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天魔波旬拝陸天(魔界の皇太子)
089:首都探索(三)
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「謝って済むことではないのは重々承知しているつもりだ。何もできなかった儂は、そなたにどう詫びて良いのかも分からない。もしいまからでも償えることがあるのなら、何でも言って欲しい」
頭を床に着け、游閣恩は言った。
黒冥翳魔は游閣恩を睨みつけている。
このまま彼が游閣恩に怒りをぶつけるのではないか、煬鳳は心配になって凰黎を見た。凰黎は煬鳳の肩をそっと抱く。それだけで気持ちが安らいだのは、多分大丈夫であると凰黎が思っているからだ。
「……全て話して下さったことを感謝します。……私は以前、怒りに任せて関係のない人間を沢山巻き添えにしてしまいました。だから、いま貴方に怒りをぶつけることがいかに無意味であるのか、よく理解しているつもりです。……私は、家族の、仲間の仇を討ちたい。今度こそ本当の仇に対して。私がいま望むのはそれだけです」
絞り出すように、消え入りそうな声で黒冥翳魔は游閣恩にそう言った。俯いて表情は見えなかったが、彼の手の上には滴が落ちている。
游閣恩の話を聞いた黒冥翳魔のそのあとは、実に大人しいものだった。長い間知りたかった真実を概ね知ることができ、毒気が抜けてしまったのかもしれない。
ただ、彼にはもう一つやらねばならぬことが残っている。
――仇を討つこと。
煬鳳たちは当初、皇太子に恒凰宮と翳冥宮のことについての約束を取り付けるだけのつもりだったし、それについては殆ど全て解決したようなものだ。しかし、黒冥翳魔の仇が鬼燎帝である可能性が各段に上がったいま、そのまま魔界から去るという選択肢は消えてしまったに等しい。
とはいえ、相手は魔界の皇帝だ。
九十一もの魔界の国を圧倒的な武力で制圧した皇帝に、いったい誰が太刀打ちできるというのだろうか?
なにより万に一つでも皇帝を倒してしまったら、一体魔界はどうなってしまうのか?
正直にいって、煬鳳たちが手に負える範疇を既に超えてしまっているのだ。
「はあ……一体どうしたらいいんだろう」
思わず漏らした言葉に、游閣恩がひれ伏した。
「申しわけ御座ません! 皇帝陛下の暴挙を止めることもできず……この游閣恩、命を持って償いを……」
「わー! やめろ! そんなことしろなんて言ってない!」
いずこからか取り出した剣を自らの首に当てようとする游閣恩を煬鳳と金貪、凰黎の三人で必死に止める。銀瞋は暢気なもので、黒冥翳魔の隣でへらへらとその光景を眺めていた。
「お前! 銀瞋! お前も手伝えよ!」
「三人で足りるだろ。頑張ってな、小鳳坊ちゃま」
この護衛と来たら全く護衛としての役目を果たしていない。とはいえ、三人いれば足りると言えば足りる。更に言うなら一人くらいは黒冥翳魔の傍についていたほうが安心だろう。仇が魔界の皇帝であると知ったいま、彼がどんな行動に出るのか誰も分からないからだ。
……悔しいが、無駄に客観的に物事をよく見ている男だと煬鳳は思う。
俯く黒冥翳魔の頭の中は、恐らくどうやって仇を討つか、疑わしいものたちから真相を聞き出すかで一杯だろう。いまは大人しくしてはいるが、当人たちを目にする機会があれば――いや、なかったとしても絶対にこのままで終わるはずがない。
「教えて頂きたいのです――游閣恩」
顔をあげた黒冥翳魔は、游閣恩を見た。その眼差しは、間違いなく決意した眼差しだ。
「どうやったら魔界の皇帝に会えるでしょうか。私は……私は、あのときの出来事で全てを失いました。己の未熟さもあったでしょう。しかし、それでもそこまでの仕打ちを受けるいわれはなかったと思っています。少なくとも――我々を貶めたことの責任を、当事者にはしっかりと償いを受けさせたいのです。……私がこうして長きにわたり、今もなお報いを受けているように」
「ふうむ……」
游閣恩は黒冥翳魔を見ながら難しい顔をしている。責任を痛感してこそいるが、さりとて彼も魔界の人間であり、元右丞相であり、先帝にも仕え国を守っていた官吏の一人なのだ。
「まず、よく考えてみなさい。いま魔界の皇帝を討ったとして、そのあと魔界はどうなるか、ということを。儂も陛下に対しては既に我慢の限界を超えている。しかし、それでも突然陛下になにかあったとすれば、九十一もの国を無理やり一つにした昏坑九十一京は、すぐさまばらばらになり争乱状態に陥ってしまうじゃろう。被害を被るのは他でもない、この国で暮らす何の罪もない人々。それを分かってなお己の信念を貫こうとするのなら――今度はその責任をそなたはまた受けることになるのじゃぞ」
游閣恩の言葉はとても重いものだった。黒冥翳魔は言葉を失い、唇を噛む。
「なら……なら、俺は一体どうすればいいんだ? 泣き寝入りするしかないのか? 俺は全てを失ったのに、見知らぬ誰かのために、翳冥宮全ての人たちが命を失ったことを我慢しなければいけないのか? それなら俺は……」
ゆらりと黒冥翳魔の目が赤く光る。
(いけない、また暴走してしまう!)
直感した煬鳳は黒曜に助けを求めようとして、懐の中で震える黒曜もまた、同じ気持ちであることをすぐに理解した。黒曜の体を通して、彼の気持ちを煬鳳は感じ取る。それがなかったとしても、起こった出来事を思い返せば泣き寝入りを我慢できるほど、黒冥翳魔の身に起こった出来事は生易しくはない。
「老先生」
口火を切ったのは凰黎だった。
「反乱軍のような勢力が水面下で動いているのでは――?」
その瞬間、皆が凰黎の顔を見る。黒冥翳魔でさえも、驚いた顔で凰黎を見ていた。その瞳からは赤は失われている。
「しっ、……滅多なことを言うでない」
「この部屋に入る前、あちこちに音を遮断する呪符が貼られているのを見ました。この店はそういった話し合いにも使われているのではないですか? 皇帝陛下に不満を持っている者は少なくはないのでしょう? そして老先生は、彼らに対し率先してこの場所を貸している――いえ、むしろ協力関係にある」
游閣恩の顔が強張った。暫く凰黎を凝視していたが、ただ優雅に微笑み返す凰黎を見て大きく溜め息をつく。
「……はあ。お前さんには敵わぬなぁ。流石は翁汎が儂の元へ寄越しただけのことはある。……その通りじゃ。いま、水面下で着々と『その』準備を進めておる。すぐとは言わぬがそう遠くないうちに……」
「ならば、彼もその反乱軍に加えては頂けませんか?」
「は!?」
驚いて声をあげたのは黒冥翳魔だ。
「ば、馬鹿。なにを言ってるんだ。俺は人界で百年も封じられるほどの災いを為した厄介者なんだぞ。その俺なんかを反乱軍に加えてもいいなんて言うわけが……」
「ここは魔界ですよ。貴方が黒冥翳魔だからといって、人界での事件など誰も気にはしないでしょう?」
凰黎は黒冥翳魔の鼻を小突くと、今度は游閣恩に振り返る。
「老先生。先ほど聞いたように、彼には鬼燎帝へ復讐するだけの大義名分があります。それは反乱軍として戦う旗印の一つになりませんか? 国への不満や改革の志、そこにもう一つの武器を加えるのです。ここまで用心してことを進めているからには、彼らはただの勢いだけではなく、今後のことも見据えたうえで動いているのでしょう。ならば先生の仰る『その後の国はどうなるのか、その責任はどうするのか』ということも、彼の『鬼燎帝を討つ理由』が反乱軍の目的の一つにさえなれば解決するのでは?」
凰黎の言葉に誰も反論はできなかったし、暫く何も言えなかった。あまりにもその通りだったからだ。
もしも、魔界の中だけではなく人界にまで欲を出し、罪もない翳冥宮の人々を滅ぼすきっかけを、わざと作り出したとしたら。
黒冥翳魔が鬼燎帝を討ちたいと思うのは当然のことであるし、魔界の天子であっても罪の無い人々を貶めることなど許されるはずはない。それが魔界の外である人界ならば、なおさらだ。
「ま、まあ……。儂も……これから言おうと思っていた、んじゃがな?」
すっかり言いたいことの全てを語られてしまった游閣恩は、ばつが悪そうに苦笑いした。
「なら、勿体ぶらずに早くお話して下されば良かったのに。差し出がましいことを申し上げてしまったこと、どうかお許し下さい。……彼が怒りに駆られ、再び自分を見失なしまっては元も子もないと思ったものですから」
凰黎は游閣恩に詫びているが、涼しい顔をしているので悪いとは思っていないだろう、と煬鳳は思う。恐らく游閣恩が本題に入るのが遅いのでしびれを切らして先に凰黎が全て言ってしまったのだ。
そっと懐の黒曜の様子を窺うと、黒曜も少し落ち着きを取り戻していたので煬鳳は安心した。黒冥翳魔は驚きすぎてどう反応して良いか分からないようだ。目を丸くしたままあちこちに目を泳がせている。
頭を床に着け、游閣恩は言った。
黒冥翳魔は游閣恩を睨みつけている。
このまま彼が游閣恩に怒りをぶつけるのではないか、煬鳳は心配になって凰黎を見た。凰黎は煬鳳の肩をそっと抱く。それだけで気持ちが安らいだのは、多分大丈夫であると凰黎が思っているからだ。
「……全て話して下さったことを感謝します。……私は以前、怒りに任せて関係のない人間を沢山巻き添えにしてしまいました。だから、いま貴方に怒りをぶつけることがいかに無意味であるのか、よく理解しているつもりです。……私は、家族の、仲間の仇を討ちたい。今度こそ本当の仇に対して。私がいま望むのはそれだけです」
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ただ、彼にはもう一つやらねばならぬことが残っている。
――仇を討つこと。
煬鳳たちは当初、皇太子に恒凰宮と翳冥宮のことについての約束を取り付けるだけのつもりだったし、それについては殆ど全て解決したようなものだ。しかし、黒冥翳魔の仇が鬼燎帝である可能性が各段に上がったいま、そのまま魔界から去るという選択肢は消えてしまったに等しい。
とはいえ、相手は魔界の皇帝だ。
九十一もの魔界の国を圧倒的な武力で制圧した皇帝に、いったい誰が太刀打ちできるというのだろうか?
なにより万に一つでも皇帝を倒してしまったら、一体魔界はどうなってしまうのか?
正直にいって、煬鳳たちが手に負える範疇を既に超えてしまっているのだ。
「はあ……一体どうしたらいいんだろう」
思わず漏らした言葉に、游閣恩がひれ伏した。
「申しわけ御座ません! 皇帝陛下の暴挙を止めることもできず……この游閣恩、命を持って償いを……」
「わー! やめろ! そんなことしろなんて言ってない!」
いずこからか取り出した剣を自らの首に当てようとする游閣恩を煬鳳と金貪、凰黎の三人で必死に止める。銀瞋は暢気なもので、黒冥翳魔の隣でへらへらとその光景を眺めていた。
「お前! 銀瞋! お前も手伝えよ!」
「三人で足りるだろ。頑張ってな、小鳳坊ちゃま」
この護衛と来たら全く護衛としての役目を果たしていない。とはいえ、三人いれば足りると言えば足りる。更に言うなら一人くらいは黒冥翳魔の傍についていたほうが安心だろう。仇が魔界の皇帝であると知ったいま、彼がどんな行動に出るのか誰も分からないからだ。
……悔しいが、無駄に客観的に物事をよく見ている男だと煬鳳は思う。
俯く黒冥翳魔の頭の中は、恐らくどうやって仇を討つか、疑わしいものたちから真相を聞き出すかで一杯だろう。いまは大人しくしてはいるが、当人たちを目にする機会があれば――いや、なかったとしても絶対にこのままで終わるはずがない。
「教えて頂きたいのです――游閣恩」
顔をあげた黒冥翳魔は、游閣恩を見た。その眼差しは、間違いなく決意した眼差しだ。
「どうやったら魔界の皇帝に会えるでしょうか。私は……私は、あのときの出来事で全てを失いました。己の未熟さもあったでしょう。しかし、それでもそこまでの仕打ちを受けるいわれはなかったと思っています。少なくとも――我々を貶めたことの責任を、当事者にはしっかりと償いを受けさせたいのです。……私がこうして長きにわたり、今もなお報いを受けているように」
「ふうむ……」
游閣恩は黒冥翳魔を見ながら難しい顔をしている。責任を痛感してこそいるが、さりとて彼も魔界の人間であり、元右丞相であり、先帝にも仕え国を守っていた官吏の一人なのだ。
「まず、よく考えてみなさい。いま魔界の皇帝を討ったとして、そのあと魔界はどうなるか、ということを。儂も陛下に対しては既に我慢の限界を超えている。しかし、それでも突然陛下になにかあったとすれば、九十一もの国を無理やり一つにした昏坑九十一京は、すぐさまばらばらになり争乱状態に陥ってしまうじゃろう。被害を被るのは他でもない、この国で暮らす何の罪もない人々。それを分かってなお己の信念を貫こうとするのなら――今度はその責任をそなたはまた受けることになるのじゃぞ」
游閣恩の言葉はとても重いものだった。黒冥翳魔は言葉を失い、唇を噛む。
「なら……なら、俺は一体どうすればいいんだ? 泣き寝入りするしかないのか? 俺は全てを失ったのに、見知らぬ誰かのために、翳冥宮全ての人たちが命を失ったことを我慢しなければいけないのか? それなら俺は……」
ゆらりと黒冥翳魔の目が赤く光る。
(いけない、また暴走してしまう!)
直感した煬鳳は黒曜に助けを求めようとして、懐の中で震える黒曜もまた、同じ気持ちであることをすぐに理解した。黒曜の体を通して、彼の気持ちを煬鳳は感じ取る。それがなかったとしても、起こった出来事を思い返せば泣き寝入りを我慢できるほど、黒冥翳魔の身に起こった出来事は生易しくはない。
「老先生」
口火を切ったのは凰黎だった。
「反乱軍のような勢力が水面下で動いているのでは――?」
その瞬間、皆が凰黎の顔を見る。黒冥翳魔でさえも、驚いた顔で凰黎を見ていた。その瞳からは赤は失われている。
「しっ、……滅多なことを言うでない」
「この部屋に入る前、あちこちに音を遮断する呪符が貼られているのを見ました。この店はそういった話し合いにも使われているのではないですか? 皇帝陛下に不満を持っている者は少なくはないのでしょう? そして老先生は、彼らに対し率先してこの場所を貸している――いえ、むしろ協力関係にある」
游閣恩の顔が強張った。暫く凰黎を凝視していたが、ただ優雅に微笑み返す凰黎を見て大きく溜め息をつく。
「……はあ。お前さんには敵わぬなぁ。流石は翁汎が儂の元へ寄越しただけのことはある。……その通りじゃ。いま、水面下で着々と『その』準備を進めておる。すぐとは言わぬがそう遠くないうちに……」
「ならば、彼もその反乱軍に加えては頂けませんか?」
「は!?」
驚いて声をあげたのは黒冥翳魔だ。
「ば、馬鹿。なにを言ってるんだ。俺は人界で百年も封じられるほどの災いを為した厄介者なんだぞ。その俺なんかを反乱軍に加えてもいいなんて言うわけが……」
「ここは魔界ですよ。貴方が黒冥翳魔だからといって、人界での事件など誰も気にはしないでしょう?」
凰黎は黒冥翳魔の鼻を小突くと、今度は游閣恩に振り返る。
「老先生。先ほど聞いたように、彼には鬼燎帝へ復讐するだけの大義名分があります。それは反乱軍として戦う旗印の一つになりませんか? 国への不満や改革の志、そこにもう一つの武器を加えるのです。ここまで用心してことを進めているからには、彼らはただの勢いだけではなく、今後のことも見据えたうえで動いているのでしょう。ならば先生の仰る『その後の国はどうなるのか、その責任はどうするのか』ということも、彼の『鬼燎帝を討つ理由』が反乱軍の目的の一つにさえなれば解決するのでは?」
凰黎の言葉に誰も反論はできなかったし、暫く何も言えなかった。あまりにもその通りだったからだ。
もしも、魔界の中だけではなく人界にまで欲を出し、罪もない翳冥宮の人々を滅ぼすきっかけを、わざと作り出したとしたら。
黒冥翳魔が鬼燎帝を討ちたいと思うのは当然のことであるし、魔界の天子であっても罪の無い人々を貶めることなど許されるはずはない。それが魔界の外である人界ならば、なおさらだ。
「ま、まあ……。儂も……これから言おうと思っていた、んじゃがな?」
すっかり言いたいことの全てを語られてしまった游閣恩は、ばつが悪そうに苦笑いした。
「なら、勿体ぶらずに早くお話して下されば良かったのに。差し出がましいことを申し上げてしまったこと、どうかお許し下さい。……彼が怒りに駆られ、再び自分を見失なしまっては元も子もないと思ったものですから」
凰黎は游閣恩に詫びているが、涼しい顔をしているので悪いとは思っていないだろう、と煬鳳は思う。恐らく游閣恩が本題に入るのが遅いのでしびれを切らして先に凰黎が全て言ってしまったのだ。
そっと懐の黒曜の様子を窺うと、黒曜も少し落ち着きを取り戻していたので煬鳳は安心した。黒冥翳魔は驚きすぎてどう反応して良いか分からないようだ。目を丸くしたままあちこちに目を泳がせている。
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