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陳蔡之厄黒炎山(黒炎山での災難)

045:狐死首丘(三)

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 黒冥翳魔こくめいえいまの件で黒炎山こくえんざんに行かなければならなかったのは最悪だが、十数年ぶりに訪れた故郷でこのような発見があるなんて。
 この墓に花を供えたということは、きっとその人物も煬鳳ヤンフォンと同じように、自分の他にも仲間が生きていると気づいたはずだ。

 それは一体誰なのだろう。
 煬鳳ヤンフォンの胸はにわかに高鳴った。

「こんなところに村があると思って来てみれば……なんだ。お前たちか」

 聞き覚えのある口調に瞬間的にそれが誰であるかを直感する。

「下がってろ!」

 咄嗟に凰黎ホワンリィ小黄シャオホワンの前に飛び出ると、煬鳳ヤンフォンはすかさず黒曜ヘイヨウを袖から放つ。袖口から飛び出した黒い鳳凰は黒い翼を羽ばたかせ、声を発した人物に飛び掛かる。相対する人物は、迫る黒曜ヘイヨウを見ても相手は全く反撃の体制すら取ることは無い。

「馬鹿だな」

 ボソリと呟き男は片手を振る。
 煬鳳ヤンフォンは一瞬何が起こったかわからなかった。
 そのたった一振りで黒曜ヘイヨウが『グエッ』という声を上げ、地面に叩き伏せられてしまったのだ。
 あまりにも呆気なく、あっさりと。

「何だって!?」

 煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウを扱えるようになってから、このようなことはただ一度もなかったし、苦戦することだってなかった。
 それなのに、こうも軽くあしらわれてしまうとは。
 地面に叩きつけられた黒曜ヘイヨウは這いつくばったまま翳炎えいえんを燻らせている。その尾の先は長く伸びて煬鳳ヤンフォンへと繋がっていた。

「戻れ!」

 慌てて煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウの尾を引き、己の中に引き戻す。前回戦ったときに薄々感じてはいたのだが、煬鳳ヤンフォン翳炎えいえんはあの男と同じものであっても、炎の大本はやはりあの男に違いない。だから普段は負け知らずの黒曜ヘイヨウも、あの男にだけは太刀打ちできないのだ。
 様々な感情を込めて煬鳳ヤンフォンは男に叫ぶ。

黒冥翳魔こくめいえいま!」

 姿かたちは清林峰せいりんほうの森で会ったときと異なっている。あの時この男が使っていた死体は渓候シーホウのもので、初めて煬鳳ヤンフォンと戦ったとき渓候シーホウの体を捨てて黒冥翳魔こくめいえいまは去って行った。恐らくは新たな死体を見つけて借尸戻魂しゃくしれいこん術を使ったのだろう。
 今度の姿は、街を歩けばどこにでもいる商人のような身なりをした男だ。一目で死んでいると分かるのは、腹に大きな傷があり、服は赤黒い血で染まっていた。

「少しぶりだな、煬鳳ヤンフォン。こんなところで会うとは思わなかった。……ああ、この男は別に殺したわけじゃない。旅先で盗賊に出会って命を落としたようだ」

 煬鳳ヤンフォンの驚きを察したのか、黒冥翳魔こくめいえいまは言葉を切ったあと、言い添える。
 己は五行盟ごぎょうめいからあらぬ疑いをかけられてここまでくる羽目になったというのに、当の本人は焦ることもない。余裕のその表情が心底腹立たしく思えてくる。

「ここは俺が昔住んでいた場所だ。居たっておかしくなんかないだろう」
「ああ、どうりで」

 不貞腐れた煬鳳ヤンフォンの言葉に片眉を上げ、得心したように黒冥翳魔こくめいえいまは言った。しかし清林峰せいりんほうから犀安さいあんに戻ってきて、それから黒炎山こくえんざんへやってきたというのに、まさか黒冥翳魔こくめいえいまに都合よく遭遇するとは幸運なのかそれとも不幸なのか。
 煬鳳ヤンフォン五行盟ごぎょうめいでの出来事を思い出し、黒冥翳魔こくめいえいまに叫ぶ。

黒冥翳魔こくめいえいま。お前と俺が繋がってるんじゃないかって言われて今大変なんだ。だから潔白を証明するためにこうして黒炎山こくえんざんまでやってきたのさ」
「それはそれは……気の毒だったな」

 全くそう思っていない顔で、黒冥翳魔こくめいえいまは目を細める。

「いいことを教えてやろう。お前と俺とはついこの前まで全く面識のない人間同士だ。しかし本当に気の毒なことだが、お前の炎は俺の力だ。つまり、全く無関係な者同士でもない」
「それは、この前のときから分かっていたことだ」
「ほう。賢いな」
「……馬鹿にしてるのか」

 馬鹿にされていると感じ、煬鳳ヤンフォンは気色ばむ。背後には凰黎ホワンリィがいて、小黄シャオホワンがいる。凰黎ホワンリィ一人ならともかくとして、小黄シャオホワンを守りながら凰黎ホワンリィに戦わせるわけにはいかない。

「俺の翳炎えいえんがお前のものだったとして、だったらなんなんだ」

 煬鳳ヤンフォンが言った言葉に、黒冥翳魔こくめいえいまは微笑んだ。

「なに。――俺の力なら返して貰おうと思ってな。教えてくれよ、どうやって俺の力を自分のものにしたんだ?」
「知るか! 俺が聞きたいくらいだ!」

 すぐに黒冥翳魔こくめいえいまから攻撃が来ることを予想して咄嗟に煬鳳ヤンフォン翳炎えいえんを打ち出した。しかし黒冥翳魔こくめいえいまも同様に翳炎えいえんを放つ。互いの炎が触れた瞬間、煬鳳ヤンフォンはとてつもない力によって体が引き寄せられるような、そんな感覚に陥った。

(まずい、黒冥翳魔こくめいえいまに取り込まれる!)

 恐ろしいことに、黒曜ヘイヨウだけが引き付けられているわけではない。煬鳳ヤンフォン自身も急激に黒冥翳魔こくめいえいまへと引きずられているのだ。
 迂闊だった。もっと早く気づくべきだったし、気づいていたのなら別の手立てがあったはずだ。運の悪いことに煬鳳ヤンフォンはいま、自分の体と黒曜ヘイヨウが持って行かれないよう踏ん張ることで精一杯、とても他のことに費やせる余裕がない。

 このままでは体ごと黒冥翳魔こくめいえいまに乗っ取られてしまう!
 思わず唇を噛んだその瞬間、強い光が煬鳳ヤンフォン黒冥翳魔こくめいえいまのあいだに迸った。

 眼前に見えたのは凰黎ホワンリィが霊剣、神侯シェンホウ黒冥翳魔こくめいえいまを弾き飛ばす姿。
 迅速果敢、掲げた神侯シェンホウは六つの光となって宙に舞う。一振りから六つの刃へと変化じた神侯シェンホウは、剣の軌跡で光を描く。

 微かな動揺と共に黒冥翳魔こくめいえいまは膝をつき、しかしすぐに我に返ると黒く燃える翳炎えいえん凰黎ホワンリィに向かって放つ。

いん在ればよう在り。またよう在ればいん在るように、互いを侵すことなかれ」
「なんだと!?」

 黒冥翳魔こくめいえいまの動きが止まった。どうやら目の前の光景に驚きを隠せなかったらしい。
 それもそのはず、神侯シェンホウが描き出した光の防壁陣はいともたやすく黒冥翳魔こくめいえいま翳炎えいえんを打ち消したのだ。
 驚く黒冥翳魔こくめいえいまの隙をつき、凰黎ホワンリィ神侯シェンホウの剣身の部分で思い切り打ち払った。彼のの手には一振りに戻った神侯シェンホウが握られている。
 凰黎ホワンリィの猛攻を耐えきることができず、黒冥翳魔こくめいえいまは瓦礫の向こうへと飛んでく。
 大きな音を立てて黒冥翳魔こくめいえいまの姿が沈む。近くにぶつかる障害物もなく、かなり遠くにある崩れかけの家屋に突っ込んでしまったのだ。

煬鳳ヤンフォン、逃げましょう!」
「う、うん!」

 煬鳳ヤンフォンの手を取り凰黎ホワンリィが叫ぶ。もう片方は小黄シャオホワンの手をしっかりと握って、三人で来た道を戻るように駆け出した。振り返れば背後を警戒するように神侯シェンホウの光の軌道を描くのが見える。何故だか煬鳳ヤンフォンは、その光に奇妙な感覚を覚えた。

凰黎ホワンリィは水行の門派だよな……?)

 たしかに凰黎ホワンリィはふだん煬鳳ヤンフォンの熱を下げるために水の力を使ってくれるのだが、先ほどの攻撃は水というよりは別の力に感じられたのだ。

 けれどそのようなことに考えを傾ける余裕などなく、煬鳳ヤンフォンたちは小黄シャオホワンを連れだって村の出口へと向かう。正直追いつかれるのも時間の問題だ。答えの出ない考えは明後日に捨て置いて、追いつかれたとき自分には何ができるのかを考えながら煬鳳ヤンフォンは走った。

煬鳳ヤンフォン、熱は」
「平気さ、清粛チンスウから貰った索冥花さくめいかは思った以上に効果があったみたいだ。少しくらいなら何ともない」

 心配そうに尋ねた凰黎ホワンリィの言葉に、煬鳳ヤンフォンははっきりと返す。事実、清林峰せいりんほうで服用した索冥花さくめいかは予想以上に効果を発揮してくれた。先ほど何度か黒曜ヘイヨウを使ったが、今まで同じように黒曜ヘイヨウを出していたら、すぐに体温が上がってしまって周囲の温度も上がっていたことだろう。貴重な最後の神薬を譲ってくれた清林峰せいりんほうの人たちに感謝しなければならない。

「それで、これからどうする?」
「一先ず思い切り戦える場所を探しましょう。ここで争っては、既に眠っている人々に障ります」

 凰黎ホワンリィの言葉に煬鳳ヤンフォンは背後の街並みを振り返った。この村が災厄に見舞われてはや十数年。村のどこにも恨みを募らせた影は見つからない。

 ――みんな、もう還ったんだ。

 今この場所で争って、彼らの平穏を汚しては駄目だ。それに、墓に残された花……。また戻ってくる仲間のためにも、この場所を傷つけたくはない。
 しかしすぐさま迫ってくる凶悪な気配を感じ取り、煬鳳ヤンフォンはすぐさま凰黎ホワンリィを見た。

「止むを得ません、私がここで――」

 凰黎ホワンリィがそこまで言いかけたときだ。

「こっちに来い!」

 黒冥翳魔こくめいえいまとも異なる誰かの声に、思わず二人で顔を見合わせる。小黄シャオホワンは真っ青な顔でぶるぶると震えている。煬鳳ヤンフォン小黄シャオホワンを抱え上げ「凰黎ホワンリィじゃないけど、我慢しろよ」と言って立ち上がった。今この瞬間は凰黎ホワンリィを頼るべきだ。
 どうするか尋ねるより先に頷きあうと、声のした方へと三人で駆け出した。

「ここだ!」

 結界で守られた入り口らしき場所に、青年が一人立っている。その足元には何かの陣が描かれていた。歳は煬鳳ヤンフォンたちとそう変わらない。青年の出で立ちは筒袖の上衣姿で左衽さじんの襟元には精細な刺繍がびっしりと描かれており、鋼劍こうけんの人たちが着ていたものによく似ている。頬を煤で汚し、およそ術などとは無縁にも見える青年だったが、煬鳳ヤンフォンたちが結界の中に飛び込むのを確認すると、慣れた手つきで陣を発動させた。
 瞬時に辺りの景色が違うものへと変化する。

「どうやらあの結界は、別の場所に移動するための入り口を隠すものだったようですね」
「その通り。ここはさっきどの場所から見てちょうど裏側にあたる場所さ」

 凰黎ホワンリィの言葉に青年が答えた。青年はまだ小黄シャオホワン色を抱いたままの煬鳳ヤンフォンに向き直ると、満面の笑みを見せる。その人懐こい笑顔を見た瞬間、何故だか煬鳳ヤンフォンは胸の中に湧き上がる感情を覚えた。

「久しぶりだな、煬鳳ヤンフォン! さっき黒冥翳魔こくめいえいまが呼んだからまさかと思ったけど……」
「えっ……? て、ことは……?」

 ここで会って「久しぶり」というのだから、絶対に鋼劍こうけんで過ごした仲間たちのなかの一人だ。それが誰なのか、まじまじと青年の顔を見ながらひとりずつ記憶の案かの顔を当てはめてゆく。

「すぐ思い出せよ! 俺だよ俺、藍方ランファン!」
「えーーーーーーっ!?」

 彩藍方ツァイランファンと名乗った青年は、忘れもしない鋼劍こうけんで過ごした日々の中で、煬鳳ヤンフォンにとっては一番の友だった男だ。

    * * *

 五行盟ごぎょうめいの一つであった彩鉱門さいこうもんは、実のところ『どうなったのかわからなくなってしまった』という認識が正しい。清林峰せいりんほうにも様々な経緯があったように、彩鉱門さいこうもんにも姿を消す理由があったのだ。

 かつて彩鉱門さいこうもんは金行使いの門派であり、鉱物の扱いに長け他門派の掌門しょうもんなどが使うような優れた武器などの鍛造を行っていた。ただの鍛造だけなら腕のいい鍛冶屋というだけだろう。しかし彼らの本当の存在理由は、門派に代々口伝で伝えられる、彼らにしか扱うことのできない鉱石の製錬と鍛造にあるのだと、門派を知る者は語り継ぐ。

 彩鉱門さいこうもんの鍛造する霊剣は皆が喉から手が出るほど欲しくなるようなものばかり。他の門派とておいそれと邪険にすることはできなかった。
 いわば彼らは唯一無二の武器を持っていたということ。
 そんな彼らが、なぜ五行盟ごぎょうめいから消えてしまったのか。

 答えは簡単なこと。
 彼らが自ら、存在を隠したから。

 あるとき『彩鉱門さいこうもんが禁忌の鉱物を手にした』という噂が広まった。その鉱物は彩鉱門さいこうもんにしか扱うことはできないが、それゆえ決して扱ってはいけないとされるものだったのだ。噂は瞬く間に睡龍の地全土に広がって、やがて彩鉱門さいこうもんを潰すべきだということまで口にするものが現れたのだ。

 そこに異を唱えるものは殆どおらず、彩鉱門さいこうもん滅門めつもんすべきだという論調が強まったのだが、さほど危機感を覚えた者はいなかった。なぜなら、みな彩鉱門さいこうもんは無くてはならないものだと思っていたが、無くなったとしても自分たちのところに呼び寄せておけばいい、などと都合のいいことを考えていたからだ。
 自分達だけが彼らの技術を手中に収めることができるのならば、却ってそちらの方が好都合。

 しかし、彩鉱門さいこうもんの当時の掌門しょうもんはそのような考えも全て把握していた。彼は門弟たち全てを当時徨州こうしゅうの屋敷から退避させ、屋敷ごと全て爆破してしまったのだという。

 もっとも、このことを知る者は殆どおらず、親交のあった蓬静嶺ほうせいりょうなど限られたごく一部の者のみが知るところであった。だから、表向き彩鉱門さいこうもんは滅んでしまったことになっているし、当然それを漏らす者もいない。そうして何年も黒炎山こくえんざんの結界の中で彩鉱門さいこうもんの門弟たちは過ごしていたというわけだ。
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