っただけだよ!)

 そんな煬鳳ヤンフォンの心など知る由もない。仕方がないので最も無難な言い方に煬鳳ヤンフォンは変えることにした。

「えっと、宮主ぐうしゅ殿。凰黎ホワンリィと話してるところ悪いんだけど、こいつ……翳冥宮えいめいきゅうの小宮主ぐうしゅを迎えに来てくれたんだろ? いまはバレてないけどあまりここに長居はさせたくないんだ」

 凰神偉ホワンシェンウェイ凰黎ホワンリィとの時間を邪魔されて不服そうではあったが、いまの状況を考えて仕方ないと納得して貰えたらしい。諦めたように頷くと、翳黒明イーヘイミンを見る。

「……そうだな。名残惜しいがヤン殿の言い分は正しい。……そなたが翳冥宮えいめいきゅうの小宮主ぐうしゅか。私は恒凰宮こうおうきゅう宮主ぐうしゅ凰神偉ホワンシェンウェイ
「そうだ。初めてお目にかかる。俺は翳冥宮えいめいきゅうの小宮主ぐうしゅ……元、といった方が正しいな。翳黒明イーヘイミンだ。慣れないことも多く面倒をかけるかもしれないが、翳冥宮えいめいきゅうを復興させたい気持ちに変わりはない。どうかよろしく頼む」
「ふむ……」

 凰神偉ホワンシェンウェイとて翳黒明イーヘイミン黒冥翳魔こくめいえいまであることは知っている。しかし噂に聞く彼と目の前の彼とでは随分と異なっているため、それなりの真っ当な挨拶を返した翳黒明イーヘイミンに対して意外そうな顔を向けた。

「では長居は無用だな、面倒が起きる前に翳冥宮えいめいきゅうまで行こう」
「異論はない」

 凰神偉ホワンシェンウェイの言葉に翳黒明イーヘイミンは頷くと、煬鳳ヤンフォンたちの方を見る。

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