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陳蔡之厄黒炎山(黒炎山での災難)
043:狐死首丘(一)
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――死んだような瞳をした子供たちがひしめき合う、狭くて暗い部屋の中。
それが煬鳳が記憶に留めた初めての光景であったように思う。
親はなく、兄弟もなく。狭い場所に沢山の子供が閉じ込められていて、煬鳳もまたその中の一人だった。
当時は何故そんな状況だったのか分からなかったが、今ならば分かる。その家は年端もいかぬ子供を売り買いする、人買いの家だったのだ。
貧しい家から買われたのか、それともどこからか拾ってこられたのか、はたまた奪われてきたのかは分からない。小屋から出され売られてゆく者もいれば、買われて小屋に入れられる者もいる。食事もまちまち、碌に腹に入れられぬ日も多く、生きるために他の子供を押しのけてでも飯を奪わなければならなかった。
転機が訪れたのはいつだったろうか。
力いっぱい手を引かれ、箱詰めの部屋から無理やり出され売られる子供。その日はついに煬鳳も売りに出される日だったらしい。数日ぶりに小屋の戸が開いたかと思うと、屈強な男の腕が煬鳳を掴み、有無を言わさず小屋から引きずり出したのだ。
「はなせ! はなせったら!」
人買いの家は嫌だったが、売られてゆくのはもっと恐ろしい。当時はそれすら理解していなかったが、これから先どんなことが起きるのか、言いようもない不安が煬鳳を襲った。ありったけの力で連れていこうとする男たちの手を振りほどき、煬鳳は必死で駆け出した。
「逃げたぞ! 捕まえろ!」
子供の足で走れる距離などたかが知れている。その時自分が何歳だったのか、はっきりとは分からないが、赤子とさほど変わらぬ程度だった。
容易く人買いの男に捕らえられ、いよいよ荷馬車に詰め込まれかけたときだ。体が言いようもないほどに熱くなり、翳炎が噴き出した。爆発にも似た衝撃で煬鳳は気を失ってしまったが、目覚めたときに見た光景は忘れられない。
――沢山の瓦礫、地に倒れ伏し既にこと切れている人買いの男たち。傍にあった筈の人買いの家は跡形もなく消えていて、あったのは大きく地面が削れた跡。
何が起こったのか、幼い煬鳳には全く理解できなかったのだが、あれは煬鳳が初めて呼び起こした翳炎だったのだ。
生き残ったものは誰一人おらず、一人になった煬鳳はそれから森の中で暫く暮らしていた。森に落ちている木の実や果物を食べ、ある時は草や根を齧って、近くの泉で喉を潤し木の下で夜露を凌いだ。
自分の頭の上に黒く燃える鳥が時折留まっていることに気づいたのも丁度このころだった。その当時は己の名前すらなかったので、その鳥にも名前はなかった。
そうこうしているうちに、ひょんなことから森の先にあった村に辿り着いた。
それが、鋼劍の村。
鋼劍は火山の中腹にある小さな村だったが、そんな村にも孤児はいた。とはいっても人買いの家にいた子供とは全く異なっている。信じられないことだが、彼らは優しい村の人たちが分けてくれた食べ物を分け合いながら、それなりに皆で仲良く日々暮らしていた。小さな村ゆえさほど孤児を疎ましく思う者はなく、比較的貧しくもない村だったのでまだ他人を思いやる余裕があったのだ。争う必要がない鋼劍の孤児たちは、人買いの家にいた子供たちとはやはり異なっていて、幼い煬鳳が一人でいるのを見つけると、すぐさま駆け寄って仲間に引き入れてくれた。
彼らとの思い出がなかったら、煬鳳の人格はもっと根底からひん曲がっていたかもしれない。
それからようやく、煬鳳は人間らしい最低限の生活を送ることができるようになった。友と語らい、時折村の人の手伝いをこなし、ご褒美に食べ物を分けてもらったり……酷い生活だったが、その中でも楽しく生きていたことをよく覚えている。
村にあった小さな廟。それが祖先を祀ったものだったのか何だったのか、今では分からなくなってしまったが、日々の安寧を祈って毎日村の人たちは廟に訪れていたことを思い出す。本当に優しい人たちの村だったのだ。
煬鳳という名前もその時にようやく名乗ることができた。
首に掛けていたボロボロの香包[*1]。その中に煬鳳の名らしきものが入っていたらしい。よく手伝いを頼んでくれた職人の夫婦が気づいて、煬鳳に教えてくれたのだ。
「きっとお前の父ちゃん母ちゃんが、お前のために持たせてくれたんだよ」
だからお前は捨てられたんじゃない、きっと何か理由があったに違いないよ、とその夫婦は煬鳳を諭してくれた。
黒曜に名がついたのも丁度同じころだ。当時はあれが何であるか誰も分かっておらず、ただ煬鳳に懐いている黒い鳥としか思っていなかった。
あんまり一緒にくっついているので余程好かれているのだろう、と子供も大人もみな言っていた。
「その鳥にもそろそろ名前を付けてやるといい。名前を付けることで、お前とその鳥とは特別な間柄になる。そうじゃなあ……真っ黒だから黒曜がいいだろう。ここは火山の村だから、ちょっと歩けば黒曜石が採れるんじゃ。だが火口は危ないから、お前達も絶対に近づいちゃならんぞ」
村の長老は笑いながらそう言って、黒曜に名前をつけてくれた。他の村や街ともさほど交流の少ない村だったせいなのか、皆本当に優しい人ばかりだったのだ。
子供たちとも時に喧嘩し時には笑いあい、明日も分からぬ身であったがそんなことが些細に感じられるほど、充実した生活を送っていた。
孤児たちの年齢は様々だったが、煬鳳と同じくらいの子供もいて、煬鳳はいつもその子と行動することが多かった。
悪戯をするときも、怒られる時も。
いいことをするときも。
それから……生と死の瀬戸際の最中においても。
――ある夜、凄まじい爆発と地響きが起こった。煬鳳たちは自分達で作った粗末な小屋で寝ていたのだが、一瞬で小屋が崩れるほどの揺れによってみな一瞬で飛び起きた。
一体何が起こったのか?
慌てて辺りの様子を確認すると、空から赤い炎がいくつも降ってきたのだ。
「逃げろ!」
咄嗟に誰かが叫び、みな散り散りに走り出した。煬鳳と数人の子供は村の人たちを探しに行ったが、村の惨憺たる状況に思わず言葉を失った。
小さな村で、殆どのが見知った顔。
その人たちが血を流して倒れている。必死で駆け寄って呼びかけたが、怪我の状況を見れば目を開けるわけないと一目で分かる。
「火山が噴火したんだ。……煬鳳、逃げよう!」
友に手を引かれ後ろ髪惹かれる思いで村を飛び出したのだが、火山の噴火は全く収まることはない。やがて森は炎に包まれ真っ赤に染まり、立ち込める黒煙で逃げるべき方角すら分からなくなってしまった。
「おじさんやおばさんたちは平気かな……」
優しい人たちが、一人でも生きていて欲しい。逃げながらも煬鳳は祈らずにはいられなかった。
楽しかった日々が、大切な人の人生が。よもやこのような形で終わってしまうなどと、誰が考えられただろうか。毎日祈りを捧げ、日々の安寧を願っていた優しい人たちが、このような酷い最期を迎えて良いわけがない。
しかし、目の前に広がった現実は惨たらしいものだった。
煬鳳と友は、逃げ遅れた子供たち数人を引き連れて山道を下ったが、そのあいだも死の気配が消えたことは一時もない。吐きそうな気持ちを堪えながらただ走ることだけを考えていた。
絶望的な状況の中、ふと友が足を止める。
一体どうしたのかと皆が戸惑っていると、向き直った友は子供たちに向かって言った。
「いいか。ここから先はお互いのことをいったん忘れて、とにかく自分が生き延びることだけを考えるんだ。何があっても絶対に振り返らず走り続けるんだ」
「大哥、どうして?」
煤で真っ黒になった顔で、涙声の少女が問う。煬鳳は友の想いを察して、少女の前に屈む。
「誰かを助けようと立ち止まったら、そいつも死ぬかもしれないからだ。それくらいここは危ない。全員死んだら終わりだ。だから、誰か一人でも生きていて欲しい、大哥はそう思ってるんだよ」
少女は涙を堪え、何も言わずに頷いた。
「もし生き延びることができたら、もう一度村に戻って皆の墓を作ろう。それが生きてるって合図だ」
約束の言葉を心に刻み、友が「走れ!」と叫ぶ。
その言葉を合図にして、わき目もふらずいっせいに山の麓を目指して走り出した。
降り注ぐ灰と黒煙が絶え間なく襲い掛かる。視界を阻まれ煙で涙を流し、それでも煬鳳は懸命に走ったが、途中で足場が崩れ落ちて崖下に転落し、痛む足を引きずりながら逃げ続けた。
* * *
「――火山が落ち着くまでどれくらい経ったか分からないけど、山が燃えなくなったあとで恐る恐る山まで戻ったんだ」
しかし、戻ってきた村は酷い有様で誰一人そこにはいなかった。岩石によって潰された家、随分放置されていた死体は殆ど噴火で燃え、炭と化していた。
――崑崙火を失して玉石倶に焚く。
若者も、年寄りも。
孤児たちも、親のあるものも。
みな炎の中に消えてしまった。
その全員が、煬鳳の知り合いだったに違いない。
「生き残ったやつがいるかも全然分からなくてさ。とにかくこのままにしておけないからって俺はその人たちを埋めて、それから村をあとにしたんだ」
かつて村から降りて来た道を歩きながら煬鳳はそう語る。かつて全てを失いたった一人で歩いたこの道を、今こうして誰かと歩くことになるとは実に不思議な心持ちだった。
「師匠に会ったのは、黒炎山を下りて近くの街で盗みを働いてたときだ。……うっかり盗みに入った場所が師匠の泊まってる部屋でさ、そりゃあもうボコボコにされたよ」
師は確かに盗みに入った煬鳳をボコボコにしたし、縄で縛ったが、同時に煬鳳の隠された力にも気づいたのだ。
「それで、うちに来たら食いもん沢山食わせてやるよ……って言われて」
「それで二つ返事で玄烏門の掌門弟子になったんですね」
「そんな食べ物につられたみたいに言うな!」
慌てて言った煬鳳に凰黎は涼しい顔で「違うんですか?」と尋ねてくる。
「そ、そうだけど……」
……食べ物に、つられたのだった。
玄烏門に来た当初は随分しごかれて『騙された!』と思ったものだが、いつの間にかこうして掌門になってしまったのだから、人生とは不思議なものだ。
「しかし……まさかこの黒炎山が貴方の故郷だったなんて思いませんでした」
「拾ってくれた師匠以外で話したのは今日、凰黎が初めてさ。それに、この山が黒炎山って名前なのも玄烏門に来てから知ったんだ。なにせ、村がああなるまで本当に何も分からないまま生きてきたからな。村の名前も、暮らしてた時は全然知らなかった」
こうして十数年経った今ふたたびこの地を訪れるのは、何かの運命だったのかもしれない。そんな考えも時折よぎる。
――――――
[*1]香包……匂い袋。
それが煬鳳が記憶に留めた初めての光景であったように思う。
親はなく、兄弟もなく。狭い場所に沢山の子供が閉じ込められていて、煬鳳もまたその中の一人だった。
当時は何故そんな状況だったのか分からなかったが、今ならば分かる。その家は年端もいかぬ子供を売り買いする、人買いの家だったのだ。
貧しい家から買われたのか、それともどこからか拾ってこられたのか、はたまた奪われてきたのかは分からない。小屋から出され売られてゆく者もいれば、買われて小屋に入れられる者もいる。食事もまちまち、碌に腹に入れられぬ日も多く、生きるために他の子供を押しのけてでも飯を奪わなければならなかった。
転機が訪れたのはいつだったろうか。
力いっぱい手を引かれ、箱詰めの部屋から無理やり出され売られる子供。その日はついに煬鳳も売りに出される日だったらしい。数日ぶりに小屋の戸が開いたかと思うと、屈強な男の腕が煬鳳を掴み、有無を言わさず小屋から引きずり出したのだ。
「はなせ! はなせったら!」
人買いの家は嫌だったが、売られてゆくのはもっと恐ろしい。当時はそれすら理解していなかったが、これから先どんなことが起きるのか、言いようもない不安が煬鳳を襲った。ありったけの力で連れていこうとする男たちの手を振りほどき、煬鳳は必死で駆け出した。
「逃げたぞ! 捕まえろ!」
子供の足で走れる距離などたかが知れている。その時自分が何歳だったのか、はっきりとは分からないが、赤子とさほど変わらぬ程度だった。
容易く人買いの男に捕らえられ、いよいよ荷馬車に詰め込まれかけたときだ。体が言いようもないほどに熱くなり、翳炎が噴き出した。爆発にも似た衝撃で煬鳳は気を失ってしまったが、目覚めたときに見た光景は忘れられない。
――沢山の瓦礫、地に倒れ伏し既にこと切れている人買いの男たち。傍にあった筈の人買いの家は跡形もなく消えていて、あったのは大きく地面が削れた跡。
何が起こったのか、幼い煬鳳には全く理解できなかったのだが、あれは煬鳳が初めて呼び起こした翳炎だったのだ。
生き残ったものは誰一人おらず、一人になった煬鳳はそれから森の中で暫く暮らしていた。森に落ちている木の実や果物を食べ、ある時は草や根を齧って、近くの泉で喉を潤し木の下で夜露を凌いだ。
自分の頭の上に黒く燃える鳥が時折留まっていることに気づいたのも丁度このころだった。その当時は己の名前すらなかったので、その鳥にも名前はなかった。
そうこうしているうちに、ひょんなことから森の先にあった村に辿り着いた。
それが、鋼劍の村。
鋼劍は火山の中腹にある小さな村だったが、そんな村にも孤児はいた。とはいっても人買いの家にいた子供とは全く異なっている。信じられないことだが、彼らは優しい村の人たちが分けてくれた食べ物を分け合いながら、それなりに皆で仲良く日々暮らしていた。小さな村ゆえさほど孤児を疎ましく思う者はなく、比較的貧しくもない村だったのでまだ他人を思いやる余裕があったのだ。争う必要がない鋼劍の孤児たちは、人買いの家にいた子供たちとはやはり異なっていて、幼い煬鳳が一人でいるのを見つけると、すぐさま駆け寄って仲間に引き入れてくれた。
彼らとの思い出がなかったら、煬鳳の人格はもっと根底からひん曲がっていたかもしれない。
それからようやく、煬鳳は人間らしい最低限の生活を送ることができるようになった。友と語らい、時折村の人の手伝いをこなし、ご褒美に食べ物を分けてもらったり……酷い生活だったが、その中でも楽しく生きていたことをよく覚えている。
村にあった小さな廟。それが祖先を祀ったものだったのか何だったのか、今では分からなくなってしまったが、日々の安寧を祈って毎日村の人たちは廟に訪れていたことを思い出す。本当に優しい人たちの村だったのだ。
煬鳳という名前もその時にようやく名乗ることができた。
首に掛けていたボロボロの香包[*1]。その中に煬鳳の名らしきものが入っていたらしい。よく手伝いを頼んでくれた職人の夫婦が気づいて、煬鳳に教えてくれたのだ。
「きっとお前の父ちゃん母ちゃんが、お前のために持たせてくれたんだよ」
だからお前は捨てられたんじゃない、きっと何か理由があったに違いないよ、とその夫婦は煬鳳を諭してくれた。
黒曜に名がついたのも丁度同じころだ。当時はあれが何であるか誰も分かっておらず、ただ煬鳳に懐いている黒い鳥としか思っていなかった。
あんまり一緒にくっついているので余程好かれているのだろう、と子供も大人もみな言っていた。
「その鳥にもそろそろ名前を付けてやるといい。名前を付けることで、お前とその鳥とは特別な間柄になる。そうじゃなあ……真っ黒だから黒曜がいいだろう。ここは火山の村だから、ちょっと歩けば黒曜石が採れるんじゃ。だが火口は危ないから、お前達も絶対に近づいちゃならんぞ」
村の長老は笑いながらそう言って、黒曜に名前をつけてくれた。他の村や街ともさほど交流の少ない村だったせいなのか、皆本当に優しい人ばかりだったのだ。
子供たちとも時に喧嘩し時には笑いあい、明日も分からぬ身であったがそんなことが些細に感じられるほど、充実した生活を送っていた。
孤児たちの年齢は様々だったが、煬鳳と同じくらいの子供もいて、煬鳳はいつもその子と行動することが多かった。
悪戯をするときも、怒られる時も。
いいことをするときも。
それから……生と死の瀬戸際の最中においても。
――ある夜、凄まじい爆発と地響きが起こった。煬鳳たちは自分達で作った粗末な小屋で寝ていたのだが、一瞬で小屋が崩れるほどの揺れによってみな一瞬で飛び起きた。
一体何が起こったのか?
慌てて辺りの様子を確認すると、空から赤い炎がいくつも降ってきたのだ。
「逃げろ!」
咄嗟に誰かが叫び、みな散り散りに走り出した。煬鳳と数人の子供は村の人たちを探しに行ったが、村の惨憺たる状況に思わず言葉を失った。
小さな村で、殆どのが見知った顔。
その人たちが血を流して倒れている。必死で駆け寄って呼びかけたが、怪我の状況を見れば目を開けるわけないと一目で分かる。
「火山が噴火したんだ。……煬鳳、逃げよう!」
友に手を引かれ後ろ髪惹かれる思いで村を飛び出したのだが、火山の噴火は全く収まることはない。やがて森は炎に包まれ真っ赤に染まり、立ち込める黒煙で逃げるべき方角すら分からなくなってしまった。
「おじさんやおばさんたちは平気かな……」
優しい人たちが、一人でも生きていて欲しい。逃げながらも煬鳳は祈らずにはいられなかった。
楽しかった日々が、大切な人の人生が。よもやこのような形で終わってしまうなどと、誰が考えられただろうか。毎日祈りを捧げ、日々の安寧を願っていた優しい人たちが、このような酷い最期を迎えて良いわけがない。
しかし、目の前に広がった現実は惨たらしいものだった。
煬鳳と友は、逃げ遅れた子供たち数人を引き連れて山道を下ったが、そのあいだも死の気配が消えたことは一時もない。吐きそうな気持ちを堪えながらただ走ることだけを考えていた。
絶望的な状況の中、ふと友が足を止める。
一体どうしたのかと皆が戸惑っていると、向き直った友は子供たちに向かって言った。
「いいか。ここから先はお互いのことをいったん忘れて、とにかく自分が生き延びることだけを考えるんだ。何があっても絶対に振り返らず走り続けるんだ」
「大哥、どうして?」
煤で真っ黒になった顔で、涙声の少女が問う。煬鳳は友の想いを察して、少女の前に屈む。
「誰かを助けようと立ち止まったら、そいつも死ぬかもしれないからだ。それくらいここは危ない。全員死んだら終わりだ。だから、誰か一人でも生きていて欲しい、大哥はそう思ってるんだよ」
少女は涙を堪え、何も言わずに頷いた。
「もし生き延びることができたら、もう一度村に戻って皆の墓を作ろう。それが生きてるって合図だ」
約束の言葉を心に刻み、友が「走れ!」と叫ぶ。
その言葉を合図にして、わき目もふらずいっせいに山の麓を目指して走り出した。
降り注ぐ灰と黒煙が絶え間なく襲い掛かる。視界を阻まれ煙で涙を流し、それでも煬鳳は懸命に走ったが、途中で足場が崩れ落ちて崖下に転落し、痛む足を引きずりながら逃げ続けた。
* * *
「――火山が落ち着くまでどれくらい経ったか分からないけど、山が燃えなくなったあとで恐る恐る山まで戻ったんだ」
しかし、戻ってきた村は酷い有様で誰一人そこにはいなかった。岩石によって潰された家、随分放置されていた死体は殆ど噴火で燃え、炭と化していた。
――崑崙火を失して玉石倶に焚く。
若者も、年寄りも。
孤児たちも、親のあるものも。
みな炎の中に消えてしまった。
その全員が、煬鳳の知り合いだったに違いない。
「生き残ったやつがいるかも全然分からなくてさ。とにかくこのままにしておけないからって俺はその人たちを埋めて、それから村をあとにしたんだ」
かつて村から降りて来た道を歩きながら煬鳳はそう語る。かつて全てを失いたった一人で歩いたこの道を、今こうして誰かと歩くことになるとは実に不思議な心持ちだった。
「師匠に会ったのは、黒炎山を下りて近くの街で盗みを働いてたときだ。……うっかり盗みに入った場所が師匠の泊まってる部屋でさ、そりゃあもうボコボコにされたよ」
師は確かに盗みに入った煬鳳をボコボコにしたし、縄で縛ったが、同時に煬鳳の隠された力にも気づいたのだ。
「それで、うちに来たら食いもん沢山食わせてやるよ……って言われて」
「それで二つ返事で玄烏門の掌門弟子になったんですね」
「そんな食べ物につられたみたいに言うな!」
慌てて言った煬鳳に凰黎は涼しい顔で「違うんですか?」と尋ねてくる。
「そ、そうだけど……」
……食べ物に、つられたのだった。
玄烏門に来た当初は随分しごかれて『騙された!』と思ったものだが、いつの間にかこうして掌門になってしまったのだから、人生とは不思議なものだ。
「しかし……まさかこの黒炎山が貴方の故郷だったなんて思いませんでした」
「拾ってくれた師匠以外で話したのは今日、凰黎が初めてさ。それに、この山が黒炎山って名前なのも玄烏門に来てから知ったんだ。なにせ、村がああなるまで本当に何も分からないまま生きてきたからな。村の名前も、暮らしてた時は全然知らなかった」
こうして十数年経った今ふたたびこの地を訪れるのは、何かの運命だったのかもしれない。そんな考えも時折よぎる。
――――――
[*1]香包……匂い袋。
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