【本編完結】鳳凰抱鳳雛 ～鳳凰は鳳雛を抱く～

天魔波旬拝陸天（魔界の皇太子）

096：南柯之夢（一）

　煬鳳ヤンフォンたちが駆け付けたとき、王城は既に物々しい雰囲気に包まれていた。それだけではない、王城に行くまでのあいだ、都じゅうが皇太子の話で持ちきりだった。

「皇太子殿下が禁軍兵に連れていかれたぞ！」
「まさか、皇帝陛下は実の息子まで手に掛けるおつもりなのか!?」
「馬鹿、滅多なことを言うんじゃない！」
「そんな……俺は殿下がいずれ皇位を継ぐ日を夢見てここまで耐え忍んで生きてきたんだぞ！　誰がこんな酷い国で我慢などできるものか！」
「俺だってそうだ！　殿下がいるからこそ、苦しい現状でもなんとか耐えてたっていうのに……！」
「しっ！　誰かに聞かれたらどうするんだ！　俺たちも捕まって終わりだぞ！」
「このままじゃどの道終わりじゃないか！」

　こうして聞いてみると、やはり拝陸天バイルーティエンの評判はすこぶる良い。だからこそ余計に鬼燎帝きりょうていは面白くなかったのだろう。

「見たか？　さっき禁軍とも違う、武器を持った奴らが王城に向かっていったのを！」
「誰かが殿下を助けるために挙兵したんだ！」
「こうしちゃいられねえ！　俺たちも武器を取るんだ！　殿下をお助けするんだ！」

　どんどん周りの熱気は上がってゆく。拝陸天バイルーティエンも、そして翁汎ウェンファンや游閣恩ユウグーエンも全く予想をしていなかったろうが、兵をあげた彼らの姿を見て、我慢の限界を迎えていた人々がどんどんと反乱軍のあとに続いて行くのだ。それがさらに膨らんでいき、煬鳳ヤンフォンたちが王城に着いたときには城郭の周りすべてを埋め尽くすほどの人々で溢れていたのだった。
　騒ぎに驚いた門番たちが門前で武器を構え、通すまいと威嚇する。

「お前たち、なにをしている!?　ここは神聖な王城だ！　立ち入る資格のないものはとっとと去れ！」
「煩い！　お前たち皇太子殿下をどうする気だ！」
「そうだそうだ！　俺たちは見たんだぞ！」
「皇太子殿下に何かあったら、ただじゃおかねえ！」

　兵士たちの言葉に一斉にみなが反応して騒ぎ出す。いかに兵士といえども溢れるほどの人々に囲まれたら恐怖を感じざるを得ない。若干の及び腰で槍を構えて「煩い！　死にたくなければさっさと消えろ！」と叫んでいるが、人々の手には包丁やら木の棒やら、大したものではそれなりに武器も握られている。ここで交戦したらどう見ても兵士たちが負ける未来しか見えないだろう。

「ひえええっ！　誰か、誰か応援を呼んで来い！　こいつらを排除して……」

　轟音が響き、男の姿が視界から消える。黒い煙が立ち上り、周りからは歓声が沸き起こった。先ほどの兵士は叫んでいる途中で翳黒明イーヘイミンの翳炎えいえんによって壁を突き破り、瓦礫の下に埋もれてしまったのだ。

「ごちゃごちゃ煩い。ほら、さっさと行くぞ」
「翳黒明イーヘイミン。煬鳳ヤンフォンの代わりに先頭に立って下さっているのは感謝しています。ですが」
「分かってる。一人で突っ走らない。反乱軍と歩調は合わせるから安心してくれ」

　思ったより冷静な翳黒明イーヘイミンの返答に凰黎ホワンリィは安堵の溜め息をつく。

「有り難うございます。お願いします！」

　そう言うと凰黎ホワンリィは煬鳳ヤンフォンの方へ振り向いた。凰黎ホワンリィの手には翁汎ウェンファンから預かった拝陸天バイルーティエンの剣がある。王城に連れていかれる際に拝陸天バイルーティエンは剣を持つことを許されず、翁汎ウェンファンに預けて行ったのだ。

「煬鳳ヤンフォン、これから殿下の元に貴方を連れていきますが――分かっていますね。貴方の役目は永覇ヨンバのことを宣言すること。絶対に霊力は使わないし戦いに加わらない。約束ですよ？」
「分かってる、絶対に約束する」

　さすがの煬鳳ヤンフォンも、親子の戦いだけでなく孫まで加わっての血みどろの争いは避けたいと思う。平和的な解決は既に望めはしないだろうが、叔父は助けたいし親族同士の泥沼の戦いは避けて通りたい。

「確認は済んだな、じゃあ行くぞ。金貪ジンタン、銀瞋インチェン頼む」
「俺らに命令するな！　お前たち、殿下は紫皇殿しこうでん前の広場におられるはずだ、行くぞ！」

　銀瞋インチェンの合図で反乱軍と民衆が一斉に沸いた。金貪ジンタンは翳黒明イーヘイミンに「彼らの誘導は私に任せて、銀瞋インチェンと行ってくれ」と告げる。翳黒明イーヘイミンは金貪ジンタンに頷くと、煬鳳ヤンフォンと凰黎ホワンリィに目くばせをして自らも宮殿の屋根へと飛び上がった。

　既に民衆たちの暴動は収拾がつかないほど膨れ上がっていた。屋根に上がった煬鳳ヤンフォンは、王城の外が赤々と燃えていることに気づき、もう覚悟を決めるしかないことを悟る。

「一度火が付いたら止まらない……皇太子殿下の連行を切っ掛けに、ついに我慢を重ねていた人々の怒りが爆発してしまったようですね……」

　炎を背にして凰黎ホワンリィは言った。凰黎ホワンリィの横について先に進む煬鳳ヤンフォンも、辺りが燃え上がる様子を見ながら複雑な気持ちになる。

「さっきまで皆楽しそうにしてたのにな、こんな……」
「皆、限界のぎりぎりのところで踏ん張っていたのでしょう。それを破る切っ掛けを作ったのは皇帝陛下です。そうでなければ殿下もまだ動き出すことはなかったでしょうから……」

　そう言うと凰黎ホワンリィははたと一点で目を留める。

「殿下を見つけました！　翳黒明イーヘイミン、あそこです！」

　煬鳳ヤンフォンに告げたあと、凰黎ホワンリィは翳黒明イーヘイミンに叫ぶ。凰黎ホワンリィの指差した方向に目を凝らせば、確かに宮殿の前で兵士たちに囲まれる拝陸天バイルーティエンの姿が見える。
　護衛もなく、ただ一人。
　目の前に立ち、抜いた剣を持っているのは鬼燎帝きりょうていか。

「陸叔公りくしゅくこう！」

　拝陸天バイルーティエンの元に行くまでにはまだ距離があったが、堪らず煬鳳ヤンフォンは叫ぶ。
　叫びと共に黒い光珠が宮殿に吸い込まれ、そして激しい爆発を呼び起こした。

「黒明ヘイミン!?」

　風のように脇をすり抜けて拝陸天バイルーティエンの元へとたどり着いたのは翳黒明イーヘイミンだ。彼は拝陸天バイルーティエンから力を貰っていない煬鳳ヤンフォンよりも力の制約が強いはずだが、そんなことを微塵も感じさせない勢いで鮮やかに拝陸天バイルーティエンを兵士たちから引き離す。

「陸叔公りくしゅくこう！」

　広場に降り立った煬鳳ヤンフォンは我慢できず拝陸天バイルーティエンに飛びついた。

「小鳳シャオフォン!?　翁汎ウェンファンのやつ！　あれほど言い含めておいたのに！」

　なぜ煬鳳ヤンフォンが来たかを察して拝陸天バイルーティエンが翁汎ウェンファンに怒りを見せる。

「ち、違うんだ！　俺が無理を言ったから！　それに、俺は絶対に争いに参加しないって約束もしてるし守る！　だから、大丈夫だ！」
「……全く……」

　慌てて弁明する煬鳳ヤンフォンを怒ることもできず、困った顔で拝陸天バイルーティエンは煬鳳ヤンフォンを抱きしめる。しかし、背後にはまだ鬼燎帝きりょうていがいることをすぐに思い出して厳しい顔で煬鳳ヤンフォンを背に庇う。すぐさま凰黎ホワンリィが拝陸天バイルーティエンの元に駆け寄ると、預かっていた剣を拝陸天バイルーティエンに差し出した。

「知らなかったぞ。泉美チェンメイの息子が生きていようとはな。そやつがその小僧だな」

　拝陸天バイルーティエンの背の向こう側に立つ男の、不気味なほどの悪意を感じ取って煬鳳ヤンフォンは身震いする。恐ろしかったわけではない。しかし、肉親に向けてこのような、敵意でもなく悪意を向けてくる者がいようとは思わなかったのだ。

（こいつ、なんなんだ？）

　見た目は確かに武人であり軍神と言われる理由も分かる堂々たる佇まいだ。龍袍を纏っていながらも剣を持つ姿は獣のような荒々しさと神にも等しく思えるほどの威圧感を放っている。普通の者ならば立っていることすら難しいだろう。
　ビリビリと伝わってくる激しい気迫に、さすがは鬼燎帝きりょうていたる男だと認めざるを得ない。

　――一連の出来事さえなかったら。

　――民衆がここまで苦しんでいなかったのなら。


　――母を見殺しにするようなことをしさえしなければ。

　一つずつあげてゆけばきりがない。
　見上げた煬鳳ヤンフォンを、鬼燎帝きりょうていは不敵な笑みを湛えながら上から見下ろしている。情とかそういったものが一切感じられぬ、本当にわけの分からないうすら寒い気持ちが煬鳳ヤンフォンに纏わりつく。恐らくは拝陸天バイルーティエンも、そして母も、同じ気持ちを彼に抱いたのだろう。
　口の端をあげた鬼燎帝きりょうていは次なる言葉を紡ぎだす。

「しかし礼儀が全くなっておらぬ。天子たる皇帝の居処において、このような狼藉は到底許されぬ。厳しい処罰が下されようぞ」

　ゆらりと鬼燎帝きりょうていの持つ剣が揺らめいた。

「ふざけるな！」

　叫んだのは翳黒明イーヘイミンだ。

「俺はお前の国民でもなんでもない。しかしお前に恨みはある。人界にんかいを乗っ取るために魔界まかいの人間の血を引く翳冥宮えいめいきゅうを乗っ取ろうとしたな？　翳冥宮えいめいきゅうの皆の恨みを晴らさせてもらうぞ！」
「翳冥宮えいめいきゅう？　さあ、何のことだか全く覚えもないことよ。人界にんかいのもの如きが、証拠もなしにそのようなことで魔界の皇帝である朕に言いがかりをつける気か？　だいいち、翳冥宮えいめいきゅうとやらは既に滅びたと聞くが？　一体お前は何者であるというのだ？」

　予想していたことだが、翳冥宮えいめいきゅうの件は確かに游閣恩ユウグーエンの話はあったものの決定的な証拠に欠けている。仮に翳黒明イーヘイミンがその目で魔界まかいの人間であったと確認したとしても、何一つそれを指し示すものは存在しないからだ。もちろん、翳黒明イーヘイミンが翳冥宮えいめいきゅうの者であると言えばまた話は変わる。しかし、いま黒冥翳魔こくめいえいまの話を持ち出されると事態がまたややこしくなりかねない。


　――それならば、確たる証拠を出してやればいい。