97 / 177
天魔波旬拝陸天(魔界の皇太子)
094:首都探索(八)
しおりを挟む
その言葉に一同の視線が沌混老に集まる。
「先帝が皇魔壇で襲われ、崩御されたとき……。騒ぎを聞きつけて一番に駆けつけた鬼燎帝の手によって、皇魔壇の警備を掻い潜ったという反逆者は捕らえられた。しかし鬼燎帝が駆けつけたときには既に先帝は亡くなっておられた。その者はあろうことか左丞相で、先帝に仕える重鎮の一人であり、彼を知る者ははそんなはずはないと訴えたのじゃ。しかし左丞相の剣には先帝の血がついていたため、結局左丞相は先代陛下を殺した罪で処刑された」
「待って下さい、彼は何の弁明もしなかったのですか?」
凰黎が沌混老に尋ねる。
「できなかったのじゃ。まるで別人であるかのように、いや……正気を失っているように見えた。ただ叫び暴れるばかりで何もまともなことを言えず。儂が知る限りその者は聡明な男で、先代陛下を心から敬う忠臣であったはず」
「左丞相と現陛下との折り合いは、どうだったのですか?」
「……」
沌混老は答えない。いや、答えることを躊躇っているようだ。
「折り合いが悪かったんじゃないか? そうでなければ黙ったりなんてしないはずだ」
翳黒明が鋭く言い放つ。
沌混老は溜め息をつき「その通り」と肯定した。諦めたように首を振ると言葉を続ける。
「左丞相は右丞相であった游閣恩と共に先代を支える一人じゃった。しかし彼は現陛下がいずれ跡を継ぐことには強く反対しておったのじゃ。他に跡継ぎもおらぬゆえ、当時の陛下も相当悩んでおられたことだが……」
「それって、つまり、爺さんが言いたいのは……まさか」
煬鳳は掠れた声で次の言葉を言おうとした――が、その前に翳黒明が煬鳳の口を押さえると代わりにそれを口にした。
「つまり、現皇帝が先帝を殺し、己の即位に反対した先帝の忠臣を犯人に仕立てた。有り体に言うならば、己が即位するために邪魔なものを一気に排除した、ということだな」
恐らくこの場ではっきりと言い切ることができる者がいるとしたら、凰黎と翳黒明くらいなものだったろう。そして翳黒明は彼の親族である煬鳳が自らそれを口にしてしまうことが無いように、己の口でそれを言い切ったのだ。
「口にするのも憚られることだが、恐らくは」
苦々しい顔で沌混老は頷く。
銀瞋は納得がいかぬ様子で、首を傾げている。
「でも、いまの話に永覇がどこに出てくるんだ? 濡れ衣を着せられた奴の持っていた剣にはは先帝の血がついていたんだよな? 皇家の血なら神羅石で間違いなく判別できるはずだぜ」
「なにかの理由があってそれができなかったから咄嗟に祀られていた剣を使ったんだろう。己の剣を使ったらうっかりばれてしまう可能性が高い。逆に祭祀用の神聖な剣であれば、それを取り出して調べようなどとは思わないはずだ。皇帝さえ殺せばあとで剣に血をつけることだってできるからな」
そんな銀瞋の疑問に迷うことなく翳黒明は答えた。
「そういえば、あのときあやつの剣は折れておった。先代の陛下とて決して弱いお方ではない。……争いの途中で剣を折られてしまい、やむを得ず永覇を使ったのやもしれんな。あくまで推測に過ぎぬ話じゃが……」
「しかし沌混老。皇帝陛下が急に永覇を処分すると仰せになったのは、やはり剣に皇家の……先代陛下の血がついていることを知っておられたからではないでしょうか」
金貪が興奮気味に語った。しかし、それでも凰黎は首を捻っている。
「ですが一つ疑問が残ります。なぜ急に皇帝陛下は永覇を処分しようと思われたのでしょうか。即位してからいままで、それなりの時間が流れていたはずです。恐らくいままでもそう思ってもなかなかできなかったのだとは思いますが、ならばなぜ、今回ばかりは強行しようとしたのか」
このことについては煬鳳も凰黎と同じ意見だ。何故皇帝はそれまでずっと放置していた永覇を処分しようとしたのか。その理由が分からず、なんだかもやもやとしたものが残ってしまう。
「そんなことは、おいおい分かるだろ? 重要なのは永覇に先代陛下の血がついていたこと、そうなる機会はたった一度しかなかったってこと。そこにいたのは現皇帝陛下だってことだ! 永覇は皇家の者しか入れない結界の中にあった、にもかかわらず先代陛下の血がついていた。それで十分すぎるほど十分だろ!」
銀瞋もまた興奮気味に叫ぶ。
「銀瞋の言う通り、それだけで申し分ないほど鬼燎帝……皇帝陛下が犯人である可能性は限りなく高いでしょうね。問題は本人がそれを認めるか、ですが」
凰黎の言葉はいたって冷静だ。なにせ相手は魔界の皇帝。しかも九十一の国をあっという間に制圧した、恐らくは歴代の中でも強者に属するほうの存在だ。力で先帝すらねじ伏せたと言うのなら、そんな彼を簡単に失脚させることができるとも思えない。
「游閣恩は、このことを知っているのか?」
煬鳳は沌混老に尋ねた。
沌混老は首を振る。
「随分長らく世俗から離れていたゆえ、奴が知っておったのか否か、儂には分からぬことじゃ。しかし、もしもこの剣の秘密を誰かが知っていたというのなら、もっと早くにこの国は倒れていたはずだろう」
それもそうだ、と煬鳳は思う。そもそも皇家のもの以外は永覇に触れることができないのだし、特別な場所であるから触れる機会も相当限られているはずだ。それなら尚のこと気づける者がいるはずもない。
「とにかくですよ、小鳳坊ちゃま。このことを帰ったら殿下に相談しましょう」
「金貪の言う通りだな、早いとこ帰って陸叔公に相談してみよう」
煬鳳も頷く。
「ちょっと待って下さい」
しかし、それを止めたのは凰黎だった。
「どうしたんだ凰黎?」
聞き返す煬鳳の肩に凰黎の手が置かれる。煬鳳を見つめる凰黎は何故だか苦しそうに見えた。その理由が分からずに煬鳳は凰黎を見返す。
「煬鳳、貴方は理解していますか? たしかに皇帝陛下は評判も良くありませんし、やっていることも良いとはいえません。貴方の慕う皇太子殿下ともそりが合わず敵対している。なにより、貴方の母君が死に至る原因の一つになった方です。……ですが、それでも貴方の祖父ではあるのです。いま、貴方がここでこの争いに巻き込まれてしまったとき、どんな思いをするか……私はそれが心配です」
「あ……」
言われて初めて煬鳳は気づいた。
思えば鬼燎帝とは魔界に来てからまだ一度も顔を合わせたことがないのだが、それでも皇太子が煬鳳にとって叔父であるならば、皇帝は煬鳳にとって祖父なのだ。
だが同時に煬鳳の母が人界の家に嫁ぐとき彼女から力の全てを奪い追い出した調本人でもある。
祖父だからどう、という感情も湧いてはこないが、それでも万に一つ姿を見たら様々な感情も湧き上がるのかもしれない。
そう思うと、皇帝を貶めるために孫である煬鳳自ら弓を引くというのは、少しだけ恐ろしく思えた。
(でも……)
同時に思うのは母のこと、叔父である拝陸天のこと。
もし拝陸天が皇帝と正面切ってやりあうことになった場合、果たして煬鳳は一体どうしたら良いのだろうか?
「いままでずっと一人だったから、急に親族ができた途端ごたごたして、どうしていいか全然分からないな。難しいや」
頭を掻いて苦笑いする煬鳳の頭を翳黒明が叩く。叩くといっても音が鳴るか鳴らないか程度の軽いものだったが。
「そのときは全て俺に任せて、お前は見ているだけでいい。……俺は現皇帝に恨みがある。俺は身内同士で戦うことがどういうことか、よく知っているつもりだ。助けたければ皇太子を助けてやれ。あいつはお前のことを心から大切に想っているようだから」
「……」
煬鳳は翳黒明のことをぽかんとした顔で見上げた。煬鳳の視線に気づくと、慌てて翳黒明は顔をそらして付け加える。
「別に、大した意味はない。その方がお互いに良いと思っただけだ!」
それは同じように身内と骨肉の争いをした苦い経験を持つ、彼なりの思いやり、と言ったところだったのだろう。
「先帝が皇魔壇で襲われ、崩御されたとき……。騒ぎを聞きつけて一番に駆けつけた鬼燎帝の手によって、皇魔壇の警備を掻い潜ったという反逆者は捕らえられた。しかし鬼燎帝が駆けつけたときには既に先帝は亡くなっておられた。その者はあろうことか左丞相で、先帝に仕える重鎮の一人であり、彼を知る者ははそんなはずはないと訴えたのじゃ。しかし左丞相の剣には先帝の血がついていたため、結局左丞相は先代陛下を殺した罪で処刑された」
「待って下さい、彼は何の弁明もしなかったのですか?」
凰黎が沌混老に尋ねる。
「できなかったのじゃ。まるで別人であるかのように、いや……正気を失っているように見えた。ただ叫び暴れるばかりで何もまともなことを言えず。儂が知る限りその者は聡明な男で、先代陛下を心から敬う忠臣であったはず」
「左丞相と現陛下との折り合いは、どうだったのですか?」
「……」
沌混老は答えない。いや、答えることを躊躇っているようだ。
「折り合いが悪かったんじゃないか? そうでなければ黙ったりなんてしないはずだ」
翳黒明が鋭く言い放つ。
沌混老は溜め息をつき「その通り」と肯定した。諦めたように首を振ると言葉を続ける。
「左丞相は右丞相であった游閣恩と共に先代を支える一人じゃった。しかし彼は現陛下がいずれ跡を継ぐことには強く反対しておったのじゃ。他に跡継ぎもおらぬゆえ、当時の陛下も相当悩んでおられたことだが……」
「それって、つまり、爺さんが言いたいのは……まさか」
煬鳳は掠れた声で次の言葉を言おうとした――が、その前に翳黒明が煬鳳の口を押さえると代わりにそれを口にした。
「つまり、現皇帝が先帝を殺し、己の即位に反対した先帝の忠臣を犯人に仕立てた。有り体に言うならば、己が即位するために邪魔なものを一気に排除した、ということだな」
恐らくこの場ではっきりと言い切ることができる者がいるとしたら、凰黎と翳黒明くらいなものだったろう。そして翳黒明は彼の親族である煬鳳が自らそれを口にしてしまうことが無いように、己の口でそれを言い切ったのだ。
「口にするのも憚られることだが、恐らくは」
苦々しい顔で沌混老は頷く。
銀瞋は納得がいかぬ様子で、首を傾げている。
「でも、いまの話に永覇がどこに出てくるんだ? 濡れ衣を着せられた奴の持っていた剣にはは先帝の血がついていたんだよな? 皇家の血なら神羅石で間違いなく判別できるはずだぜ」
「なにかの理由があってそれができなかったから咄嗟に祀られていた剣を使ったんだろう。己の剣を使ったらうっかりばれてしまう可能性が高い。逆に祭祀用の神聖な剣であれば、それを取り出して調べようなどとは思わないはずだ。皇帝さえ殺せばあとで剣に血をつけることだってできるからな」
そんな銀瞋の疑問に迷うことなく翳黒明は答えた。
「そういえば、あのときあやつの剣は折れておった。先代の陛下とて決して弱いお方ではない。……争いの途中で剣を折られてしまい、やむを得ず永覇を使ったのやもしれんな。あくまで推測に過ぎぬ話じゃが……」
「しかし沌混老。皇帝陛下が急に永覇を処分すると仰せになったのは、やはり剣に皇家の……先代陛下の血がついていることを知っておられたからではないでしょうか」
金貪が興奮気味に語った。しかし、それでも凰黎は首を捻っている。
「ですが一つ疑問が残ります。なぜ急に皇帝陛下は永覇を処分しようと思われたのでしょうか。即位してからいままで、それなりの時間が流れていたはずです。恐らくいままでもそう思ってもなかなかできなかったのだとは思いますが、ならばなぜ、今回ばかりは強行しようとしたのか」
このことについては煬鳳も凰黎と同じ意見だ。何故皇帝はそれまでずっと放置していた永覇を処分しようとしたのか。その理由が分からず、なんだかもやもやとしたものが残ってしまう。
「そんなことは、おいおい分かるだろ? 重要なのは永覇に先代陛下の血がついていたこと、そうなる機会はたった一度しかなかったってこと。そこにいたのは現皇帝陛下だってことだ! 永覇は皇家の者しか入れない結界の中にあった、にもかかわらず先代陛下の血がついていた。それで十分すぎるほど十分だろ!」
銀瞋もまた興奮気味に叫ぶ。
「銀瞋の言う通り、それだけで申し分ないほど鬼燎帝……皇帝陛下が犯人である可能性は限りなく高いでしょうね。問題は本人がそれを認めるか、ですが」
凰黎の言葉はいたって冷静だ。なにせ相手は魔界の皇帝。しかも九十一の国をあっという間に制圧した、恐らくは歴代の中でも強者に属するほうの存在だ。力で先帝すらねじ伏せたと言うのなら、そんな彼を簡単に失脚させることができるとも思えない。
「游閣恩は、このことを知っているのか?」
煬鳳は沌混老に尋ねた。
沌混老は首を振る。
「随分長らく世俗から離れていたゆえ、奴が知っておったのか否か、儂には分からぬことじゃ。しかし、もしもこの剣の秘密を誰かが知っていたというのなら、もっと早くにこの国は倒れていたはずだろう」
それもそうだ、と煬鳳は思う。そもそも皇家のもの以外は永覇に触れることができないのだし、特別な場所であるから触れる機会も相当限られているはずだ。それなら尚のこと気づける者がいるはずもない。
「とにかくですよ、小鳳坊ちゃま。このことを帰ったら殿下に相談しましょう」
「金貪の言う通りだな、早いとこ帰って陸叔公に相談してみよう」
煬鳳も頷く。
「ちょっと待って下さい」
しかし、それを止めたのは凰黎だった。
「どうしたんだ凰黎?」
聞き返す煬鳳の肩に凰黎の手が置かれる。煬鳳を見つめる凰黎は何故だか苦しそうに見えた。その理由が分からずに煬鳳は凰黎を見返す。
「煬鳳、貴方は理解していますか? たしかに皇帝陛下は評判も良くありませんし、やっていることも良いとはいえません。貴方の慕う皇太子殿下ともそりが合わず敵対している。なにより、貴方の母君が死に至る原因の一つになった方です。……ですが、それでも貴方の祖父ではあるのです。いま、貴方がここでこの争いに巻き込まれてしまったとき、どんな思いをするか……私はそれが心配です」
「あ……」
言われて初めて煬鳳は気づいた。
思えば鬼燎帝とは魔界に来てからまだ一度も顔を合わせたことがないのだが、それでも皇太子が煬鳳にとって叔父であるならば、皇帝は煬鳳にとって祖父なのだ。
だが同時に煬鳳の母が人界の家に嫁ぐとき彼女から力の全てを奪い追い出した調本人でもある。
祖父だからどう、という感情も湧いてはこないが、それでも万に一つ姿を見たら様々な感情も湧き上がるのかもしれない。
そう思うと、皇帝を貶めるために孫である煬鳳自ら弓を引くというのは、少しだけ恐ろしく思えた。
(でも……)
同時に思うのは母のこと、叔父である拝陸天のこと。
もし拝陸天が皇帝と正面切ってやりあうことになった場合、果たして煬鳳は一体どうしたら良いのだろうか?
「いままでずっと一人だったから、急に親族ができた途端ごたごたして、どうしていいか全然分からないな。難しいや」
頭を掻いて苦笑いする煬鳳の頭を翳黒明が叩く。叩くといっても音が鳴るか鳴らないか程度の軽いものだったが。
「そのときは全て俺に任せて、お前は見ているだけでいい。……俺は現皇帝に恨みがある。俺は身内同士で戦うことがどういうことか、よく知っているつもりだ。助けたければ皇太子を助けてやれ。あいつはお前のことを心から大切に想っているようだから」
「……」
煬鳳は翳黒明のことをぽかんとした顔で見上げた。煬鳳の視線に気づくと、慌てて翳黒明は顔をそらして付け加える。
「別に、大した意味はない。その方がお互いに良いと思っただけだ!」
それは同じように身内と骨肉の争いをした苦い経験を持つ、彼なりの思いやり、と言ったところだったのだろう。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
111
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる