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藕断糸連哥和弟(切っても切れぬ兄弟の絆)
071:蓬萊弱水(四)
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「阿黎。そなたは今日をもって恒凰宮とは全く無関係の人間となりなさい。恒凰宮の第二公子という立場は捨てるのだ。そして私たちのことは金輪際忘れなさい。それがお前のためだ」
宮主は息子である凰黎に断腸の思いでそう言った。それが彼にできる唯一のことだったからだ。
母は突然の別れに耐えることができず、なかなか凰黎を離そうとはしなかったが、蓬莱に奪われるくらいならと血を吐くような思いで「貴方のことをいつでも想っています。愛しているわ」と凰黎を見送った。
人一倍凰黎のことを可愛がっていた凰神偉は俯いてじっと涙を堪えていたが、別れの際には走り寄り、絶対にお前のことは守るから、と小さい凰黎を抱きしめた。
人生にはままならぬことが多々あるものだ。
五歳にして凰黎はそれを嫌というほど実感し、そして恒凰宮をあとにしたのだった。
* * *
なぜ恒凰宮の人々が万晶鉱のことを知り、万晶鉱について詳しかったのか。
理由はじつに簡単だった。
身内が――凰黎の運命そのものが万晶鉱に大きく関わっていたからだ。
煬鳳はその事実に愕然として、言葉が出てこなかった。
「事情を理解した嶺主様は、私のことを本当の息子のように育てて下さいました。私が恒凰宮に戻ることが難しいと理解したあとは、私を養子として迎えて下さったのです。直接会ったわけではありませんが、父は嶺主様の計らいに心から喜んだと風の噂で耳にしました。ですが、そうであっても『凰』は私と本当の家族との絆ですから、対外的な場所以外では『凰』を名乗るようにと仰って下さったのです」
五行盟本部で彼がなぜ『静公子』と呼ばれていたのか、あの時は不思議だったのだが、いまはその理由がはっきりと分かる。
蓬莱の力が及ばぬような遠方の田舎では『凰』を名乗ってはいるが、五行盟のような大きな集まりの場では目立つため、静泰還の息子として行動しているわけだ。
先ほどまで語ってくれた内容を思い出しながら、凰黎の背を煬鳳は眺める。
滞在した期間は短いものだったが、思えば沢山のことがあった。凰黎が恒凰宮の第二公子であったこと、兄がいたこと。両親は既に亡くなってしまったこと、そして蓬莱のこと――。
いいことも悪いこともあったが、ある程度の事情が明らかになったことで凰黎の背負っていた重いものはいくぶんか軽くなったように思う。
冽州に向かう時の凰黎の表情はどれも険しかったり辛そうな顔をしていたが、原始の谷での出来事を語り終えたあとの凰黎は憑き物が落ちたかの様にすっきりした顔をしている。
「なあ、凰黎」
凰黎が振り返った。
「何です? 煬鳳」
煬鳳は意を決すると口を開く。
「あのさ。お前にも色々事情があって言い辛いのも仕方ないと思ってる。……でも、もしお前が嫌じゃなかったら、お前のこと色々聞かせて欲しいんだ。代わりに俺のことは何でも話すよ。……っていっても、俺は凰黎みたいな複雑な生き方はしてないから、大した話はないけど。でも、辛い気持ちを一人で抱えないで欲しいんだ」
照れくさいと思いながらも、煬鳳は続ける。凰黎の袖を引っ張ると、彼を引き寄せ抱きしめた。
「熱い」
凰黎に指摘され、さきほど黒曜を出して戦ったことを思い出す。使った霊力はさしたるものではなかったが、閑白の攻撃は凄まじく掠めただけでも危ういものだった。
「大して霊力を使ったわけじゃないんだ。……でも、あいつの攻撃は恐ろしいな。一瞬のうちに俺の痣の事情を見抜いて仕掛けてきた」
「仙界の者と我々とは生きた年月が違うのです。無茶をしてはいけません」
凰黎の体から冷たい力が煬鳳へと流れてゆく。このまま目を閉じていたら心地よくて眠ってしまいそうだ。
「ごめん。でも少しでも力になりたかったんだ。それに、凰黎のことを守りたかった。……駄目か?」
凰黎を見上げれば、伏せている彼の瞳が微かに揺れていたことに気づく。
「駄目ではありません」
煬鳳の気のせいかもしれない。
凰黎の声が微かに上ずっているように感じられた。
抱きしめ返される力が強くなるのを煬鳳は感じる。――それと同時に、煬鳳は思う。
白宵城に入ったら、またきっと照れてしまうに違いない。だからもう少し。
もう少しだけ――このままでいたい、と。
* * *
冽州一の都である白宵城の城郭は、堅牢なことで知られている。それというのも雪の多い地域であるゆえに、より水気に強く、丈夫な煉瓦で城壁が造られているからだ。犀安のような派手さは無いが、城門を通るために待つ人々の表情は、長いこと孤独に山道を歩いてきたゆえの安堵感からか誰もがみな嬉しそうな表情を見せる。
そんな白宵城の城牆[*1]に背を預ける黒く長い影。城門の脇に佇んでいたのは、白宵城で落ち合う約束をしていた鸞快子だった。目を伏せじっと壁際に佇む鸞快子の艶やかな長い黒髪は、風を受けて絹糸のように揺れる。
「なんだ! 中で待ってると思ったのにさ」
喜び半分、驚き半分で煬鳳は鸞快子に駆け寄るが、彼の手にあるものを見て思わずあっと声をあげた。
「それ!」
煬鳳の指差した二つのうちの一つである黒弓は、ただ美しいだけの弓だ。しかし矢入れに入った矢のほうには大層見覚えがある。矢柄に書きつけられた文様のようなもの。それは先ほど閑白に向かって放たれた矢と同じ呪文が書きつけられている。
「その弓と矢! もしかして閑白に矢を放ったのは鸞快子、あんただったのか!?」
驚いて尋ねた煬鳳に、涼しい顔の鸞快子は「そうだが?」と答えた。
しかし「そうだ」と言われても簡単に信じるほどには突拍子もない話だ。
(だって……だって、ここから俺たちが閑白と遭遇した場所までどれほど離れてると思ってるんだ!?)
少なく見積もっても数里の距離はあったはずだ。床弩[*2]を使ったとて届くはずもない。驚きのあまり口を開けたまま、鸞快子を見つめる煬鳳の考えに気づいたのか、鸞快子は口元の笑みを隠すこともせず言った。
「なに、少し力を乗せて飛ばしてやれば、飛ぶものだ」
「煬鳳に嘘を教えないで下さい」
すぐさま凰黎に窘められた鸞快子は、さして悪びれた様子もなく肩を竦める。そのやり取りを見るに、どうやら鸞快子は少し煬鳳をからかったようだ。凰黎は鸞快子の持つ弓と矢をまじまじと見て、呆れたような顔をする。
「それほどお強いのなら、いっそ仕留めてしまえば良かったのに」
「いま仕留めてしまったら、次に蓬莱が動くだろう。奴を警戒させても意味がない。いまは威嚇だけで十分だ」
鸞快子の言葉から読み取るに、彼は蓬莱を狙っている。そして、恒凰宮の者たちの反応とは違い、彼は蓬莱や閑白を恐れてはいない。
つい先ほど、矢を見た閑白の動揺ぶりを思い出した煬鳳は、もしかしたら鸞快子は、閑白や蓬莱よりも強いのかもしれない――などということを思った。
鸞快子はふと顔をあげ、二人に顎でしゃくる。
「それより、いつまで立ち話を続けるつもりだ? せっかくこの先に大きな客棧があるのだから、中に入ってからでも悪くはないだろう?」
凰黎と煬鳳の二人は、ずっと立ち話をしていたことを思い出すと、顔を見合わせた。
三人は白宵城の中で一番大きい客棧を選び、そこで一晩休むことにした。昨晩は小さな小屋で眠ったため、やはり三人ともまともには寝ておらず、気兼ねなく足を伸ばして眠りたかったのだ。
「鸞快子は別の部屋で。私と煬鳳は同じ部屋に」
「……」
有無を言わさぬ凰黎の物言いに、さしもの鸞快子も反論することができなかった。鸞快子は煬鳳と凰黎の二人とは本来関係のない存在だ。閑白が凰黎の前に現れたときに助けてくれたのも鸞快子。その彼に対しての雑な扱いに驚いて煬鳳は咄嗟に凰黎を止めようとした。
「な、なあ。鸞快子には世話になってるんだし。三人一緒だって……」
しかしそこまで言ったあとで、それもまた不味いのではないかということに気づく。
凰黎と煬鳳が恋人同士であることを鸞快子は知っている。なのに三人一緒の部屋など……金に困っているのならともかくとして、そうで無いのならただの嫌がらせとなんら変わりない。
「煬鳳の優しさは染み入るほど有り難いが――……二人の間に割り込むような野暮なことはしたくない。気にしないでくれ」
「……」
案の定鸞快子にもそう言われてしまった。
それに気づきもせずうっかり口走ってしまった自分は『とんだ空気が読めない奴』である。
煬鳳は誰もいない場所で叫びたい気持ちを抑えながら、苦笑いでその場をやり過ごすことに決め込んだ。
――――――
[*1]城牆……城壁
[*2]床弩……弩弓(みたいなの)を台車に固定したもの
宮主は息子である凰黎に断腸の思いでそう言った。それが彼にできる唯一のことだったからだ。
母は突然の別れに耐えることができず、なかなか凰黎を離そうとはしなかったが、蓬莱に奪われるくらいならと血を吐くような思いで「貴方のことをいつでも想っています。愛しているわ」と凰黎を見送った。
人一倍凰黎のことを可愛がっていた凰神偉は俯いてじっと涙を堪えていたが、別れの際には走り寄り、絶対にお前のことは守るから、と小さい凰黎を抱きしめた。
人生にはままならぬことが多々あるものだ。
五歳にして凰黎はそれを嫌というほど実感し、そして恒凰宮をあとにしたのだった。
* * *
なぜ恒凰宮の人々が万晶鉱のことを知り、万晶鉱について詳しかったのか。
理由はじつに簡単だった。
身内が――凰黎の運命そのものが万晶鉱に大きく関わっていたからだ。
煬鳳はその事実に愕然として、言葉が出てこなかった。
「事情を理解した嶺主様は、私のことを本当の息子のように育てて下さいました。私が恒凰宮に戻ることが難しいと理解したあとは、私を養子として迎えて下さったのです。直接会ったわけではありませんが、父は嶺主様の計らいに心から喜んだと風の噂で耳にしました。ですが、そうであっても『凰』は私と本当の家族との絆ですから、対外的な場所以外では『凰』を名乗るようにと仰って下さったのです」
五行盟本部で彼がなぜ『静公子』と呼ばれていたのか、あの時は不思議だったのだが、いまはその理由がはっきりと分かる。
蓬莱の力が及ばぬような遠方の田舎では『凰』を名乗ってはいるが、五行盟のような大きな集まりの場では目立つため、静泰還の息子として行動しているわけだ。
先ほどまで語ってくれた内容を思い出しながら、凰黎の背を煬鳳は眺める。
滞在した期間は短いものだったが、思えば沢山のことがあった。凰黎が恒凰宮の第二公子であったこと、兄がいたこと。両親は既に亡くなってしまったこと、そして蓬莱のこと――。
いいことも悪いこともあったが、ある程度の事情が明らかになったことで凰黎の背負っていた重いものはいくぶんか軽くなったように思う。
冽州に向かう時の凰黎の表情はどれも険しかったり辛そうな顔をしていたが、原始の谷での出来事を語り終えたあとの凰黎は憑き物が落ちたかの様にすっきりした顔をしている。
「なあ、凰黎」
凰黎が振り返った。
「何です? 煬鳳」
煬鳳は意を決すると口を開く。
「あのさ。お前にも色々事情があって言い辛いのも仕方ないと思ってる。……でも、もしお前が嫌じゃなかったら、お前のこと色々聞かせて欲しいんだ。代わりに俺のことは何でも話すよ。……っていっても、俺は凰黎みたいな複雑な生き方はしてないから、大した話はないけど。でも、辛い気持ちを一人で抱えないで欲しいんだ」
照れくさいと思いながらも、煬鳳は続ける。凰黎の袖を引っ張ると、彼を引き寄せ抱きしめた。
「熱い」
凰黎に指摘され、さきほど黒曜を出して戦ったことを思い出す。使った霊力はさしたるものではなかったが、閑白の攻撃は凄まじく掠めただけでも危ういものだった。
「大して霊力を使ったわけじゃないんだ。……でも、あいつの攻撃は恐ろしいな。一瞬のうちに俺の痣の事情を見抜いて仕掛けてきた」
「仙界の者と我々とは生きた年月が違うのです。無茶をしてはいけません」
凰黎の体から冷たい力が煬鳳へと流れてゆく。このまま目を閉じていたら心地よくて眠ってしまいそうだ。
「ごめん。でも少しでも力になりたかったんだ。それに、凰黎のことを守りたかった。……駄目か?」
凰黎を見上げれば、伏せている彼の瞳が微かに揺れていたことに気づく。
「駄目ではありません」
煬鳳の気のせいかもしれない。
凰黎の声が微かに上ずっているように感じられた。
抱きしめ返される力が強くなるのを煬鳳は感じる。――それと同時に、煬鳳は思う。
白宵城に入ったら、またきっと照れてしまうに違いない。だからもう少し。
もう少しだけ――このままでいたい、と。
* * *
冽州一の都である白宵城の城郭は、堅牢なことで知られている。それというのも雪の多い地域であるゆえに、より水気に強く、丈夫な煉瓦で城壁が造られているからだ。犀安のような派手さは無いが、城門を通るために待つ人々の表情は、長いこと孤独に山道を歩いてきたゆえの安堵感からか誰もがみな嬉しそうな表情を見せる。
そんな白宵城の城牆[*1]に背を預ける黒く長い影。城門の脇に佇んでいたのは、白宵城で落ち合う約束をしていた鸞快子だった。目を伏せじっと壁際に佇む鸞快子の艶やかな長い黒髪は、風を受けて絹糸のように揺れる。
「なんだ! 中で待ってると思ったのにさ」
喜び半分、驚き半分で煬鳳は鸞快子に駆け寄るが、彼の手にあるものを見て思わずあっと声をあげた。
「それ!」
煬鳳の指差した二つのうちの一つである黒弓は、ただ美しいだけの弓だ。しかし矢入れに入った矢のほうには大層見覚えがある。矢柄に書きつけられた文様のようなもの。それは先ほど閑白に向かって放たれた矢と同じ呪文が書きつけられている。
「その弓と矢! もしかして閑白に矢を放ったのは鸞快子、あんただったのか!?」
驚いて尋ねた煬鳳に、涼しい顔の鸞快子は「そうだが?」と答えた。
しかし「そうだ」と言われても簡単に信じるほどには突拍子もない話だ。
(だって……だって、ここから俺たちが閑白と遭遇した場所までどれほど離れてると思ってるんだ!?)
少なく見積もっても数里の距離はあったはずだ。床弩[*2]を使ったとて届くはずもない。驚きのあまり口を開けたまま、鸞快子を見つめる煬鳳の考えに気づいたのか、鸞快子は口元の笑みを隠すこともせず言った。
「なに、少し力を乗せて飛ばしてやれば、飛ぶものだ」
「煬鳳に嘘を教えないで下さい」
すぐさま凰黎に窘められた鸞快子は、さして悪びれた様子もなく肩を竦める。そのやり取りを見るに、どうやら鸞快子は少し煬鳳をからかったようだ。凰黎は鸞快子の持つ弓と矢をまじまじと見て、呆れたような顔をする。
「それほどお強いのなら、いっそ仕留めてしまえば良かったのに」
「いま仕留めてしまったら、次に蓬莱が動くだろう。奴を警戒させても意味がない。いまは威嚇だけで十分だ」
鸞快子の言葉から読み取るに、彼は蓬莱を狙っている。そして、恒凰宮の者たちの反応とは違い、彼は蓬莱や閑白を恐れてはいない。
つい先ほど、矢を見た閑白の動揺ぶりを思い出した煬鳳は、もしかしたら鸞快子は、閑白や蓬莱よりも強いのかもしれない――などということを思った。
鸞快子はふと顔をあげ、二人に顎でしゃくる。
「それより、いつまで立ち話を続けるつもりだ? せっかくこの先に大きな客棧があるのだから、中に入ってからでも悪くはないだろう?」
凰黎と煬鳳の二人は、ずっと立ち話をしていたことを思い出すと、顔を見合わせた。
三人は白宵城の中で一番大きい客棧を選び、そこで一晩休むことにした。昨晩は小さな小屋で眠ったため、やはり三人ともまともには寝ておらず、気兼ねなく足を伸ばして眠りたかったのだ。
「鸞快子は別の部屋で。私と煬鳳は同じ部屋に」
「……」
有無を言わさぬ凰黎の物言いに、さしもの鸞快子も反論することができなかった。鸞快子は煬鳳と凰黎の二人とは本来関係のない存在だ。閑白が凰黎の前に現れたときに助けてくれたのも鸞快子。その彼に対しての雑な扱いに驚いて煬鳳は咄嗟に凰黎を止めようとした。
「な、なあ。鸞快子には世話になってるんだし。三人一緒だって……」
しかしそこまで言ったあとで、それもまた不味いのではないかということに気づく。
凰黎と煬鳳が恋人同士であることを鸞快子は知っている。なのに三人一緒の部屋など……金に困っているのならともかくとして、そうで無いのならただの嫌がらせとなんら変わりない。
「煬鳳の優しさは染み入るほど有り難いが――……二人の間に割り込むような野暮なことはしたくない。気にしないでくれ」
「……」
案の定鸞快子にもそう言われてしまった。
それに気づきもせずうっかり口走ってしまった自分は『とんだ空気が読めない奴』である。
煬鳳は誰もいない場所で叫びたい気持ちを抑えながら、苦笑いでその場をやり過ごすことに決め込んだ。
――――――
[*1]城牆……城壁
[*2]床弩……弩弓(みたいなの)を台車に固定したもの
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