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天魔波旬拝陸天(魔界の皇太子)

087:首都探索(一)

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 五人が一時辰ほど歩き続けたころ、ようやく金貪ジンタンが待っていた言葉を告げた。

「この通り一帯が水馬行街すいばこうがいです。……とは言っても、我々がこの通りに来たのは今日が初めてですが」
「初めて?」
「ええ。この辺りは風雅な文人たちが多く通うところで、争いも比較的少なく穏やかです。それゆえ我々のような血なまぐさい臭いを常にさせているような者には近寄り難い場所なのです」

 言われてみれば、道を歩く人々の雰囲気は先ほどまでとは随分異なっている。
 先ほどまでは露店や芸事をする者たちが道に溢れ、見物客でひしめき合っていたのだが、こちらは茶舗や楼閣、酒店など食事をするための店が殆どで道を塞ぐような輩は少ないようだ。

 歩いているのも前者はいささか人相が悪いものたちが混じっていたのに対し、いま歩いているのは文人風の装いをした人々が殆どで、扇を片手に優雅に語らっている。どうやらこの辺りは比較的裕福なものたちが多くいるらしい。

 見回りをしているのか役人なども見かけるが、その殆どが身なりをしっかり整えて官服を着たものたちで、名ばかりのすぐに手をあげる乱暴な役人とは違うようだ。

鬼雀楼酒店きじゃくろうしゅてん包子パオズ店の隣にあるそうですから……包子パオズ店から探した方が早いかもしれませんね」

 先導して歩く金貪ジンタンがそう言った。彼らとてこの昏坑九十一京こんきょうきゅうじゅういっけいで暮らしているはずなのだが、そんな彼らでも都の全てを知ることは難しいようだ。

「ったく、九十一も国がくっついたら広すぎて何も分からねえよ」

 銀瞋インチェンがぼやいたが、まったくもってその通りだろう。

「とはいえくっつけて終わりではないのでしょう? 一応一つの国にしたとはいえ……ある程度区画によって分けられているのでは?」
「分けたなんて言えねぇほど、大雑把なもんだ。昔からついてた通りや名前はそのままだけど、とにかく広すぎて誰一人把握なんかできやしない。いまの皇太子殿下が懸命に対応して下さってるけど、それだって皇帝陛下は良く思っちゃいないだろうし、お手上げさ」

 忌ま忌ましい、とばかりに銀瞋インチェン凰黎ホワンリィにまくし立てる。彼は粗暴な物言いの人間ではあるが、一応皇帝と皇太子に対しては内心どう思ってはいようが最低限の礼儀を持ってはいるらしい。乱暴な言葉遣いの中に時折そういった言葉遣いが見え隠れする。
 しかしあまりに街中で言いたい放題言い過ぎたせいか、金貪ジンタン銀瞋インチェンの脇腹をつついた。

「しっ――どこで誰が聞いているか分からないんだ。口を慎め」
「へいへい、分かってますって。一応俺だって場所は選んでますよう」
「どうだか……」

 うんざりした顔で金貪ジンタン銀瞋インチェンを睨んだが、銀瞋インチェンは素知らぬ顔を続けている。

「ところで、肝心の目的を忘れてはいないか。包子パオズ店って言ったって俺たちはここのこと何も知らないんだぞ。二人が横道に逸れたらどうしていいか分からないよ」
「申しわけありません、小鳳シャオフォン坊ちゃま!」

 慌てて金貪ジンタン煬鳳ヤンフォンに跪くので、煬鳳ヤンフォンはぎょっとした。

「ちょっと! やめろって! っていうか、お前のそれが一番目立つだろ!」
「……!」

 しまったとばかりに金貪ジンタンの顔が真っ赤になる。隣では銀瞋インチェンが笑いを堪えながら腹を押さえているが、しっかり声が漏れている。金貪ジンタンは羞恥でその場にいられなくなったのか、

「すぐに探して参ります! 小鳳シャオフォン坊ちゃまはここでお待ちを!」

 と言って走って行ってしまった。
 取り残されたのは残りの四人。

「あいつ、しっかりしているようで案外抜けてるな……」

 黒冥翳魔こくめいえいまが走っていく金貪ジンタンの後ろ姿を見ながらぼそりと言った。

「生真面目すぎて時々肝心なことが頭から飛んじまうんだよ。くっく」

 まだ笑いが収まらぬのか、銀瞋インチェンはくつくつと笑っている。しかし、本をただせば銀瞋インチェンが言いたい放題街中で言ってしまったことがことの発端であるような気がするので、人のことは言えないだろうと煬鳳ヤンフォンは内心思う。

 金貪ジンタンが戻ってきたのは四人が待つことに飽き始めたころだ。よほど走り回ってきたのか息を切らせながら、彼は「鬼雀楼酒店きじゃくろうしゅてんを見つけました」と言った。

「初めは包子パオズ店を探して一つ一つ当たっていたのですが、埒が明かず……。結局、鬼雀楼酒店きじゃくろうしゅてんの名を出して尋ねたらすぐに場所が分かりました」

 どうやら鬼雀楼酒店きじゃくろうしゅてんというのはかなりの有名な店らしく、広大な水馬行街すいばこうがいにおいても大概のものは名を聞いたことがあるほどだった。

 有名店とはいえ、見た目はさほど派手過ぎず、随所に凝らした装飾も控えめな木彫りで程良く上品で目立たぬように工夫されている。入り口では数人の給仕が立っていて店に入るものを案内をしているようだ。彼らの身なりも他の店の給仕などより一段上品な装いで、この店が一流であるのだと感じさせる。

「なんだ。じゃあ初めからそうすれば良かったな」

 銀瞋インチェンが揶揄うようにそう言ったので、金貪ジンタンは恨めしそうな目で銀瞋インチェンを睨んだ。

「はいはい。喧嘩はもういいから、早く入ろうぜ」

 彼らのやり取りに付き合っていると、すぐに時間が過ぎてしまいそうだ。煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィに「入ろう」と言うと、鬼雀楼酒店きじゃくろうしゅてんの入り口をまたいだ。

「すみません、こちらに游閣恩ユウグーエンという方はおられますか?」

 凰黎ホワンリィがやってきた給仕の男性に呼び掛けると、「店主になにか御用でございますか?」とやや緊張気味に聞き返された。
 煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィは顔を見合わせる。
 どうしたものか、本当のことを言うべきか。

「突然押しかけて申し訳ない。我々はこういったものだ」

 給仕に返答をしたのは銀瞋インチェンだ。彼は令牌を取り出すと、給仕に見せる。

「しょ、少々お待ち下さい!」

 給仕はそれを見てさっと顔色を変えると、慌てて店の奥へと走って行った。

「なあ、それお前たちみんな持ってるのか?」
「まさか。これは劉将軍から『困ったときに見せろ』と言われて借り受けたものだ」

 どうやら今日この場にこそ一緒に来なかったものの、劉鋼雲リウガンユン煬鳳ヤンフォンたちのことを気に掛けてくれていたようだ。黒冥翳魔こくめいえいまの戦いにおいても彼の戦いぶりは目を瞠るものがあった。さすが皇太子の側近だと煬鳳ヤンフォンは感心する。
 それからすぐに煬鳳ヤンフォンたちは客人をもてなすための個室へと案内された。他にもいくつか客をもてなすための部屋があるようで、一同が同じ場所で雑多に食べたいものを食べるような店とは随分様相が違う。

「先ほどの失礼をお詫びいたします。皇太子殿下所縁の方だとはつゆ知らず、どうかお許しを」

 部屋に入ると、一人の老人が煬鳳ヤンフォンたちに向かって頭を下げた。老人は顔を上げ、煬鳳ヤンフォンたちを見据える。

「儂が店主の游閣恩ユウグーエンと申します」

 敵意を向けられたわけではない。ただ真っすぐ見られただけだというのに、びりびりとした気迫が煬鳳ヤンフォンの体を駆け抜ける。

(そういや前は皇帝の右丞相をしてたって言ってたっけ……)

 見た目はただの老人ではあるが、やはり翁汎ウェンファンが名指しをしただけあって、只者ではないようだ。右丞相を辞してなお、皇帝の傍で立つに相応しい威厳を持っている。

「えっと、俺は……」

 そこまで言いかけて自分はなんと名乗るべきなのか煬鳳ヤンフォンは迷った。

(皇太子の甥だって言えばいいのか? でもなんか、自分で言うのちょっと恥ずかしい気もするな……。でも普通に名乗ってもだから何だって思われるよな……)

 元右丞相の前に立つには、ただの煬昧梵ヤンメイファンでは不足なのだ。しかし、皇太子の甥を名乗るのはいささか乱暴であるような気もする。

游閣恩ユウグーエン、ご無沙汰しております。幼いころに父と共にご挨拶をした金貪ジンタン銀瞋インチェンです。こちらは皇太子殿下の甥であり、亡くなられた公主様の忘れ形見であらせられる、煬昧梵ヤンメイファン様」
「なんと! 公主様の……!? おお、なんということだ……」

 金貪ジンタンの話に游閣恩ユウグーエンは目頭を押さえてむせび泣く。煬鳳ヤンフォンがその泣きっぷりに若干引いているのも気に留めず、游閣恩ユウグーエン煬鳳ヤンフォンに詰め寄ると顔を両手で抑え込んだ。

「っ!?」

 突然老人の顔が眼前に迫って煬鳳ヤンフォンは声にならない叫びをあげそうになる。
 それを見て凰黎ホワンリィも一瞬固まった。すぐに驚きから怒りに変わって游閣恩ユウグーエンに掴みかかろうとしたが、黒冥翳魔こくめいえいまが慌てて凰黎ホワンリィを引き留めたことでなんとか踏みとどまった。
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